第16話 ⑦の3

    −7の3 玲のモノローグ−


「神谷さん、ちょっといいかな」


 ある日、速水君から声をかけられた。

 彼は私を体育館の裏まで誘導していくと、


「今度の日曜日、空いてる?」


 と切り出した。彼と話すのも久しぶりだった。速水君のお父さんが仕事関係のひとの披露宴の余興でテーマパークのチケットを当てたという。


「その日、部活休んでもいいかなってさ……で、一緒にどうかなと思って……」


 普段より、ややぶっきらぼうな言い方だったが彼の耳は赤くなっていた。


「神谷さん、最近、なんか元気なさそうだなと思ってたし、こういうとこ行って発散させるのはいいんじゃないかなって」


 その言葉に私は……自分の世界に色が少しだけ戻ったように感じられた。


「嬉しい……」


 という言葉がひとりでに口をついて出たが、本心だった。こんなに心が柔らかくなったのはどれくらいぶりだろう。


「マジ? じゃあ一緒に行ける?」


 彼の顔もぱっと明るくなった。


「うん」


 私は泣き笑いしそうになった。



 デートの日は楽しかった。

 こんなにのびのびと笑って振舞えたのは父が生きていたとき以来だと思う。

 いつになく目が大きく開き、見るもの全てが新鮮に映った。

 速水君が、父がしていたのによく似た表情で私を見ていた。


「神谷さんが笑うの見られてよかった」


 帰り際、彼が優しくしみじみと言った。そして、しばしの無言を挟んでから付け足した。


「……俺と付き合ってくれないかな」


 これは私にとって寝耳に水だった。私は、彼のことを好きとか嫌いというふうに考えたことがなかったことに気づいた。もちろん、彼のことは嫌いではなかったが、自分のことに手いっぱいで、そんなことに意識が回っていなかった。


「こちらこそよろしくお願いします」


 じーんとなって、私はそう応えた。


「あー! よかったぁ……断られたらどうしようかと思った」


 彼は緊張を吐き出すようにほーっとため息をついた。

 やっぱり父を思い出させるような雰囲気をまとっていた。


 速水君という味方を得て私は、自由をも取り戻せたように思えた。母以外に私が笑うのを喜んでくれる存在があるというのは、抱きしめたくなるほど尊かった。


 その日、私は日記にも書いている。


『十月○日 

 速水君といるととても安心出来る。優しい気持ちになれる。お父さんが生きてたときみたい。私も幸せになっていいんだと思える。ずっと仲良くしていけたらいいなと思う。』


 けれど、それを許してくれない人物があった。


 言うまでまもなく飯島さんたちである。


 私は速水君とのこと、誰にも何も話さなかったが、彼と出かけたことはどこからともなく漏れていた。


 飯島さんたちは私を三階のトイレに呼び出した。階の一番奥まった位置にあり、普段あまり使われることのない寂しいところである。


「ちょっと神谷さん、速水君と出かけたって本当なの!? 二人でいるのを駅で見かけたって聞いたけど」


 飯島さんと腰巾着二人は私を壁まで追い込んで、私の前に立ちはだかった。飯島さんは両の肘をつかみ、三角になった目で私を突き刺した。


「どういうことなのよ、なんであんたが速水君と!?」


 腰巾着の一人が私の肩を小突く。

 いつまでも黙っていたところで埒もあかず、私は渋々肯定した。


「で、何!? 告白でもされたわけ? はん……まさかね」


 乾いた笑いを漏らしながら、飯島さんは明らかに動揺していた。青ざめ、こめかみをひくひく震わす彼女をとても見てはいられず、私はうつむいて黙るしかなかった。嘘はつけなかった。


「は!? ちょっ……何!?」


「え? 嘘でしょ!?」


 腰巾着二人が悲鳴のような声をあげた。飯島さんは何も言わなかったが、蒼白した顔と、ぐっと噛み締めた唇が全てを物語っていたと思う。


「インラン!!!!」


 飯島さんはありったけの憎らしさを込めて捨て台詞を吐き、私の肩を強く押すと、忌々しそうに私を睨めつけながら、お伴を従えて出ていった。


 その日の朝、私は速水君から小さな手紙を受け取っていた。



『今日よかったら一緒に帰ろ。部活が終わるぐらいにクスノキのとこで待ってて』


 彼からの告白を受けてから、私と速水君は時々一緒に帰ることがあった。変に噂されるのも恥ずかしかったので、学校を出て角を曲がったところにある古いクスノキで落ち合う約束にしていた。

 毎日でなく時々というのも同じ理由によるものだったので、飯島さんに突き飛ばされた日でようやっと二度目のことだった。


 放課後、速水君と合流したが、私は飯島さんとのことは何も彼には言わなかった。

 飯島さんからの扱いには慣れたつもりでいたが、やはり本心は傷ついていた。

 彼に泣きつけば速水君は私に同情してくれただろうが、そうすることは私には出来なかった。

 父とのことで惨めな思いの連続だったせいだろうか。可哀想と思われるのを、何より私は避けたかった。

 速水くんといると嫌なことの諸々は忘れられるように思われた。

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