第三章 青の歌

 ――曲が上手く作れない。

 そんな事態に陥ったのは、これが初めてではなかった。

 キャッチーなメロディ、歌詞に活かせそうな言葉、そういうものはたくさん思い浮かぶのに、それがどうしてかひとつにまとまらない。

 これらが全部繋がればいいのにと思うのだけれども、それを実行する能力みたいなものが私には足りないのだと思う。

 あの曲――「our song」が出来上がったときはなぜか上手くいったのに、その再現ができずに私は悩んでいた。

 融も理沙も、私の作る曲をすごいと言ってくれる。ひとりぼっちで私に光を当ててくれた。そしてやっぱり二人とも、私が次に作る曲に期待をしている。信頼してくれる二人からの期待には絶対に応えたい、その気持ちは確かにあったのだけれども、逆にそれが心理的な重圧になっていた。

 誰かに助けてほしいとは思いつつ、頼ってばかりでいいものなのだろうかと私は私自身にずっと疑問を投げつけ続けていた。

「大丈夫。僕がなんとかあいつにアドバイスがもらえないか頼んでみるよ」

 ある週末、気晴らしに出かけた公園でのこと。私は融へ悩みを打ち明けた。するとどうだ、もやがかかって視界不良だった私の心はすっと軽くなったのだ。

 いつも融には助けられてばっかりだ。ちゃんとこの恩を返せるように頑張らないとなと思う。




 後日、融と一緒に岩本くんのもとへ向かった。

 週一回開催される軽音楽部のミーティング。彼は必ずここに現れるのでコンタクトを取るならこのタイミングが間違いない。

「なあ陽介、ちょっと話があるんだけど」

「なんだ? 曲作りに行き詰まって助言が欲しくなったような顔してるけど」

「……そこまでわかってるなら話は早いな」

 その一言二言で空気が少しひりつく。 

 融と岩本くん、この二人の間柄はあまりよく知らないのだけれども、仲が良いと言うのはちょっと無理があるかな私は感じている。

 融は最初、岩本くんとバンドを組むことを拒否した。それは私と組みたいというのが表向きの理由だったけれど、今思えば何か少し不自然な気がする。本当は、絶対に岩本くんと組みたくないという、そういう意志のほうが強かったのかもしれない。

 なぜ融は岩本くんとバンドを組みたがらなかったのかはよくわからない。でもその割にはこうやって会話を交わすので、なんだか不思議な感覚だ。男の子同士の仲というのは、こういうものなのかなと私は考えてしまう。

「頼む、ちょっと陽介にアドバイスをもらいたいんだ。お前が軽音楽部の中で一番頼れるのは間違いないし」

「どうして俺がこの部で一番頼りになると思ったんだ? 曲作りのことなんて誰にも話したことないはずなんだが」

「そ、それは……、ほら、陽介の作る楽曲を聴けばわかるというか……」

 融は少し回答に困ったようにそう返した。曲作りにあまり明るくないと言っていた彼だけれども、岩本くんの曲には聴けばわかる何かがあるのだろう。それがなんなのかまだわからなくて、私は少し悔しいようなもどかしいようなむずむずした感覚を覚える。

 岩本くんは融が回答を濁している間、少し遠くの方を見て軽くため息をついた。

「……まあ、別に構わないよ。他人様の作品に対して好き勝手に口を出せる機会なんてなかなかないからな」

「ほ、本当か!? とても助かるよ!」

「お前らが望むような助言ができるかは別だが。下手をしたら、ただボロクソ言うだけかもしれないぞ?」

「ああ。それでもずっと悩み続けるよりはいい」

 融が力強くそう言うと、岩本くんは少し呆れ気味に小さなため息をついた。

 とりあえず曲作りについてアドバイスをもらうことはできそうだ。なにかこの閉塞した状況を破るきっかけを掴めるよう、頑張らなくては。

「じゃあ明日の『後枠』の時間に部室に来ればいい。そこで待ってる」

「う、うん。よろしく頼むよ」

「奈良原はそれでいいのか? さっきから黙りこくっているけど、当事者はお前だろ」

 岩本くんの視線がこちらへ向いた。ついボーッとしてしまっていた私の意識は、冷たい水をかけられたかのように引き締まる。

「えっ、も、もちろん、よろしく……、お願いします……」

「……ホント、そんなんで大丈夫なのかよ」

 小さい声で岩本くんがそう吐き捨てると、彼は用が済んだと言って部室から立ち去っていった。

 無理もない。彼からしてみたら、自分に勝ったくせにアドバイスを寄越せと言われている状態なのだ。負けた身からすれば悪態もつきたくなる。

「ま、まあ、大丈夫だよ時雨。普段からあいつ、ああいう感じだし」

「うん……」

「根は良いやつだから、ちゃんとアドバイスはくれると思うよ」

「ちょっと安心した。……それにしても、融は岩本くんのことをよく知ってるね。昔から知り合いなの?」

 何気なく疑問に思ったことを融へ投げかけてみると、彼は少し慌てふためく。

「べ、別にそういうわけじゃないよ。ツレに陽介とよく似たやつがいるんだ。ははは……」

「よく似た友達がいたって言っても、その人はその人で岩本くんは岩本くんじゃないの?」

「そ、そうだよね。じゃあ、前世で会ってたのかも……?」

 融の回答はしどろもどろだった。言いたくないことがありそうな気がしたのでこれ以上問い詰める気は起きなかったけれども、融はなぜか岩本くんについてやたらと詳しい気がする。二人の間に何があるのか、私はすっかり気になってしまっていた。




 翌日。私と融、それに理沙を加えたいつもの三人で部室へ向かった。

 昨日のミーティングで決めたこの先一週間の部室の時間割表を確認すると、そこには岩本くんたちのバンド名である『ミスターアンディーズ』と表記されている。

 彼らのバンド練習時間を削ってまでアドバイスをもらうというのは少し心苦しい感じもあった。けれども、いざ部室の扉を開けるとそれが杞憂であることに気付かされる。

「あれ……? 陽介ひとりなのか? てっきりバンドで練習をしてるものだと」

「二人とも用事があるんだとさ。だから暇つぶしにはちょうどいいってことだよ」

「暇つぶしって……。まあいいや、それじゃあよろしく頼むよ」

 私たちはいつも練習を始めるときのようにそれぞれ楽器のケースを開け始める。すると、岩本くんがとっさにそれを遮ってくる。

「待てよ。これはソングライター同士の話だ。悪いけど、奈良原以外の二人は出ていってくれ」

「えっ?」「は?」

 融は虚を突かれたような、理沙は理不尽だと言わんばかりの反応をする。かくいう私も、予想していなかった岩本くんの言葉に静かに驚いていた。

「こういうときに当事者以外の人間がいることは、ノイズ以外のなんでもないからな。話し終わるまでどこか別の場所に行ってくれたほうが気が散らなくて済む」

「そ、そう言われてしまうと僕も返す言葉がないな……」

「……ったく、これが時雨のためじゃなかったらキレていたところだよ。融、仕方がないから屋上で時間を潰そう」

「そうだね。じゃあ時雨、話が終わったら屋上に来てよ。僕は理沙とメトロノームで基礎練してるからさ」

 融にそう言われ、私は静かに首を縦に振った。


 残されたのは私と岩本くんの二人だけ。

 これから彼と一対一で曲作りについて話さなければならないと思うと、少々身体が強張ってしまう。岩本くんのことが嫌いというわけでは無いけれども、融以外の男子生徒と話すことなどほぼ皆無に等しいので、どうしても身構えてしまう。

「そんじゃ、時間ももったいないし早速始めるか」

「は、はいっ……!」

「……そんなにビビらなくてもいいだろ。別に」

「そ、そうだね……、あはは……」

 私たちはとりあえずお互いにギターをケースから取り出して、部室に備え付けてあるパイプの丸椅子に座る。

 背が高くてギターも相当上手いという岩本くん。ギターを構えるだけで、写真集の表紙を飾れそうな雰囲気がある。抱えている白いギターも彼の佇まいによく似合っていた。

 準備ができたところで、岩本くんが緊張感の漂うこの空間をなんとかしようと口を開いた。

「まずはそうだな……、作りかけている曲を少し聴かせてくれよ」

「ぜ、全然出来てないんだけど、それでもいい?」

「構わない。とにかく現状把握が必要だ」

 私はおそるおそるとある曲を弾いてメロディを歌い始める。それはあのバンド合宿の夜に思いついたメロディだ。

 歌詞も完成していなければ、ワンコーラスを通して演奏できるかもあやしい、なんとも中途半端な完成度だった。

 そんな曲と呼べるかも微妙な作品を前に、岩本くんは真剣な表情で聴き入っていた。すると、なぜだか彼の視線は私の左手のほうに集中していることに私は気がついた。

「……こんな感じなんだけど」

「なるほどな」

 演奏し終えると、岩本くんはなにかに気がついたように納得する表情を見せる。私の左手――ギターの弦を押さえる手を見ていたあたり、演奏技術に問題があるのだろうか。

「奈良原、コード進行ってどう考えてる?」

「コード進行?」

 コードというのは日本語でいうと和音のこと。複数の音の重なりで、歌メロディの伴奏を担うものだ。私は右利きなので、左手でギターの弦を押さえて、右手で弦をかき鳴らすとその和音が得られる。

「知っているとは思うけど、コード進行っていうのはギターコードの並び順だ。その並び方にはセオリーがあって、お決まりのパターンっていうのもある程度存在する」

「そ、そうなんだ……」

 私は少し気まずくなって弱々しく返事をしてしまった。実を言うと、あまりその辺のことを意識していないので自分の感覚に頼り切ってしまっている。ここでそんな無知を晒してしまったらさすがに岩本くんは怒ってしまうだろうなと、私は視線を明後日の方向に逸らした。

「……つかぬことを訊くんだが、奈良原、なんとなく感覚でやっているとは言わないよな?」

「えっ、ええ……、それは……、その……」

「……やっぱりな。どうりでデタラメなコード進行だなと思ってたんだ」

 岩本くんは呆れたかのように頭を抱えた。先程彼が私の左手をよく見ていたのは、何のコードを押さえているか確認をするためだったらしい。

「ご、ごめんなさい……、そういう理論的なところってどうも苦手で……」

「マジかよ……。じゃあ、この間のライブで演奏してた曲はどうやって書いたんだ?」

「あれはよくわからないんだけど、気がついたらしっくりくるようになってて……」

「感覚だけであの曲を書いちまうって、奈良原お前本当に……」

 岩本くんの呆れが驚きへと変化していく。全然自覚はなかったのだけれども、彼の表情から察するに私はいつのまにかすごいことをしていたらしい。

 コード進行のセオリーも理解せずになんとなくで曲を書いていくことは、それなりに難しいことなのだと彼は言う。

「驚いたよ。天才ってのは本当にいるもんなんだな」

「て、天才だなんてそんな……」

「ちゃんとセオリーを理解したらとんでもないことになるかもな。こんな地方の、ちょっとした街におさまるのがもったいないくらいのバンドに」

「そ、それは言い過ぎだよ……」

 私は思わず謙遜してしまう。褒められ慣れていないというのもあるけれど、実力も知識も兼ね備えた岩本くんにそんなことまで言われてしまうと、どう反応していいかわからなくなってしまう。

「いや、お世辞抜きですごいと思う。同じソングライターとして悔しいけど、良いメロディ作ってる。歌もいい」

「ちょ、ちょっと……、岩本くん、褒めすぎ……」

 照れてしまっている自分がいた。こういう一見冷たそうに見えてきちんと褒めるところを褒めるあたりも、彼が人気者たる所以なのだろうなと思う。

 私と違って、岩本くんの周囲に人が集まりやすいのは、何か人間として根本的なものが違うのだろう。

「まあ、とにかく今はコード進行のセオリーを覚えてしまえばいいんじゃないか。やってみたらそんなに難しくないから、すぐにできる。ある程度で良ければ、俺も教えられるし」

「本当?」

「ああ。多分、さっき歌ってたメロディもコード進行をセオリーに則ってきちんとギターを弾けばかっこよくなるさ。例えばこんな感じに――」

 岩本くんは自分のギターを鳴らしながら、先程私が歌ったメロディの一部を真似し始めた。

 自分ではどうやってもしっくり来なかった部分が、彼の手であっさり変貌を遂げていく。使うコードと順番を考えるだけで、こんなにも曲が変わるということに私は驚きを隠せなかった。

「す、すごい。ぜんぜん違う曲みたい」

「だろ? 同じメロディでも、コード進行を少し変えるだけで曲の表情が変わったりする。慣れてくれば、あえてそこを変えて曲にメリハリをつけるとか、そういうテクニックもある」

「へえー……」

 私はただただ感嘆の声をあげるだけだった。でも、それと同時に、閉塞感を打ち破る解決策が見つかったような気がして、重苦しい気持ちがだいぶ楽になった。この機会に、私自身を成長させられるかもしれない。そう思ったときには、次の言葉が口から出ていた。

「あ、あのっ、私にコード進行とか、理論的なことを教えて下さいっ!」

 改めて岩本くんに頭を下げた。すると彼は当たり前のようにこう言う。

「いや……、俺、そのために今日こうやって時間をとったんだけど……。まあいいか、善は急げだ。早速やるぞ」

「はい!」

 そこから小一時間、彼の音楽理論講座が始まった。

 こういうとき、私はよくゾーンみたいな状態になりやすい。短時間だけれども、ずば抜けて集中できるようなそんな状態。自分で上手くコントロールできれば良いのだけれども、こればっかりは自然発生みたいなものでどうにもできない。ただひとつ、今よりずっといい曲を作りたいという、その一心がスイッチなのかもしれない。

 合宿のときに思いついたままちぐはぐな状態だったあのメロディには、岩本くんのアドバイスもあって相応しいギターコードが並べられていく。気がついた頃には、本当に同じメロディなのかと思うくらい見違える出来になっていた。

「……驚いたな、もう基本的なところはマスターしているみたいじゃないか」

「ほ、本当?」

「ああ、セオリーがあるとはいえ身につけるにはそれなりに時間がかかるものなんだが……。すごいな」

 岩本くんは驚きの表情を浮かべていた。彼にはクールで落ち着いているイメージがあるので、その驚きようからお世辞ではないのだろうということはなんとなくわかる。

「まあ、そこまでできるなら作曲に関して心配はいらないな」

「そう言ってもらえるなら、大丈夫そうかも」

「あとは……、歌詞か」

「歌詞……、かぁ……」

 やりたくない宿題を思い出したかのように、私は軽くうなだれる。

 一難去ってまた一難。歌詞を書くことの進捗もあまりよろしくはない。メロディと同じで、断片的なものがたくさん浮かんでくるけれども上手くまとまらない。せっかくメロディがなんとかなりそうなのだから、こちらも早急になんとかしないと。

「歌詞は難しいよな。俺も正解がわからない」

「うん……、たまたまうまくいくこともあるけど、再現ができないというか……」

「理論的にどうこうできるものでもないしな。こればっかりはセンスだよ」

 やっぱりそうだよなあと私はもう一度うなだれる。曲作りに関してなんでも知っていそうな岩本くんが「センス」というぼんやりした言葉で片付けてしまうぐらいなのだ。私が悩んだり考えたりしてどうこうできるかと言われれば微妙なところ。

「でも、センスが無いなりにこうしたらいいんじゃないかって思うところはある」

「どうしたらいいの?」

「そんなに難しいことじゃない。ただ単純に、自分の言葉、感情、意識、そういうものを書き出せばいいんじゃないかって」

「それって……、割と当たり前のような気もするけど」

 自分の気持ちを自分の言葉で歌詞にする。すごくシンプルなことだけれども、案外これを実行するのは難しいらしい。

「人間ってどうしても自分をよく見せようとしちゃうからな。ありもしない『理想の自分』とか、作り上げた『赤の他人』になったつもりで歌詞を書いてしまうことがある」

「でも、そういう歌詞を書く人もいるよね? 女の人が男の子の視点で歌詞を書いたりとか」

「そう。そういうのはやっぱりセンスがあるってことなんだよ。だからみんな真似したがる。けれども、そこには結局自分がいないから、センスがないやつが書くと誰にでも書ける凡庸なものにしかならない」

「自分がいない……か」

 その言葉の意味を私は噛みしめる。自分のことを表現したいのに、自分ではない誰かのふりをして歌詞を書くなんて、確かにおかしいことだ。でも彼の言うとおり、そういうことをやってしまいがちなのも事実。

 自分にしか書けない、自分の言葉や気持ち。そこを深堀りすれば、もっと今より良い歌詞が書けたりするのかもしれない。

 少しだけビジョンが見えてきた気がした。ぼんやりだけれども、何も見えないよりはいい。

「……わかった。ありがとう岩本くん。なんとなくだけど、掴めてきたかも」

「そうか。そりゃ良かった」

「あの……、私はどうお礼をしたらいいか……」

「そんなのいいよ。こっちも勉強になったから、それでおあいこってことで」

 岩本くんは柔らかい表情でそう言う。ついさっきまでクールで怖そうな雰囲気すらあったのだけれども、いつの間にか平気になっていた。

 その刹那、緩んでいた岩本くんの表情が一瞬引き締まった。

「なあ奈良原、ちょっと訊きたいことがあるんだが」

「なに? どうしたの?」

「融のことなんだけどさ」

「融のこと?」

 岩本くんの口から出てきたのは意外な言葉だった。あまり岩本くんと融は仲が良さそうに見えないだけに、彼がそこを気にしていることに少し驚いた。

「融のやつ、お前らのバンドしかやっていないのか? 他のバンドの掛け持ちとか、そういうのは……」

「う、うん。私たちのバンドだけだと思うよ。掛け持ちもしてない」

「……そうか」

 彼は言葉のトーンを一気に三段階ほど落とした。落ち込んでいるようにも見えるけど、なぜか安心している感じも見受けられる。

「あれだけの腕前があるのにひとつのバンドにこだわるのって、よっぽどお前らが良いバンドなんだなって思うよ」

 それは彼から発せられた、羨ましいという素直な気持ちだった。直接ではないものの、褒められたような気分になって私は少し嬉しくなる。

 同時に、その質問の意味を少し深掘りする。岩本くんは、ドラマーの融が自分のバンドに入ってほしいとまだ思っているのだろうか。

「もしかして、岩本くんは今度こそ融とバンドを組もうって考えてるの?」

「いや、それはあいつが嫌がるだろ。なんだか俺のこと、ちょっと目の敵にされている節があるし」

「うーん……、そんなこともないと思うんだけど」

 融の言動を聞く限りは、それほど岩本くんのことを嫌っているようにも思えなかった。ただなんとなくこの二人の間には気まずくなってしまう「何か」があるのだろうと思う。でもそれはきっと、私がすぐにどうこうできる問題ではない。

「大丈夫だよ。今は気まずいかもだけど、そのうち仲良くなるチャンスはあるよ」

「そうかな」

「私がそうだったから、きっとそう」

「だといいけどな」

 中学時代の一件で微妙な関係にあった私の親友、石本美緒のことを思い出した。彼にかかれば人間関係の修復なんて容易いことなのではないかとすら思ってしまう。ましてやこれは融本人のことだ。きっかけがあればそのうち岩本くんと仲良くなるだろうと思う。

「それはそうと、融に変な勧誘が来てなくて安心した」

「変な勧誘?」

「ほら、この間お前らも見ただろ。あの三年の建山って人。気をつけたほうがいい」

「ああ、あのちょっと怖そうな人……」

 彼に言われて建山さんという人の顔を思い出した。チャラそうだけど、どこかずる賢さを感じる風貌。確かあのときは岩本くんのことを執拗に勧誘していて、岩本くんが断った途端態度が変わったのを覚えている。ああいう人が苦手か得意かと聞かれたら、間違いなく苦手だなと思うタイプの人だ。

「他のバンドからメンバーを引き抜いたり、酷いときはバンドを解散するように仕向けたりするって噂もある。だからあの人には関わらない方がいい」

「わ、わかった。気をつける」

「バンドを大事にしたいなら、建山さんだけじゃなく他からの勧誘にも気をつけろよ。もちろん融だけじゃなくて奈良原も片岡も」

「私も?」

 岩本くんは当たり前だろとツッコミを入れる。

「自分にその気がなくても、案外そういうところからバンドに亀裂が入ったりする。バンドが解散するときはだいたい、人間関係かお金だよ」

「う、うん……、気をつけるよ」

 妙に説得力のある岩本くんの言葉に、私は少し背筋が寒くなった。

 このバンドが解散の危機に瀕してしまったらどうしよう。考えたくないことではあるけれど、乗り越えなければならないときがいつか間違いなくやってくる。それこそ岩本くんが言うみたいに、融が他から勧誘されてどこかへ行ってしまうかもしれない。ドラムが上手いからありえないことではない。

 もしも融が自分のそばからいなくなってしまったとしたらと考えると、喉の奥のほうが鈍く痛くなった。

 単純にそうなったならば嫌だなと、いなくならないでほしいなと思ってしまうのだ。ても、そうなってしまったとき、私は彼を引き止められるだけの人間であろうか。高みを目指す彼に対して「行かないで」と言えるだろうか。そんなことを考えるたび、また喉の奥がチクチクと痛む。

「……そっか、こういう気持ちを書けばいいんだ」

 自分の言葉、感情、意識、そういうものを書き出せばいい。岩本くんはそうアドバイスをくれた。

 まさにこれだ。この気持ちをそのまま、歌詞に仕上げてみたらどうだろうか。それなら一番自分らしくて自分にしか歌えない、そんな歌になる。

 今すぐペンとノートを持って書き出したい衝動に襲われる。けれども、今は岩本くんからアドバイスを貰うための時間なので、その衝動をぐっとこらえる。

「ん? どうした?」

「い、いや、なんでもない。ちょっといいアイデアが浮かんだかもしれないから、後でまとめようかなって」

「そういうのはすぐに文字に起こしたり記録したりしたほうがいい。ふわっと思いついたことは、ふわっと消えていくから」

 彼はそう言うと、おもむろに担いでいたギターをケースにしまい始めた。

「帰っちゃうの?」

「ああ、もう心配いらなそうだしな。アイデアがまとまりそうな時って、ひとりにしてほしいものだから」

 ギターケースを背負った岩本くんは、部室のドアに手をかける。私はお礼を言わなきゃと思って、とっさに声を出す。

「あ、あのっ……!」

「礼はいいよ、あとでその曲聴かせてくれればそれでいい」

 彼は振り向かずに部屋から立ち去っていった。心なしかその背中は少しだけ寂しそうに見えた。声をかけなきゃいけないかもしれないと思ったときには、もう岩本くんの姿は見えなくなっていた。

「……ううん、それよりも早く曲を書き上げないと」

 鉄は熱いうちに打てという言葉を現代文の教科書で見た覚えがあるけれども、今まさにその状態だ。岩本くんの厚意を無駄にしないためにも、すぐ取り掛かるべきだろう。

 いつもアイデアを書き殴っているノートを取り出すと、シャープペンを手にとって気持ちを文字に起こす。

 メロディがコードに乗って、さらに感情が言葉になってメロディに溶け込んでいく。あれほど難産だったこのバンドの二曲目は、あっという間にできあがってしまった。

「タイトルはどうしようかな……」

 ふと手元を見ると、右手に握られていたシャープペンは透き通った青色をしていた。

 これしかないなと思った。この気持ちを表すのに相応しいタイトルかつ、シンプルでわかりやすいワード。

「これでよしっと……」

 ノートのページ上段、日付欄の下のやや幅広な行。勉強でノートを取るときには、決まって私はここに見出しを作る。その場所に私にしては少し筆圧の高い字で、

『トランスペアレント・ブルー』

 と、それだけ書き記した。


※サブタイトルはASIAN KUNG-FU GENERATION『青の歌』

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