第四章 曇天

「待てよ。これはソングライター同士の話だ。悪いけど、奈良原以外の二人は出ていってくれ」

 陽介にそう言われて、僕は意表を突かれたときに出てしまう声を自分の意思で止めることができなかった。

「えっ?」「は?」

 要するに、僕や理沙がいると邪魔だと言いたいのだろう。もう少し言い方というものもあるかもしれないが、今回はこちらがお願いをしているという状況だ。不満そうな顔をした理沙をなだめながら、渋々屋上へと移動した。あの二人の話が終わるまで基礎練習でもして時間を潰すとしよう。


 屋上に上がると僕らはいつも駄弁っている場所に陣取り、理沙はベースを、僕は打楽器練習用のゴムパッドとドラムスティックを取り出す。スマホにインストールされている電子メトロノームのアプリを開き、音量をマックスまで上げた状態にして床に置いた。

「とりあえずいつも通りBPM一二〇ぐらいからにしようか。はじめは表拍でとって、しばらくしたら今度は裏拍っていう感じで」

「ああ、それでいこう。この練習、地味だけど結構難しいんだよな」

「そうだね。リズムって意外と取れているようで取れてないっていうのが身にしみるよね」

「自分ってまだまだなんだなって思い知らされるよ、全く」

「その日の気分とか体調で全然変わっちゃうこともあるから、普段から鍛えてブレがないようにしておかないと」

 これは十年間のドラマー人生でひしひしと感じたことだ。特に二日酔いの翌日なんかは聴いていられないほどリズムのブレが出る。 

「融って、案外そういうところきっちりしてるよな。練習に対してストイックというか、真面目というか」

「そ、そうかなあ?」

「そうだよ。だって普通、こんな地味な基礎練習なんてやりたがらないだろ。私だって融に言われなかったら、ずっとラモーンズのコピーばかり演ってるだろうし」

 理沙は感心した様子で僕を見る。

 リズム感覚は一日二日で身につくものではないから、どんなに面倒でも基礎練習は欠かすなと言われたことを思い出した。その言葉の主というのは、他でもなく一周目の陽介だ。

 当時の僕はドラム初心者だったのでとにかく日々上達していくのが楽しくて仕方がなかったのだが、浮かれないように注意をしてくれたのが彼である。そのせいもあって、基礎練習をすることがすっかり僕の日課になってしまっていた。あいつのあの言葉がなければ、僕は十年もバンドを続けることはなかっただろう。

 ……まあでも結局のところ、ドラムの腕前が至らないという理由でクビにされたわけなので、あの言葉に囚われていただけで無意味な結果に終わったのだと言われればそれまでではある。

 二周目のバンド人生を送るにあたって、ドラムの技量を十年分の上積みだけでなんとかしてやろうと思わず、きちんと練習をしてさらに上達しなければと思えていることが不幸中の幸いだろう。


 電子メトロノームは正確にBPM一二〇を刻んでいく。そのテンポを身体へ染み込ませるように、僕と理沙はフレーズを反復していった。

 理沙のベースの腕前というのは高校生離れしたレベルだと言ってもいい。パンクロックが好きだとは言うものの、音楽の守備範囲が広く、意外にも器用に色々なプレイが出来る。ライブになるとテンションが上がってやや走り気味になることもあるけれど、それはそれで気持ちが乗っていて良いベースだなと僕は思っている。一周目で出会ったことのないタイプのベーシストなだけあって、一緒にプレイしている僕も日々発見だらけで飽きない。

 弦を弾く生音とゴムパッドを叩く音、それと電子メトロノームの音だけが響き渡っていた屋上だが、ついに集中力が切れて理沙が音を上げる。

「あーっ! もう限界だ! これ以上やったら頭がおかしくなる!」

「めちゃくちゃ集中してたもんね。ちょっと休憩しよう」

「……こんなのを毎日毎日融はやってるんだもんな、そりゃあ上手くなるわけだ」

「いやいや、理沙だって十分上手いと思うけど?」

 お世辞など言うつもりもなく、僕は素直にそんな気持ちを述べる。しかし理沙はどうもその言葉を受け止め難いようで、少し渋い表情を浮かべた。

「……まだまだだろ。確かに手は動いているかもしれないけれど、それに頭がついていってない」

「そうかな……? そんな風には見えないけど……」

「とにかく、なんかちょっとアンバランスな感じがするんだよ。だからこそ基礎練習が大事かなって思ってさ」

「真面目なのはどっちなんだか……」

 理沙は理沙なりに、自分のプレイスタイルに納得がいっていないみたいだ。でも、こういう悩みがあるうちが華であるなと僕は思う。悩みが消えてしまったとき、そこで成長が止まってしまう気がするから。

 時雨は曲作りが上手くいかないという悩みにぶつかっていたり、理沙は自分の奏法に悩んでいたりと、バンドというものは常に課題がつきまとう。そういうときにきちんと手を差し伸べてあげられるよう、そして絶対にひとりで抱え込まないようにしてやることが、今の僕の役割なのだなと考えている。

 特に孤独を感じて過ごしてきた二人であるので、誰かに頼っても良いという選択肢を心の中に持てるようになってほしい。ひとりで戦うというのは、それぐらい大変なことなのだ。一周目の時雨が、命をもってそれを証明しているから。

 一息入れてもう一度メトロノームを鳴らそうとスマホを手に採った瞬間、屋上の重たい防火ドアが開いた。

 僕は一瞬、時雨が戻ってきたのかと思った。しかし現れたのは彼女ではなく、とある男子生徒だった。

「ちっ、ここかと思ったけどいねえじゃねえか。ったく、手間かけさせやがって」

 着崩した制服、明らかに校則違反な髪色とピアス、切れ長の目。そこにいるのは軽音楽部三年の問題児、建山優吾だった。

 人探しをしているのだろうか。尋ね人がここにいなかったようで、彼はあからさまに不機嫌な表情をしている。

 すると、基礎練習をしている僕らを見つけるやいなや、建山さんは話しかけてきた。

「おいそこの一年坊主共、岩本陽介がどこにいるのか知らねえか?」

「岩本なら部室……」

 質問に対して理沙が答えかけたところで僕は彼女を制止した。なんとなくの勘でしかないけれども、この建山さんの質問に正直に答えてはいけない気がした。

 この間建山さんが陽介を無理に勧誘していたこともあって、これはその続きかもしれないと感じたのだ。

「いや、ちょっと僕らもあいつを探しているんですけど、見つからないから諦めちゃいまして。ここで練習してるってわけです」

 とっさにそれっぽい嘘をついて彼からの質問に答える。理沙は何か察したようで、喋ろうとしていた言葉を喉の奥へ押し込めた。

「部室にもいなかったし、一体どこ行きやがったんだ」

「さ、さあ……、僕らもお手上げなもので」

「まあいい、見つけたら教えろ。……あの野郎。人がせっかく良いバンドに誘ってやろうって言ってんのに。恩知らずめ」

 建山さんはそう吐き捨てて再び陽介を探しにどこかへ行ってしまった。

 彼が立ち去るのを確認してから、僕と理沙は一つため息を付いた。

「なあ融、なんであの先輩に嘘をついたんだ?」

「な、なんとなくだよ。なんか建山さん、あんまり評判が良くないみたいだし」

「確かに不良生徒って感じだな。……まあ、私が言えたことじゃないけど」

 理沙がわざとらしく自嘲すると、つられて僕も笑ってしまった。

「それにしてもあの建山って先輩、岩本が部室にいなかったって言ってたよな?」

「そういえば確かに。部室で時雨に曲作りについてアドバイスをしているはずだけどね」

「もしかしてあいつ、バックレやがったか!?」

「さ、さすがにそれは考えにくいと思うよ」

 陽介が頼まれごとを途中ですっぽかすような人間ではないことは。僕が一番良く知っている。

 でも、部室に陽介がいないとなれば必然的に時雨がひとりきりということだ。それはそれで心配である。

 大丈夫かなと思っていると、鉛色の空からはぽつりぽつりと雨が降り出してきた。

「うわっ、ついに降ってきやがった!」

「とにかく軒下に移動しよう。楽器が濡れるのは良くない」

 僕の練習用ゴムパッドとドラムスティックが濡れる程度なら大したことはないが、理沙のベースが濡れるのは絶対にダメだ。ギターやベースは木でできているので、水気を嫌う。ひどいときはそれで壊れてしまったりすることもある。

 急いで屋上入口のドア付近にある軒の下へ移動する。なんとかびしょ濡れになることは防げたみたいだ。

「しかしこれじゃあ練習できないな」

「そうだね。教室とかでやってもいいんだけど、どうしても邪魔がはいるしね」

 わざわざ屋上に来て練習している一番の理由は、そこに誰もいないくて集中できるからである。おまけにここなら教職員の巡回もない。

 教室には他の生徒がいるし、空いている部屋を使うためには学校への面倒な手続きが必要になる。つまり、雨が降ってしまうと僕らの居場所は途端になくなってしまう。

「仕方ないな。もうちょっと練習したかったけど、この雨じゃな」

 雨脚は強まるばかり。軒下にいても濡れてしまいそうになるぐらい、雨粒は大きくなっていた。

 ぼーっと立っているのも時間の無駄だと言うことで、理沙がある提案をする。

「そうだ、ちょっと時雨の様子を見に行こう。岩本のやつが放ったらかしにしてるかもしれないし」

「あいつに限ってそんなことはないと思うけど……」

「いいや、ああいうやつに限ってそういうことをするんだよ。放ったらかしならまだしも、ちょっかいを出してるかもしれないしな」

「ははは……、まあ、時雨の進捗も気になるし、ちょっと様子を見ておこうか」

 一周目では音楽一筋で、女子からの人気が高い割には浮いた話を聞かなかった陽介。時雨相手とは言えども、そんな根本的に奥手な彼の性格は変わらないだろうとは思う。けれども、陽介と時雨が仲良くしている姿を想像すると、少し妬いてしまうというのも事実。なんと言っても時雨は僕の推しなのだ。理沙ほどおせっかい焼きではないけれども、時雨にちょっかいを出して来るようならば僕もなにかしらの手段を取らざるを得ない。もちろん、僕は大人なので大人な方法で。


 屋上からの階段をスタスタと降りて行く。雨で少し濡れた理沙の髪からフワッと香ってくるシャンプーか何かの香りに少しドキッとしながら、動揺しまいと気を張っているうちにいつの間にか軽音楽部の部室の前にたどり着いていた。

 するとどうだ、部室の様子を確認する限り陽介の姿はない。中にいるのは時雨ひとりで、ギターを抱えながら黙々とノートに何かを書き込んでいる。

「岩本のやつ、やっぱりいないな」

 理沙がコソっと僕に話しかける。

「うん。帰ったのかも」

「なんだよ、やっぱり放ったらかしかよ」

「いやいや、この様子だと多分、時雨が何か掴んだんだよ。邪魔にならないように帰ったんじゃないかな」

 薄情なやつめ、と理沙は言うが、僕は対称的に陽介らしいなと思った。アイデアが降りてきたときとか、上手く行きそうな道筋が定まったときとか、そういう集中が必要なときに彼は必ずひとりになりたがったから。

「しかし時雨、ものすごく集中しているな」

「うん。多分僕らの存在に気づいてないかも」

「……さすがに邪魔をしたら悪いな」

「そうだね。終わるまでどこかで待っていよう」

 僕らは部室の前から立ち去ることにした。時雨のあの様子なら、きっと陽介のアドバイスがハマったのだろう。曲が上手く作れないという悩みは一気に吹き飛んだかもしれない。

 明日になれば、また新しい曲が聴けるかもと思うと、奈良原時雨オタクの僕はワクワクが止まらなかった。




 翌日、放課後を告げるチャイムが鳴ると、僕は担任がホームルーム締める前にフライング気味で教室を出た。向かうのはもちろん屋上。今日の空は梅雨の時期にしては澄み渡っているので、雨に降られる心配はなさそうだ。

 屋上の扉を開けると、既に時雨と理沙がそこで待っていた。あれほど早めに教室を出たにも関わらず、どうやっても僕はこの二人より先に屋上に来ることができないのが不思議である。

「おー、やっと来たな」

「融、今日もビリだね」

「いやいや、二人が早すぎるんだって……。僕なんかチャイムが鳴るよりも少し早く教室を出ているのに……」

 それじゃあ私たちには勝てないなと理沙が言う。それで僕はすべてを察した。彼女たちは少なくともホームルームをサボっている。下手をしたら授業もサボっているかもしれない。そんなにサボって大丈夫なのかと僕が問うと、理沙が笑ってごまかす。

 学業面でピンチになったら、そ れはその時に考えればいいかと僕は軽くため息をついた。

「それで……、時雨の曲作りはどんな感じ? 陽介のアドバイスは効いた?」

「うん。昨日まで行き詰まってたのが嘘みたい」

 表情の振れ幅が控えめな時雨だけれども、今の彼女が清々しい気分であることはその顔から大体わかる。昨日の様子なら、さらりと一曲書き上げてしまっているだろう。

「そりゃ良かった。思い切ってあいつに頼んでみた甲斐があるよ」

「ありがとう融。岩本くんにも、あとでお礼しに行かなきゃ」    

「そうだね。まあ、あいつはそういうのいらないって言うかもだけど」

 確かに昨日もそんなことを言っていたなと時雨がつぶやく。陽介はああ見えて結構照れ屋で、直接的にお礼を言われるのは苦手だ。この恩は、できあがった曲を聴かせることで返すのが一番いい。

「それじゃ、早速だけど新曲聴いてくれる?」

「もちろん」

 時雨は大きく息を吸い込んで、できたてホヤホヤの新曲を奏で始める。そうして時雨の歌を聴いた瞬間、僕は何かが開けるような感覚に襲われた。

 それはおそらく、一周目の奈良原時雨を知っている僕からは想像もつかないような曲だったからだ。

 メロディはどこかで聞いた覚えがある。

 記憶を辿るとすぐに答えにたどり着いた。あのバンド合宿のとき、時雨が夜中に思いついたと言って奏でていたもの。とてもまっすぐで、透き通ったメロディ。

 そのメロディに乗った歌詞には、どこか切ない想いというものが等身大の言葉で綴られている。

 一周目で奈良原時雨の曲を聴き漁った僕だけど、彼女のレパートリーの中にこんな曲はない。つまり、時雨はこの二周目で別の進化を遂げているのだ。

 この歌詞を書くのに至るまで、彼女に大きな心境の変化があった。さらに陽介のアドバイスが楽曲を作る能力をも進化させた。そんなダブルの要素が相まって、ものすごい曲ができたのだと僕は確信する。

 歌い終えた時雨はうっすら汗ばんでいた。思わず熱唱してしまったのだろう。自然と僕も理沙も拍手をしていた。

「ど、どう……、かな?」

「すごく良いと思う! 『our song』にも負けない神曲だよ!」

「ほんと……? よかった……、完成させたいのにずっとまとまらなくて、やっとできた曲なんだ」

「これならコンテストも勝ち抜けられるよ。なあ理沙?」

 理沙の方を向くと、彼女はなぜかぼーっとしていた。新曲の出来があまりに良いからあんぐりとしているのだろうか。

「……理沙?」

「あっ、ああ、すまん。すげー完成度だな。これでコンテストもバッチリだな」

 どこか上の空ながら、やはり時雨の曲のクオリティの高さには驚いている。そんな様子の理沙だった。

「ありがとう。二人がそう言ってくれると安心する」

「それじゃあ、早いところこの曲のバンドアレンジをしないとね」

 早速僕らは新曲のアレンジを考え始めた。屋上にはギターアンプやドラムセットは無いので、楽器の生音を鳴らしてアイデアを出していく。時雨の生み出したメロディとギターの伴奏に合わせてドラムとベースを付け足していくと、あっという間にバンドらしい曲に変貌してきた。

 僕が少し気になったのは理沙のベース。いつもは直線的で無骨なベースラインを刻むのが彼女のスタイルなのだが、今日はそうではなかった。普段はやらない指弾きで、少しテクニカルにアプローチをしてくる。もちろん理沙の腕前なので下手ということはない。でも彼女の良さが出ているかといえば、僕は首を横に振らざるを得ない。

「理沙、なんだかいつもと違う感じのベースじゃない?」

「うん、私も思った。なんだか大人っぽい感じ」

「……ちょっと私なりに、頭を使ってベースラインを考えたほうがいいかなって」

 頭の良い理沙ならではの考えがあるのだろう。そう思った僕と時雨は深く追求することはしなかった。

 梅雨の谷間で澄み渡っていたはずの空は、また少しずつ雲に覆われ始めていた。


※サブタイトルはDOES『曇天』

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