第4話 マリーと旅人
マリーはいつものように庭のハーブの手入れをする。本当はヨシュアがいなくなって寂しいが、いつまでもくよくよはしていられないし、何より自分がそんな様子では、アンナがまたより一層落ち込んでしまうだろう。アンナの為にもしっかりしなければ。マリーはそんな思いで精一杯前を向いていた。
ヨシュアがいなくなって一週間が経とうとしていた。そろそろ王都に着いて、訓練でも始まっただろうか。そんな想像をしながら、マリーはヨシュアの帰りを待つ。
そんなある日の夕暮れ時のことだった。その日はいつになくひどい雷雨で、辺りも暗く、マリー達は早めに夕食を摂って眠ろうと話していた。ヨシュアがいなくなってから、アンナはすっかりマリーの家に居着いていた。家の手入れや、畑の農作物の管理も、マリーと一緒に行っていた。マリーは別に嫌だとは感じていなかったし、幼い妹を残していく事になったヨシュアからもよく頼まれていた。アンナはヨシュアのいない寂しさを、マリーに頼ることで紛らわせていたのだろう。マリーにとっても将来本当に義妹になるかもしれないアンナのことは可愛かった。
さて、そろそろ床に入ろうという頃、村はずれのマリーの家に馬の嘶きが届いた。
こんな時間に馬を走らせているなどと、決して村の者ではない。
しばらくアンナと共に様子を伺っていると、家の扉をノックする音が聞こえた。
マリーとアンナは背筋が凍る思いだった。
(ヨシュアもいないのに、女二人だと知られたら、危険が及ぶかもしれない。)
マリーは父に鍛えられた頭脳をフル回転させてできるだけ穏便に事を済ませる方法を考えていた。まず、数度目かのノックに応えないのはまずい。無人と判断して扉を破って入ってくるかもしれない。
(こんな天気だから、急遽立ち寄った商人の可能性はなくはないけどー。)
ならず者だったらどうしよう。マリーは不安を拭えなかった。何としてもアンナだけは守らなければ。それは自分にアンナを託してくれたヨシュアからの信頼に応えるということ。マリーはアンナに奥の部屋に隠れるよう言い含めて、玄関の扉の前に立った。そして恐る恐る尋ねる。
「…どちら様ですか?」
何度目かのノックをした主は、反応があったことに少し驚いたのか、中から聞こえた声が女だったことに逡巡したのか、少し間を開けて答える。
「隣国から来た旅の者だ。ご覧の通りの雨にやられてしまってね。馬も疲れてしまって今晩泊めてもらえそうなところを探して来たんだが。」
旅の者だという声は明らかに男である。女二人だけの家に上げて良いものだろうか。品の良さそうな物言いだが、それは偽装で、もし夜中の誰の助けも呼べないところに豹変してきたらどうする?
「…この先に行けば村があります。他を当たってもらえませんか?」
マリーはできるだけ冷たく突き放すように言った。そうすることで、アンナを危険から遠ざけたかった。
「申し訳ないのだが、既に裏の厩舎を勝手に使わせてもらっている。馬がもう動けない状態なんだ。気の良い相棒でね、放っていくこともできない。できればここへ入れてもらいたいが、そちらにも事情がありそうだ。何をお望みかな?」
望みは、はっきり言って今すぐ他へ行って自分達に関わらずに通り過ぎてくれることだ。だが、男は勝手に裏の厩舎を借りているという。馬が大切な存在だというのも旅人ならば頷ける話だ。だが、相手が男である以上、この家にはいどうぞ、と泊めるわけにはいかなかった。
もしもアンナに危害を加えられたら、マリーはヨシュアに合わせる顔がない。自分は何があっても我慢しよう。だが、アンナに手を出されることだけは、決してあってはならない。
「いてっ」
考えを巡らせていると、突然外から変な声がした。聞き間違いではないと思う。
「いてて、わかったからやめてくれ!」
どうやら外で何者かと揉めているらしかった。
(この隙にアンナを連れてヨシュアの家に避難すればー)
マリーがそう覚悟を決めた時だった。突然扉が開け放たれ、旅人を名乗る人物らしきものが小脇にアンナを抱えて入ってきた。
マリーは突然の事に絶句したが、とにかくアンナを助けなければ、と思った。
「アンナを放して!」
マリーは手近にあった薬瓶を相手に投げつけた。
「おい!危な…!」
と、その薬瓶は相手の払い除けた手元で爆ぜて、周囲には強烈な匂いが広がる。
「なんだこれ…‼︎ゲホッ、ゲホッ。」
相手が咳き込むその隙をついて、アンナの無事を確認する。マリーはそれ見た事か、とアンナを助け出してから胸を張って男を威嚇に入った。
「私は薬師なの。私達に危害を加えようとしたら、毒を盛ってやるんだから!」
男は匂いが消えていき、落ち着いたところでマリー達に向き直る。
「あのなあ、どちらかと言えばこっちが被害者なんだが?」
へ?とマリーは頭にハテナが浮かぶ。
「そこの小さいお嬢さんが後ろから奇襲をかけて来たから、捕まえて事情を聞こうとしただけだ。」
そう言って男はアンナを指した。アンナはテヘヘ、と誤魔化すようにマリーに微笑みかけている。
ー十分後
「ごめんなさい、私達とても過敏になっていたわ。」
マリーは自称旅人に謝罪した。というのも、マリーが応対している間に、奥の部屋に隠れたと見せかけたアンナは、こっそり裏口から脱出し、男の背後に回った。そしてない力を振り絞って薪を持って襲いかかったという事だった。大した攻撃ではなかったため、アンナは容易に振り払われ、マリーに引き渡すため扉が開けられた、というわけだ。
「まあ、こっちもそっちの事情は飲み込めたよ。女の子だけじゃ不安だよな。」
おお、わかってもらえたか、とマリーが安堵したところへ、自称旅人は斜め上を行った。
「一晩用心棒として置いてもらえないか?」
いやいや、あんたが既に危険分子だよ。と言いたいマリーだったが、アンナが失礼をしてしまった事や、ずぶ濡れの格好を見て、この寒空にまた放り出すのも、とも思えてきた。
「何か仕出かしたら、絶対に死ぬ毒を盛るからね。」
マリーはそう言って一晩だけなら仕方ないか、と滞在を許可した。
「ありがとう、無理を言ってすまない。この雨で本当に参っていたんだ、恩に着るよ。」
そう言うと自称旅人は今まで目深に被っていた黒のフード付きマントを脱いで、顔を露わにした。とても美しい金の髪で、丁寧に切り揃えられたショートカットはさぞ人目を引く事だろう。
「あなた、本当に旅人なの?」
マリーは思わず突っ込んだことを聞いてしまった。一晩泊めるだけの相手のことなど詮索無用だ。聞いてしまってから、マリーはしまったと思った。
「これでも隣国では大して珍しくもないさ。さて、相棒の様子も気になるから見てくる。心配しなくても変な気を起こしたりはしない。約束するよ。」
自称旅人は、そう言うと厩舎へ向かおうとしたが、その瞬間、腹の虫が豪快に鳴いた。
「…今のは聞かなかったことにしてくれ。」
恥ずかしそうに誤魔化す男だったが、マリーは流石にそれを無視する程冷酷ではなかった。
「粗末なものしか出せないけど、夕飯の残りが少しあるから待ってて。」
マリーは夕飯の残りのスープを温め直して出してやる事にした。ヨシュアがいなくなってから、キノコはあまり手に入らないからシチューはあまり作らなくなっていた。今日はアンナの畑で採れた野菜を入れたスープを食べた。保存のきくパンも少し添える。そしてより体が温まるように、マリー特製のハーブティーもつけた。
「ああ、雨に打たれて体が冷えていたんだ、感謝する。」
男は美味しそうにスープやパン、ハーブティーを平らげた。そんな男をマリーはヨシュアを重ねて見る。
(今頃どうしてるかな、ちゃんとご飯食べてる?)
「ご馳走さま、おいしかったよ。」
男はきちんと礼を言い、マリーもそれに応える。
「空腹で倒れられても困るからね、用心棒さん?」
男はそれを聞いて、はは、そうだったなと頭を掻いた。それからしばらく男は馬の様子を見に厩舎へ消えた。
夜半になり、床で良いから寝かせてくれと言い始めた男に、マリーは両親が使っていた寝室をあてがってやった。アンナはマリーの寝床で寝息を立てていたので、マリーはその隣に眠った。
ー朝
昨日の雷雨は何処へやら、嵐は過ぎ去り良い天気だった。
男はお礼にと、女二人では苦労する力仕事を買って出た。そして日が高くなる前に、出立するからと別れを告げに来た。
「楽しかったよ。ありがとう、マリー、アンナ。俺の名前はフリードリヒ。またの機会に寄らせてもらうぜ!」
そんな話は聞いていない。しかし、嵐と共に現れては去っていく、この黒いフードを目深に被ったフリードリヒは、ちょくちょくマリー達の前に現れる事になる。
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