第十二章 その未来は今

 この間のライブで浮き彫りになった僕らの課題は、なんやかんやあっていくつか解消されてきた。

 理沙の演奏スタイルに対する悩みというのは陽介とバッティング勝負をしたことで何か掴めたらしい。

 一方の時雨はステージ上でのMCが苦手であたふたしていたが、それは喋りの得意な理沙に任せるという方向でうまくいきそうだ。

 残る課題は野口や実松さんが指摘してくれた二つのこと。「ライブの最初にお客さんの心を掴み取れるような曲」と「バンドサウンドの厚み不足」の二点だ。

 曲に関しては時雨や理沙と相談しながら作っていくしかない。色々なバンドのライブを参考にして、こうやったら盛り上がるというポイントを取り入れていけば、時雨のセンスでなかなかのものができあがると思う。

 しかし、もう一つの課題であるバンドサウンドの厚み不足についてはすぐにどうこうできる問題ではない。普通に考えれば建山さんたちと同じようにギターやキーボード担当のメンバーを増やすのが解決に向けた一番シンプルな方法だ。そのシンプルな方法をこの土壇場で実行できるかといえば、僕は首を横に振らざるをえない。

 このバンドは絶妙なバランスで成り立っている。今から新メンバーを入れて、それが必ずしもプラスに働くかと言われればそうではないからだ。演奏が上手いことは確かに重要な要素だけれども、呼吸が合わなければそれこそこの間の理沙のように「演奏する機械」に成り下がってしまいかねない。

 そういう理由もあって、メンバーを追加するという決断には至っていない状況だ。三人でもバンドサウンド自体は成立するから、なんとか予選ライブまでに今の状態を磨き上げることに尽力した方がいいと僕は考えていた。


 高校生イベントライブの翌週。放課後になって、いつもの屋上に僕ら三人は集まっていた。

 梅雨の合間の晴れの日ということもあって気温も湿度も高く、理沙が持ってきた扇風機はフル稼働だ。そんな中でも、時雨はギターをシャカシャカと鳴らしながらきれいなメロディを歌っている。

「どう? こういう曲なんだけど……」

 時雨は作ってきた新曲をワンフレーズほど歌い上げると、僕と理沙へ問いかける。曲作りのテクニックを理解してきたのか、以前よりも時雨の制作のスピードは格段に上がった。いくつか新曲の候補を作ってきたようで、今日はみんなで品定めをしようという感じである。

 ちなみに今日時雨が持ってきたのは三曲。いずれもメロディだけでまだ歌詞はない。当たり前といえば当たり前だけれども、どれも一周目で奈良原時雨のファーストアルバムに収録されていた曲によく似ている。クオリティでいえば文句なしといったところだ。

「うーん。めちゃくちゃ良い曲だけど、ライブの最初と言われるとなんか違うんだよな」

 考える人の銅像のようなポーズで、理沙は感想をのべる。確かに彼女の言う通り、いい曲であることは間違いない。しかし、ライブの一番最初に持ってくるような勢いのある曲ではないのは確かだ。

「理沙の言う通り、『ライブの一曲目』として見たら確かに違うかも。でも、これはこれでめちゃくちゃいい曲だよね」

 時雨が落ち込まないように僕もきちんとフォローを入れるが、当の本人もその自覚はあるらしい。

「だよね、自分で書いていて思ったんだ。考えすぎてライブの一曲目ってどんな曲を演ったらいいのか、ちょっとこんがらがってきちゃった」

「こんがらがりながらそのクオリティの曲を三つも作ってくるのはさすがなんだけどな」

「確かに。すっかり曲作りのコツも掴んだみたいだし、そのうちいい曲ができあがると思うよ」

 とはいえ、そんな気の長いことは言っていられないのも事実。曲ができたとしても、アレンジを固めたり、練習をしたりしなければならず、時間はいくらあっても足りないのだ。

 一周目での奈良原時雨がライブの一曲目に何を演奏していたか、僕はふと思い出してみた。しかし、その都度違っていたような記憶がある。もしかすると一周目でも彼女は一曲目にふさわしい、しっくりくる曲がずっと作れなかったのかもしれない。

 そうなるとこの課題を解決することの雲行きも怪しくなってくる。

 時雨たっての希望で未完成フェスティバルに出場するのだから、ここで変に手を抜きたくないのは三人とも同じ。しっかりしたライブをやりたい気持ちは強まっていくが、このまま闇雲に時間を浪費せざるを得ない状況に、僕らはどんどん焦り始めていた。

 ふと、屋上の重たい防火扉が開いた。僕ら以外でこの屋上にやってくる人となれば、候補はだいたい絞られる。

「よかった、今日もみんなここにいた」

 防火扉を開けたのはやはり石本美緒だった。僕らの顔を見て安心したのか、ほっと彼女は一つ息をついた。

「美緒ちゃん、どうしたの? 部活の途中じゃないの?」

「うん、そうなんだけど、ちょっとそれどころじゃいられなくなって。これを見てほしいんだ」

 そう言うと石本さんは僕らの元へとよってきて、おもむろに自分のスマホを開く。

 そこに映っていたのは、動画投稿サイトへアップされたとある楽曲だった。静止画に音楽がついただけのシンプルなもので、音楽のほうはちゃんと機材を用意して録音した本格的なものだ。

 僕にはその楽曲に覚えがあった。まさかと思い投稿者の名前を確認する。そこには『Rock Books』という記載がある。

 やはりそうだ、この楽曲は陽介が投稿したものだ。彼は中学の時から自分で曲を作り、楽器を演奏して、さらに自分で歌をつけては動画サイトにアップロードをしていた。『Rock Books』とは陽介の投稿者ネーム。苗字の岩本をそのまま英単語にしただけの安直なもので、あまりネーミングにこだわりのないところが彼らしいと言えば彼らしい。

 しかし、なぜ石本さんはそんなに騒いでいるのだろうか。陽介が楽曲を動画投稿サイトにアップしているのは割と有名な話だ。なんならそのクオリティの高さからチャンネル登録者数もそこそこついている。一周目のときは高校を卒業したあたりであまり更新しなくなってしまっていたが、きちんと続けていればそれなりの収益が出ていたのではないかと思えるくらいだった。

「これ、陽介のチャンネルじゃないか。石本さん、これがどうかしたの?」

「ええっとね、コメント欄を見てもらえればわかると思うんだけど、実は……」

 石本さんは言葉を濁しながらその動画のコメント欄を開く。すると表示されたのは彼の楽曲を称賛するコメント――ではなく、その逆。無数の批判コメントだった。

 その内容は、陽介の楽曲が有名アーティストの曲に酷似している、盗作だという旨のコメントが多数を占めている。それもこの一曲のみならず、彼の他の楽曲にも似たようなコメントが多数ついていた。

 簡潔に言うと、陽介のチャンネルは炎上してしまっていたのだ。

「校内でもどんどん噂が広がっていてね、みんななら何か知っているかなと思って。……私個人の感想なんだけど、岩本くんの曲が盗作だとは全然思えないんだよね。だから炎上したのには何か理由があるんじゃないかって」

「確かに似ているポイントはあるかもだけど、これだけで盗作呼ばわりさせるのはちょっとね……。でも、僕も陽介のことについては全然知らないんだ。二人は何か知っている?」

 僕は時雨と理沙へ質問を振る。しかし、二人とも陽介の特段変わった様子については何も知らないようだった。

「まあ、言われてみれば岩本のやつ、最近少し元気がない感じはあったけどな。でも私に辛辣な態度を取ってくるあたり、いつも通りなんだろうなと思っていたよ」

「私もいつも通りかなと思った」

「そうか……、なんか変なこと言ってたりしなかった?」

 すると、時雨は何かを思い出した。

「あっそうだ、関係あるかわからないけど、『建山さんには気をつけろ』って会うたびに言われたよ。何度も何度も勧誘されていることも言ってた」

「建山さんに……?」

 僕は時雨にそう言われた瞬間、頭の中で何かが繫がった。

 この手の炎上劇を人為的に引き起こす手口に心当たりがあったのだ。

「建山さんなら……、ありえるかもしれない」

 僕は息を飲んだ。今頭の中で考えている仮説が正しいとなれば、かなり厄介なことであるからだ。

「おい融、それってどういうことだよ?」

 すかさず理沙が訊いてくる。

「もしかしたら今回の炎上は、陽介が建山さんから勧誘を受けていたことに関係するのかなって思ったんだ」

「つまりそれは、建山が岩本にフラれた腹いせにやったってことか?」

「……まあ、平たく言うとそういうことだよ。証拠がないから確定はできないけど、可能性は大いにあると思う」

 一周目でのこと。建山さんはメンバーを他のバンドから引き抜こうとして失敗に終わったことがあった。そこで事が済めばよかったのだけれども、建山さんは腹いせにそのバンドのSNSや動画チャンネルを炎上させたのだ。そしてその炎上の末、そのバンドは解散へと追い込まれることになった。

 建山さん自身に炎上を人為的に起こすノウハウがあるのか、それともそういうことに特化した人たちとのコネクションがあるかは分からない。しかし、今回の手口はその建山さんの方法によく似ている。執拗に陽介が勧誘されていたことも考えると、建山さんの犯行である可能性は高い。

「おい、そんなの身勝手なやり方なんてないぞ。自分の思い通りにならないからって八つ当たりとか、最低じゃないか」

「でも建山さんはそれを平気でやるんだよ。目的のために手段は選ばない人なんだ」

 一周目では建山さんと僕とはある程度距離があった。同じドラマーだし、僕のほうが後輩で技術的にも下だったので、彼の邪魔になる存在ではなかったのだろう。さらに言えば陽介も一周目では順調なバンド人生を送っていたので、建山さんは陽介を自分のバンドに引き抜くための大義名分を作れなかったのだと思う。だから建山さんのことは評判の悪い先輩と認識していたものの、何かが起こっても対岸の火事ということであまり気に留めていなかった。

 でも今回は違う。確実に建山さんは陽介を潰しにきている。それも、二度と音楽に触れられなくさせるような、心に傷をつけるようなやり方で。

「……ちなみに陽介は今日、学校にいる?」

 陽介のことだから案外へこたれずにやっているかもしれない。淡い期待を抱いて僕は石本さんにそう訊いてみた。でもやはり、予想通りの回答が返ってくる。

「ううん、本格的に炎上し始めた昨日から学校には来ていないって」

「……そう、か」

 建山さんが陽介に与えた心の傷というのは相当大きいようだ。一周目のとき、風邪で休んだことすらなかった皆勤賞の陽介が学校に来たがらないというのは、重症以外の何物でもない。

「……さすがに岩本のこと、ちょっと心配になってきたな」

「うん……。なんだかんだアドバイスをくれて助けてくれたから、こんなになっているのを見るのはちょっとかわいそうだよ……」

 二人は陽介をなんとか救ってやりたいという、そういう気持ちをあらわにする。

 確かに今の陽介の状況はかなり厳しい。おまけに、彼はここまで何も悪いことなんてしていない。むしろ僕が陽介とバンドを組まなかったことで、彼が苦しい思いをしてしまっている。

 二周目の人生、僕は楽しい青春を謳歌しようと思っていたはずなのだ。それがこんな結果を招いてしまった。自分が楽しむことの代償として陽介を陥れるようなことは、果たして僕自身が望んでいたことだったのだろうか。

 いや、でも事実として陽介は一周目で僕をクビにした。それも、メジャーデビューがかかった大事な場面で切り捨てるかのような形でだ。そんな酷いことをするようなやつならば、このくらいの報いは受けてしかるべきなのではないか。

 僕の頭の中では、陽介を救うべきか見捨てるべきか、天使と悪魔がそれぞれささやきあっていた。

「ねえ融、岩本くんのこと、どうにか助けてあげられないかな?」

 時雨が僕に懇願するようにそう言う。少し身長差もあるので、やや上目遣いな感じだ。

 本来なら推しにこんな形でお願いされたら二つ返事でオッケーをするところだけれども、事情が事情である。

 陽介を救うべきだと背中を押してくれる何か――彼に僕が手を差し伸べる理由が欲しかった。

 当たり前だ、僕が陽介の誘いを断って、時雨や理沙とバンドを組んだことがこの結果を呼んだのだ。頑固者な陽介のことだ、何の理由もなく僕たちが助けてあげようとしたところで突き返されるに違いない。

「……ちょっとごめん、しばらく一人にさせてくれないか」

「う、うん……」

 すぐに判断を下すことから一旦僕は逃げてしまった。というよりは、一人で考える時間がほしいというただそれだけだった。

 それほどまでに今回のことは、この二周目の人生を左右するものになるかもしれないのだ。少しくらい判断に時間を使ったっていい。

 僕は屋上を離れて、一人になれそうな場所へと向かった。


 屋上から地上へ下りるための非常階段、その踊り場で僕はボーッと陽介のことを考えている。

 あの陽介がありもしない盗作疑惑で炎上しているという信じられない事態に、心ここにあらずという感じだ。

 一周目で陽介が作った曲たちが脳内に流れる。時雨とは毛色が違うけれども、どれもかっこいい曲ばかりだ。

 勉強家だった彼は、音楽理論で自身を武装しながらいつも流行りを追いかけて研究していた。僕の人生の中で陽介が一番まともに音楽と向き合ってきた人間だと言っても過言ではない。

 そんな彼がこんな形で音楽を嫌いになってしまうかもしれない。おまけにそれは僕自身が下した決断の延長線上にある。でもそんな僕が今更彼に手を差し伸べたらどうだろうか。きっとバカにするなと一蹴されてしまうだろう。

 陽介を助けたい気持ちはある。仮にも十年付き添った友だ、見捨てるという選択肢は取りたくない。しかし、助けてしまうと一周目と同じように何かの拍子に彼から切り捨てられてしまう可能性だってある。それに、そもそも陽介が僕の助けの手を受け入れてくれるかどうかもわからない。

 すべての選択肢が不正解のような気がして、僕はもどかしさを感じている。

「どうすりゃいいんだよ……、本当に……」

 僕は思わず独り言をこぼす。今は自分たちのバンドも大切な時期を迎えている。こんな所で悩んでいて時間を無駄にしたくはない。しかし、今の僕では結論を出せない。

 大きなため息をついたとき、ふと左の頬にひんやりと湿ったものが当たった。

「……時雨?」

「融、ここにいたんだ。ちょっとクールダウンしようよ」

 振り向くとそこには、冷たい飲み物のペットボトルを二つ持った時雨がいた。一本はミルクティーでもう一本はサイダー。水滴がついたサイダーのペットボトルを差し出す時雨の姿は、まるでテレビCMのようだった。

 さっきのひんやりとした感覚は、そのサイダーのペットボトルを時雨が僕の頬に当てたからだろう。

「はい、水分補給。サイダーでよかった?」

「うん、ありがとう。後でお金返すね」

 時雨は「それは別にいいよ」と言いかけて思いとどまったようだった。以前にも似たようなやり取りをした覚えがある。

 バンド合宿に行った時の、やけに月が明るい夜のことがふと頭をよぎった。

 僕はペットボトルを受け取り、キャップをひねって封を開けると、その中身を一気に三分の一程度飲み干した。

 気が付かないうちに、だいぶ喉が乾いていたらしい。

 ぷはーという息を吐くと、時雨は本題を切り出し始めた。

「融にね、ずっと訊きたかったことがあるんだ」

「何?」

「融と岩本くん、私が知らない昔に、なにかあったのかなって」

 その時雨の質問に僕はドキッとしてしまう。ほぼ核心をついているだけあって、回答の言葉を僕は慎重に選ばざるを得ない。

「べ、別に、『昔』には何もなかったよ」

「じゃあ、どうして岩本くんのことでそんなに悩んでいるの?」

「あいつは最初、僕をバンドに誘った。でも僕はそれを断った。その結果がこれなのだとしたら、僕にあいつを助ける資格なんてないよなって」

 僕は胸の内を少しだけ時雨へ明かす。すると彼女は思いもよらない言葉を返してきた。

「これは例え話なんだけど、もしもこのまま私たちのバンドが大成功したとして、その一方で岩本くんが音楽を辞めてしまったら、融は幸せ?」

 とても透き通った彼女の声が、まるでナイフのように僕の心に突き刺さる。

 高校一年生に戻ってきた最初のあの日だったら、僕はノータイムで「幸せ」だと答えるだろう。でも今の自分は違う。

 即答出来ないどころか、一生後悔しそうなそんな気さえするのだ。そこに時雨の言う「幸せ」なんてものはない。

「幸せ……、ではないと思う」

「だよね。よかった、融も私とおんなじことを考えてた」

「でも、あいつはそんな僕の手を取ってくれると思う?」

「『取ってくれると思う?』なんて融っぽくないよ。私の知っている融だったら、手を取らせるまで諦めないもん」

 確かにそうだ。時雨や理沙を救ったときも、僕は特別すごいことをしたわけではない。しつこいくらいに手を差し伸べ続けたというそれだけのことだ。

 一周目で陽介が上京して苦しんでいたときも同じだ。諦めずにあいつを追いかけただけ。

 何か僕には特別な力があるわけではない。ただの凡人だ。僕にあるのは、なりふり構わず諦めないという粘り強さだけじゃないか。それを見失ってどうする。

「融には他人を幸せに出来る力があるんだよ。私や理沙をそうしてくれたんだもん」

「僕は……、人を幸せにできる……?」

「うん。だから、岩本くんのことだって絶対に救ってあげられる。そうしたら、融はもっと幸せになる」

 ほんのりと時雨は笑みを浮かべる。推しにそこまで言われてしまうと、僕も動かないわけにはいかない。

 思い出せ。この二周目の人生における僕の目的を。

 クソみたいな一周目の人生を繰り返さぬよう、青春を謳歌する。

 そのために必要とあらば、どれだけ拒まれようが救ってやる。陽介だろうが、たとえそれが悪魔だろうが関係ない。

 仮に陽介が僕を切り捨てる未来がもう一度待っていたとしても、それすら捻じ曲げてやるんだ。

「……ありがとう時雨。僕、やってみることにするよ」

「うん。融なら大丈夫」

 梅雨の湿った空気を吹き飛ばすような爽やかな風が、りん、と小さな音をたてて僕と時雨の間を吹き抜けた。



 

 陽介は今日学校に来ていないということで、僕はまず彼の居場所を突き止めるところから始めた。

 とりあえず陽介の家まで出向いて見るけれども、「まだ学校から帰ってきていない」という返答を家族からされてしまった。つまり陽介が家にいないことはもちろんだが、普段通り学校に行くフリをして家を出ていったということになる。

 そうなると行き先は更に限られてくる。カラオケやネットカフェなど滞在するだけでお金がかかる場所は考えにくいし、かといって図書館のような静かな場所にずっと居座るのも陽介らしくない。

 学校の近く、それでいて長居していても大丈夫な場所。記憶を掘り返して陽介のいそうな場所を頭の中で列挙する。

 最初に行ったのはバッティングセンターだった。あいつが暇つぶしをするとなればここだろう。しかしバッティングブースにいるのは近所の野球少年ばかりで、陽介の姿は見当たらなかった。

 次に向かったのは楽器屋。陽介はショッピングモールにある全国チェーンの楽器屋より、昔から地元にあるいわゆる町の楽器屋を好んでいた。あの空気感が好きらしい。

 だがそこにも彼の姿はなかった。何か手がかりはないかと考えた僕は、楽器屋の主人に陽介を見たか尋ねてみた。

「ああ、陽ちゃんね。昼過ぎに一回来たよ。ギターの手入れをするオイルとかを買ってった」

「本当ですか!? その後どこに行ったかとかわかりますか?」

「さあ、わかんねえなあ。ギターケースを担いでたから、学校の部活にでも行ったのかと思ったんだけど」

「そうですか……。ありがとうございます」

 大した手がかりは得られなかった。それでも、陽介がギターケースを担いでいたことだけはハッキリした。そうであれば、楽器を鳴らしても大丈夫な場所にいる可能性が高い。

 陽介の自宅と学校の部室以外で楽器を鳴らしても問題ない場所というのはそれほど多くはない。おまけに楽器屋ではギターの手入れ用具を買ったとなれば、どこかでギターのメンテナンスをしているということも考えられる。

「ヒントが増えて逆にわからなくなってきた……。全く、どこに行ったんだよ陽介は」

 手がかりを元に彼の行き先を突き止める。なんだか遠い昔にも似たようなことがあったなと、僕はふと思い出した。

 あのときは偶然陽介の行き先がわかって、なおかつそこへ向かう手段もなんとかなったので奇跡的に上手く行った。もしもどちらか一方がわからないままであれば、僕は陽介の元へたどり着かなかっただろう。さすれば一周目のストレンジ・カメレオンは空中分解していた。

 そこから二十六歳になるまでなんとかバンドを続けてこられたのは、陽介が頑張ったことにほかならない。ただ、あいつはどうしても一人で抱え込んでしまう癖がある。溜まってしまったものが爆発して取り返しがつかなくなる前に、早く陽介の姿を見つけたい。

 じゃああいつはどこにいる? 僕は頭の中にとある場所が浮かんだ。まさかそんなわけないなと思いながらも、ここまで陽介の居場所を絞り込んできた諸条件と照らし合わせると、不思議と合致するのだ。

「……黙って考え込んでいるよりマシだ。とにかく行ってみるか」

 僕は地面を思いっきり蹴り上げる。向かう先は、岡崎公園の端の端。名鉄名古屋本線が乙川の上空を駆け抜ける鉄道橋の、橋げたの下。あのとき、東京から逃げ出した陽介がたどり着いた場所だ。

 ひと気はなく、ギターを弾いていても目立たない。時折電車がやって来るので大きな騒音に包まれるが、一瞬世界から隔離される感覚は嫌いじゃないと陽介がこぼしていたことを僕は覚えている。

 ダメで元々、そこにいたらラッキーだなと思いながら乙川の土手を下ると、そこには一人の男子生徒の姿があった。

「本当に……、ここにいたんだな」

 僕の声に気がついて、陽介はこちらを向く。クールで端正な顔。一周目ではいつも自信に満ちあふれていた彼のその表情は、やはり少し曇っているように感じた。

 陽介は先程買ったと思われるメンテナンスオイルで、自分のギターを綺麗に手入れしている真っ最中だ。この場所なら誰にも邪魔されず、世界から隔離されたように一人になれる。ただそれだけの理由でこの場所を選んだのかもしれない。

「……融か。どうしてここに?」

「どうしたもこうしたもあるかよ。お前が心配になって捜しに来たんだよ」

「そんなことしている暇なんて無いだろ。俺のことなんて放っておいて、早く練習でもしたら良いんじゃないか」

「……それができないから、僕はわざわざここまでやってきたんだよ」

 陽介は「そうか」と言ってギターのメンテナンスを続けた。まるで僕には興味がないかのように彼は振る舞う。

「『そうか』じゃないだろ、お前、いまどんな状況になっているのかわかっているのかよ!」

「……別に、そんなのお前らには何の関係もないだろ」

「関係ないわけないだろ! バンドメンバー引き抜かれて、自分の魂込めた楽曲を炎上させられて、でもそれなのに僕らには何食わぬ顔でアドバイス送って助けてくれて……。放っておけるわけないだろ!」

「……やめろ。今の俺に関わるのは、やめておけ」

 声のトーンを冷たくして陽介は言う。かなり追い込まれている状況ではあるが助けてほしいという気持ちは一切表に出そうとしない。強がりな性格というのもあるが、それ以上になにか彼を突き動かす物がある。そういう気がした。

「今の俺は建山のヤツに狙い撃ちされている。ここでお前が俺に何かしたら、お前らもあいつの標的になりかねない。大事な時期だろ? 俺のことは放っておいておくのが、お前らにとって一番良いんだよ」

 淡々と陽介はそう言う。気持ちを押し殺したようなその声は、初めて時雨に出会った時に感じたような寂しさが入り混じっていた。

「……まさかお前、僕らに建山さんの矛先が向かないように立ち振る舞っていたのか?」

「それは言い過ぎだ。俺はただ、自分に圧勝したバンドがあんなクソ野郎のせいで台無しになることだけは避けたかった。それだけのことだ」

 陽介はひとつため息をつく。そしてそのため息の後、こう続ける。

「自分の問題くらい、自分で解決しなきゃいけないんだよ」

「……じゃあどうしてお前はここにいるんだよ。問題が自分の手に負えなくなって解決できないから、ここでただギターを磨いて時間を潰しているだけじゃないのか?」

 核心を突いたのか、陽介は言葉を失う。二人の間の沈黙を助長するかのような絶妙のタイミングで列車が鉄道橋を駆け抜けた。

 騒音の後、再び橋げたの下は静まり返った。そしてその静寂の中で、陽介は声を絞り出す。

「それなら……、一体俺はどうしたらいいんだよ……」

 普段はのびのびと歌う陽介がぎりぎり聞こえるか聞こえないかの声量でつぶやくその言葉には、彼の現在の苦しみが詰まっていた。

「音楽に殺されそうになったのは初めてだよ。もう、苦しくてしょうがない。ギターだって売り飛ばして、全てから逃げたい」

 僕はその陽介のセリフに聞き覚えがあった。

 一周目で陽介が僕の目の前で弱音を吐いたのは二回ある。一回目は上京したての頃。そしてもう一回は、僕がバンドをクビにされる少し前のことだった。「音楽に殺されそうだ」という強烈なワードが、どうも頭の中で引っかかっていて、タイムリープした今も違和感が拭いきれないままだった。


※サブタイトルはthe pillows『その未来は今』

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