第十三章 killing me
バンドを組んでから十年ほど経ったある日、その悪魔は突然俺の元へ現れた。
「おう陽介、元気にしてたか」
「……久しぶりですね、建山さん」
都内のとある居酒屋でのこと。あまり建山さんは評判の良い人ではなかったので、なるべく彼と関わることは避けてきた。しかし敵に回すとこれまた面倒だ。たまには建山さんからの飲みに誘いくらいにはついていかないと、程々の距離感を保てない。そういうこともあって、今日は建山さんと飲み交わすことになった。
「最近忙しかったからな。色々なバンドのプロディースとか、自分のバンドの最後のツアーとか、てんこ盛りだったぜ」
「お疲れ様です。じゃあ今日は、ささやかながら打ち上げってことで」
「おうよ、久しぶりだから陽介と話したいこともたくさんあるしな」
乾杯をして、建山さんはビールを流し込むように飲み干した。
彼は先日まで自分の組んでいたバンド――Sleepwalk Androidの最後の全国ツアーを行っていた。最後というのはもちろん、そのツアーが終わればバンドは解散というものだ。
バンドとしての自分たちに限界を見たのか、それとも人間関係でいろいろあったのか、解散の原因について俺はよく知らない。一説では、建山さんが色々な後輩のバンドやアイドルグループをプロデュースすることばかりに熱意を注いでしまっていたことが原因ではないかと言われている。彼の手にかかれば、とりあえずそこそこの知名度を獲得できるまで下駄を履かせてくれると、界隈では手腕を評価されているのだ。その分、黒い噂も無いわけではない。
俺は建山さんのペースに飲まれないよう、あまり酒を入れず警戒しながら話を聞いていた。
「まあそういうわけで俺、所属しているバンドが全部なくなっちゃったんだよねー。プロデュース業はなかなか面白いけど、やっぱドラム叩かないと身体鈍っちゃうしさ」
「バンド、やらないんですか?」
「今から組みはじめるのはさすがにダルいって。それよか、くすぶっているバンドにサポートで入ったほうが面白そうだと思わん?」
「それは……、そうかもですけど」
俺ははっきりと回答することを避けた。これまでにも建山さんはサポートのドラマーとしていくつかのバンドに関与したが、なんやかんやあって長続きはしていない。ただ、彼の腕前は相当なものなので、バンドにテコ入れしたいと考えて建山さんを呼びつける人たちが一定以上いるのも事実。
「そういや陽介のバンド、そろそろ結成十年くらいじゃないか?」
「そうですね。再来月で十年になります」
「十年経って確かに成長したかもだけど、やっぱり正直なところ、思っているんじゃねえの? 伸び悩んでいるって」
悪魔は心のスキを突くのが非常に上手い。
バンドを組んで十年。東京に出てきてまもなく六年。メンバーの年齢はみんな二十六歳を迎えようとしている。
こなしてきたライブの数には自信がある。そんじょそこらの連中に比べたら、真摯に音楽へ向き合ってきた自負もある。ただ、相応しい結果が伴っているかと言われれば、答えはノーだ。
ライブやグッズ、CDの売上、配信や動画サイトの収益など、今どきのバンドらしく俺たちには様々な収入源がある。しかしメンバー四人がその収益だけで生活していけるほどの稼ぎはない。俺はライブハウスで音響のバイトをしているし、融なんかは昼間にフルタイムでバイトをしている。
伸び悩んでいると言われれば、確かにそうだ。
「そんな伸び悩んでいる陽介に提案がある」
「……提案、ですか?」
嫌な予感がした。建山さんの提案となれば、それは僕らのバンドに対するテコ入れに違いないから。
「実はとあるレコード会社とコネがあってな、イキの良いバンドいないかって聞かれてさ」
「それって、どこかのインディーズレーベルですか?」
「違う違う、れっきとしたメジャーレーベルだよ。全国区で話題をかっさらえそうなバンドが欲しいんだと」
「つまり、実質的にメジャーデビューの誘いってこと……?」
建山さんは先に注文していた二杯目のビールに口をつける。ぷはーと息を吐いた後、今日の本当の目的を口にしはじめた。
「そういうこと。要するに、俺のコネでメジャーデビューしないかってことさ」
「そ、そんなにあっさりデビューなんて……、信じられないです」
「なにも真面目にコツコツやることだけが音楽人じゃないぜ? 時にはずる賢くやらないと、こういうコネも手に入らないってわけさ」
俺は建山さんの言葉に、少し自分を否定された気持ちになった。それと同時に、それくらいのことは当たり前だよなとも思った。バカ正直に、ただ真面目にやっているだけでは、チャンスはつかめない。
「それで俺はさ、レコード会社の人にお前らの曲を聴かせたわけ。こう見えて俺、『ストレンジ・カメレオン』の楽曲気に入っているんだぜ」
「俺らの曲を?」
「そう。なかなか高評価だったぜ? 曲をちゃんと作り込んでいて、トレンドも研究していて、なおかつフロントマンのルックスも良いって」
「それは……、ありがとうございます。純粋に嬉しいです」
業界の第一線に携わる人から褒められたのであれば、いち音楽人として嬉しくないわけがない。
しかし、心のなかで舞い上がる俺に釘を刺すように、建山さんは話を続ける。
「ただし、やっぱりドラムがイマイチだって言っていたよ。軽快でまあまあテクニックもあってスピード感もあるけど、俺みたいなパワーが全然なくて物足りないって」
「融のドラムが物足りない……ですか?」
「そうそう。いい線いっているけど、このままだとウチじゃ厳しいってさ。そんでもって、俺から一つ提案がある」
建山さんのその先の言葉には大体予測がつく。ただ、到底受け入れたくはない言葉であるのは間違いなかった。
「俺をサポートドラマーにして、メジャーデビューしないか? そしたらドラムのパワー不足っていう欠点もうまく解消されて、お前らは晴れてメジャーデビュー、俺もバンドができる」
「それはつまり、今うちでドラムを叩いている融をクビにするってことですよね……?」
「まあ、そういうことにはなるかな。でも大丈夫大丈夫、融のやつ、俺の知り合いのところでアルバイトしているだろ? 働きっぷりが良いから正社員にしてもいいって言われてるし。心配いらないよ」
「いや、そういうことではなくて……。仲間を切り捨てなきゃいけないってことにはやっぱり躊躇いがあるというか……」
真っ向から建山さんの提案を否定すればいいものを、俺は遠回しに切り出してしまった。彼の言う「真面目にコツコツやるだけが音楽人ではない」という言葉を、まだ受け入れることができなかったのだ。
「あのさあ陽介、俺らみたいなバンドっていうのは、レコード会社にとっていわば『商品』ってわけ。素材を加工して商品に仕上げるのは、別に音楽業界以外でも当たり前のことだろ? 料理屋だって、工場だって、同じようなことをしてる。素材であるお前らが加工されることを拒否したら、どうなるかわかってるのか?」
建山さんの言いたいことはわかる。権力に対して従順になれということだ。加工されることを拒否する素材など、誰からも必要とされない。ここで拒否すれば、もうメジャーデビューへの道は閉ざされてしまう可能性だってある。
それでも俺は、たった一人の理解者である融を切り捨ててまで、高みへ足を踏み入れる気は起きなかった。
「すいません、それでもやっぱり、俺は融を見捨てることはできないです」
「ふーん、メンバーが大切ってことか。まあでも、融がドラムを叩けなくなったら、その時は仕方がないよな?」
建山さんは恐ろしいことを口にする。融がドラムを叩けなくなってバンドから離れることなど、俺には想像もできなかったから。
「ど、どういうことですか建山さん。融がドラムを叩けなくなるって」
「いやいや、仮の話だよ。融だって人間だから、怪我とか病気とか、叩くのが嫌になったりとかするかもだし? もしそうなったら俺の出番だなって」
「……縁起でもないこと言わないでくださいよ。融は……、大切な親友なんですから」
「悪い悪い、俺としたことが営業モード全開になりすぎたわ。この話はここで終わりにしような、今回は縁がなかったってことで」
その後少しだけ飲んで今日のところは解散となった。建山さんがああ言った後は、俺らのバンドのことに言及してくることはなかった。
その数日後、バンドの練習が始まる前、俺はスタジオの待合室で時間を潰していた。
いつもは俺が一番最初に来て、次に融、そして小笠原と井出が時間ギリギリで来る。
電車が遅延しているらしく、小笠原と井出からは遅れるという連絡を受けたところだった。
仕方がないので練習時間をスライドできないかと受付にお願いしていると、原付バイクのヘルメットを抱えた融がやってきた。融はいつも原付で来るので、電車の遅延にあまり縁がない。
「ごめんごめん、ちょっと遅れちゃった。あれ? みんなまだ来てないの?」
「ああ、電車が事故で遅延してるらしい。……って、融、その顔どうしたんだ?」
融の顔にはやや大きめの擦り傷ができていた。血は止まっているようだけれども、かなり痛々しいように見えた。
「あーこれね、バイトでちょっとやっちゃってさ。でも大したことないよ、薬塗っとけば治るって」
「バイトで? それってあの、機械のメンテナンスとかをやってるバイトか?」
「そうそう。たまにフォークリフトとかの重機を使うんだけどさ、運転していた社長が僕に気づいてなかったみたいで、とっさに避けたら転んじゃって」
融は愛想笑いをする。普段の俺ならば、「鈍臭いな、運動不足なんじゃないか?」と返すところだけれども、今回は事情が違う。
その融のバイト先は、建山さんの知り合いがやっているという機械メンテナンスを生業とする小さな会社だ。時給が良くて時間の融通がきく。さらに融は手先が器用だから仕事の飲み込みも早かった。それゆえいいバイト先だなと事あるごとに融は言う。
しかし俺はここで、先日の建山さんの言葉を思い出す。
『――まあでも、融がドラムを叩けなくなったら、その時は仕方がないよな?』
思い返して俺はゾッとした。おそらくこの融の擦り傷は偶然ではない。建山さんがその気になれば、融を傷つけることなど簡単なのだと、俺に向けて言っているのだと思った。
建山さんは手段を選ばない人で有名ではあるけれど、まさか本当に実力行使をしてくるとは思っていなかった俺は、一気に背筋が凍った。
「陽介? どうした? 顔色悪いんじゃないか?」
「い、いや……、なんでもない……」
遠回しに、俺は建山さんから重大な決断を迫られていた。いや、これはもう脅迫と言ってもいい。
融を見捨ててメジャーデビューをするか、このまま融を危険な目にさらし続けるか。
こんなひどい話を融に相談したらどうなるだろうか。多分、心穏やかじゃなくなるだろう。
どちらを選んでも融にとっては地獄。ここで事実を打ち明けるのは、俺がすべき判断を融へ丸投げするだけという、ただの責任の転嫁になりかねない。それは俺にとって、そして融にとっていいことなのか、もうわからなくなっていた。
いっそのこと逃げてしまいたい。もう音楽などやめて何もかも投げ出して、このしがらみから解放されたほうがいい。
地獄の選択を迫られて追い込まれつつあった俺は、思考がどんどん逃げる方へと向いてしまっていた。
「本当に大丈夫か? あまり具合が悪いなら今日は休んで病院に行ったほうが……」
あまりにも動揺して脂汗をかいてしまっていたせいか、融に心配されてしまっていた。
「……音楽に、殺されそうだ」
とっさに出た言葉がそれだった。
「ど、どうしたんだよ急に。陽介、なんかあったのか?」
「……なんでもない。なんでもないんだ、融」
「なんでもなくないだろ、『音楽に殺されそう』なんて言葉、お前から出てくるなんてよっぽどだよ」
融はいつもすぐに俺のことを助けてくれる。ここまで上手くやってこられたのは、融のおかげでもある。
でも俺は融に何か返すことができたか? いや、全然できていない。むしろ、今は彼にとって地獄の選択を押し付けるという、恩を仇で返すような真似までしている。
ここで融を傷つけるくらいなら、音楽なんてやめてしまったほうがいい。そういう気持ちが溢れそうになって「音楽に殺されそうだ」という言葉に変わってしまった。でもその真意を融に伝えるのは、あまりにも残酷すぎる。
一人で抱え込むなと言われまくったけれども、今回ばかりは許してくれ、融。
「……言いたくないことがあるんなら言わなくていい。でも、僕はまだ、陽介には音楽を辞めるって選択肢を取ってほしくないと思っているよ。音楽に殺されそうなくらい辛くても、陽介には立ち向かえるだけの力があるって、僕は信じてる」
「融……」
本当に、融というやつはどこまでもしつこい。そのしつこさゆえに助けられたことはたくさんある。でも俺は今の融のその言葉で、完全に退路を断つしかなくなった。
地獄の決断を前に、俺はどう進むべきか心に決めた。たった一人の親友である融を守るため、その親友を一旦裏切ることにしたのだ。具体的に言えば、彼をクビにしてメジャーデビューへ駒を進めるということ。そうすれば、少なくとも融に危害が加わることだけは回避できる。
「……ありがとう。大丈夫、落ち着いた。取り乱して申し訳ない」
「そ、そうか……、あんまり無理するなよ。お前はうちのバンドの大黒柱なんだから、どーんと構えとけばいいんだよ。気が向いたらいつでも相談のるからさ」
「ああ、恩に着る」
融はひとまず安堵したようだった。この恩人を一度裏切らなければならないと思うと心が痛いが、それは俺が招いてしまったこと。自分のやったことは自分で処理する。
あとできちんと理由を融に話そう。どれだけ嫌われてもいい、どれだけ恨まれてもいい。たった一人の親友を失うことだけが、このときの俺にとって一番怖いことだったのだから。
※サブタイトルはL'Arc~en~Ciel『killing me』
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