第7話 ヨシュアの里帰り
ヨシュアが初めて城に上がって三ヶ月が過ぎた頃、突然暇を出され、ヨシュアは少しの間村へ帰ることになった。その間にもライラによる行為の強制は続き、ヨシュアはストレスで食事を戻す事が多くなっていた。だがライラにはそんな事は関係なかった。ヨシュアは屈強な兵士になるどころか、逆に痩せていってしまっていた。自分でも自覚はしていたが、どうしようもない。ヨシュアは次に城へ戻ってきたら、もう二度とマリーやアンナの顔を見ることはできないかもしれないと覚悟し、村へ戻ることにした。
(マリー達には到底言えない…。だが、城から逃げ出したとして、生活を支えてやる事ができなくなる。俺にはもう死ぬまで選択肢はないんだ。)
ヨシュアはライラの暴挙を止める手立てもなく、かといってライラから逃げ出すこともできないという完全な崖っぷち状態に立たされていた。
このまま衰弱していずれは死ぬのだろう、とヨシュアは自分の未来を悲観していた。だが最期になると言うのなら、一目マリーとアンナの姿を目に焼き付けておきたい。その一心で村へ帰った。
「ヨシュア⁉︎どうしたのその姿は…。」
村へ帰りつくと、変わらぬマリーが出迎えてくれて、アンナもその後ろからトコトコとついてくる。マリーは不健康に痩せたヨシュアの姿を一目見るなり、心配のあまりそう声をかけた。
「いや、思ったより訓練って厳しいものなんだな…。」
はは、と苦笑しながらヨシュアは誤魔化しにかかる。確かに訓練は受けており、手には剣を握ってできたマメがある。嘘は言っていないはず…、とヨシュアはマリーに本当のことを悟られないよう必死に祈った。
(微かだけど、ヨシュアから変わった薬の匂いがする…。)
マリーは不穏な気配を感じ取った。まさか、何かの実験台にされていないだろうか。そう思うほどにヨシュアは不自然な痩せ方をしているのだ。だが、ヨシュアの口から何も語られない以上、不用意に踏み込むわけにもいかない。マリーはヨシュアの言葉を信じることにした。
「今日はヨシュアが帰ってくるって聞いてたから、大好物のキノコシチューにしたんだよ。」
マリーは今自分がヨシュアにできる最善を尽くそうと、兼ねてからヨシュアが気に入っていた料理を振る舞った。久しぶりに口にするマリーの手料理に、ヨシュアは思わず涙が出そうになった。
(もしかしてこの三ヶ月分は悪夢を見ていただけで、これは昨日の続きなんじゃないか?)
ヨシュアはそう自分を慰めて、ここ数ヶ月の地獄をなかったことにしたかった。マリーに相応しかったあの頃に戻りたかった。
しかし、今ここにいるのは薄汚い『女王の犬』と、家を守る高潔な薬師だ。到底釣り合うはずもなかった。少なくともヨシュアの意識の中では、自分は堕ちた存在だった。マリーの作ったシチューが身に染みる。この味を味わえるのも、次に王都へ戻ったら叶わぬ事かもしれないと思うと、より一層味わって食べずにはいられなかった。
(食事ってこんなに美味しいものだっけ…。)
王都で三ヶ月間砂を噛むような食事しかしてこなかったヨシュアにとって、久しぶりの事だった。それも食べては戻し、の義務感での食事とは違って、自ら望んで摂る食事なのも久しぶりなのである。過度なストレスによって、それでも食べなければ死んでしまうため、義務で食事をし、結果戻すという病的な食生活を送っていた。それでも、ヨシュアは生きる努力をした。それは全てマリーとアンナの為である。自分が先に逝ってしまっては、残された二人の生活も何もかもが危うい。それだけは絶対にあってはならないとヨシュアは強く思っていた。
「ヨシュア?大丈夫?お腹いっぱいなの?」
はっと現実に戻ってみると、マリーが心配そうにこちらを窺っている。どうやら長い時間ぼーっとしていたようだ。
「ごめん、ちょっと考え事してた。まだおかわりあるか?」
せっかくの貴重なマリーの美味しい手料理を残すわけにはいかない。ヨシュアは三ヶ月前までは当たり前だったこの光景にすら既に懐かしさすら抱いた。それほどに王都での生活は色々あり過ぎた。でも今はそんなことは忘れよう。彼女達に不安を与えないためにも。
久しぶりに過ごす二人との時間は、ヨシュアにとって大いなる癒しとなった。アンナは変わらずまだ兄であるヨシュアにべったりだし、マリーもそんなヨシュアとアンナを温かく見守った。以前と変わらない穏やかな時間が流れた。
それが束の間の平穏とも知らずに。
ー王都 ライラの部屋
「そう、やっぱりね…。私に靡かないのは道理があるわよね?もっとぐちゃぐちゃにしてあげないとね。ふふ、胸が高鳴るわ。」
ライラはヨシュアにわざと暇を出した。そうすることでどうも自分に懐かない『犬』をこれからどう調教していけば良いかを知るためだった。ライラの歪んだ欲望は昏い熱を燻らせ、ヨシュアを更なる地獄へ落とすべく動き出そうとしていた。
他の『犬』と違い、ヨシュアは懐かない分薬の量が増え、弱りが明らかに早い。ライラも薄々は、あの薬は体に良くないものだと勘づいてはいた。だが、使い捨ての犬達が生きようが死のうが、ライラにとっては大した問題ではなかった。
「でも、私に靡かない犬がいるなんて生意気だわ。それも村娘に負けるだなんてね?」
ライラにはライラなりの矜持があった。田舎者の男一人を思いのままにできないはずはないという意地でもあった。
「ふふ、貴女のヨシュアちゃんが本当はどんな事しているか、流石に見たら納得してくれるわよね?」
そして二人を引き裂けば、今度こそヨシュアは私に跪かざるを得なくなるー
「ふふふ、良いこと考えちゃったな、私。マリーちゃんとやらに招待状を書かなきゃ。」
他人の不幸は蜜の味。ライラはヨシュアをより不幸にすることによって自分の不幸を見ない事にし、自分の方がまだ恵まれているのだと感じたかった。
そう、周りを不幸にするのは私が不幸じゃないと証明するため。
私は今のままで良い。そして私は幸せ。だって周りがこんなに不幸なのに、贅沢を言ってはいけないわ。そう、それこそが私の幸せなのだから。
「ああ、私を止められる者がいるとしたら、それこそ…。」
ライラは燻るフランツへの恋情を再燃させ、独り夜になると想ってみる。そしてその叶わぬ想いをまた誰かにぶつけるという負の連鎖を断ち切れない。
(どうして、どうしてこの想いだけが儘ならない…!)
ライラは他人に関心の薄い娘として育った。それもこれも、その美貌が祟り、寄ってくるのは碌でもない男ばかり、女には妬まれ、疎まれるばかりだったからだ。
そんなある日、またもやライラに乱暴に近づこうとした暴漢達から救ってくれたフランツの背中がライラの目に鮮明に焼き付いた。懸命に戦う勇姿が、そして自分のために戦ってくれているのだという確信が、ライラをそうさせたのだろう。普段は自力でなんとかするしかなく、優れた頭脳の持ち主であるライラはなんとか切り抜けながら過ごしていた。誰も助けてくれず、裏では王女は体を売っていると陰口を叩かれることもあった。
(そんなわけないでしょ…!)
当時のライラはまだ清純で、いつか現れる王子様を待っていた。そしてついに現れたー
「お怪我は?」
と問われ、ライラは頭がいっぱいで首を横に振るしかできなかった。そして名を聞かなかればとライラは必死に口を動かそうとした。だが、その目論見は失敗に終わる。
「何してる、フランツ?」
名前を知ることには成功した。でも、現れた第三者によって、今しがた自分に芽生えた恋情は打ち砕かれたことを知った。それがフリードリヒだったからだ。
「ああ、ライラ。その様子を見ると暴漢に遭ったようだね、無事だったかい?とフランツの前で聞くのも愚問かな。」
助け起こされたライラは、二人に礼を言うと、さっさと引っ込んでしまった。
そして部屋に着いたライラは、ベッドに横たわると、フランツの勇姿を反芻する。
(見つけた、私だけの王子様ー。)
でも。彼は異国の人で、身分は高いのだろうけど、王子でない以上政略結婚も言い訳にできない。一番近そうで、遠い人。
その日からライラは、少しずつ軋んでいくことになる。
他人を巻き込みながら、少しずつ、少しずつ。
(いっそこの身分を棄ててしまえば?)
ライラは時々そんな事も考えた。しかし、ライラには王位を継承できる者がいなかった。孤独だったのだ。その孤独こそがライラを追い詰め、自らもそして他人も不幸にする負の連鎖を生み出した。
ーああ、あの方さえ私の傍にいてくださったなら。
今日も眠れぬ夜をフランツへの想いを募らせながら過ごすライラだった。
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