第2話

~数年後~



「かず、大根炊けたから呉服屋さんに持って行って」


「は~い」


かずは返事をすると、風呂敷に習字道具を包み、もう一つの風呂敷に重箱を包み、二つの荷物を抱きかかえる。


「いってきます」


そう言った後、足で引き戸を開ける。


「こら!」


母親の声に慌てて家を飛び出し、少し歩いたところから、歩く速度をゆるめた。


『いい天気…』


太陽をたっぷり浴びた、草のにおいを胸いっぱいに吸い込み、田んぼにいる祖父と父に声をかける。


「行ってきます!」


「おう! 気をつけてな」


「は~い!」


返事をした後に歩き始め、呉服屋へと足を速めた。


呉服屋に近づくと、隣にある小間物屋のおばあさんが店先から声をかける。


「あら、かずちゃんじゃない。 大きくなったわねぇ。 いくつになったの?」


「9つだよ。 暮れには10だけどね」


会うたびに交わされる、お決まりの会話をした後、かずは真っすぐに呉服屋へ。


母親から渡された重箱を呉服屋の奥さんに渡した後、書道教室が行われる部屋に向かっていた。


部屋の中には、隣の村から集まってきた子供たちが10人ほど、書道の道具を準備している。


「なぁなぁ、お前かずって言うの?」


かずが書道の準備をしていると、隣町から来た知らない男の子数人に話しかけられ、自然と手を止めていた。


「そうだけど…」


「かずだって! おかずじゃん!」


男の子たちはゲラゲラと笑い、からかうように『おかず』と連呼する。


しつこすぎるくらいに連呼され、居た堪れなくなったかずは、目にいっぱいの涙を溜め、机の下で手を握り締めた。


「おかずの何が面白いんだ?」


声に振り替えると、そこには呉服屋の主人が立っている。


「だっておかずだぜ? おかずー」


「後でお母さんに伝えとくよ。 お前らはおかずが嫌いだから、今日から米だけで良いってな。 米が足りなくなったら、お前らは飯抜きだな… でも嫌いなものを食べるよりはいいよな」


「え… 嫌いとは言ってないし…」


「好きなのか? だったらそんな風に言っちゃダメだろ? 確かに米だけでもうまいけど、おかずがあるから米が更にうまくなる。 違うか?」


男の子たちは反論する言葉がないのか、黙り込んだ後に自分の席へ。


呉服屋の主人はかずの肩をポンポンと叩いた後、書道の授業を開始していた。



数時間後、かずと呉服屋の主人は二人でかずの家へ。


かずは隣の祖父母宅で食事の準備を手伝い、かずの家では父親と呉服屋主人が話をしていた。


話の内容は、先ほどかずが男の子たちにからかわれたこと。


主人は「無理に来させることはない」と告げた後、年貢当番や地域の話をしていた。


「そういえば、風呂のほうはどうだ?」


「ええ、宮大工の三郎太と、鍛冶屋の五右衛門のおかげで順調に進んでいます」


「そうか。 完成が楽しみだな。 しかし、雨水を貯めて風呂にするって言ったときは驚いたぞ。鉄の筒に燃えた薪を入れて、筒を水に沈めれば風呂が沸くなんて、誰も考えないだろ」


「先日、旦那と湯屋に行ったときに閃いたんですよ。 この鉄砲風呂なら作れるんじゃないかって。 試しにうちで作ってみたらうまくいったんで、これを大きくすればみんなが入れると思ったんです。 五右衛門は泣いてましたけどね。 この村は住民がみんな家族みたいなもんですし、みんなの喜ぶ顔を見たいじゃないですか。 物作りも好きだし、一石何十鳥にもなりますよ」


「好きこそものの上手なれだな」


二人は笑顔で談笑し続けていた。



その日の夕食時、父親はかずに呉服屋主人から聞いた事を話したが、かずは顔を横に振り、笑顔で答える。


「大丈夫だよ。 習字もそろばんも楽しいもん」


すると、母親がかずの顔を覗き込みながら切り出した。


「かず、無理しなくてもいいのよ?」


「してないよ。 大丈夫」


「そっか… じゃあ、ちょっとだけ辛いときは笑って過ごしなさい。 我慢できるところまで笑って過ごして、それでも、どうしてもこれ以上は無理だって思ったら逃げちゃえ」


「え? 逃げていいの?」


「もちろん。 逃げるが勝ちって言うでしょ? 何事も、限界を超えるまで我慢することない。 もうすぐ限界って思ったら、すぐに逃げなさい」


「わかった…」


笑顔で告げてくる母親に、不安な気持ちを隠し切れないまま、かずは食事をとり続けていた。

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