第20話 ⑦の7

    −7の7 玲のモノローグ−


 冬はそんな感じに過ぎていき、そして三月のあの日がやって来た。

 寒い日で、風も強かった。

 飯島さんと腰巾着に命じられ、一緒に下校することになった。

 このころ、私は自分の気配を薄めることにかなりの注意を向けていた。目立たず黙っていれば、たいていの場合、穏便に済んでいくことが多かったから。


 この日も飯島さんは春休みにあるというスピーチのコンテストについて得意気に話していたが、私の反応が彼女の予想と違ったらしい。彼女は晴れがましかった顔を急に暗転させ、


「神谷さんさー、ちょっとは空気を読もうとか、ないわけ?」


 と、片方の眉を上げた。ちょうど川沿いにさしかかった場所だった。


「せっかくみんなで楽しい話して盛り上がってるのに、一人そんな暗い顔でいられるとめちゃくちゃ白けるんだけど」


「え……? あ……」


「ほんとだよー、神谷さん、そういうとこ直したほうがいい」


 腰巾着が援護射撃を入れると、飯島さんは憮然としたまま司令を出した。


「翠、神谷さんの鞄、取り上げて」


 背の高い腰巾着が私のかばんを引ったくり、飯島さんに投げた。


「はい、早優ちゃん!」


「返して!」


 思わず私は叫んでいた。


「ほら、ちゃんと声出るんじゃない。良かったね」


 飯島さんはまた私の鞄を、今度は背の低いほうの手下にパスした。受け取った手下は、私の鞄に付いていた御守りに気づいたらしかった。


「何これ。何か付いてる。御守りみたいなやつぅ」


「それ、取っちゃってよ、リコ!」


 それは祖母が作ってくれたものだった。ずっと鞄に付けてあったからずいぶん汚れてしまっていたが、私にとっては大切なものだ。


「やめて! それはダメ! ほんとにやめて!」


 という私の声は、自分の耳にさえ悲痛に響く。

 腰巾着は御守りを外すと、また鞄を背の高い手下に投げた。


「私たちは神谷さんに元気を出してもらおうと思ってるんだよぉ?」


 飯島さんはわざとらしく言って私を煽った。


「きったなあい。何これ。こーんな汚いもの大切にしてるなんて貧乏くさーい!」


 腰巾着が御守りをひらひらさせる。


「お願い、返して!」


 私は必死に食いついた。

 そうしている内に飯島さんと長身の腰巾着が私の鞄を開け、成績表を出していた。


「わーすごーい。英語、すんごくいいじゃない。えっと体育はずっと3かあ」


「やめて!」


 しかし三人はへらへらしっぱなしで御守りや成績表をつまみ、高いところでひらひらさせては身をかわすばかりだった。


「お、数学が下がったようですねえ、残念」


 飯島さんが私の成績表を見ながら声に出す。私は必死に奪い返そうとしたが、背の高い腰巾着がディフェンスに入る。


「えーっと、先生からの言葉は……。『英語が得意なようなのでこの調子でさらに伸ばしていって下さい。それと、生活面では、神谷さんは少し繊細すぎるところがあるようので、あまり小さなことをくよくよ気にしすぎることのないよう、精神面で強くなれるよう心がけてみましょう』だってー! うけるー!」


 飯島さんがどっと笑う。


「えーどれどれ? 私も見たい!」


 と、ディフェンスの腰巾着も飯島さんの手元をのぞき込んだときだった。


「やめてって言ってるの!」


 しまった、と気づいたときには遅かった。

 

 私は飯島さんを突き飛ばしていた。

 草むらに飯島さんが転倒していた。


 飯島さんも腰巾着二人も相当に驚いたようで、辺りが凍ったように静まり返った。


「何するのよ!!」


 やがて凍てついた空気を割るかのような飯島さんの怒号とともに、ギラギラと憎しみのこもった視線が私に向けられた。強く寄せられた眉間のしわが、闘犬を連想させた。


「ご、ごめんなさい……」


「やーん早優ちゃん大丈夫ぅ?」


 腰巾着がそろって、大げさな声で飯島さんに駆け寄った。


「あー! 早優ちゃん、ここ、擦りむいちゃってる」


 そして飯島さんを起こすと、三人はまた改めて私を睨んだ。


「あの……ごめんなさい」


「ごめんじゃないでしょ!」


「早優ちゃんケガしたんだよ!? それで済むと思ってんの!?」


 腰巾着が次々まくし立てる中、飯島さんは今にも飛びかかって来んばかりの闘犬のような目で、ジリジリと私を追いつめてきて言った。


「友達がいないあんたを拾ってあげたっていうのに、よくそんなこと出来たもんね」


 そして、冷静な口調で付け足した。


「リコ。リコが持ってるそれ、川に捨てちゃっていいから」


「それ、ってこれのこと?」


 腰巾着が、持っている御守りを少し上げた。


「そう、それ」


 飯島さんがうなずくと、


「OK」


 腰巾着は私のことをチラリと横目で捕らえてから、見るからにわくわくした様子で川に近い位置まで走っていくと、目一杯振りかぶった。

 私は声にならない悲鳴を上げた。


 御守りが空中に投げ出され、風で煽られ、遠い水面に落ちていくのを、私はなすすべもなく見ていた。


「じゃ、これも」


 もう一人の腰巾着が私の鞄を拾い、向こう岸の、山へ続いている場所めがけて放り投げた。

 大きく弧を描いて飛翔した鞄は、どこかに落ちたらしかった。


「おー結構行ったねぇ」


 腰巾着は、眉のあたりに手のひらを水平にして当てその行方を見守っていた。その飛距離にひととおり感心してしまうと、飯島さんはもう一度、蔑みを含んだ目を私に向けた。


「自分の立場、わきまえとけって言ったよね!? もうどうなっても知らないから。当然の酬いよ」


 と舌打ちし、


「行こ」


 腰巾着たちに声をかけて行ってしまった。腰巾着たちは、何のためらいもなく従っていった。


 私はすぐさま御守りを拾うために川へ駆け下りて行った。水が冷たいとか風が強いとか、そんなことはまるで気づかなかった。

 水の中でもバランスを崩し、肩までずぶ濡れになったが、なんとか流される直前で救出できた。

 その後、藪の中へ鞄を探しに行った。どこへ落ちたか、全く見当がつかない……。

 強い風が吹いてきて、私は自分がずぶ濡れだということを知った。

 川の水は冷たかった。ぶるっと震えが襲った。

 早く、早く鞄を見つけないと……。

 しかし、右を見ても左を見ても同じような植物がのさばっているばかりだ。

 成績表も飛ばされてしまっている……。早く拾って帰らないと……。


 背中がぞくぞくとし、息が浅くなっていく。


 痛っ……!


 急に鋭利な痛みが足を引き裂いた。何か固い、棘のある植物に引っかかった。


 痛みが、それまで張りつめていた緊張を切ったようだった。

 私はその場にへたりこみ、動けなくなった。


 嘔吐するように涙が押し上げて来て、止まらなくなったところまでは覚えている。

 が、その後どうなったのかわからない。

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