第10話 マリーの帰郷
マリーは絶望の淵にいた。ヨシュアの行動を見てしまった自分を激しく後悔していた。
ヨシュアと想い合っていると勘違いしていた自分が恥ずかしかった。
将来は一緒になるのだと思っていた。それも激しい勘違いに思えてならなかった。
(王都に行ってから変わってしまった?いや、そもそも私は間違っていたのかも…。)
いくら考えても出てくれない答え。マリーは考えることをやめたかった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
ふと気がつくと、あの日以来黙り込んで考える時間が多くなっていたマリーをアンナが気遣っていた。アンナが姉と慕ってくれるのは嬉しいのだが、ヨシュアにとって私はそういう存在ではなかったのよと告げることは憚られた。
「大丈夫、いろんなことがあって少し疲れちゃったみたい。ごめんね。」
今のマリーにとってはそれがアンナに対する精一杯の返事だった。不安そうにしているアンナの頭を優しく撫でながらも、マリーの心はここにあらずだった。
これからヨシュアにどう接すればいいのか、マリーはわからなくなっていた。ただの隣人?そう接するにはあまりにも濃密な時間を共にしてきた。だが、その感覚はマリーだけのもので、ヨシュアにとってはそうではなかったのかもしれない。
(あんなに綺麗な人に迫られたら、それもそっか…。)
マリーはあの日見たライラの姿を思い返していた。まるで妖精か何かを見ているような気分だった。至って平凡な村娘のマリーは、自分の容姿を思い返し、妙に納得してしまった。
(でも…。)
マリーはふと考える。なぜ女王はわざわざ自分を呼びつけたのだろうか。
ヨシュアの様子からして、あれが初めてだとは思い難い。手慣れた様子で女王の方へ向かって行ったのだから。
平素からの関係なのだとしたら、わざわざ自分に見せつける意味はないとマリーは考えた。
変な納得をして、少し冷静になってみると、あの夜の出来事はおかしなことだらけだった。
まず、女王の意図がわからない。マリーに見せつけるように仕掛けをしたことは間違い無いだろう。ヨシュアと仲が良かった自分への当てつけにしては、手が込みすぎている。
次に、ヨシュアの反応だ。あの時、何故だか意識が朦朧としているように感じられた。そしてマリーを認識してからの青ざめ方も劇的で、心変わりしたのなら、マリーに対して気まずいという反応をする必要はないはずだ。
マリーは推察する。
ヨシュアの心はどこにあるのか。それはまだよくわからないが、あの日の行為はヨシュア自身が望んだことだったのだろうか。というのは、あの時のヨシュアの反応が物語っている。もしマリーが知ったところで、女王と相思相愛なら、二人の交際を知らせる良い機会だったのではないか。とすると、女王がマリーに見せつけたかったと思われるが、それはなぜなのか?マリーが女王とヨシュアの事を知ることで一番不利になるのは…ヨシュアだ。
もしかすると、今一番危険な位置にいるのはヨシュア?
その考えに至ったマリーは蒼白する。ヨシュアに今何が起こっているのだろうか。
女王との関係はよくわからないが、もし意思のない行為をさせられているのだとしたら。
そしてそれを見せつけられ、裏切りだと自分に突き放されたら。
ヨシュアの行き着く先はー
変な考えを起こしていないだろうか。自分の推察が外れていることを願いたい。マリーはなんてことをしてしまったのだろうとまた激しい後悔にさらされた。
今すぐにでもヨシュアの所へ飛んで行って真実を話してもらいたかった。
あの日混乱の坩堝にいたマリーはどれだけ動揺していたかということだが、王都から引き返してしまった今、今すぐにヨシュアに会いたいというのはまた通らぬ道理である。
(ああ、ヨシュア、お願いだから無事にー)
天に祈ったその時、マリーの家のドアがノックされた。
「よっ。」
手慣れた様子で、陽気にドアを潜るのは、フリードリヒである。
そして、見慣れぬ男性も連れている。そしてやけに豪奢な服を纏っている。
「その方は?」
マリーは後ろに付き従う男性の事をフリードリヒに尋ねる。
「彼はフランツだ。俺の側仕えをしてもらってる。」
フリードリヒは何でもない事のように答えたが、今まで隠していたマリー達に伝えなければならないことを考えると一瞬躊躇した。
「側仕えって…。初めて会った時から薄々感じてはいたけど、やっぱりあなた旅人じゃなかったのね。」
マリーは他国と交流のあるこの村で、結構色々な人を見てきた為、最初に感じたフリードリヒに対する違和感を覚えていた。
「すまない。あの時身分を明かすわけにはいかなかったんだ。俺は隣国の王子なんだ。一応。」
一応、と付け加えた事にフランツは険しい顔を、マリーは何それ、と破顔した。
しかし、それを聞いたマリーは一つ閃いたことがあった。
「ねえ、王子ならこの国のお城とか詳しいの?今、ヨシュアが大変なの!」
一応アンナには聞かれないよう配慮しているが、マリーにして見れば緊急事態だ。堰を切ったようにフリードリヒに話そうとしたが、フリードリヒは落ち着け、とマリーを抑えた。
「君たちに何が起こったかは把握しているつもりだ。ヨシュアには今、裏で動いてもらっている。彼は無事だ。その前に君は事の真相が知りたいんじゃないのか?」
ヨシュアが無事だと知らされた事にマリーは安堵した。そして確かに事の真相を知らなければならないという思いがマリーにはあった。王都に行ったヨシュアに何が起こっているのか。それを知らなければ根本的解決ができないのだ。
フランツにアンナの気を引いてもらい、その隙に話をする。
まず、ライラが国中から徴兵しているのは『犬』を見つけるためでもあるということ。
ヨシュアの現在の立ち位置や、ライラの行っている悪辣な行為についても話をする。
そして、媚薬を使っているらしいことや、『犬』の末路などについても話した。
そこでマリーには一つ気になることがあった。
「ヨシュアがこの前村に帰って来た時、不思議な匂いを纏っていたの。もしかして…?」
あの時もそうだったかは部屋の香がきつくてわからなかった。しかし、村に帰って来た時には確かに不穏な気配を感じた匂いを纏っていたのだ。フリードリヒは答える。
「十中八九媚薬だろうな。ヨシュアは特に女王に反感を抱いていた。事に及ぶとなれば毎回媚薬を使っているだろう。」
媚薬ー
マリーが敢えて避けて通ってきたジャンルだけに、どう対応していいのかわからない。
「せめて成分だけでもわかれば対抗薬が作れるのに…。」
ぶつぶつと薬の事に没頭しかかっているマリーをフリードリヒが引き戻す。
「まあ、そう焦らなくてもいい。手筈は整えてある。時を待て。」
そう言うと、ニヤリとマリーにしたり顔をして見せる。
「どう言うこと?」
さっぱりわからないマリーに、時が来ればわかるさ、とフリードリヒは話を終えた。
マリーは更に考えることが増えた。
とりあえずヨシュアが無事なのはわかった。だが、あんな不自然な痩せ方をしていては、早く助けないと取り返しがつかなくなると思っていた。それが薬のせいなのか、ストレスなのか、わからない以上早急な薬の解析が求められる。フリードリヒの話では、媚薬を飲まされている者は悉く衰弱していき、果ては死に至ることもあるという。薬のせいの可能性は高そうだ。そもそも媚薬なんて怪しげなもの、どんな劇物が入っているかわからない。
しかし、現物がないと解析もできないのが現状だ。
別の角度からヨシュアを元気付けることはできないものだろうか。
あの出来事以来、思い出すことができなかったのだが、ヨシュアは確かに将来は3人で暮らそうと言ってくれていたはずだ。ならばー
マリーは栄養価の高い丸薬を作ってフリードリヒからヨシュアに届けてもらう事にした。これなら水薬より届けやすく、破損の心配も少ない。普通に王都に送ると、女王から握り潰されるかもしれないし、何より女王には泳いでいるフリをした方がいい。マリーからヨシュアに贈り物があるとなると、怪しまれる可能性が高いのだ。
マリーは決意した。女王と戦ってヨシュアを救うことを。
タイムリミットは、ヨシュアが衰弱しきるその前に。
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