第2話 貴族

 撮影の合間に、件の俳優と一緒になった。私は彼が一体どうしてこの雪国での冒険に足を踏み出してしまったのか、好奇心が湧いて尋ねてみた。

「私の夫も貴族だったけどね、愛人ならともかく、夫婦になるのは息苦しいんじゃないかしら?」

 私の生まれた国では、戦争が終わり体制が一変するまで、大半の貴族は農民とは何処か違う世界に生きていた。彼らは多くの場合、平民とは頑なに結婚しない。

 私も最初は愛人だった。夫の母は今でも私を義理の娘とは考えていないだろう。おかしなことに、夫の義父、つまり母親の再婚相手も平民だったけれど、二人の結婚に夫は断固として反対したそうだ。

「君が?」

 そう言ったきり、暫くの間、彼は目を丸くして私を見つめた。夫の思い出と重なるような態度だ。彼らには時々、女からの愛を軽く見る癖がある。私は視線で軽く抗議した。

「いや、失礼、その姓で貴族となると……我が国ではそれなりに著名で……外国人の女優と…そんな話は聞いた事がないものだから」

 彼は私の目に気づき、少しばつが悪そうに言った。

「改姓したの。夫の姓は女優になるには重過ぎた。この国の貴族のことは知らないけれど、貴方も伯爵令嬢と結ばれたら挨拶の度に、俳優と名乗るより先に、何処そこの土地から出て何代続く貴族『の夫』かを語る羽目になるんじゃあないかしら」

 夫の自己紹介は時々、とっくに無くなった大帝国の話から始まった。戦争が終わるまでは何百回もそんな挨拶を繰り返してきたはずだ。

「君、勘違いしないでくれよ。僕はこう見えて生まれながらにれっきとした貴族の一員だ。話せば長いが、母の家柄はこの大陸の誰もが知る偉大な皇帝の末裔で……」

 次は私が耳を疑う番だった。だけど彼は、途中で話のハンドルを戻した。

「ただ……それだけの人生に閉じこもるのは確かに御免被りたい。僕にも自分の手で拓いた経歴というものがある。数年前まで軍隊では欧州中の空の情報を集めていた。英雄としてパレードに参加する立場ではないが、僕の仕事はあの戦争を終わらせるのに役立った筈だ」

 彼は肩をすくめて言った。彼の故国の事情は知らないけれど、先程からどうしても別れた夫のことが頭に繰り返し浮かぶ。

 体制さえ変わらなければ、夫は依然として立派な宮殿に住み、誰からも愛され、花束を贈られて称賛される筈だった。別にそれを期待して正式な妻になったわけではないけれど、一人で深酒をあおる光景とどちらを見たかったかと言われれば、間違いなく幸せそうに、そして幾らか踏ん反り返っている夫の姿だ。

「国が認めてくれるだけ幸せでしょう。夫は本物のエースだったのに、新政府ときたら切手や道路の名前にするどころか、野犬でも追い出すかのように夫を社会から締め出したのよ」

 私がそう言うと、彼は暫く考え、そして何かを言いかけて口籠もった。

 この日のやり取りはそれまでだった。

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