第十一章 こわれる

 奈良原時雨、片岡理沙、芝草融の三人からなるバンド、『ストレンジ・カメレオン』を初めて観たとき、俺は直感的にこう思った。

 このバンドは、とてつもないポテンシャルを秘めている。そして、俺なんかでは到底太刀打ちできるものではない、と。

 いち音楽人として、悔しいなと思うこともあった。でもそれ以上に、このバンドにはとてつもない期待感を抱いたのだ。

 嫉妬心を通り越して、この三人の行く末を見届けたいという憧れに似た気持ちを今の俺は持っている。

 だからあいつらには音楽のことでつまずいてほしくないという、少しエゴにも近いような願望が、ここ最近の俺の行動原理になっていた。


 ある日、俺は先輩から呼び出された。建山優悟という三年の先輩で、学内外でも有名なドラマーだ。

 部室での建山さんの練習時間に来いと言われた俺は、部屋に入るなりいきなりセッションをすることになった。

 彼のドラムは既に高校生のレベルではない。うちのバンドでドラムを叩いていた小笠原や、ストレンジ・カメレオンのドラマーである融より数枚上手だと感じたのだ。

「というわけで岩本、ウチらのバンドに入らねえか?」

 セッションが一段落すると、建山さんは俺にそう告げる。彼の目的は、俺の勧誘らしい。

「ウチらのバンドって……、もしかしてSleepwalk Androidですか?」

「ああもちろん。ちょうどギタリストが一人足りないなと思っていてさ。どうよ? お前なら十分できそうだと思うけど」

 建山さんの勧誘は一見すると魅力的だった。Sleepwalk Androidといえば地元では人気のバンドだ。うちの高校や、周辺の学校から上手い人達を集めたドリームチームのようなバンドで、そんな所から勧誘を受けたとなれば俺の評価というのは自分の想像以上に高いのだなと感じる。

「確かに凄いメンバーっすよね。まさかそんなバンドから勧誘されるなんて、思ってもいなかったですよ」

「だろ? この間のライブバトルをちょっと観たんだけどさ、なかなか良い線いってるなと思ったわけ」

 聞くに、先日のストレンジ・カメレオンとのコンテストへの出場権をかけたライブバトルを建山さんは少しだけ観ていたらしい。他に用事があったようで後半の俺たちの演奏しか観ていないようだったが、そこで俺に白羽の矢を立てたのだとか。

「でもあのバンドじゃ続けたところで無理じゃね? 正直、お前も限界見えてるだろ?」

「い、いや、別にそんなことは……」

「正直になれよ。あのメンバーと一緒じゃせいぜい地元で友達が観に来てくれるだけのバンドで終わっちまうよ。その点俺らと組めば人気間違いなし。大きな声じゃ言えねえけど、女に困ることは無いぜ」

 俺は建山さんのその言葉に大きな違和感を覚えた。おそらく彼と俺とでは、音楽観というのが全然違うのだ。

 建山さんは人気になること、売れること、影響力を持つことにこだわっている。もちろん、それを全て否定する訳ではない。音楽で生きていくためには、支持してくれる人たちを獲得するのは大切なこと。ただ建山さんはそこが目標になってしまっているのだ。いい曲を書きたい、歌いたいという、クリエイター的な願望はそこにはない。

 建山さんはうちのバンドに入ったらこんなメリットがあるぞと、魅力的な言葉を並べる。しかし中身のないその言葉に、やっぱり俺の心は動かなかった。

 挙げ句の果てに、俺のバンドメンバーである小笠原と井出を酷評しはじめる始末。二人とも俺のことを信じてついてきてくれているだけに、なおさら建山さんの誘いに乗りたいとは思わなくなってきた。

「――そういうわけでさ、うちのバンドに入ってくれない? 結構良いメンツを揃えたし、岩本にとってもためになるかなと思うんだけど」

「……すいませんがお断りします。確かに建山さんのドラムは超上手いですし、集まりそうなメンバーもすごい人ばかりです。でも、俺には自分のバンドがあるので、その誘いには乗れません」

 俺は丁重に頭を下げる。すると、断りの言葉を聞いた建山さんの表情は一気に曇り始めた。

「へえ、一年坊主なのにずいぶん立派なこった。さぞかし岩本はすごいバンドをやるんだろうな」

 急に声色を変えて嫌味たらしく建山さんは吐き捨てる。一応先輩であるので、失礼にならないよう俺は取り繕った。

「勘違いしないでくださいよ、俺はとにかく自分の実力で頑張りたいだけなんです。だからまだ建山さんの手を借りるのは……」

「まあいいや、いずれ俺の言うことを聞きたくなるだろうから、その時を楽しみにしておけばいいよ」

 それは何か良からぬことを含んだ物言いだった。間違いなく建山さんは、俺が勧誘を断ったことに関して不快感を抱いている。

「それは……、どういう?」

「今はわからなくても、そのうちわかるよ」

 そう言い残して、彼は俺の前から立ち去っていった。




 その言葉の意味がわかったのはそれから少し経った日のこと。

 バンドの練習時に突然、ドラムを担当していた小笠原からこう告げられたのだ。

「俺、バンド辞めるわ。やっぱりギターが弾きたい」

「ギターが弾きたいって……、他にバンドをやるアテがあるのかよ」

「あるさ。この間、建山先輩に誘われたんだ。お前いい線いってるから、ギタリストとしてバンドに入らないかって」

 俺は小笠原の言葉に絶句した。先日建山さんが俺に言ってきたのとほぼ同じ手口で小笠原は勧誘されていたのだ。

 しかも本来はギタリストながら、バンド事情でドラムを叩かざるを得ないという小笠原の心理を突いた、絶妙なやり口だった。

「それで建山先輩に聞いてみたら、陽介お前、建山先輩の誘いを断ったらしいじゃないか」

「あ、ああ。俺は多分あの人とは合わないだろうから」

「馬鹿だなあお前。絶対誘いに乗ったほうが良かったのに」

 小笠原は哀れむような目で俺を見る。

「芝草たちに負けてコンテストに出られなくなった以上、このバンドに上がり目はない。つまり、俺がここにいる意味もないってことだ。だったら建山先輩の誘いに乗ったほうがよっぽどマシだ。みんなめちゃくちゃ上手いし、他校の出場枠を使ってコンテストにも出るらしいから、願ったり叶ったりって感じだよ」

 俺は建山さんが言っていた「いずれ俺の言うことを聞きたくなるだろう」という言葉を思い出す。彼からの勧誘を断ったことで攻撃の矛先が自分へ向いていると、殺気みたいなものを感じ取った。

 俺のバンドは小笠原がいなくなったことで、事実上の活動休止に追い込まれてしまった。ベース担当の井出はフレンドリーな性格をしているのもあって、他の友達と別のバンドをやっている。でも、それができない俺は一人になってしまった。


 時は進んで高校生イベントライブの日、俺は建山さんのバンドの凄さを見せつけられた。

 小笠原が加入して更にサウンドの厚みを増し、融たちストレンジ・カメレオンでさえ食ってしまう圧倒的なライブをやってのけたのだ。

 ライブハウスからの帰り際、建山さんは俺を見つけて話しかけてきた。

「どうだ岩本? 俺らのこの圧倒的なライブを観て、入っておけば良かったって後悔してんじゃねーの?」

「た、確かに凄かったです。けど……」

「なんだよ頑なだな。今頭を下げて『バンドに入れてください』って言うなら考えなくもないんだがな。あの小笠原って一年坊主、ちょっとイマイチだし」

 建山さんは不満を漏らす。その表情は、また何かを企んでいるようなものだった。

「ちょ、ちょっと待ってください。それって、俺がもしここで入りたいって言ったら、代わりに小笠原をクビにするってことですか?」

「まあそういうことだな。さすがにギタリストばっかり三人もいらないから、一番使えねえやつがクビってことになる」

 その一言ですべてを悟った。小笠原はあのバンドでプレイヤーとしてではなく、ただの駒として扱われているということを。

 だからもしここで俺が建山さんに頭を下げようとも、扱いは小笠原とそう変わらないだろう。彼が気に入らなかったり、使えないと思ったならばそこで捨てられて終わり。

 そんな人を人とも思っていない建山さんに自分のバンドを壊されたかと思うと、段々と腹が立ってきた。

「んで? どうするんだ? 入るのか? 言っておくけどこれが最後のチャンスだからな」

「……入るわけないじゃないですか」

 俺は湧き立ち上がってくる怒りの感情をぶちまけないよう、静かに力をこめて建山へそう言い放った。

「そんなクソみたいなバンド、絶対に入らない。あんたみたいなのに屈するくらいなら、一人のままでいい」

「へっ、強がりを。まあ、お前の言いたいことはよーくわかった。でも後悔すんなよ? 俺たちに刃向かうことの意味、わかってんだろうな」

 建山の脅し文句に俺は毅然とした態度で立ち向かった。彼はそんな俺が面白くなかったのか、呆れてどこかへと消えていった。

 強がりを言ったが、内心恐怖みたいなものもあった。そんな気持ちが上手く整理できなくて、ライブの打ち上げで片岡に強い言葉を言ってしまったのを反省した。

 一人じゃ建山に対抗するなんて無理だということはわかっていた。だからせめて、融たち三人があいつらを打ち負かしてくれるよう、余計なお世話をすることにした。幸い、バッティングセンターで勝負を仕掛けたことが功を奏し、片岡は自分のスタイルを見失わずに済んだ。

 このままストレンジ・カメレオンがコンテストの予選ライブを勝ち抜けるよう、何か力になれないかと俺は模索している。ただ、あまり露骨にやると今度は建山の矛先があの三人に向く可能性がある。それだけは避けたいから、今の俺は建山の攻撃をただただ受け続けるしかない。


 そんな我慢を続けていたが、ある朝を迎え、俺の日常は一変することになる。

「……ちょっと待てよ、なんだよこれ」

 スマホを開いてその通知の多さに驚く。それを見て俺は何が起きたかすぐには理解できなかった。

 落ち着いて通知の内容を覗くと状況が理解できてきた。しかし、それは最低最悪の出来事でもあったのだ。


※サブタイトルはThe Novembers『こわれる』

※僭越ながら本日は水卜みうさんの誕生日です

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