第12話 血と蜜毒
その夜、ヨシュアはライラの部屋にいた。
「あら、いらっしゃい私の可愛いヨシュアちゃん?」
相変わらず意地の悪いくすくすとした笑いを浮かべ、ライラはヨシュアを迎え入れる。
この間マリーとの関係を壊したことに満足して油断しているのか、幸いマリーからの差し入れの事がバレている様子はない。しかしこちらも油断は禁物である。
「さ、いつもの。要るでしょ?」
そう言ってライラが差し出すのはいつもの媚薬である。これを飲むと気分が高揚するのは確かなのだが、後からごっそり何かが削られ、ストレスと相まって食事を戻すのはいつものことだ。だが食べなければもっと悪い事になると何かが告げるので、一応食事を摂る事はするが、結果的にヨシュアは痩せていってしまっていた。ストレスを理由に食事を拒否していたら、今頃自分はここにいなかっただろうとヨシュアは思う。
ヨシュアはいつも通りライラからそれを受け取ると、いつも通りに飲み干す。
それを見届けたライラはいつもの邪悪な微笑みで、そっと囁くのである。
「そう、いい子ね。ヨシュアちゃん。」
そして行為に及ぶのだが、今回ばかりはヨシュアはそれだけでは終われなかった。
そこで終わっていたら、自分の命も危ういばかりでなく、自分を助けようと動いてくれる人々の好意まで無駄にしかねない。
ヨシュアはライラが満足したのを確認すると、フラフラとした足取りで部屋を出る。
「ん〜〜?どこいくの?」
とろんとした声で訴えかけるライラの声はもはやヨシュアにとっては怪物の嘶き程度にしか聴こえていない。
「気分が悪いので部屋に帰る」という趣旨の内容をライラに伝えたところ、わかった〜と適当な返事が返ってきたので、ヨシュアはその場を後にする。
まず吐き気が襲ってくる。頭は割れそうに痛いし、気分だって最悪である。しかしここで終われない、という意気込みだけでヨシュアは己を保つ。
監視がついてきていないことを祈りつつ、ヨシュアは角を曲がったところで自らに傷をつけ、血液の採取にかかる。
(昔マリーの親父さんに教わった事がある。この短時間じゃ薬の効能はまだ血中に残っているはず…!)
そう、ヨシュアは媚薬を持ち出すため、敢えて媚薬を体内に取り込み、血から採取しようと考えたのである。
しかし体調が万全でない今、それをするのはかなりのリスクを伴った。途中で自分が倒れてしまえば、もしくは血を採取しているところを見つかって捕らえられたら、ヨシュアは終わりである。
それでもこの方法しかないとヨシュアは決行した。
全ては生きてマリーと再会するために。
そこでヨシュアの記憶は途切れた。
「よくやった。」
そう声をかけたが、今のタイミングじゃアウトだったかな?そう少しだけ考えてしまったのは、ヨシュアから今夜なんとかすると連絡を受けていたフリードリヒだった。
(自らに毒を仕込んで持ち出すとは…なんとかすると言っていたのはこういうことだったのか…。)
フリードリヒはヨシュアの覚悟をしかと受け取った。
ヨシュアが自ら採取していた血液の入った瓶はフランツに任せ、ヨシュアを部屋まで運ぶ事にする。彼が自らつけた傷も軽くだが手当をしておいた。
もちろん傷の方は死に至る程の深いものではないが、痩せこけたヨシュアの今の体調を鑑みれば、後の事が心配になる。早く解毒と回復の処置、それにストレスからの解放を施さないと取り返しがつかなくなる。行きがかり的にマリー、アンナと知り合い、その結果ヨシュアの事にも首を突っ込んだが、正直ライラの行きすぎた行動を改めて知り、憤りさえ感じる程だった。しかし同時にライラに同情も禁じ得なかった。
(確かに厳しい両親の元育ったライラには、難しい事だったかもしれないが…。)
フリードリヒは今も放蕩息子と罵られつつもそれを甘んじて受け入れてくれている両親がいた。そして父は実はフリードリヒの行動を認めてくれてもいた。見識を広めるなら若いうちがいいと。若くして国を継ぎ、孤独に戦うライラには考えられない贅沢だった。
だが。だからと言ってやっていいことと悪いことの度量を超えてしまっている。とフリードリヒは思う。だからこそヨシュアは救ってやりたいと強く願う。村で待つマリー達の元へと戻り、三人幸せになった姿を見せてほしい。
でなければー
と、そこで後ろに背負ったヨシュアが呻く気配がした。
「気が付いたのか?」
フリードリヒは慎重に語りかける。
ヨシュアは返事を返すが弱々しい。一旦下ろす事はやめ、先程までより歩調を早めて部屋へと急ぐ。モタモタしているとライラの監視もつくかもしれない。
背に負うヨシュアの元々は知らないが、成人男性にしてはなんと軽いことかとフリードリヒは震えた。
ライラが命令を下せる状態にないのか、監視はつかず部屋へとたどり着く事ができた。ヨシュアの容体が落ち着くまでと思ったが、ヨシュアが自分の事はいいからマリーとアンナを頼むと言って聞かないので、フリードリヒも渋々だが城を後にした。
一方のフランツー
相変わらず人使いが荒い。そうぼやきながらもフランツもフリードリヒの意思に沿うようマリーの元へと馬を走らせる。フリードリヒと行動を共にして二十年余り。いつだって飄々としていて、他人への関心が薄そうだったフリードリヒが珍しく真剣に誰かのために動こうとしている。
(その思いを汲めずして何が側仕えか。)
フランツはただ今はヨシュアが決死の思いで採取した媚薬入りの血と共にマリーの元へ急ぐことしかできなかった。
フランツがここまで熱くなるのは、フリードリヒのためでもあるが、ヨシュアに共感しているからに他ならない。ヨシュアの言動や行動理念、それらが自分と重なった。
ーただ、愛する人のために。
フランツの愛する人は、想い人のみならず、敬愛するフリードリヒやその父である国王も含まれてくるが、想いは同じはず。そう思うと胸が苦しかった。
途中馬を3頭潰し、不眠不休で動いたため、フランツは驚異的な速さでマリーの元へと辿り着いた。これも真面目なフランツ故の所業である。決死の思いで媚薬を採取するヨシュアの姿を見てしまっては、眠る時間すら惜しかった。
「フランツさん⁉︎」
つい先日出立したはずのフランツの姿を認めたマリーの驚きは大きかったが、フランツはしゃべる暇も惜しいとヨシュアの血液の入った瓶をマリーに手渡す。
「これが君の想い人の覚悟だ、受け止める勇気はあるか?」
それが血液だということはマリーにはすぐにわかった。そして何があったのかをすぐに悟った。それがわからないマリーではなかった。
マリーは何も言わず頷くと、すぐに研究室に篭った。もちろんアンナも一緒だ。幼いながらもアンナはマリーの仕事に理解もあり、ヨシュアと共に少しではあるが手伝ってくれたりもしていた。助手としては文句なしである。
そしてフランツは解毒薬ができるまでの間を村で休息する事にした。追いついてくるであろう主人を待ちながら。
研究室にて
マリーは泣きたい気持ちでいっぱいだった。でも今泣くのは違う。自分にそう言い聞かせた。アンナも見ているし、弱い気持ちを出す事はできない。泣くのはヨシュアが帰ってきた時。三人で思いっきり泣き明かそう。そう誓った。
「よし!」
マリーはそう一言気合を入れると、アンナにテキパキと指示を出す。準備してほしい道具、出してきてほしい本、あとはフランツの様子を時々見に行ってほしいこと。
そして自分は早速ヨシュアが正に命を削って採取してくれた媚薬の解析にかかる。
(これは…。)
確実に毒だ。微毒ではあるが、頻繁に摂取していれば人体にはかなりの悪影響が考えられるものだった。
こんなものを摂取していたのか、ヨシュアは。とマリーは改めて恐ろしくなった。
女王、ライラは何を考えたらこんなものを国民に与えられるのか。マリーは憤慨した。
でも怒っている場合ではない事にすぐに気がつく。フリードリヒからライラの事情も少しだけ聞かされてはいるが、だからと言って許されるというものではない。だってこれは殺人なのだから。『犬』もヨシュアが初めてではないと聞く。他にも何人か現在もいるとかいないとか。他の者達は媚薬など使わなくても喜んでライラに仕えているらしいが、媚薬が存在するということは、かつて使っていた者がいるという事になる。女王自身も初めの頃は服用していたという噂さえもある。
自分が使っていたから他人も使っても大丈夫だと考えた?
もしそうなら、安易に薬というものを捉えすぎである。賢いと言われている女王に限ってそんなことあるかな?
どんどん疑問は湧いてくる。
でも今の問題はそこではない。これが毒だとわかった以上、どう解毒するかなのである。
(ふむふむ、動物性の毒ではない…植物性…この構造、もしかして?)
マリーの研究は一週間ほど続いたが、その間マリーが眠っている姿はほとんど見られなかったとかで、追いついてきたフリードリヒも流石に睡眠はとらないと今度は君がもたないぞ、と脅しをかけたという。
ただ、マリーの父もそうだったのだが、研究者というのはどうにも没入型で、一旦スイッチが入ると問題を解決するまで動き続ける習性があるらしい。
(これはヨシュアも心配するわけだ…。)
フリードリヒとフランツは顔を見合わせてそう言ったらしい。
ちなみに幼いアンナはそんな地獄体験ついていけるはずもなく、また、マリーがそれを許すはずもなく(?)すやすやと一日一回以上の睡眠はとっていたそうだ。
あまりにマリーが休まないので、フリードリヒとフランツが揃って休息を取るよう促したところ、
「大丈夫!栄養剤ならバッチリ飲んでるから!」
という謎の答えが返ってきて困惑したという。
そしてついにー
「なんとか試薬だけどできたわ!これをヨシュアに届けてほしいの。ただし一度に飲ませると反動がきつくてアナフィラキシーを起こす可能性があるから、今度は解毒を徐々にやらないと!」
と息巻いていた。
しかしマリー自身が王都に行くわけにもいかず、フリードリヒとフランツ任せとなることに申し訳なさを感じていたらしい。
「お二人もどうか無事で。」
とマリーとアンナは再びフリードリヒとフランツを送り出す。
そこから三日間、マリーの意識は途切れることとなる。
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