第19話 ⑦の6

    −7の6 玲のモノローグ−


 冬休みに入ったが、そんなことは飯島さんが私をいたぶるのに関係なかった。


 年明けのある日、彼女の家に来いと呼び出された。本当は断りたかったのだけれど、


「そんなこと言っていいのかなあ。そこに住めなくなっても知らないよー?」


 私の家が、彼女の一族の会社の社宅であることをほのめかされた。

 それを持ち出されると、私は何も言えなくなった。


 飯島さんの部屋の立派な暖炉がいかにも暖かそうに燃えていた。彼女は相も変わらぬ女王様ぶりでその前に鎮座していた。もちろん、腰巾着二人も同席だ。


「今日はねえ、神谷さんに教えてもらいたいことがあって来てもらったの。教えてほしいものっていうか、見せてもらいたいものかな」


 と彼女は言った。


「アナタの裸を見せてもらおうと思って。速水君を射止めたその体、私たちにも見せてよ。後学のためにもさあ」


 飯島さんだけでなく、腰巾着たちも鼠をなぶる準備が出来た猫のように細く笑っていた。


 私は戦慄した。


 唇がわなわなと震え、歯がかすかな音で鳴った。しかし逃げられないことはわかっていた。


「え……裸って……」


「簡単なことよ。脱げばいいだけよ、ここで」


 澄まし顔で飯島さんは言ってのけた。


 私は、ぶるぶる震える手でセーターを持ち上げた……。デニムパンツを下ろすときには涙が溢れ、部屋の風景が大きくぼやけた。優越感に浸りきった顔の三人を横目に、なんとか時間を稼ぐ術はないかと頭を巡らせたが、そんなものがどこにある?

 デニムを床に落とし、靴下も脱ぎ、そして肌着だけになったところで、やはりそれ以上進めなくなった。どうしても、どうしても抵抗感が強く、私はその場にしゃがみこんでしまった。


「あれー? どうしたのー? まだまだでしょー?」


「ごめんなさい……これ以上は出来ません……」


「え? 聞こえないよー?」


「こんなに部屋もあったかいんだから風邪ひかないって」


「リコと翠で手伝ってあげなよ」


 飯島さんの号令で、巾着二人が私に手をかけてきた。


「やだっ……やめて! 無理だってば!!」


 いやだ。いやだいやだいやだ、そんなこと絶対にされたくない……! いやだ! やめて!

 押さえつけられながら私は、最後の力を振り絞るようにして飯島さんを下から睨みつけた。

 なぜ私がこんなことをされなければならないのか。飯島さんにこんなことをしていい理由がどこにあるのか。

 ずっと鈍重になっていた判断力が、この一瞬だけ正常さを取り戻した。

 顔の前にもぐちゃぐちゃに垂れ下がった髪の合間から、私はなけなしの憎しみを思いっきり込めた眼光を飯島さんにぶつけた。


 私と目が合うや、彼女ははっと怯んだように見えた。しかしすぐに負けじと唇を噛み眉根をぐっと寄せて、攻撃態勢を強化させた。


「早く! やっちゃってよ!」


 と怒鳴って腰巾着二人を煽り、私の下着を無理やり剥ぎ取らせた。


「ほら、もっと脚開かせてよ。気持ちいいところあるでしょ」


 飯島さんは自分の優位性をひけらかすように言った。


「やめてよ! もうやめて!」


 私は泣き叫んで許しを乞うたが、当然聞き入れてはもらえない。恥ずかしさで顔が熱くなる。

 私は満身の力を入れて脚を閉じていようとしたが、全然ダメだった。腰巾着の一人が私の上半身を後ろから羽交い締めにし、飯島さんが私の片方の太ももの内側に足を入れて動きをブロックし、もう一人の腰巾着が反対側の脚を無理くり開いた。股関節のところの筋が壊れるぐらいに私は抵抗したが、無駄だった。


「はあー……女の人のあそこってこうなってるんだあ……」


「あは! なに感心してんの翠、自分だって同じじゃん」


「そうだけどさー、自分のこんなとこって、そうそう見ることないもん」


 私は口を真一文字に結び、体を固くしていた。恥ずかしさと悔しさが一緒くたになった涙が目尻から次々静かに伝っていく。


「速水君をユーワクした魅惑のボディだもんね。ちゃあああんと見せてもらわなくちゃ」


 そう言って飯島さんは私のこんな屈辱的な姿をカメラに収めた。面白がりながら、そして私への戒めとして。何度も何度もシャッターは切られた。


「早優ちゃんのその言い方、なんかやらしーい!」


「胸はどうなの? このひと、胸けっこう大きくない? 上からだとそう見えるだけ?」


 私の背後から肩越しに顔をのぞかせる腰巾着の声……。


「えー? こんなもんなんじゃないの? リコが小さすぎるだけなんじゃないの?」


「え! うっそ! みんなもうこれぐらいはあるの?」


「そりゃあ神谷さんは速水君を落とすぐらいだもん。発育はいいわよね」


 私以外の三人は下衆な盛り上がりかたをしてはしゃいだ。

 やがて腰巾着の一人が聞いた。


「ねえ早優ちゃん、この写真どうするの?」


「今は特に考えてないけど、誰かさんが出しゃばった真似しないための切り札と思ってるよ」


 そして私に一瞥を投げ、


「生意気な態度に出たら公開してもいいかもね」



 私はすっかり憔悴して家に帰った。私の顔を一目見るなり、哀れな母は血相を変えてとんできた。


「どうしたの玲ちゃん、そんな顔して……何かあったの? 時々おかしいなとは感じてたけど……」


「ちょっと友達とケンカしちゃったの。ちょっとじゃないかもしれないけど……でもよくあることだし口論だけだから……心配しないで」


 私は無理に笑って見せ、まだなにか言いたそうな母を制した。


 その日の日記にはこう書いてある。


『一月 ○日

 飯島さんの家。裸。写真。悔しい。悲しい。でも私が悪いから仕方ないのかな。お母さんごめんなさい。こんな娘でごめん。こんな出来損ないのために心痛めないで。ごめんなさい。私がいなくなれば、お母さんもかわいそうじゃなくなるのかな。』



 このとき私は、母をうまく誤魔化すことができたつもりだったが、失敗だった。

 私の様子を重く受け止めた母は担任に電話をしたらしい。


 冬休みが明けてすぐのある昼休み、私は飯島さんたちに体育館のトイレへ連れて行かれた。


「あんた、家で何か余計なこと言ったの!?」


 飯島さんは、狭いトイレに響き渡るような怒声を上げた。


「今朝、あんたの担任に呼ばれたのよ。お正月すぎにあんたと遊んだか聞かれて、『はい』って答えたら、『神谷さんのお母さんから、娘がお友達とトラブルになってるんじゃないか、って電話があった』って言われたのよ! あんた何喋ったの!? 自分の立場わかってんの!?」


 飯島さんは力任せに私を突き飛ばした。私は壁に投げ出され、軽く頭を打ってしまった。


「私はべつに何も……」


「ま、先生は私の言うこと信じてくれたから良かったけど。『神谷はどうも繊細すぎるところがあるから、ふざけるのもほどほどにしておけよ』ですってぇ。にしてもさあ、ほんと、人聞きの悪いこと言わないでもらえる? まるで私たちが悪者みたいじゃないの! それともほんとにあの写真、みんなに公開してもいいわけ?」


 私はうつむいたまま、唇を噛んで首を振った。


「悪いと思うならそこへ土下座して謝りなさいよ」


 飯島さんは腕を組み、顎をしゃくって言った。


「しっかり頭も下げてね」


 腰巾着もそれに乗っかった。


 ……沈黙が漂う。

 私は動けなかった。惨めさが押し寄せて来て、私を石化させた。

 悔しい、という気持ちがまた、淡く一筋差し込んだ。


 これまで散々にひどい仕打ちをされてきた。いい加減、慣れても良さそうなものなのに、私の体はまだ戦おうとし、まだ私を守ろうとしている。さっさとあきらめてしまえればいいものを、まだ庇おうとしている。立ち向かおうとすればするほど傷は深くなっていくというのに。

 私は自分の体が不憫で憎らしかった。


「ほら早く」


 飯島さんがまた顎をしゃくる。


 私は震えながらゆっくりと膝を折り、体を低くしていった。


「ご、ごめんなさい。もう余計なことは言いません」


 深々と頭を下げると、三人は吹き出した。


「やだー! ほんとに頭さげてるぅ!」


「ほんっと顔見るだけでムカつくわこのひと」


 飯島さんは膝から下で軽く蹴るように私を小突き、


「次、なんか余計なこと言ったら、あんたたち今のところに住めなくなると思っときなさいよ」


 そう捨て台詞を吐いてお伴とともに出ていった。


 残された私は、床に膝をついた格好のまま固まっていた。体を動かしたら最後、それを合図に嗚咽が止まらなくなるのがわかったから。

 私の中ではもう、嬉しいとか楽しいを捕らえる力はかなり弱まっていたのに、惨めさの感知力だけはどうしたって居座り続けていた。

 そのことは私をとことん消耗させ、疲労させた。


 私、もう限界かもしれないな……と、疲れに埋もれながらふとそう思った……。


 その日の授業が終わってホームルームのときにまた、いじめに関するアンケートが実施された。


 形だけのアンケートを前に、飯島さんの捨て台詞がよみがえる。

 それを考えると、匿名とはいえ本当のことなど書けるはずもなかったし、書いたところで意味はないだろう。


『一月 □日

 飯島さんに呼ばれる。体育館のトイレ。土下座。お母さんが余計なことを先生に言ったらしい。お母さんを恨むのはスジちがいと思うけど、止められない。ごめん。』



 そう毎日毎日嫌がらせをされるわけではなかったが、透明人間のような扱いをされるのは当たり前のことになっていた。

 男子、特に速水君と親しくするのは厳禁だった。そんなことをすればインランのレッテルが強くなって、どんなうわさをされるかわかったものではなかったから。


『一月 ✕日

 今日もまた誰とも喋らなかった。今日は平和なほうだった。透明人間扱いされるのにはもう慣れたと思っていたのに、お風呂で泣けてきてしまった。私の心、まだ生きているのか。』


『二月 △日

 今日も一人。透明人間。昼休み、みんなが遊んでいるのを見ていたら、少し羨ましいと思ってしまった。私もまたみんなと話したいと思ってしまった。バカ。高望みはやめるべし。あとで惨めになるのわかってるくせに。夢は夢。』


 書いたばかりの日記に涙が落ちて文字が滲む。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。いつから私は一人ぼっちであることを当たり前だと思うようになってしまったんだろう。 

 飯島さんに会う以前も、つらいことは経験してきて、その都度乗り越えてきたけれど、今度ばかりはもう本気で心が折れそうだ。


 私は本当に一人ぼっちがお似合いなんだろうか……。


 その疑問が頭をもたげてきたので、私は急いで打ち消した。この疑問が芽を出すと、決まって私の中の感情が、切実に出口を求めて大きくうねるのだ。

 しかし私はそこに重いふたをかぶせる。なぜなら日記にも書いたように、そうしないと途方もない惨めさが襲ってくるのだから。


 飯島さんの言葉が、麻痺しかけた胸にも深く突き刺さっていた。


 ーー顔見るだけでムカつくわ


 私は、存在するだけで誰かを不愉快にしてしまうのか……。

 なんて罪深いことなのだろう……。


 そう考えると、重い重いふたをする他ないように思われた。一人ぼっちで然るべきだ。



 自分では気づかぬうちに食も細くなっていったらしい。調理された肉や魚、野菜たちに申し訳ない気持ちになって、食べられなくなっていた。よりにもよって私に食べられるなんて嫌だろうな、と、つい箸が止まってしまう。


 心配して気づかってくれる母が不憫で重荷だった。


 スカートはごそごそになっていた。

 

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