第8話 最終日

 次の日、朝起きるとママが布団の中にいなかった。時計を見ると5時だったが、ベッドには子どもたちだけが寝ている。俺はちょっと不安になって2階に降りて行った。金は寝室に隠してあるのだが、家探しされていないとも限らないからだ。


 2階では妻が料理をしていた。


「おはよう」

 照れくさそうに妻が言った。髪がボサボサで皺が目立った。

「おはよう」

 俺はたまらなくなって、妻に抱き着いた。俺のあそこは朝からすっかり元気になっていた。

「いやだ~」

 それに気付いて妻は笑った。気が付くと俺はキスをして、妻のスカートに手を入れていた。

「もうすぐ起きて来ちゃうから、早くしようか・・・」

 こうして、奥さんと俺はキッチンで立ったままやった。世間の夫婦ってこんな感じなのかなぁと羨ましくなる。そんな格好で2回もやってしまって、俺たちは照れながら服を整えた。


「何作ってるの?」

「公園行くからお弁当作ってるの」

 俺は感動した。妻の手作り弁当。節約のために弁当を準備してくれるなんて、なんて健気なんだ。

「俺も手伝っていい?」

「うん」

 そうやって、キッチンに並んで立って、俺は洗い物を担当する。エロと育児の奇妙な融合。夫婦の営みの結果子どもが出来て、その子たちが目の前で育って行く居心地の悪さ。家庭では、建前とエロが、日々循環しているわけだ。夫婦のセックスはつまらないというがそうだろうか。俺はそうは思わない。

「君って普段は何してるの?」

「え?何言ってるの?仕事に決まってるじゃない」

「どんな仕事だっけ?」

「忘れたの?介護ヘルパー」

「え、何でそんな仕事してるの?大変じゃない?」

「でも、好きなの。人のお世話が」

「おじいちゃんからセクハラとかあるんじゃない?」 

「あるけど、ボケてるからはたいて終わりよ」

 俺は想像してもやもやする。

「給料安いんじゃない?」

「でも、私、学歴ないから」

「高卒?」

「中退なんだ」

 俺は高校中退している人に久しぶりに会った。大学を卒業してからは会ったことがない。

「そっか」

 不思議と気にならなかった。学費とか色々事情があるんだろう。

「パパは恵まれてるよ」

「え?」

「だって、大学出てるでしょ?お金がないと勉強もできないから」

「そうだね。君は偉いよ。介護の仕事を楽しんでるんだから。俺も年を取ったら、こんなきれいな介護士さんに介護してもらいたいなぁ」

「あはは。オムツを替えて、おしりも拭いてあげる」

 そういう汚い仕事を嫌がらずにやってくれる。すごいなぁ、と感心した。こんな人を奥さんにしたら、老後も面倒を看てくれるんだろう。

「ママと一緒なら老後は安泰だね」

「排泄介助も食事の世話もできるからお得でしょ」

「うん」

 俺は後ろからママの腰に抱きつく。まだ、元気なままだった。

「もうだめ。子どもたちが起きてくるから」

 ママは笑った。俺自身もママの子どもになったみたいだった。目の前にいるのは包容力のある大人の女性。俺がどんなにみっともない姿を晒しても、彼女の前なら不思議と恥ずかしくない。俺は自由になれる。この人なら、俺がどんな姿でも愛してくれる。まるで理想の母親像だった。残念ながら俺の母親はそうではなかった。長い旅をして、ようやく自分が求めていた人に出会えて気がした。


 そのうち、子どもたちが起きて来た。

「あ、なんか食べてる。ずるい!」 

「お昼のお弁当作ったの。朝ごはん食べたら公園行こう」

 ママは言った。俺が余計なことを考えているうちに、傍らではかわいい弁当が4個も出来上がっていた。弁当箱は、元から家にあった容器なのだが、うまく利用してくれていた。学歴なんて関係ない。大切なのは生活力だ。俺は目から鱗だった。


 その日は、朝食を食べてから、公園に行って思いっきり遊び、昼においしい弁当を食べた。ベンチに並んでお弁当を開ける。冷蔵庫にあるものでこれだけ作れるなんて、改めて感心した。


「幸せだなぁ」

 俺はつぶやいた。

「私もよ」

 ママも微笑み返してくれた。


 もうすぐ別れの時間が近付いて行く。

「夕飯、何食べたい?」俺は尋ねた。「外で食べたいものある?」

「いいよ。昨日のお昼、外食だったから」

「そうだね。君、料理がうまいから」

 俺は泣きそうだった。もうすぐ、かわいい子どもたちと優しい妻が帰ってしまう。

「どうしたの?」

「悲しくてさ・・・君たちが帰っちゃった後、一人になっちゃうから。俺、家族がいないから」

「何言ってるの?私たち家族じゃない」

「え?」

「私はあなたの奥さんで、子どもだっているじゃない」

「え?」

「しっかりしてよ」

 俺は強く願った。これが、夢であってほしい。俺が記憶障害で、この人たちが本当の家族でいてほしい。

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