第7話

 東側前線後衛部、その基地、通称『鉄蔵てつぐら


 血と汗と火薬、それと死んだ魔素の匂い。

 撃墜された小型竜の甲高い悲鳴や、爆撃や砲弾、割れる障壁の音、そして、隊長の怒鳴り声が響くここでは、泣き言を言う者は決して生きていけない。


 今は深夜、警戒はおこたらないが、この後衛部まで敵の攻撃が来ることはめったにない。


「おい、ジンクっ! てめえ何で怒鳴どなられてるか分かってんだろうなあ!」


 そう、部下に大声を上げるのは、東側前線後衛部第2部隊長、ガンである。

 ガン眉はつり上げて、今にも人を食ってしまいそうな顔をしていた。

 それに答えるのは、全身黒い軍服に、ブカブカのロープを被った軍人だ。少し長い髪で片方の目を隠し、もう片方の目は紫色にギラギラと眼光を輝かせている。


「分かりません」


 ゴォン――っ!

 鈍い、嫌な音が『鉄蔵』の中に反響する。


「命令違反をやめろっ! 俺達は後衛部隊だ。前線に上がるな!」


 殴られたジンクは、それでもそのギラリとした目の純度を落とさず、ガンを睨み返す。


「結果的に成果は出ています」


「そういう問題じゃねえ!」


 ゴォン――っ! 

 さっきよりも少し強めの殴打。ガンは半ば叫びに近いような声で荒ぶる。


「上官の命令は絶対! 破ればてめえは本国戻りの職なしだっ! それでもいいのかあ?!  ああ!?」


 ガンは凄むが、ジンクは少したりとも動じない。


「本国送りを決定できるのは帝王様で、あんたじゃない。それにあんたは、俺って駒を簡単に捨てられる程バカじゃない」


 ピキピキピキ。ガンの血管が浮き出る。


「言うことを聞け。最後通牒だ。ジンク」


「誰にでも出来ることをしに、俺は戦場ここにいるわけじゃない」


 プツン――

 ガンの血管が切れた音を何故かその場の全員が聞いた。


「バカがっ」


 ガンは上着の内ポケットから手帳を取り出す。


「ああこれだぁ。これこれ」


「……?」


 ガンの突然の行動に、ジンクは疑問符を浮かべる。


 バッ――っ! と。ガンは左手をジンクの前につきだし、唱える。


転移ルナ・ザーク


 瞬間、ジンクの身体が青い光に包まれる。障壁と同じ色だ。

 ジンクはそれがなんだか分からない。だが、自分にとって良いものでないことを直感した。


「何ですか。これは」


「お前みたいな化け物に、何も対策を用意しねえわけねえだろ。この魔法はな、お前レベルで体内魔素の高えやつを、それ以上に魔力のある物体まで転移させる魔法だ。つまり、お前相手しか使えない、お前を世界樹林に送る魔法だな」


 ガンは自慢気にそう言うと、カハハッと、乾いた笑いを口に出す。

 この辺りで一番魔素の濃い場所は、確かに、世界樹林しかない。

 手先が消え始めたのを見て、ジンクは抵抗する選択肢を捨てる。


「すぐに戻って来ますよ。俺は」


「心配しなくても、お前の実力ならそうかからねえだろうさ。反省してなかったら、また送り返すけどな」


 ギロっ――

 ジンクが睨みをきかせるが、ガンもまた動じない。


「出来るだけ早く戻って来るこった。戦争大好きジンクちゃん」


 その言葉に、ジンクは激昂する。


「誰がっ!!――……」


 最後まで言葉を紡ぐ暇なく、ジンクは、虚空の中に消えていった。


 ◯


 夜、焚き火の前で、1組の男女がもめていた。


「お願いします! 戦場まで、私と同行して下さい!」


 この白髪青目の少女、リーレイは、先ほどから何度もジンクに頭を下げている。


「断る。傷が治ったならさっさと行け」


 だが、ジンクはぶっきらぼうにそう返す。


「何度も言いますが、今からじゃ配達が間に合わないんです! 目的地同じなんだからいいじゃないですか!」


「断る。お前を信用する根拠も、助ける義理もない」


 この男、強情である。


「うぅ。なら、何で私を助けたんですか!」


 それには、ジンクはすぐに答えず、一瞬考えた後、何事もなかったかのように言葉を吐いた。


「犯罪者を殺すためだ。傷の治療をしたのは、怪我人の傍観者は犯罪者と変わらないから。それ以上でも以下でもない」


「んぐぬ~。……あ」


 リーレイは何かを思い付いたかと思えば、自分も焚き火の近くに座った。

 ジンクは冷えた目をリーレイに向ける。


「行くんじゃないのか」


「日が昇ったらにします。ここはまだ、足食いとかげの縄張りなので」


「そうか」ジンクはそう言うと、自分の肉を食べ始める。もちろん一人分。


 リーレイはそれを見て、自分もリュックから携帯食料を取り出して口に放り込んだ。どうやら美味ではないようで、微妙な顔をしている。


 また、長い沈黙が始まった。


 バチバチと、焚き火の音だけが聞こえてくる。


 アグルーが寝息をたて始めた。きっと疲れていたのだろう。


「なあ」


 意外にも、その沈黙を最初に破ったのはジンクの方であった。


「配達屋というのは普通、馬を使うものではないのか?」


「……へ?」


 リーレイは思わず、素っ頓狂な声を出した。


「だから、配達屋というのは、」


「ああ分かります分かります。言ってる意味は分かるんだけど。え、知らないんですか~?  〈イーグル〉」


「知らん」


「えぇ、」


 リーレイは呆れ顔をした後、少し納得もした。


(東側前線って立地悪いから〈イーグル〉あんまり来ないんだ。だからこの人、私が配達屋だってことも信用してない? でも噂くらいは普通聞くでしょ。友達いないのかな)


 なんとも失礼な想像をした後、リーレイは身振り手振りで大げさな紹介を始める。


「〈イーグル〉とは! 18年前に女社長、バイオレットが創設した配達会社で、その名の通り、ヴォルシアイーグルを使って荷物を運ぶんです。ジンクさんの言う馬っていうのは〈ビッグホース〉のことですね。こっちは〈イーグル〉のライバル会社なんです。むか~しに作られた会社で、世界樹林中央に作られたでっかい道を使って荷物を運びます。だから! 速さで言えば〈イーグル〉が断然上で――」


「でも、今失敗しそうじゃないか」


「ヴ……」


 核心を突かれ、リーレイは硬直する。


「安全性は馬の方が高い訳か、鳥だと天候にも弱そうだしな」


「ヴヴ……」


「あとお前、体内魔素が少なすぎる。分け与えていたら少ししか入らなくて驚いたぞ」


「今その話する必要ありました!?」


 リーレイがきれのいいツッコミをすると、ジンクはそのタイミングで肉を食べ終えた。


「ま、よく出来た設定だ。本でも書いたら、案外売れるんじゃないか」


 この時代、本を書く人間の地位は決して高いとは言えない、それを揶揄した皮肉であった。


 さすがにリーレイも怒ったのか、言葉を返す。


「……国を守る軍人さんが、国内のことを全く知らないなんて、おかしな話ですね」


 ジンクはこの時何を思ったのか、指パッチンをして焚き火の火を消し、横になる。


「寝る」


「そうですか。寝ますか。……おやすみなさい」


 リーレイはそう言って静かになる。



 ジンクが眠ってから少し時間がたった後、布団が被せられる感触を、ジンクは感じた。


 ジンクは薄目を開け、リーレイ自身も布団を被って横になっているのを確認する。


(まったく、変な女だ)


 ジンクはそう思ったが、布団を手放すことはしなかった。


 ◯


 ビュォォォォ――


(……風の音?)


 ジンクは、強風によって目を覚ます。

 そして目を開けたと同時に、これが強風でないことを理解する。


 ジンクは空を、飛んでいた。

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