第11話 ⑤の5


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 この件を早優香がリコと翠に共有出来るくらいに心が回復したのは、翌日の午後のこと、その日の部活が終わって、着替える翠について行った更衣室でのことであった。


「あの子ってどこを取っても人をイラつかせるね。速水君にチクったってことでしょ、ほんとありえない。腹立つわー」


 そう言いながら翠はいまいましさをぶつけるように練習着をスポーツバッグに投げ入れた。

 更衣室にはもう他に人はいなかった。


「大人しそうな顔してやることエグいよねーやっぱ男たらしだわ。男はなんでああいう性悪女を見抜けないかね」


 リコもまた眉をひそめて舌打ちした。


「で、早優ちゃん、どうするの、そのペン。返すの?」


「どうしようかなって今も考えてるとこなんだけど」


 いくらか持ち直したとはいえ、まだ傷心の余韻を引きずった様子で早優香は玲のペンをかちかちともてあそんだ。

 そこはちょうど、B組の生徒用のロッカーが見える場所であった。横目でチラ見するに、玲のラベルは雑な跡を残して剥がされた状態にあった。早優香たちのやったままに。


「このまま黙って返したら、あの子の言い分認めちゃうことになるんじゃない? 早優ちゃんが悪者みたいになるよ?」


「そもそもさあ、早優ちゃんのやつのほうが高いやつじゃん! それと交換してもらって何の文句があるっていうの! お祝いにもらったっていうのも怪しくない!? 速水君の気を引くために言ってんじゃないの?」


「あー男たらしだもんねえ! 実際、バイシュンとかもやってたりして!」


 二人はきゃーっと盛り上がったが、ふと翠が言った。


「そういや、ちょっと聞いたんだけど、あの子のうちって母子家庭なんだって」


 その言葉に、リコと早優香は思わず反応した。何か、貴重な情報を手に入れたという直感がして、身を乗り出した。


「それで?」


「で、北町に、サンハイムとかいうマンションあるじゃない? クリーム色の建物の。あそこに住んでるんだって」


 ここでリコと早優香は目を丸くした。


「え? それって……サンハイムって……」


 リコが早優香を勢いよく見た。早優香も目を丸くしたままゆっくり頷く。


 それは早優香の祖父の会社の社宅であった。


「やっぱりそうだったよねー! 早優ちゃんとこの工場の人のとこ!」


 翠がぱちんと両手を鳴らした。


 勝負あり、と早優香の頭のどこかで響いた。

 リコと翠も、気のせいか少し晴ればれしているように見受けられた。



 その時、更衣室の引き戸が開く音がして、はっとした三人娘は自然と音のした方を注視した。

 入ってきたのは玲であった。三人娘は申し合わせたように顔を見合わせた。玲のほうも三人娘に気づいた。

 運動部でもない玲がこんな時間にこんなところにいるのは珍しい、と思えば、彼女は手にシールを持っているようであった。名前のラベルであろうと思われる。


「ちょっと、神谷さん」


 先程からむしゃくしゃしていたリコが一歩出て玲に声をかけたところを、早優香は後ろから優しく止め、「私が」と手ぶりで言った。


「神谷さん」


 早優香はリコと翠の奥から肩で風を切るようにすり抜け、玲に近づいていった。


「こんな時間まで学校にいたの?」


「うん、ちょっとね……。先生に新しいラベル渡すから待っててくれって言われて、待ってたらこんな時間になっちゃって」


 ラベルを貼り直す玲が、早優香に対して、一歩も二歩も引き気味なのがイヤでも伝わって来、早優香は見過ごせない心持ちになった。また、玲の母が祖父の会社の工場で働いているということが早優香の気を大きくしていた。


「ふーん、そうなんだ」


 早優香はにやにやしながら言い、玲はその場に固まっていた。


「ねぇ神谷さん、なんで私のこといつまでも飯島さん、て呼ぶの? 早優ちゃん、て呼んでって言わなかったっけ」


「あ……そうだっけ」


「せっかく仲良くしようとしてるのにいつまでも苗字でさ。あ、神谷さんのスカーフ、なんか結び方おかしくない?」


 玲の制服のスカーフを指差して早優香は言った。


「ほんとだ、なんか格好悪ーい」


 リコもいそいそと加わってきた。


「直してあげるわ」


 言うが早いが早優香は玲のスカーフをほどき、しゅるっと襟から抜き取ると翠に渡した。


「ちょっとやだ……」


「いいからいいから! 格好良く結び直してもらいなって」


「神谷さんて素直じゃないよねー。部活のことだってこっちに来てくれなかったし」


 おたおたとしている玲の前に、早優香は左右の肘をつかんだ姿勢で立ちはだかった。


「髪の毛のことだってせっかくアドバイスしてあげてるのに全然聞いてくれないし。私たちは神谷さんのためを思って言ってるのに」


 玲は慎重な上目遣いで早優香を見た。早優香もまた、それに応えるように睨み返した。沈黙が、場を支配する。


「ねえ、どう? スカーフ出来た?」


 早優香は、玲を睨んだまま、首だけを少し動かして後ろのリコと翠に声をかけた。


「うん、もうすぐ……あれ、ちょっとバランスおかしいかなこれ」


「なにこれ翠ー! ちょっとどころじゃなくおかしいでしょこれ。私に貸してみな!」


 リコと翠はまだ二人で玲のスカーフのことで騒いでいた。輝きかけた玲の顔が不安げにさっとまた曇ったのを早優香は見逃さなかった。そしてまた、ひとりでにやりとする心があった。

 今日こそは逃がすもんか、と早優香は思った。いつもいつも適当なところではぐらかして行ってしまうけど、今日はそうはさせない。この子の分際をはっきりとわきまえさせなければならない……!


「ちょっと聞きたいんだけどぉ」


 早優香は巻毛を指に巻きつけながら言った。


「神谷さんて速水君とどういう関係なの?」


「どういう関係って……」


 玲は目をぱちくりさせた。


「ただの友達だけど……」


「ふーん……」


 早優香はジト目で相手を見た。リコと翠もこちらの様子を伺っているらしかった。


「付き合ってるの? というか神谷さん、速水君のこと好きなの?」


「ええ!?」


 玲が慌てて顔を上げた。


「そんな、付き合ってるとかは全然……!」


「そう。それじゃ良かった。忠告しといてあげるけど、あんま速水君と仲良くしないほうがいいよー? 速水君、先輩にもすっごく人気あるし、他の学校にファンクラブあるって聞いたこともあるし」


 言葉を失い、玲がうつむいた。ちょうどそのとき、更衣室の戸がまた開き、先生の声が飛び込んできた。


「まだ残ってるの? 最終下校時間はもう過ぎてるんだから早く帰りなさいよ」


 ああ! また中途半端なところで邪魔が入った! と苛立ったその刹那、早優香はいいことを思いついたのであった。


「しょうがない、もう帰るしかないか」


 と言いながら玲のスカーフを持ってきたリコを早優香は手で制すと、もう一度玲の目を真正面からとらえて言った。


「神谷さん、日曜日、うちに遊びに来ない? リコと翠も一緒によ」


「え……飯島さんのおうち?」


「早優ちゃんち! 久しぶりだね!」


「早優ちゃんちって、すごいお屋敷なのよ。神谷さん、びっくりするかも」


「まさか神谷さん、イヤとか言わないよね? もしかして何か予定とかあるの?」


「予定は特にないけど……でもなんで私まで?」


「友達だと思ってるから誘ってるんだけど、迷惑?」


「あー……でも私はちょっと……」


 うろうろと定まらない目をして口ごもる玲に対し、


「神谷さんのお母さん、アカツキ製薬の工場で働いてるんだって?」


 早優香は止めの一言を放った。


「あれってウチの会社なんだよね」


 玲の顔に、冷水を浴びせられたような驚愕の色が走った。彼女を黙らせるにはてきめんの一言であり、萎れかけていた花が水を得て息を吹き返したかのごとく、早優香は生き生きと元気を取り戻したのであった。


「てことで、決まりね。スカーフもそのときまで預かっておくわ。今日は金曜だし構わないでしょ。ちょっとそんな顔しないでよぉ。ちゃんと返してあげるって。神谷さんのお母さんだって、社長の孫と仲良くしてるってわかったら安心するって。このまえのペンもそのときに返すわよ。ね、それでいいでしょ」

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