第九章 深夜高速

 一周目、東京。僕らが上京してしばらく経ったころのこと。年齢はおそらく、二十一か二十二歳くらいだったと思う。

 高校を卒業した僕らは地元でライブ活動を重ね、着実に力をつけていた。そんな中、やっぱり東京に出て勝負するべきだとバンド内で意見が固まり、二十歳のときに上京を決めた。

 しかし、そこからの道は決して順風満帆とは言えないものだった。

 地元では客も呼べて人気のあるバンドの部類だった僕らは、東京に出てきた途端に洗礼を受ける。

 この街には、「地元では人気なバンド」クラスがゴロゴロいるのだ。

 もちろん僕らがそいつらに劣っていたとは思っていない。やっぱり陽介には才能があったし、メンバーみんな音楽で生きていくと腹が決まっていたので、負けないようにと日々頑張っていた。


 事件が起きたのは、とあるライブの後のこと。

「お疲れー! みんなもちろん打ち上げ行くよな?」

 東京に来てからお世話になっているライブハウス。そこで出演者のブッキングを担当している兄貴分なスタッフさんが、僕ら四人に呼びかける。

「もちろん行くっすよ。当たり前じゃないすか」

「俺も俺もー」

 メンバーの小笠原と井出は二つ返事でそう言う。僕も割と乗り気だった。ただ、まだ陽介は機材の後片付けをしていたので、彼が置いてけぼりにならないよう待つことにした。

「ちょっと陽介にも聞いてくるよ。多分行くって言うと思うけど」

 その旨を小笠原に告げると、彼はギターの入ったギグバッグを背負う。

「了解。じゃあ先にいつもの店で待ってるわ。陽介と一緒にのんびり来いよ」

「うん、わかった。あっ、あれ頼んでおいてよ。ガーリックシュリンプ」

「はいはいわかったわかった。融、あれ好きだもんな」

「陽介の分と合わせて二つな」

 言われなくてもわかってるよと言い、小笠原は井出と一緒にライブハウスを出ていった。

 僕は陽介を待っていたが、やけに片付けるのが遅いなと思い様子を見に行くことにした。

 ライブハウスのステージ脇で、機材の片付けをしていると思っていた陽介は、誰かと会話をしている。

 ただのお喋りなら良かったのだけれども、どうもそんな軽い話ではないらしい。僕はひっそり息を潜めてその様子を伺うことにした。

「……まあ、正直言うと普通って感じかな。君らみたいなのはよく見るし、特に目新しさみたいなのは感じない」

「そう……、ですか……」

 陽介の話し相手はライブハウスの店長だった。状況を察するに、店長のようなバンドをたくさん見てきた目の肥えた人に自分たちがどう映っているのかを、陽介は訊いてみたのだろう。

 陽介はいつになく落ち込んでいるように見えた。あれだけ自信満々に地元から上京してきたのに、いざ東京の地に踏み入れたら「普通」という評価が返ってくるのだ。そんなの凹むに違いない。

 もちろん、店長の言葉がちょっと耳に入ってしまった僕も、物陰で軽く落ち込んでいる。

「まあでも、伸びしろはあると思うよ。まだ若いでしょ? これからだよ」

 店長は陽介の背中をポンと叩いてフォローを入れる。でも、店長が立ち去ったあともしばらく陽介は突っ立っていた。

「……おい、陽介。大丈夫か?」

「えっ? あっ……、なんだ融か。打ち上げ行ったんじゃなかったのか?」

 不意に僕から声をかけられた陽介は、いつになく動揺していたように見えた。

「お前が遅いから様子を見に来たんだよ。ずいぶん店長にバッサリ言われてたみたいだし」

「なんだ、見てたのかよ」

「そりゃ、あの雰囲気で声かけられるわけもないし」

「……厳しく言ってくれって俺から頼んだんだよ。お世辞ばかり言われても、なんの為にもならないし。東京に来た以上は、もっと上を目指さないと」

 陽介はストイックだなと、このときの僕はただ思っていた。

 陽介はなんでもできるし、多少のことでは躓いたりしない。これくらいの悩み事など、簡単に吹き飛ばしてしまうだろう。それほどまでに陽介という男に僕は頼り切ってしまっていた。

「大丈夫大丈夫。あの程度言われたくらい平気さ。知ってるだろ? 俺はこういう逆境のほうが燃えるんだって」

「確かにそうだな。『まだ伸びしろがある』って店長も言っていたし、頑張らないと」

「ああ」

 陽介が何気なく言い放ったその「ああ」に、僕はなぜか違和感を覚えた。いつもと同じはずなのに、何かが違う。でも、その何かをうまく言語化できないという、小さな違和感だった。

「それじゃ、小笠原と井出も待ってることだし、打ち上げに行こう。ガーリックシュリンプも頼んでおいたから」

「さすが融、気が利くな」

 結局そのあとは陽介と一緒に打ち上げへ参加した。いつも通りといえばいつも通りだったので、あまり過度に心配してもしょうがないかなと、僕は深く考えようとはしなかった。




 事件が起きたのは次の日だった。メンバー皆のバイトが終わった深夜に練習を入れるのが僕らのやり方なのだが、その日はいつまで経っても陽介は練習スタジオに現れなかった。

「おい、陽介の電話に繋がらないぞ」

「二日酔いでダウンしてるんじゃないか? あいつ昨日も結構飲んでたし」

 小笠原と井出はスマホを握りながら陽介へコンタクトを取ろうとする。

 だが、陽介は一向に電話に出ようとはしなかった。

 何かが変だなと思った。僕はスタジオでじっとしているのが嫌になって、陽介の部屋に直接出向いてみようと考えた。

「僕、ちょっと心配だから陽介んちまで行ってくるよ」

「マジで言ってるのか? あいつんち結構遠いぞ? もう終電も過ぎたし、キツイだろ」

「大丈夫。原付で行けばなんとかなるって」

 スタジオを出てヘルメットをかぶり、セルモーターを回して原付バイクのエンジンをかける。スロットルレバーをひねってタイヤが回り始めると、そのまま陽介の家へ向けて走り出した。

 三十分ほど走らせると、陽介が住んでいるアパートの前まで来た。彼の住む部屋の前まで来た僕は、慎重に陽介の部屋のインターホンを押した。

 ピンポーンという音が鳴るものの、反応は全くない。

 ふと、ポストの中を見ると、合鍵が入っていた。相変わらずこういうところは不用心だなと思いつつ、僕はその鍵で部屋のドアを開けた。

「陽介? いるか?」

 返事はない。それどころか、部屋の明かりすらついていなかった。

 異様な雰囲気を察知した僕は、部屋に上がりこんで照明をつける。でもやっぱり陽介はいない。

「どこ行ったんだあいつ……。バイトで残業でもしてるのか?」

 すると、彼の部屋のギタースタンドに、愛機のギターが置かれたままになっていることに気がついた。

 陽介はいつも、アルバイトを終えてからそのまま練習に来る。だから機材を持ってアルバイト先へ出勤するのが普通なのだ。しかし、部屋にギターは置かれたまま。それはつまり、アルバイトに行っていないことを暗に示している。

「一体どこに行ったんだよ本当に。何か行き先の手がかりになるものはないのかよ」

 僕は一人でそう嘆きながら部屋の中で手がかりを探す。すると、とある一枚の紙切れを見つけた。それはウェブページを印刷した紙で、金額やら明細やらが印字されている。

「愛三交通株式会社……? って、これ、夜行バスの領収書じゃないか」

 中身を見ると、その夜行バスの明細が書かれていた。出発は今夜、そして行き先は僕らの地元、愛知県の東岡崎駅。おそらく、乗車チケット代わりに予約の明細を印刷したのだろうが、おまけで領収書まで刷ってしまったという感じだろう。不要なのでここに置きっぱなしといったところか。

「ということはあいつ、実家へ帰ったってことか……? でも、どうして……?」

 身内に急な不幸があったというのなら理解はできる。でも、それなら陽介は僕らに一報くらい入れてくれる。それがなんの連絡もなしに実家へ帰ったとなれば、あいつ自身に何かがあったに違いない。そう僕は考察した。

 ライブのあとの小さな違和感は、やはり陽介が異変をきたしている兆候だったのだ。あいつはあまりそういう苦しさを顔に出さないし、滅多に口に出すこともない。僕らも僕らで、陽介を気遣うことができなかった。

 早く手を打たなければ、陽介が壊れる。僕は焦燥感に襲われた。

「どう考えても一大事だろ……。早く陽介を追いかけないと」

 しかし、今は日付が変わって間もない深夜帯。終電も無くなってしまったので、今すぐ遠方に出かける交通手段はない。

「さすがに原付で追いかけるのも無理があるしな……」

 地元まで約三三〇キロの道のりを急ぐには手段が限られてしまう。朝まで待って新幹線に乗るという手段が真っ先に思いついた。しかし、そんなお金の余裕など今の自分にはない。それなら明日、比較的安価な夜行バスに乗って行くか? いや、そんな悠長なことを言っている場合ではない。

 何か良い方法はないか。人一倍諦めの悪い僕は、必死で陽介に追いつく方法を考える。

 するとその時、僕の携帯電話が鳴った。画面には小笠原の名前が表示されている。

「おい、陽介は見つかったか?」

「いや、部屋にはいなかった。多分だけどあいつ、地元に帰ったかもしれない」

「はあ!? なんでいきなり!? 身内に不幸でもあったのか?」

「それがちょっとわからないんだ。だから、これから陽介を追いかけようと思う」

 小笠原はそれを聞いて、もう一度「はあ!?」と驚く。

「追いかけるって言ったって、どうするんだよ。手段もなければ金もないだろ?」

「だから今考えてる。最悪、原付を夜通しで走らせればなんとか朝には……」

「いくらなんでも危なすぎるだろ。始発の新幹線に乗った方がいい。金なら俺も出すからさ」

「それじゃ遅いんだよ! 今すぐ追いかけないと、手遅れになるかもしれないのに!」

 僕が大きな声を出すというのが小笠原にとって予想外だったのだろう。彼はしばらく沈黙してしまう。

 お互いに深呼吸をした数秒の後、小笠原が切り出す。

「……とは言っても、他に手段なんて無いだろ。タクシーを捕まえるわけにもいかないし」

「タクシーか……、確かにそれは金銭的に無理だ」

 無料のタクシーでもあればいいのにと、僕は都合のようことを考える。しかしその瞬間、とある方法を思いついた。

「……いや、これならなんとかなるかも」

「なんとかなるって……、融、何か思いついたのか? なあ? ……おい、融?」

 僕はいても立ってもいられなくなり、小笠原へ返事をするのも忘れて陽介の部屋を飛び出した。




 翌朝、まだ日が明けていない時間帯。僕はある方法で東岡崎駅へたどり着いていた。始発列車はまだやって来ないので、夜行バスから降りた陽介はきっとこの辺りにいるだろうと僕は周辺をウロウロしていた。

 しかし駅前に陽介の姿はない。少し雨も降り始めて来たので、おそらく屋根のある場所にいるはず。ひたすら陽介を捜すけれども、見つけられなかった。

「どこに行ったんだ……? 駅から離れたところで、こんな早朝に時間を潰す場所なんかないのに」

 駅周辺にはいないと見切りをつけた僕は、近くの岡崎公園にいるのではないかと思い、捜し場所を変える。

 まるでごみ拾いのボランティア活動のように、公園の端から端まで入念に陽介の姿を捜した。

 すると、公園の端、乙川を渡る鉄道橋の橋げたの下に、その姿はあった。

 しかし、「頼りがいのある強い陽介」の面影はなく、何もかもを投げ出してしまった感じの「抜け殻のような男」がそこにいたのだ。

「陽介!!」

 思わず僕は大声で名前を呼ぶ。彼はまさか自分の名前が呼ばれるとは思っていなかったのだろう。目を見開いてとても驚いた様子だった。

「と、融……? どうしてここに……?」

「追いかけてきた。なんとか間に合ったよ」

「追いかけてきたって……、どうやって? 車なんて持ってないだろ?」

「ヒッチハイクしてきた。もうそれしか方法がなくてさ」

 僕が取った方法は単純。自分で移動する手段がないのならば、他人の力を借りてしまえば良い。

 高速道路のインターチェンジ近くで行き先を書いたスケッチブックを掲げて待っていると、案外すぐに車は捕まった。おまけに乗せてくれた人が結構な走り屋だったので、思っていたよりも早く着いたのだ。

「行き先だって伝えていないのに、どうして……」

「まあ、それはおいおい話すよ。それよりも、なんで急にいなくなろうとしたのか話してくれよ。そのために僕はここに来たんだから」

 陽介は急に黙り込む。

 何も言わずに姿を消したわけだ。よっぽど言いたくない理由があるのは僕にも察しがつく。

「……わかった、言いたくないんだろ。じゃあ話を変えよう。こいつで曲作りの続きでもしようよ」

「融お前……、それってまさか……」

「ああ、陽介のギターだよ。部屋に置きっぱなしにされていて可哀想だったから持ってきた」

 別に持ってくる必要などなかったのかもしれない。けれど僕は、どうしてもこのギターが陽介から離れていくのが嫌で、荷物にはなってしまうけれども一緒に連れてきたかったのだ。

「この間、お前んちで飲んだときにちょっと爪弾いていたじゃん。あの曲、形にしたらかっこいいんじゃないかなって」

「……もう、俺には無理だ」

 陽介は力なくそう言う。

「せっかく東京に出てきたは良いけど、あの街にはすごいバンドがゴロゴロいる。俺なんかが頑張ったところでどうしようもない。全然歯が立たないんだよ」

「……やっぱり、そういう理由だったのか」

 ヒッチハイクした車に乗っている最中、どうして陽介が東京の街から逃げ出したか理由を考えていた。

 いろいろ想像をしてみたけれど、主たる原因は今彼が言った通りだ。

 地元では敵なしでも、それは井の中の蛙だったということ。東京で勝負していくに連れて、自分の実力に限界を感じていたことだろう。

 でも、以前の陽介ならこんな弱音を吐くことはなかった。むしろ強気で、上昇志向の塊。ボロクソな評価が返ってきたのならば、絶対に見返してやる。僕の中の岩本陽介という人間は、そういう性格をしている。

 だから僕は思うのだ、彼をこうしてしまった原因は、バンドメンバーである自分たちにあるのではないかと。

「昔のお前ならそんなことは言わなかった。尻尾を巻いて逃げ出すなんて、絶対にやらなかったはずなんだよ」

「もう昔の俺じゃない。東京という街に、俺は打ちひしがれたんだよ。あると思っていた才能が無いんだって、しっかり思い知らされたんだ」

「そうじゃない! 違うんだ陽介。違うんだよ」

 落ち込む陽介をなんとか立ち直らせようと、僕は大声で叫ぶ。

 早朝の河川敷には、僕の声がよく響いた。

「これは……、陽介に全部背負わせてしまった、僕らのせいなんだよ」

 絞り出すように言い放ったセリフで、ずっと俯いていた陽介は顔を上げた。

「バンドを率いて、曲作って、歌詞を書いて、アレンジして、ライブのセットリスト考えて、MCで喋ること考えて、諸々の段取りをして……。そんなにたくさん大変なことをしているのに、僕は全部陽介に任せれば大丈夫だって頼り切っていた」

「それは、フロントマンなら普通のことだろ」

「普通じゃない! むしろここまで誰にも頼らず一人で全部こなしてきたお前はすごいんだよ。それなのに……」

 僕は思わず言葉に詰まってしまう。それは多分、今まで陽介のために何もできなかった自分への憤りの気持ちによるものだろう。

「それなのに、僕はお前を一人にさせてしまったんだ。頼ってばっかりで、いざ苦しいときには何もしてやれない。悩みとか弱音を吐き出す先にもなれずに、ずっと一人で抱え込ませていた。……本当に、ごめん」

 深々と頭を下げる。謝ったからどうにかなる問題ではないが、少なくとも僕自身には、陽介に対する今までの非礼を詫びなければいけないという気持ちがあった。

「融……」

「だから決して、お前の才能が劣っているとか、東京では勝負にならないとか、そんなことはないんだよ。差があるとすれば、それはもう仲間の差なんだと思う」

 ワンマンチーム、その言葉が僕らのバンドを表すにはぴったりな言葉だった。もちろん、それでうまくいくこともある。現に東京に出てくるまでは、これでうまくいっていたのだ。

 でもその体制で一度躓いてしまった。これを乗り越えて僕らが更に前へ進むためには、根本的に体制を変える必要がある。

「一人で全部抱え込むな。僕相手でいいから、嫌なこと、面倒なこと、辛いこと、全部吐き出せ。なんなら、八つ当たりしたっていい」

「でもそれじゃあ……、融が嫌な思いをするだろ」

「そんなのちっぽけなことだよ。お前がこんな風に潰れてしまうくらいなら、凡人の僕がどうなろうと安いものさ」

 陽介は凄い。何でもできる天才だ。その才能に惚れ込んだのは間違いなく僕の方だ。この程度のことができなくて何がバンドメンバーだよという気持ち。バンドを組み始めたときには間違いなく持っていたのに、いつの間にか忘れてしまっていたその気持ちを僕は思い出したのだ。

 この才能が潰えるくらいなら、自分がどうなろうと構わない。そのくらいの覚悟は既にできていたはず。それが陽介に伝わっていなかったのは、僕の落ち度だ。

「ははは……、融は強いな」

 陽介は呆れるように軽く笑う。それでも先程までの暗い表情は、少しだけ和らいだような気がした。

「強くないよ。できることが少ないから迷わないだけさ」

「それが強いって言ってるんだよ。俺もお前くらい、吹っ切れられればいいのにと思うよ」

「じゃあ、吹っ切れちゃえばいいさ。いい曲書いてかっこよく歌うことだけに力を注げばいい」

 僕は思いの丈を飾らずに陽介へ告げる。言われた陽介はといえば、豆鉄砲を食ったかのような顔をして困惑していた。

 「……全く、どえらいことを言い出すメンバーをバンドに迎えちまったんだな俺は」

 地面を蹴り上げるかのように、陽介は重い腰を上げて立ち上がる。

「……融、そのギター貸せよ」

「もしかして……、陽介?」

「ああ、作るぞ、新しい曲。そこまで言ってくれる仲間がいるのに、尻尾を巻いて実家に帰るわけにはいかないからな」

「そうこなくっちゃ」

 僕はギターケースを陽介へ渡す。ケースを開けるとそこには、彼の愛機である白のギブソン・SGスペシャルが入っていた。

 橋げたの下、コンクリートの土台に僕と陽介は座る。始発電車が来る前の静かな乙川の河川敷に、エレキギターの生音だけがシャカシャカ鳴り響いた。

 さすがは陽介ということもあって、曲はみるみるうちに形になっていった。ワンコーラス分を陽介がスマホで録音し終える。ギターをしまい込もうとする直前で、僕は彼を一旦止めようとした。

「なあ、どうせなら僕にも曲の作り方を教えてくれよ」

「なんでまた……? もしかしてお前、印税を稼ごうとしてるのか?」

「そうじゃないよ」

「じゃあどうして?」

 僕は陽介にそう問われ、正直な気持ちを述べる。

「単純に曲作りに興味があるのもそうだけど、曲を作る大変さが少しでもわかれば、今回みたいに陽介を一人ぼっちにすることもなくなるかなって」

 すると、陽介の表情はなんだかむずがゆそうなものへと変わっていく。

 このときの僕はなんとも思っていなかったのだけれども、後でずいぶんと恥ずかしいことを言ったなと、家に帰ってから一人で悶えたたのは内緒だ。

「……わかったよ。簡単なことでいいなら、教えてやる。融、少しくらいギターは弾けるよな?」

「うん。初心者に毛が生えたくらいなら」

「なら十分だ。基本的なことくらいは教えてやるよ」

「おおっ、いつになく気前がいいじゃん。サンキュー陽介」

 仕方がないなという陽介の表情は、なんとなく嬉しそうに見えた。

 空が明るくなってきて、もうすぐ朝がやってくる時間帯。

 陽介から曲作りについて教わっているとあっという間に時間が過ぎてしまった。

「……基本的なセオリーはこんな感じだ。今日のところはこんなもんでいいか?」

「うん、助かったよ。また時間があったら教えてほしい」

 するとその瞬間、頭上の鉄道橋から大きな音がした。今日最初の列車が、すごい速さで橋を駆け抜けたのだ。

 朝日も差してきて、その眩しさに僕ら二人は目を細める。

「始発の時間だね。そろそろ東京に戻ろうか」

「それもいいけど、久しぶりに帰ってきたし、ちょっと寄り道していこうぜ」

「寄り道? まあいいけど、どこに?」

「まずはひとっ風呂浴びるかな。その後は、バッティングセンターと、混んでなかったらメシでも食ってから帰るかな」

「そうだな、たまには遊んで帰るか」

 ハハハと僕ら二人は笑う。

「それに、バッティングセンターに行けば、あいつに出会えるかもしれないし」

「あいつって、お前、まだリトルリーグのこと引きずってんのか?」

 あいつ、というのは陽介がリトルリーグをやっていた時に出会ったとある一人の打者。当時ピッチャーだった彼は、その打者に何度も翻弄されたらしい。

 どんなボールに対しても臆することなくバットを振り、自分のスタイルを絶対に崩さないのだとか。

 打撃が苦手だったという陽介にとっては、尊敬の対象であり、憧れなのだという。機会があればもう一度会いたいと、これまで何度も言っていた。

「そういうわけじゃないよ。ちょっと昔を思い出して、気を引き締めようかなと思っただけだ」

「どうだか」

 僕は相変わらずの陽介の言動に、クシャッとした表情で笑った。その日から、バンドメンバー同士だった陽介とは、何か違う別の絆が生まれた気がした。


※サブタイトルはフラワーカンパニーズ『深夜高速』


新作もやってます、同じくロックバンドものです

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