第2話 困惑する街角

 東京都内屈指の繁華街である渋谷。


 そこには、とあるスポーツ競技の勝ちに酔いしれる若者たちで溢れていた。

 普段でさえ賑わっている場所なのに、気分が高揚した人々の群れが加わり輪をかけて混雑していた。

 その様子をニュースに使おうと報道関係者が街を行き交う若者にインタビューをしていた。


「熱風と一緒にミキサーの中でかき回されているみたい……」


 若者は高揚した様子で答えていた。


「なんだてめぇっ!」


 そんな繁華街でタガの外れた者たちが暴れだした。肩が触れたとか触れないとかの些細な事でだ。

 喧騒は流行病のように周囲に広がっていき、殺伐とした雰囲気が人々の間を漂っていく。


「うらぁーーー!」


 中には通りがかり車両をひっくり返そうとしている者たちも居た。


「やれーーー」

「やっちまえーーー」

「いいぞぉーーー」


 周りの人達も囃し立てるだけで止めもしない。


 そんな喧嘩が街のアチラコチラで起こって、街角の喧騒を一層激しくしていた。

 国際的なイベントなどで度々似たようなことが起きている。


 イベントの真っ只中にあって周囲の雰囲気に飲まれてしまい、大騒ぎをやりに来ただけのような印象を受ける。

 みんなが騒ぐから騒ぐし、自分とは無関係だから街がどんなに汚れても構わない。そういう浅はかな気持ちが狂乱の根底にあるのだろう。

 群衆の中にはちらほら仮装をしている若者から、気持ちだけは若い中年ぐらいまでの幅広い年代の人がいた。彼らはイベントの場から離れると一様に真人間みたいな顔をして、大人しく吊革にぶら下がって帰っていくのだ。

 日本人というのはとことん集団心理に飲まれやすい民族なのだろう。


 そんな、騒乱が発生している中、一人の中年男が覚束無い足取りで歩いていた。


「…………」


 少し俯き加減で歩く様子はまるで酔っぱらいのようだった。しかし、その男からは酒の臭いは一切せず、それどころか鼻腔を刺激する匂いがあった。それは肉が焼ける時の香ばしい匂いと香辛料の混ざったような刺激的な匂いだ。


「ふらついてるんじゃねぇよ!」

「ちっ、酔っ払いめ……」


 その男が右に左にフラフラする度に人々は避け、迷惑な酔っぱらいに眉をひそめている。

 中には男にぶつかってしまう魔の悪い奴も居た。


「痛ってなあ」


 ぶつかって来た事に怒りを表す者も居たが大声を出すだけだった。

 しかし、騒乱の熱気にさらされた人々は直ぐに男のことは忘れた。



「うっ、うぅぅぅ…………」


 その男は通りの片隅に積み上げられたゴミ袋の山に倒れ込んでしまった。人々が騒ぎながら通り過ぎてゆく中、再び動く事は無く埋もれていくように静かになっていった。


 翌日、中年男性が死亡していたとの報道が新聞の片隅に掲載され、それも狂乱の一部分と賑わしていた。

 男は身分証明を持っておらず、その見た目から単なる浮浪者として扱われてしまったようだ。



 場所は変わってここは地方銀行である府前銀行の監査室。

 多くの銀行では窓口業務終了後に、大量の紙幣を機械にかけては枚数を数えたり真贋の判定などをしている。

 また、紙幣は所詮は紙で出来ているので、市場を半年程も流通すると破れ安くなったりする。そのままでは困るので、ある程度古くなると日本銀行に返却して新札と交換してもらうのだ。そういった事も銀行や郵便局の仕事の一つであった。

 中にはボロボロになりすぎて機械から弾かれてしまう物もある。そういった物は日本銀行に返却する前に調べる必要がある。

 ここは行員から報告の有った紙幣を調べる部署だ。機械で判定出来ないので行員が手作業で判定を行うのだ。


「……」


 室内照明が明るく調整されている検査室で、新人の田中浩子が一枚の紙幣を眺めていた。何度も裏返したり透かしを確認するためのライトに当てたりしている。その度の小首を傾げて不思議そうにしていた。


「……?……」


 新人とはいえある程度には真贋の選別は出来ているつもりであった。目の前にいしてる紙幣は、様々な検査ではパスしているし、見た目は普通の一万円札である。しかし、田中には手にしている紙幣の違和感が拭いきれないのだ。


「何か見つかったかね?」


 上司が田中に尋ねてきた。最近、配属されてきた新人の仕事の進み具合を気にかけているようであった。

 業務を真面目にこなし、人付き合いも上手な新人に上司は期待しているのだ。


「いいえ…… 紙幣チェッカーも通りますし透かしも在ります……」


 紙幣チェッカーとは紙幣の真贋検査に使われるものだ。ATMなどに使われている機械だ。人間が判断するより正確で素早く検査してくれる。

 大量の紙幣を扱う銀行では重宝している機械だ。


「じゃあ、本物で良いじゃないか」

「……」


 上司が早く次の案件にかかるように言ってきた。


「他の案件にかかり給え……」


 時間は有限だ。なので、彼としてはいつまでも分からない物に関わって時間を無駄にしてほしくないのだ。

 部下の残業時間が増えてしまうと、自身の管理能力を問われてしまうので仕方が無い。銀行員とはいえ中間管理職の悲哀は、どこの企業でも共通である。


「はあ……」


 問題なしの場合には、そのまま銀行の金庫に戻されやがて市場に流通するようになる。

 田中は違和感の正体が掴めず困惑したままだ。でも、一通りのチェックを済ませたので解決済みの箱に入れようとした。

 だが、瞬間的に閃いた物があった。


「あっ!」


 彼女は思わず立ち上がり大声を出してしまった。室内の全員が困惑した顔を浮かべていた。仕事中は目の前の仕事に集中するのか皆無口になってしまうのだ。


「……」


 田中の瞳が大きく見開いていく。何に違和感を覚えていたのか、その正体に気が付いたのだ。


「どうした?」


 上司が田中に声をかけた。しかし、彼女は返事をしない。立ち上がって固まったしまったようである。

 彼女の大声に上司ばかりか他の室員たちも注目していた。


「……」


 田中は紙幣を手に持って立ち上がったままだ。


「何か分かったのか?」


 返事が無い田中にじれた上司は彼女の側に寄ってきた。


「これ…… やっぱり、可怪しいです……」


 田中は手に持った紙幣を上司に渡した。紙幣を持つ手が少し震えていた。


「え?」


 受け取った紙幣を上司はマジマジと見た。大学を卒業し銀行業務を二十年以上こなした大ベテランである。そんな彼も直ぐにはおかしな点が分からなかった。


「どこが変なんだ?」


 上司は怪訝な表情のまま田中に尋ねた。紙幣を天井の照明に透かしたりしていた。


「この紙幣に使われている記番号は、存在するはずのない記番号なんです」


 上司が手に持った紙幣を見ている。そこには『OI9200100N』と記入された一万円札であった。


 紙幣の記入されている番号は『記番号』と呼ばれている。これは発行されている紙幣一枚一枚に付加されていた。しかし、商品などに付けられている製造番号とは違う性質がある。

 まず、記番号が付けられるのには法則がある。

 記番号は記号と数字合わせて八桁~九桁であり数字のところは六桁だ。『000001~900000』まで順番に付けられ、九十万枚で一組となっている。『000000』や『900001~999999』の番号は作成されない。

 アルファベットは先頭に一桁か二桁、後ろにも一桁付けられる。『AA000001A』の記番号ならば九桁になる。アルファベットには製造工場の意味合いがあるらしいが発表はされていない。

 また、アルファベットのI(アイ)やO(オー)は1や0と間違えるので使用されないのが通例であった。


 それらの事を踏まえると、田中が検査した紙幣にある記番号は存在しないはずなのだ。そこに違和感を覚えていたのであろう。



「え…… に、偽札…………」



 田中から紙幣を渡された上司の顔は見る見る青くなっていった。他の職員たちも田中の言った意味が伝播していった。

 そこから検査室は大騒ぎになった。


 なぜなら、偽札が一枚だけ作られる事は無いからだ。


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