第17話 ⑦の4
−7の4 玲のモノローグ−
翌朝、登校した私は、
「おはよう」
と言って教室に入った。が、いつもだったら黒板の前にたむろして、
「玲ちゃん、おはよー」
と返してくれる子たちの様子がちょっと違った。
私が入ってきたことに気がつくや、こそこそと解散するようにその場を離れた。
いやな予感がした。
ニ限目は移動教室だったので、普段一緒に行動している女の子のところへ行くと、
「……ごめん」
と、その子は思い切ったようにそう言って、私と目も合わせることなく他の子と行ってしまった。
私の中を、ひやりとしたものが走った。心臓は早鐘を打ち、いやな予感に強く絡みつかれ私は微動だに出来なかった。
当たり前かもしれないが、それは次の日も続いた。
その次の日も。
日を追うごとに私と話してくれるひとはいなくなっていった。
当然というのか、黒幕の見当は簡単についた。
負けてたまるか、と初めは意気込んでいたが、あからさまに避けられたり、これ見よがしにこちらにチラチラと視線をやりながらヒソヒソ話をされて、どうして平気でいられるだろう。最後まで私に寄り添おうとしてくれていた女の子もいたにはいたが、その子に対しても小さな嫌がらせが発生するようになり、とうとう彼女も音を上げたようで、私と距離を置くようになった。
私は完全に孤立した。
並行して、机の中の教科書のページがしわくちゃにされていることもあったし、お弁当に消しゴムのカスがふりかけられていたこともあった。
ちょうど文化祭にむけた準備も佳境にさしかかっている時期で、みんな部活も休んでどこのクラスでも教室内だけでなく廊下にまではみ出して、組み立てたり色を塗ったりと活気づいていた。
そんな中で、私にはそれらの光景がまるで遠い遠いどこかのように映っていた。
「校内新聞に載せまーす!」
と言って三年生が、全校のそういう風景を写しにカメラを持って回ってきていた。
ただでさえ賑やかなところへカメラが入ってきたものだから、場は一層興奮を高め色めき立ち、クラスの枠も越えてきゃーきゃーとみんな楽しげにレンズの前に立っていた。
飯島さんももちろんいて、相変わらず女王様然としていている様子を、私は無機的に眺めていた。自分が虚ろだということを、どこかで客観視していた。
先生に相談したこともある。
すると担任は訝しむような、少し面倒くさそうな困った顔をして笑った。
「飯島がそんなことするとはちょっと信じられないけどねぇ……。じゃあまあ一応アンケート取ってみるけど、君の気にしすぎということはないの? 髪の毛のことも女子同士のじゃれ合いでのことじゃないのかなぁと思うけどねぇ。髪の毛なんてまたすぐに伸びますよ?」
早速、次の日の朝、私たちの学年全員にアンケート用紙が配られ、いじめ調査が行われた。
放課後、私は担任から職員室へ呼び出された。
「アンケートの結果だけどね、いじめらしいものを見聞きしたことがあるという意見はほぼなかったよ。少なくとも女子に関しては。他も、男子バレー部の部室でちょっとしたケンカみたいなものを見たというのがひとつあっただけだよ」
担任が、これ以上この話はする必要がない、としているのはわかりやすすぎるほどにわかった。
「知らない土地へ来て、やっぱり君が敏感になりすぎてるんじゃないかな。あんまり被害妄想に捕らわれるのは良くない。そんなことばっかり考えてないで文化祭の準備頑張りなさい。そしたらくよくよしてるヒマもなくなる。ね」
担任はそう言ってまとめ上げ、それとなく私に退室を促した。私は縋った藁にもあっけなく見捨てられてしまった。その刹那、音も光も何もかもがかき消されたように感じられた。
やっとのことで枷をつけられたように重い、震える足を引きずって職員室を出ると、すぐにある階段のところで飯島さんと背の低いほうの腰巾着がにやにやしながら待ち構えるようにそこにおり、
「やーっぱりあのアンケート、神谷さんの差し金だったんだあ」
と言いながら近づいてくると急に真顔になって、私を睨むようにのぞきこみ、
「なにヒロインぶってんのよ。そんなことしたって無駄なの。みんな心からあんたみたいなインランとは関わりたくないって思ってるんだから」
と言うとまた私の肩を小突いた。腰巾着もくすくす笑った。
小突かれ体勢をくずしたまま私はそこに立ち尽くし、女王様と腰巾着は行ってしまった。
私は深く傷ついたのだろうが、それを見ぬふりをしていた。
夕食の席は妙に緊張していた。万一母に、
「どうしたの?」
などと気取られたら、きっと声を上げて泣くのを止めることは出来ないだろうから。
絶対に母には知られたくなかった。もし知ったら母はどんな顔をするだろう。情けない悲しい気持ちでいっぱいになるだろう。惨めさの告白と共有だなんて、それこそこんなに傷ましいことってあるだろうか。
だから母には知られてはならないのだ。母の穏やかな顔が曇るのは見たくなかった、絶対に。
湯船に浸かりながら、飯島さんに言われたことを頭の中で反芻してみた。
インラン。淫乱。
そうなのかな。……漢字で書くとより強烈な印象になるけど、私はそれなのかな。
また、「悪いのは私なのかもしれない」という意識が頭をもたげてきた。悪いのは私。非があるのは自分。繰り返しそう思考してみると、だんだんとそれが真実だと思われてきた。
そして以前もそうだったように、自分が悪いのだと考えると、憎いとか悔しいという念がいくぶん和らぐような気がして、ある意味あきらめもついた。
そうか。悪いのは私だったんだ……。だから飯島さんも他のみんなも、私が害虫であるかような扱いで来るわけだ。だって普通だったら、誰かに対してあんな風な態度に出られるはずないもの……。害虫に殺虫剤を撒くことに、心を痛めるひとなんかいないもの……。
急に自分がこの上なく汚らしいものに思え、私はそそくさとお風呂から上がった。そして追い立てられるように速水君に電話をかけた。
「もしもし」
と電話の向こうの明るい彼の声に、申し訳なさと悔しさが涙となって頬を伝った。
「ごめん、私やっぱり速水君と付き合えない。ごめんね。もう話しかけてくるのもやめて」
「え?」
彼はわけがわからないという様子だったが、私はそこでガチャ切りしてそれ以上は聞かなかった。
その後、私は日記に書きなぐっている。
『十一月 △日
自分を捨ててしまいたい。どうして私は生まれてきたんだろう。ひとに迷惑かけるだけなのに』
翌朝、私の顔はほとんど眠れなかったうえに泣き腫らしたためにどんよりとしていた。母は心配そうにしていたが、私は、深夜放送を聴いていて遅くなったと言いはり、心配そうな母の眼差しをもぎ離すようにして学校に行った。
その日は文化祭の始まる前日で、展示物も色々と設置され始めていた。
美術部の活動で作った私のイラストも、正面玄関を入ったところの廊下に飾られていたが、放課後そこを通ったら、私の作品のすみに黒いペンで小さく「死ね」と殴り書きがされていた。
雑に走り書きされた文字までが、私を嘲笑っているように見えた。ショックだった。が、私は間髪入れず気持ちを立て直した。
こんなことは何でもない……私にも悪いところはあるんだし、こんなのは大したことじゃない……。
その日は私が避けていたのもあって速水君とは接点がなかった。
文化祭が始まってからは、ここなら滅多なことではひとが来ないであろう理科準備室にこもった。誰も来ない部屋へ、外からの他の生徒たちの楽しげにはしゃぐ声が、窓から差す光と同じように柔らかく届く。そういう笑い声はまるで、異次元からの音のように私の耳には響いた。
ぽかぽかと秋の日だまりの中、光の帯の中に小さなホコリがチラチラと沢山舞っているのが綺麗だった。
壁にもたれ、体育座りになって私は目を閉じた。こんなにほっとした気分になれたのは久しぶりだった。
疲れた……。
こうしているうちに消えてしまえたらいいのに……。
うつらうつらと薄れていく意識の下、私はそう思った。
文化祭の三日間、私はそうやって過ごした。誰もここに来なかったし、誰も私を探しに来なかった。
寂しいといえばそうかもしれないが、いつになく安心出来た三日間でもあった。
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