【2】
退屈だった座学での研修を終え、虎辰は大きく伸びをする。
チラッと時計が目に入った。
時刻は二十一時。
いつも通りの研修終了時刻だ。
だからといってどうこうはない、いつものように晩ご飯を食べ、お風呂に入り、少し勉強をした後、明日に備え寝るだけだ。
「あー……疲れた。帰るか……」
席を立とうとしたその時……「随分と退屈そうにしてましたね」と声を掛けられた。
「置き炬燵さん」
と。
「……そのニュアンスでオレの名前を呼ぶのは、暖房器具みたいに聞こえるからやめろって毎回言ってんだろうが、プリンスさんよぉ」
「私も毎回、そのニックネームで呼ばないでと伝えていますので、お相子なのでは?」
「けっ、よく言うぜ」
「ですが、気に入らないのでしたら、今後置き炬燵というニュアンスで呼ぶ事は控えますが? まぁ、今後あなたも、私の事をプリンスと呼ばないというのが条件ですけれど」
「好きにしろよ……オレは、つまんねぇ研修の後で疲れてんだよ。大した用事もねぇのに話し掛けてくんな。じゃあな」
『プリンス』こと、千歳 王子の横を通り過ぎる虎辰。
そんなつれない態度を取る彼の後ろを、王子はついていく。
「そんな寂しい事言わないでくださいよ。私達、同級生でしょ?」
「だぁー! もうっ! ついてくんなよ!!」
「嫌だったら逃げれば良いじゃないですか? 逃がしませんけれど」
クスクスと微笑む王子。
虎辰は知っている、この少女と鬼ごっこで逃げ切る為には、相当の労力を必要とする事を。
「理解しましたか? あなたが、一番労力を消費せずにこの場を納める唯一の方法は、私と会話する事なのです。心配しないでください、話は長くても三十分以内で終わりますので。お話しましょうよ、お話」
「……本当に、三十分以内なんだろうなぁ?」
「もちろんです。私としても、あんなつまらない研修を受けて疲れてるのです。三十分以上の会話は、こちらから願い下げなのですよ」
「だったらそもそも、オレに話し掛けてくるのをやめろよ」
「あなたとの会話は、三十分以内ならば、私に害はないと判断したので話し掛けているのです。ご理解いただけましたか?」
はぁーっと、溜息を吐く虎辰。
仕方ないと思いつつ応える。
「ちなみに、この時間はその三十分に含まれるのか?」
「もちろんです」
「了解。なら自販機コーナーで、茶でも飲みながら話そうぜ」
「私、お茶よりブラックコーヒーの方が好きです」
「お前の好みは聞いてねぇよ」
「奢ってくれるんじゃないんですか?」
「…………」
図々しい奴だな、と思った。
結局――
「ほらよ。お望み通りのブラックだ」
「わー、ありがとうございます。このご恩は、私の記憶にある限り忘れません」
「その言い方だと、すぐに忘れそうだな……」
ベンチに座っている王子へ、奢ったブラックコーヒーを手渡す事になった。
「で?」と、虎辰は空いたベンチの横には座らず、壁にもたれながら話を切り出した。
「話って何だ?」
「む? その言い方だと、私に何か用事があって、虎辰さんに話し掛けたみたいじゃないですか」
「あん? 用があって話し掛けて来たんじゃねぇのか?」
「違いますよ。私はただ、あなたとお話がしたかっただけです」
「何だそれ……」
呆れつつ虎辰は、手に持っているお茶のペットボトルの蓋を開けた。そして一口飲む。
釣られるように、彼女も缶コーヒーの口を開けた。
カシュッ! と音がした。
そしてブラックコーヒーを流し込む。
「あー! やはり、自分で買ったブラックは美味しいですね!」
「もうオレに奢って貰った事忘れてるじゃねぇか。さっきのお礼の言葉はどこいったんだよ……」
「え? 何の事です? おかしな事言うのはやめてください」
「おかしなのはお前の頭だよ」
更に一口、ブラックコーヒーを飲んだ後、王子は言った。
「万屋人愛」
その名前を、口に出した。
「転校して行った、関西の方で大活躍みたいですよ? 向かう所敵無しなんですって」
「……だろうな」
特に驚きもせず、虎辰は答えた。
「あれ? 驚かないんですか?」
「驚く訳ねぇだろうが。小三まで一緒だっただけで、アイツの凄さは充分理解出来てるよ」
「あー、なるほどー。年に一回行われる『東西団体模擬戦』でも、虎辰さんは毎回、彼女に負けてますもんね。驚く訳ないですよね。それはそれは失礼しました」
その言葉を彼女が発した瞬間、虎辰は持っていたペットボトルを握り潰した。
沢山入っていたお茶がボタボタと零れ落ちる。
「あー勿体ない。開けたばかりのお茶に何をしてるんです? お茶に罪はないですよ?」
「お前が腹の立つ事を言うからだ! っち……万屋人愛、あいつの顔、思い出しただけでイライラしてくるぜぇ……」
「負け犬の遠吠え?」
「違ぇよ! 次は勝つって意思表示だよ!!」
「まぁ……そう思えるだけ、凄いですよね」
王子は、どこか遠い目を向けながら言う。
「最強のヒーローの娘で、唯一『Sランカー』二名の血を引いたハイブリッドで、世代最強の【超能力者】――そんな彼女に『勝とう』と思える事自体が……凄いことですよ」
「……何だ? お前、諦めてんのか?」
「まさか、私も彼女に勝つ気満々ですよ。今のは、私が凄いって自画自賛したまでです。別にあなたを褒めた訳ではありません」
ドヤ顔でそんな事を宣言する王子。
虎辰は笑った。「だろうな」と。
「せっかくお天道様からギフトをいただいたのに、次席で満足してたら天罰くらっちまいそうだもんなぁ?」
「ええ、そうですね。言っておきますけど、私はあなたにも負けるつもりはありませんからね」
「ほぉ……言うじゃねぇか。何なら今から戦闘場行って模擬戦でもするかぁ? 身の程を教えてやるからよぉ」
「あ、それは結構です。私、今日疲れていますので」
あっさり断られ、拍子抜けしてしまう。
「お前なぁ……そこは、『望む所です』って言う所だろうが」
「何故です? 私はあなたのストレス発散の道具ではありません。模擬戦をするかどうかを決めるのは私です。何か異論でも?」
「空気を読めって言ってんだよ」
「空気? はて? 空気に何か文字でも書かれているのですか? 私には読めませんねぇ、残念ながら」
「知ってるよ。お前に空気を読めねぇって事はな。ちっ、白けたぜ」
虎辰が先程握り潰したペットボトルの残骸をゴミ箱へと捨てる。
手拭き用の紙を何枚か取り、お茶でびしょ濡れにした床を拭く。
「ところで虎辰さん」
「何だ」
「関西チームのお馬鹿さんから、こんなメールが届いたのですが」
「メール?」
拭き掃除の途中だが、差し出されたスマートフォンを覗き込む。
画面に表示されたメールにはこう書かれていた。
『よう!
元気にやっとるか!?
ワイはもちろん元気やで!!
ええ情報を一つ教えたるわ!
お前らが大嫌いな人愛の奴が、明日から明後日までそっちへ行くみたいやで!
捕まえて模擬戦挑んだれ!!(笑)』
「マジか!?」
「マジかもですね。お馬鹿さんが嘘ついていなければ、の話ですけれど……。嘘吐きですからね、この人」
「あー……けど! 信じて動く価値はある! このメールいつ届いたんだ?」
「今日の昼ですけど」
「返事はしたのか? 何て返って来た!?」
「返事はしてません。シカトしてます」
「そこは返事をしてやれよ……」
「した方が良かったですか? でも……めんどくさくて」
「まぁ、その気持ちは分からんでもないが……」
このお馬鹿さんとのメールは、続けると長いのだ。
底無しにメッセージを送ってくるめんどくさい奴なのである。
かくいう虎辰も、途中でシカトして彼とのメールを終わらせる事があるので、何も責められなかった。
「虎辰さん、どうするんですか? 動くんですか?」
「もちろんだ!! 明日学校サボってでもとっ捕まえて、模擬戦させてやる! 王子、お前はどうするんだ?」
「んー、私もそうしましょうか。授業よりも、こっちの方が面白そうですし」
「よし! なら明日、九時に駅前集合な! そこで作戦会議した後、実行するぜ。遅れんなよ!!」
「了解しました」
「よっしゃー、燃えてきたぜぇー。覚悟しとけよぉ! 万屋人愛ぁ!!」
そんな訳で明日、二人は動く。
題して、『万屋人愛捕獲大作戦』の始まりである。
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