第2話
「ひっ!き、貴様どこから!」
「これでも正規の手続きは踏んで来たんだよ。玉座に君の偽物が居たから、わざわざここまで来てあげたんじゃないか」
歴代の王が使用する寝室は、かつては質素であった内装が煌びやかな装飾に変えられ、天蓋の付いたベッドの上では小太りの男がだらしない腹を揺らして怯えている。
これがかつて英雄と呼ばれた男の子孫だとは、誰も信じられないだろう。
「不敬だ!誰か、誰かこの男を捕らえろ!」
「……話にならないな」
男が腕を上げると、黒いモヤが滲み出た。そのモヤは、まるで水の中の泥のようにゆらぎ、その色を濃くしていく。
小太りの男はみっともない叫び声を上げながら、這いつくばってドアへ向かうが、ドアはびくとも動かない。
「開けろ!おい、衛兵!衛兵!!」
「君が落ち着くのを待ってもいいが、その声が耳障りだ」
モヤがツルのように伸びたかと思えば、そのツルは小太りの男の首に巻き付く。男の悲鳴は掻き消され、部屋には荒い呼吸音だけが残る。
「僕は勇者と約束をした。不可侵を誓い、しかしお互いの条約を守らない者は討伐する。そうして、共生を約束して、僕は彼と友人になったんだ」
「……はっ、はっ」
「ただここ数十年で、僕らの仲間が随分狩られた。人間によって。おかしな話じゃないか」
男は壁に飾られた、鹿型の魔物の剥製を見つめる。まだ新しいようで、毛並みも美しいままだ。
「そういうことなら、僕らは人間を狩る権利がある。そうだろう?特にこの国は、勇者の祖国だと言うのに。僕と勇者の約束を大いに踏みにじっている訳だ」
「露天で見かけた、魔王様を一方的に蹂躙している土産物は条約を意図的に侵害しているようにしか見えませんもの」
男の影から現れた少女は、背から黒い羽が生え、甲虫のような艶があるビキニアーマーを装着している。特徴で言えばサキュバスのような姿で、男の腕にしなだれかかった。
小太りの男は、遂に限界に達したのだろう。生暖かな液体が足の隙間から垂れ、口からは泡を吹き白眼を剥いている。男は面倒くさそうに一瞥し、小太りの男を寝台に投げ捨てた。
「まあ、これで宣戦布告にはなったかな」
「そうでしょうけど……ここで殺さなくていいんですか?」
「それは簡単だけど、そうすると国が混乱するだろう?条約を思い出して、改めてくれればひとまずそこで妥協しよう。僕らは寛大だから」
「でも魔王様……」
少女は続く言葉を飲み込んだ。魔王と呼ばれた男の表情は、200年前に見た表情と同じであった。先程までの穏やかさとは程遠いーーー今後巻き起こるだろう殺戮が楽しみでしょうがない、狂気の笑み。
「……そうなるとは思ってないじゃないですか」
「何か言ったかい?」
「別に、なんでもないですよ」
魔王に限って聞き逃すことなどありえない。であれば、発言の撤回を求められたのだ。少女はそれに従い、ぷいと顔を背けた。
魔王は何が面白かったのか、大きく声を立てて笑いながら、少女とともに闇を纏い部屋から姿を消した。
衛兵が異変に気付くのは、翌朝のことであった。
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