第2話 王都へ

 ヨシュアを乗せた粗末な幌馬車は、他の村々を経由して王都へと向かっていた。

 途中の村からも、何人かが乗ってきて、そのうち誰かが雑談を始める。

「現女王のライラ様は専ら美しいと評判だ。俺も一目お目にかかりたいってもんだぜ。」

「王都に行ったら、お高くとまったご令嬢がわんさかいるんだぞ?誰がこんな田舎モンの集団を相手するっていうんだよ。ましてや女王様なんて、無理無理。」

 ははは、と失笑が漏れる。

(くだらない…。)

 ヨシュアはつまらない話題に興味さえ湧かなかった。女王?お嬢様?そんなものどうでも良い。都会の者には温かみというものが欠けている、そうマリーの親父さんは言っていた気がする。昔からマリーの事が好きで、ヨシュアはよくマリーの家に出入りしていた。そんな折、村の者からよそ者と敬遠されるマリーの父親にも接触する機会が村の中では多かった。幼少の頃の記憶で曖昧だが、ぼんやりとそんな話をしていた気がする。ヨシュアの世界にはマリーとアンナがいてくれさえすれば良かった。都会に出たからと言って、その土地に染まる気は毛頭ない。今回出てきたのだって、金が目当てで、それはつまりマリーとアンナのためだ。

(たっぷり稼いで、村へ帰って、今度こそマリーに言おう。)

 『愛している、結婚してほしい、』と。

 その時を想像しただけで、気分が高揚してくる。さっきみたいな下世話な話よりも、余程ヨシュアの心を救ってくれた。

 はっきり言って、村を離れるのはヨシュアにとって苦渋の決断だった。村に女の子二人だけを残して行く事や、収穫の時期を二人で乗り切れるのかなど、散々悩みに悩んだ。村だって決して治安が良いわけではない。ましてやどこに誰が住んでいるのか筒抜けで、自分が村を出たと知れたら、マリーやアンナに変な気を起こす輩がいないとも限らない。もしも二人に不埒な行為をする者が現れたら、と思うだけでヨシュアは気が狂いそうだった。

 だが、マリーやアンナをもっと楽させてやりたい。特にマリーは村の医療の要として必要とされてはいるものの、やはり『よそ者の子』という雰囲気が拭えず、体調を崩すと頼ってくる割には、平時にはマリーに冷たい者が多かった。

(みんな自分勝手だよな…。)

 ヨシュアはそんな村の者が好きになれずにいた。だから見返してやるのだ。王都に行って、功績を上げて一旗あげて帰って。そんな自分とマリーが結ばれれば誰もマリーに文句を言えないだろうと思っていた。それに金があればマリーにもっと薬の材料を買ってやれる。

 辺境の土地だからこそ、村には隣国と行き来する商人が立ち寄る場所でもあった。山を越えれば隣国に入れるため、山間にある村を休憩地点にしているのだ。そこから仕入れる情報も少なくない。この国の情報もあれば、隣国の話まで様々だが、どうやら隣国では王子がフラフラしていて、王様が大変気を揉んでいるとかいないとか。確かな情報から曖昧な噂まで、商人は情報を流しては商売をして、旅しているというわけだ。薬だけではない。食材を売るものもいれば、布を売りにくる商人もいる。マリーやアンナの服もそろそろつぎはぎだらけで、新しいものをプレゼントするのも悪くないと思った。

 そうこうこれからの未来を妄想しながら旅をして数日後、ヨシュアは初めて王都というところへ到着した。

(デカッ)

 ヨシュアの第一印象はそれだった。建物から何から村とはまるで違う。当たり前だが。建物が密集して建っていて、家々の間隔はそんなにない。木の造りではなく石でできていて、頑丈な造りである事が窺えた。

 大通りと説明された道を抜けると、今度は更に巨大な城という建物が見えてきた。

(これが王都…。)

 ヨシュアはいかにもお上りさんな感想を他に漏らさないようにしながら、心の中で圧倒されていた。女王と呼ばれる人物はこんな所に住んでいるのか、と感心さえした。

(家の中で迷ったりしないのか???)

 ヨシュアが暮らしてきた家とは規模が違いすぎて、そんな事を考えるくらいには混乱した。

 やがて馬車は城の門をくぐり、到着したのは土埃のする兵達の訓練所のようなところだった。なかなかに広い場所で、村の広場以上には広い。集められてきた村々の者はそこで正規の兵達から指示を受け、ボディーチェックや今までの経歴などを軽く聞かれ、整列させられた。

 そこに隊長のような他の兵達より豪華な服に身を包んだ兵士が現れ、話を始める。祖国の何たるか、とかこれから行う訓練などについて聞かされていると、そこへ塀の上に誰かが現れた気配がして見遣る。逆光でよく見えないが、とても豪華なドレスの婦人のような気がした。

 他に気づいたものがいたかはわからないが、そのドレス姿の人間は、少しの間隊長の話に意識を戻し、次に見上げた時には消えていた。

(幻を見たのか…?)

 王都に来て気が動転しているのかもしれない。ヨシュアはその時の出来事を誰にも話さずその場を後にした。

 

 ー夜ー

 

 あてがわれた部屋で休んでいると、誰かがドアをノックした。応対しようとドアを開けると、そこには立派な仕立ての服の使用人が立っていた。服からしてかなり上位の使用人のようだった。

「何か御用ですか。」

 そう尋ねると、その使用人は自分について来るよう促した。

(来て早々何かしただろうか…。)

 決して高級そうな壺を割ったりしていない。と言っている間に幾度か角を曲がり、既に道がわからない。黙々と美しい姿勢を崩す事なく歩いていく使用人についていくのがやっとだ。決して走っているわけではないのに、スピードが早い。これが優雅というやつなのだろうか。

 何とか見失わないよう着いていくと、その使用人はある部屋の前で立ち止まった。そして恐ろしいことを言い出した。

「どうぞ。女王陛下がお待ちです。」

 お待ちです、と言われても一ミリも掠った覚えがないヨシュアはいきなりの出来事すぎてパニック状態に陥りかけていた。

「あのっ…。」

 ヨシュアは何の用事かと聞こうと口を開いたが、使用人は口元に指を当て、静かに、というジェスチャーをした。そしてただどうぞ、ともう一度目の前の部屋を指した。

(何なんだよ…。)

 あまりにも不気味な使用人にただただ従うしかなかった。

 ヨシュアは自分の無力さを味わいながらも、目の前のドアをゆっくりと押し開いた。

「失礼します…。」

 恐る恐る入っていくと、薄暗い部屋ではあったが、広い部屋であろうことが推測できた。声が反響したためだ。

 すると、奥の明かりの方から、人影が動いた。手招きしているようだ。女王陛下と言っていたが本当にいるのだろうか。

 しかし入った瞬間部屋のドアは閉まったので、前に進むしかない。

 これは何かの罠で、女王陛下と言いつつ他の誰かがいて、もしかしたら殺されるのではないかと疑うと足が進まない。殺されるのだけは絶対ごめんだ。ヨシュアはしばらく明かりの方を見つめたまま動くことができなかった。

 そんな様子を知ってか知らずか、かけられた声は実に挑発的で、そして蠱惑的だった。

「ふふ、そんなに怯えなくても良いじゃない。もっとこっちへいらっしゃい?」

 声の主は女性のようだったので、ヨシュアはとりあえず近づく決意をした。

 一歩一歩慎重に。

 明かりへ近づくと、そこは寝台で、一人の女性が腰掛けながら何か羊皮紙の束を持っていた。

 銀の長い髪をしたその女性は、ヨシュアの姿を認めると、紙束を空中へ放り出し、ヨシュアへ飛びついた。

「つーかまーえた♪」

 寝巻き姿の女性にいきなり飛びつかれ、ヨシュアはたじろいだ。飛びつかれた勢いのままふわりと吹き抜けた風からは花のような良い匂いがした。

 完全に首の後ろに手を回され、密着されている。未だマリーとさえ接触したことのない程の近距離で、胸が当たっているし、ヨシュアはますます混乱していく。

「ふふ、そんなに緊張しないで?少し飲み物でも飲んで落ち着いた方がいいかしら?」

 銀の髪の女性は、そう言うとヨシュアから手を離し、窓際に置かれたテーブルの上にあったグラスに、ワインのような赤い液体を注いで持ってきた。

「さ、これを飲んで?私とお話して欲しいの。」

 そう言われたヨシュアは、女性の申し出を断るのは失礼に当たると思い、グラスの中身を一気に飲み干した。

「ふふ、元気がいいのね。一気飲みする人は、あんまりいないのだけれど。」

 女性はくすくすと笑いながら、ヨシュアをそう評した。

 ヨシュアは何が起きているのかもう把握できなくなっていた。改めて女性を見ると、美しい人ではある。マリーほどではないけれど。

 そう思うと、急にマリーの事を思い出した。

 美しいマリー。愛しいマリー。俺のマリー。

 その思いは加速していき、今すぐにでもマリーを自分のものにしてしまいたいという欲求から逃れられなくなっていた。

(なんだ、これ…。)

 今まで押し殺してきた思いが全て凶暴な形になってしまいそうになる。体が熱くてたまらない。こんな感情初めてだ。自分が自分でなくなってしまいそうな感触。明らかにおかしい。

「まさか、さっきの…。うっ、俺に何を、した……。」

 体が熱い。とにかく熱い。この熱をどうにかしなければ。

 ヨシュアは毒を盛られたと思った。それほどに苦しい。目の前の女は一体何のために毒などというまどろっこしい手段で自分を殺そうとしているのか。理解できなかった。

「ふふふ、私の可愛いワンちゃん♪」

 女は相変わらず妖しい笑みを浮かべてヨシュアを観察しているようだった。

「今どんな感情?誰の事を想っているの?苦しいよね?」

 苦しむヨシュアを愉しそうに覗き込む。

「良いのよ?私が楽にしてあげる。私に全てぶつけてご覧なさい?」

 ヨシュアの耳元に、優しくそう囁きかける。

 一方のヨシュアは感情が滅茶苦茶になり、マリーが欲しいという感情がすり替わり、ただ女性を欲する怪物と化していた。

「うあああぁぁー」

 ヨシュアは目の前の女性を認めると、感情のままに押し倒した。そしてその欲望のままに蛮行を開始する。女性を覆う布地を引き裂き、その肌を弄ぶ。

 押し倒された女性、そう彼女こそが女王ライラ。

「ふふ、ふふふふふ。そう、それで良いのよ。それでこそ私の可愛い新たなワンちゃんよ。」

 ヨシュアは無我夢中でライラを喰らった。

 

 

 ー翌朝ー

「ハッ!」

 ヨシュアは飛び起きた。ひどい悪夢を見た。謎の女性に食らいつく自分は後から想像しても怖気が走る。きっと、王都に来て疲れていたのだ。知らないうちに眠っていたのだろう…。今朝もなんだか頭が痛い。

「おはよう、ワンちゃん♪」

 頭を抱え込んで悪夢を追い払おうとしていたヨシュアに女性の声が聞こえる。

「‼︎」

 ヨシュアはびくりとする。その声の主が昨日の悪夢の主だからだ。

(これは夢の続き…??)

 夢魔が精を喰らいにくる、というのは有名な話だが、今は朝だしあまりにもリアルすぎる。

「うふふ、昨晩あなたがあまりに激しくするものだから、私今朝起きるのしんどかったのよ?どうしてくれるのかしら。」

 何を、何を言っているのか全くわからない。いや、わからなくないのだが、この女は誰だ。俺はただマリーのために、いや昨日の悪夢ではそんなことどうでも良くなってしまった気がするが、あれはあくまでも夢で…。夢のはずで。

(まさか俺がマリー以外の女性とそんな…。)

「ふふふ、まだ寝ぼけてるの?それとも私をあんなにして置いてとぼけるつもり?」

 ヨシュアは昨夜からパニックの連続で、何が起こっているのか全くわからない。

「まさか…本当に女王陛下?」

 今目の前にいる昨夜の女性はそれはそれは豪奢なドレスに身を包んでいる。長い銀の髪。美しい顔立ち。誰かが噂していた美しい女王陛下ライラ様がそこにはいた。

「そうよ?昨日も2回も会ったじゃない。」

 1回は認めるが2回目は知らない…。ヨシュアは更に混迷の度合いを深める。

「で?昨日のこと、どうしてくれるの?」

 ヨシュアは更に頭の上にはてなが三百個くらい増えた。

「いやあの。どうしろと?」

 仕出かしてしまった事は取り返しがつかない。処刑でもされろと言うのだろうか。

「んっふふ。認めたわね?」

 その女王の笑いは昨日の夜と同じく邪悪なものだった。言質はとったと言わんばかりの女王から突きつけられた命令はこうだった。

「私を愛しなさい。」

 ここからが本当の悪夢の始まりだという事を、ヨシュアはまだ知らなかった。

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