第5話
「いってぇな… ったく」
左之助はじんじんと痛む頭を何度も摩り、血が出ていないか確認するよう手のひらを眺めながら歩いていた。
「そんなに摩っても何も出てきませんよ」
右京がため息交じりに言うと、左之助は大きくため息をついた。
二人が向かった場所は岡場所。
秀明時代は、すべての遊郭が幕府公認であったが、光家時代になると同時に、その数は一気に減り、全国で5つだけ。
岡場所は非公認の遊郭として存在しているが、光家はすべてを廃止することはできなかった。
一つは働き口の問題。
秀明時代に、家や土地、財産や仕事を奪われ、貧困に嘆く家庭にとって、町よりも高値で品物を卸せる遊郭は、より早く生活基盤を整える事が可能。
元々遊郭で働いていた女性や、花魁になりたいと願った女性ににとっても、遊郭が必要だったが、幕府公認の遊郭では、雇用人数に制限があり、あぶれてしまった人を受け入れるのに岡場所が必要だった。
もう一つは財政問題。
秀明と比べ、光家は年貢の額を大幅に低くしてしまい、国自体が財政難の危機に陥ることを危惧した勘定奉行と、高価で質のいい着物が売れなくなることを危惧した太物奉行の意見で、光家は苦渋の決断を強いられていた。
そしてもう一つは隠密の問題。
公にしてはいけない隠密にとって、貴重な情報を得たり、隠れ蓑にするにはとっておきの場所だった。
それは悪巧みをする悪人も同じ。
悪だくみをする人間が、大門に町奉行が立っている、幕府公認で金額の高い遊郭で密談をするはずもなく、多くの悪人が一般市民を装って紛れ込み、集まるのは、遊郭に比べて安価な岡場所だった。
遊郭や岡場所の存在は認めるが、人身売買はご法度。
借金のかたに売られたり、金と少女を交換することはご法度だが、密かに売買をしているという話もある。
が、確たる証拠がないと町奉行も動けないため、隠密がその実態を探っていた。
二人は門番に挨拶をすると、塀で囲まれた区画の中に。
区画内の一番奥にある、竹垣で仕切られた『近江屋』と書かれた小さな女郎屋の前へ。
張り見世の中では、退屈そうに本を詠んでいる遊女や、つまらなそうに三味線を弾く遊女、お喋りに夢中になる遊女等、誰も客を引こうとはしない。
全くと言って良いほどヤル気の感じられず、遊女の平均年齢も高め。
ほとんど客は来ず、来るのは物好きばかり。
その為、他と比べてかなり安価なのだが、隣接する女郎屋から「うちの店に思われる」と苦情が来てしまい、竹垣で仕切るようになっていた。
だが、竹垣で仕切られたのは逆に好都合。
ここの主人は隠密の顔を持ち、建物自体が隠れ蓑になっているからだ。
二人は当たり前のように中に入ると、主人が笑顔で出迎える。
「おかえりなさいませ。 ささ、こちらへ」
主人は笑顔で二人を部屋に案内し、笑顔で切り出した。
「お食事はお済ですか?」
「いや、まだ。 なんか頼むわ」
「かしこまりました。 そういえば最近、西洋から黄色くて丸いお食事が来たとか…」
「西洋から?」
「はい。 黄色くて丸い食べ物だそうで、旗が刺さっているようですよ。 中から赤い米が出てきて、緑の葉野菜が添えてあるとかないとか」
「そうか… 一度食べてみたいものだな」
主人は笑顔で頷き、部屋を後にすると、左之助はふーっと息を吐く。
「西洋って事は東の御家人… 裏で糸を引いてるのは小野山か寺田、榊原あたりか」
「旗本かと思ってましたが、旗の下に赤い米で御家人か… 勉強になります。 さすが、町奉行の長、北村光之助のご子息ですね」
「うっせ」
「現在は町奉行だが、かつて将軍だった徳野川秀明時代には、隠密の長として暗躍。 秀明の行動を突き止め、籠城阻害作戦の第一人者。 紅花の染料を油紙で包んで口に含ませた後、水を口に含んで吐き出させ、吐血したように見せる案を提示した人物。その力は老中と同等、あるいはそれ以上。ってところでしょうか?」
「丁寧なご説明どーも。 血を吐いて倒れたふりをした勘定奉行のご子息さま」
左之助の声と同時に主人が中に入り、酒を運んでくる。
3人は日常会話を楽しむように、暗号のような会話を続け、酒を酌み交わしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます