第2話 地下酒場の少年

セルゲイ・ニコラ―エヴァは地下の酒場で酔っ払いに絡まれていた。


「なーにが輜重課だ!

 難しい言葉使えばいいってモンじゃねぇ」

「おうよ、お前も男なら前線で戦いやがれ」


既にぐてんぐてんに酔っぱらったベテラン兵達。

蜥蜴の肌をした上等兵と犬の顔をした一等兵がセルゲイにアルコール飲料を押し付けて来るのだ。


最初にエールの一杯は着きあったモノの、その後はアイスティーに逃れようとしていたセルゲイ。

モチロン上等兵はそんな事を許さなかった。

モスグリーンの制服を着たリザードマン。

セルゲイの方は眼鏡をかけた普通の一般人。

背は比較的高いが人間ヒューマンタイプの標準的体格の中での話。

彼がセルゲイの肩に親し気に手を置けば、頭二つは大きいのが明らかになる。

その体格にピッタリはまる制服を用意するのも輜重課の仕事なのである。


わざわざ彼らが軍服で街の飲み屋に来てるのは訳が有る。

こちらが帝国兵となれば、だいたいの店は少しばかりサービスをする。

着飾った女性が寄ってくる場合だってある。


セルゲイの方は私服を着ている。

シンプルなシャツとスラックスにコートを羽織ってきた。

眼鏡をかけてブラウンヘアーで額を隠したセルゲイはどこかの研究所の助手のようだ。

帝国兵の一員だと見抜く人間がいたら余程の切れ者である。


勤務時間を終えたところで呑みに誘われたセルゲイ。

本来私用で基地を離れるなら、制服を着てはいけない。

軍務規定違反に当たる。

と、言ってもここは前線の街フィヨルド。

そんなモノを守ってる兵隊はセルゲイ以外には見当たらない。


「オマェも飲みやがれ」

「飲んでますってば」


「そんな気取ったグラスじゃねぇ。

 ジョッキからいきやがれ」


上等兵ドノがセルゲイの手には収まりきらないデカイ取っ手のついたジョッキを渡してくる。

中には泡立つ液体。

この辺で多く流通してるウォッカソーダだろう。

アルコール度数数の高いウォッカに氷と炭酸をぶち込んだだけのシロモノ。

恐ろしいのは炭酸水で割ってるのではなくて生のウォッカに炭酸ガスを放り込んでいるという所だ。

チラリと酒場に飾られてるウォッカの瓶をメガネの端から観察する。

値段は安いが度数は反比例して高い程度の悪い酒。

こんなものジョッキで吞み干した日には急性アルコール中毒で倒れる。

 

愛想笑いで胡麻化すにも限界が有る。

机の前に置いていたグラスに入ったカクテルを一気に飲み干す。

中身はレッドアイ。

ビールのトマトジュース割である。

あんなウォッカソーダに比べればはるかに人間に向いた飲み物。

声をでかくしてふらつくセルゲイ。


「事務職だって大変なんです!

 どこもかしこも補給物資は足りてないし、送ったはずの物資と現物の数は全然合わないし。

 輜重課バカにすんなら自分らでメシくらい調達しやがれー」

 

「おお!

 プッツンしやがった」

「おもしれぇ、あひゃひゃひゃ」


兵達が楽しそうに笑う。

ふん、過酷な前線の兵隊の娯楽になれたなら本望だ。

セルゲイは自分のグラスを置きながらそんな風に思う。

頬は赤くなっているが、メガネの奥に隠された瞳は冷静。


輜重課、しちょうかと読む。

要するに事務方である。

戦争は兵隊だけじゃ出来ない。

食事もいれば、武器弾薬の補給も必要。

もちろん給与計算する人間だって要る。

その位の理屈は小学生にだって解るハズ……

なのだが、現場の兵隊達には輜重課の重要性と言う物は大体理解されないのだ。


呑みに行けば絡まれるだろうな、と予想はついたが。

だからといって呑みの誘いを断れば……

アイツ気取ってやがるぜ。

チッ、今度兵舎の裏で焼き入れてやるか。

となるのはセルゲイにも分かり切ってる。



「お前ら、カラかいすぎだ。

 相手はお前らの上官ドノだぞ」


と、後ろで静かに聞いていたラスカリニコス軍曹が声を上げる。


軍曹の言う通り、セルゲイは実は兵長である。

兵隊達の上官に当たるのだ。

と、言っても彼らは前線の叩き上げ一等兵。

士官学校を出たおかげで兵長にになってる、若いセルゲイでは。

そんな名前だけの階級章で恐れ入るほど、現場の兵達は甘くない。


「軍曹、その……歓迎ですよ、歓迎」

「ははは、兵長殿は前線の流儀をよく知らねぇでしょう。

 教えて差し上げようかな、なんて」


「よく言うぜ」


ラスカリニコス軍曹は見た目で年齢が良く分からないが、歴戦の岩石人間ロックマン

背の高さではリザードマンに負けているが、胸板の厚さでは二回りも上回る。

ごっつい上等兵も彼にせまられるとタジタジになってる。



ラスカリニコス軍曹シブイ!

サイコーだぜ、アンタ!

などと胸の中で思いながらセルゲイはカウンターへと避難。

バーテンダーの若い男に声をかける。


「すまない、水を貰えるかな」


抑えた明かりの下で黒い制服に包まれた白い顔。

バーテンダーはセルゲイよりも大分小柄。

もしかして……まだ子供じゃないのか。

バーテンダーはセルゲイの方を困ったように見上げて返事をしない。


「あれ……もしかして言葉分からないかな。

 ええとお水だよ、ウォーター」


「……すいませんな。

 ティモシーは喋れません」


セルゲイが振り向くと白髪の老人がいた。

店のマスターだろうか。

ティモシーと言うのはこの年少のバーテンダーを指しているのだろう。


「ああ……それは失礼」


亜人も含めた人間ヒューマン共通言語を知らないのか。

それとも発声器官に問題があるのか。

そこまで突っ込んで訊く神経をセルゲイは持ち合わせていない。


軽く頭を下げると、その目線にティモシー少年が何かを差し出してきた。

紙だ。

真っ白な上質紙では無い、粗末な茶色がかった紙ではあるが。

文字は流麗で美しかった。



今日の水道水はオススメ出来ません。

替わりにコーフィはいかがですか?



そんな風に書かれていた。

少なくとも共通言語を知らない訳じゃ無い。

その事実は分かった。


「あれ、この街は高山から流れて来る水で水道水も美味しい、って聞いてたんだけどな」


セルゲイが口に出すと、老人が答えた。


「先日、戦が有ったばかりでしょう。

 高山から流れる川には大量に死体が浮かんだ。

 黒小人の血肉が混じった水が飲みたいなら止めませんよ」


即座にセルゲイはティモシー少年に言った。


「コーフィをくれないか。

 実はコーフィが大好きなんだ」

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