第二章 アルクアラウンド

「お、おまたせ、融。……もしかして、待った?」

「ううん、僕もさっき来たばかりだよ」

 週末土曜日の昼下がり。梅雨真っ只中ながら、天気はなんとか持ちこたえていて曇り空。

 街の中心部、大昔に徳川家康が住んでいたとかいないとかというお城がある公園で、僕は時雨を待っていた。

 曲作りに行き詰まった時雨をなんとか助けようと僕なりに考えた方法は、公園に散歩に行くというただそれだけのことだった。他に気の利いたことなどまったく思いつかなかったのだけれども、とにかく気晴らしぐらいにはなるだろうと提案してみた。すると時雨は意外にも、悪くないねと返事をしてきたのだ。

「そっか、だったら良かった」

 遅刻したかと思っていたのか、時雨は僕の言葉を聞いて安堵した表情を見せる。

 ロングスカートとお気に入りのバンドTシャツを組み合わせたコーデはお世辞抜きで時雨によく似合っている。暑いような涼しいようなこの微妙な天候にはちょうど良いかもしれない。

 軽く息を切らす時雨をよそに、そんなに慌てなくても大丈夫だよと僕は腕時計を見る。そこに刻まれていた時刻は十一時二十七分。約束した時刻の二分前だった。

「あれ? 理沙は?」

「家の手伝いがあるからやっぱり今日はちょっと難しいってさ」

「そっか……、昨日も行けるかどうかわからないって言ってたもんね」

「うん、お父さんの選挙も佳境みたいだしね。家のことを手伝うっていうのも理沙とお父さんとの約束だから」

 理沙の父親――片岡かたおか英嗣ひでつぐさんは現在県議会議員を務めている。僕の記憶のとおりに物事が進むのであれば、今行われている県知事選挙に当選して、晴れて彼は県知事となる。

 まだ投票権のない僕ではあるけれど、ニュースや新聞を見ていれば自然に選挙の情報が入ってきていた。下馬評の時点で彼を支持する人たちが多数を占めていて、当選はほぼ確実だろうと言われている。

 理沙が手伝おうが手伝わまいがその事実がひっくり返ることはまずあり得ないだろう。しかし、当選するかしないかが重要なのではない。親子の絆を深めるためにこの時間は大切なものだ。その大切な時間を邪魔してしまうのはさすがに忍びない。

「まあ、今日のところは二人ってことになっちゃったけどさ、思い切りリフレッシュしようよ」

「そうだね」

「とりあえずお昼でも食べよう。このへんは人が多いから、早めに行かないとね」


 僕ら二人は一旦公園から出て、近くにあるカフェの中に入る。

 一周目のころに一度だけ行ったことがあったカフェで、知らず知らずの間に大人気のお店になっていた所だ。久しぶりに入ろうと思ったら行列ができていて入店を諦めた記憶があるが、まだ二周目のこの時点では人気になる前なのか、それほど混んではいなかった。

 店内はハワイアンテイストで、ふかふかのソファ席がある。天気のいい日はオープンテラスで小瓶のビールでも開けながら、この店ご自慢のガーリックシュリンプでもつまめたら最高だろう。

 しかし、タイムリープで十六歳になってしまった僕がそれを実行できるのは最速でも四年後だと思うと、少し悔しい気持ちになる。

「へえ、こんなお店があったんだ。すごくおしゃれだね」

「メインの通りからは外れているからちょっと目立たないんだけど、いい感じだよね」

「融はよくここに来るの?」

 いや、一度来たことがあるだけだよ、という言葉が口からこぼれそうになって、ギリギリのところで踏みとどまった。

「う、ううん、ずっと気になっていたんだけど、行く機会がなくてさ。男一人だと入りにくくて……、ははは……」

「確かにおしゃれなお店って、一人だと入る勇気ないかも」

「でしょでしょ、だから時雨とか理沙がいるときに行かないとなーって思ってたんだ」

「それ、野口のぐちくんとかじゃなくて、私や理沙なんだね」

 時雨からそんなことを言われるとは思っていなかったので、僕は虚を突かれてしまった。

 ちなみに、野口というのは小中高同じである僕の古くからの親友だ。フルネームは野口のぐち慶太けいたなのだけれども、「野口」という名字の語感が僕の口に馴染むのか、十年以上ずっと野口のことは野口と呼んでいる。そのせいもあって、野口が僕呼ぶときも「芝草」呼びである。

「野口とメシに行くのにおしゃれなお店はもったいないからね。僕らぐらいになると、ショッピングモールのフードコートにあるスガキヤのラーメンが一番しっくり来るんだ」

「私とスガキヤは似合わない?」

「そういうわけじゃないよ。ただまあ、なんというか……」

 僕は慎重に言葉を選ぶ。おそらく時雨は、僕と野口の男の友情みたいなものがあまり良くわかっていないのだと思う。親密であるがゆえに僕が野口のことを少し雑に扱っているところを見て、自分が丁重に扱われていることに少し距離を感じてしまった、そんなところだろうか。

 もちろん時雨に対して距離を取っているわけではない。バンド仲間である以上は適切な距離感というものが存在するかもしれないが、時雨と親密になることのデメリットは今のところ何もないので、彼女のその見立ては不正解である。

「言うなれば……、僕にもちょっと見栄を張らせてほしいってところかな」

「見栄?」

「男の子っていうのはみんな、カッコつけたい生き物なんだよ」

 柄にもなく恥ずかしいことを言った自覚があったので、僕はそう言い放ったあと逃げるようにソファ席に座った。

 それからワンテンポ遅れて、不思議そうな表情をした時雨が僕の向かいに座る。僕はメニューを手にとって時雨と一緒に少しだけ悩んだ後、店員さんへ二人分のオーダーを告げた。

 しばらく待っていると、テーブルに置かれたのはこの店の雰囲気にぴったりのハワイアンなハンバーガーだった。時雨はやや大きめのそのハンバーガーのサイズに戸惑いながらも、包み紙を手に持って思いっきりかぶりつく。お腹が空いていたのかその表情が緩んでうっすら微笑んだ後、ふと我に返って視線が僕の方に向く。気の緩んだ姿を見られてしまったのが恥ずかしかったのだろう。それ以後はハンバーガーにかぶりつく口の大きさが若干小さくなったような気がした。

「時雨って、案外美味しそうにハンバーガーを食べるんだね」

「そ、それって、褒めてる……?」

「褒めてる褒めてる。逆に、お口に合わなくて不味そうな顔されたらどうしようかと思っていたよ」

「心配しなくても、とても美味しいよ」

 それならばよかった、と僕はわざとらしく胸を撫で下ろした。なるべく時雨の緊張感を解いてやりたかった。おそらく彼女も理解しているだろうけれど、今日の本題はただおしゃれなカフェでハンバーガーを食べてお城のある公園の中を散歩することではないのだ。

 一通りハンバーガーのプレートを平らげたところで、僕は話題を切り出す。その話題というのはもちろん、時雨の曲作りが上手くいっていないことについてだ。

「ねえ時雨、新しい曲の調子はどう?」

 さり気なく言ったつもりだったけれど、やはり話題が話題なのか二人の間の空気感には変化が起こった。

 時雨は何を言ったらいいのかわからないような、もしくは、何から話し始めたらいいのかわからないような困惑の表情を浮かべた。

「えっと……、うん、まあ、ぼちぼち……」

 予想通り、とても端切れの悪い回答だった。

「上手く言っていないなら正直に言ってほしい。僕らを心配させたくないがために曖昧な返事をするとか、そういう心遣いはかえって自分の首を絞めることになるから」

 時雨はその言葉に観念したのか、張り詰めていたものが開放されるかのように大きなため息をつく。

「……融の意地悪」

「ごめんごめん。でもこれは多分、僕からしか言い出せないと思うからさ」

 ここで話すのもなんなので、僕らはカフェを出てもう一度公園の中に入ることにした。


 県内随一の桜の名所と言われるこの公園だが、すでにその後自慢の桜の花は散ってしまっている。

 夏になれば大規模な花火大会もあるのだが、この時期は何をするのも中途半端。休日とはいえ、少し人出はまばらに見える。

 ハンバーガーの腹ごなしにと少し歩き始めた僕ら二人は、公園の中心を流れる川のほとりにいた。

「ごめんね、なんだか私のせいでみんなを困らせちゃってるみたいで」

「そんなの気にしなくていいよ。曲を書くのは誰にでも出来ることじゃないとはいえ、僕らが時雨に押し付けてしまっているというのも事実だし」

 このバンドの主たるソングライターはもちろん時雨。『our song』が出来たときは、ギターと歌だけの弾き語りの状態のものを時雨が作り、そこに僕と理沙でドラムとベースを加えて調整をしていくスタイルで作り上げた。

 この手法が一番シンプルでやりやすい。現に僕が一周目で組んでいたバンドでもだいたい同じような方法で作っていた。様々なバンドに曲の作り方についてのアンケートをとったとしても、このやり方が多数派だと思う。

「僕ごときで役に立てるかわからないけどさ、悩んでいることは正直に打ち明けてよ。ひとりで抱えたままになるのは誰でもしんどいからさ」

「う、うん……」

 時雨がおそらくこういう困りごとを他人へ切り出すのが苦手なのだろう。僕の薄っぺらい人生経験からでも、周りに頼ることが出来ずひとりで抱え込むことほど最悪の結果を招くことはないとわかる。もしかしたら、なんでもひとりで抱え込んでしまう「抱え込みグセ」というものが、一周目で時雨が飛び降りてしまった原因のひとつになってしまっているかもしれないのだ。早いうちに悩み事や困りごとを外側に吐き出すクセを時雨につけておくのは、今後の彼女の人生がどういう道を歩もうとも必要になると思う。

「あのね、決して曲作りをサボっているわけじゃないんだ」

「それは大丈夫、僕も理沙も時雨がそんなにものぐさだとは思っていないよ。他に理由があるんでしょ」

「……うん。これまでは自分のためだけに曲を書いていればよかったんだけど、今はもうそうじゃないんだなって思っちゃって……」

「もしかして、みんなのために頑張らなきゃっていう重圧を感じているの?」

 僕が具体的に時雨の悩みについてアプローチしてみたところ、彼女は首を縦に振った。

「なんだかね、中途半端なものを作っちゃいけないなって思っちゃうんだ。みんなが納得する、完成度の高いものを作らなくっちゃって。それに……」

「それに?」

「未完成フェスティバルの二次予選ライブは、ネット配信があるでしょ? もしかしたら、海外にいるお父さんも見てくれるかもしれないし……」

 時雨のお父さんは仕事の都合で海外に住んでいる。なかなか演奏している姿を見せられないだけに、ネット配信がある予選ライブは自分を見てもらえる数少ないチャンスだ。

「……なるほど、そういうことか」

「自分でもわかってはいるんだよ。融も理沙も、どんな出来だろうとちゃんと私の作った曲に向き合ってくれる人だっていうのは。でも、私は私で、自分にいまいち自信が持てなくて……」

 現状、時雨が持ってくる曲というのが完成度の高い状態でなければならないという環境ではない。しかし、これまでひとりでずっとやってきた時雨にとって、仲間とはいえ他者の存在があるというのが、少なからずプレッシャーになっているのだろう。

「そういう状況だから、アイデアもなかなか出てこないって感じなのか」

「ううん、それはちょっと違うかも」

 予想外の返答に、僕は思わず素のテンションで「え?」と発してしまった。

「ち、違うの? 僕はてっきりプレッシャーでアイデアが出てこないものだと……」

「あのね、決してアイデアが出ていないわけじゃないんだ。メロディを録音しているスマホとかICレコーダーも、歌詞のメモに使っているノートも、中身はパンパンになってる」

 時雨はそう言って自分のスマホを取り出し、録音アプリの中身を僕に見せる。そこには、時雨の思いついた珠玉のメロディたちが何十件も保存されていた。

「本当だ、こんなにたくさんのメロディが……」

「寝る前とか、お風呂に入っているときとか、ギターを手癖で弾いているときとか、いろんなときに浮かんでくるんだ。だからいつの間にか、アイデアの数だけは貯まってて、こんなになっちゃった」

 時雨のアイデア自体は枯渇しているわけではなく、むしろ溢れ出ていてコントロールがつかないぐらいだった。

 だがそうなると疑問が出てくる。こんなにたくさんのアイデアがあるのにもかかわらず、なぜ時雨は曲を作ることができないのだろう。それは多分、一周目で二枚目のアルバムを出したときに四年の月日を要した理由でもあるだろう。そこを解決する事ができれば、時雨が悩むこともなくなれば、僕らのバンドの楽曲は大幅に増えることになる。

「そんなにアイデアが出てくるのに、どうして……?」

「なんかね、思いついたアイデア同士がうまくくっついてくれないんだ。だから断片的なものだけがどんどんたまっていっちゃって……」

「アイデアがくっつかない……?」

「うん。例えば、サビの最初の四小節だけとか、ここからサビに繋がったらかっこいいだろうなっていうBメロとか……」

 時雨の思いつくアイデアは、言うなれば適当に拾ってきたジグソーパズルのピースだ。そのピース自体には美しい絵柄が描かれているが、他の数多のピースとは噛み合わない。ゆえに、断片的なピースだけが時雨の中に溜まっていく。

 僕は曲作りに関して詳しいわけではないので、時雨の言う「アイデア同士がくっつかない」という感覚にいまいちピンとこない。ただ、この時雨の悩みの原因が生まれ持ったセンス的なものなのか、それとも後から身につく技術や知識的なものなのかと問われたら、答えは後者であると言える。

 なぜかと言われれば、奈良原時雨が一周目でやっとのことリリースした二枚目のアルバムのあと、三枚目のアルバム、その次の四枚目のアルバムが出るまでのスパンが格段に短くなったからだ。それはつまり、なにか技術的なターニングポイントがそのときの時雨にあったからだと、ここまでのことから推察が出来る。だから、今ここで時雨に技術的なアドバイスができれば、彼女自身はもちろん、バンド自体のレベルも上がるだろう。

「じゃあもしかしたら、作曲について詳しい人にアドバイスをもらえたら、何かつかめるかもしれないね」

「それはそうかもだけど……」

「まあ……、難しいよね。そんなに作曲に詳しい人なんて身の回りには――」

 自分でそんなことを言いかけて、僕はあることに気がついてしまった。

 いるじゃないか、作曲経験があるやつが。それも、めちゃくちゃ近くに。

「いや、待てよ、もしかしたら僕でも……」

「融が? 作曲を?」

「あっ、いや、さすがに時雨ほどじゃないんだけど、ちょっと経験があるんだよね。だから微力だけど力になれるかもって」

 一周目で僕はバンドを十年やっていたので、作曲経験が全くない訳では無い。

 メインで曲を書いていた陽介とはとても比べられないが、高校時代から音楽理論を学んだりや流行りを吸収したりすることは一緒にやってきたつもりだ。時雨のお悩みを解決するにあたって、多少の力になれるはず。

「そ、そうなんだ。融って、曲作りの経験があったんだ」

「ま、まあ、多少だけどね」

 そう言うと、ふと時雨が不思議そうな顔をする。

「なんだか私の知らないことばかり融は知っているね、すごいや」

「いや、そ、そういうわけじゃないよ。ほら、何ていうの? 下手の横好き? そんな感じだよ」

 僕は笑ってごまかす。


 そんな感じで談笑しながら二人で川沿いをずっと歩いているうちに、いつの間にか公園の端っこまで来てしまった。ここを公園の一部と呼んでもいいのかわからないくらい雑草が生い茂っていて、ふと上を見上げると鉄道橋がある。

「ちょっと歩きすぎちゃったね。戻ろうよ」

「……」

 僕は思わず遠くを見てぼーっとしてしまっていた。この場所には、ちょっとした思い入れがある。

「……融? どうしたの?」

「えっ……? い、いや、ちょっとね、この場所は昔――」

 その瞬間、頭上の鉄道橋に名鉄名古屋本線の特急列車が通過していく。

  僕と時雨の会話はおろか、世界の音すべてを遮ってしまうようなそんな爆音だった。その音に呆気にとられていた僕らは、電車が通り過ぎて数秒してからやっと我に返った。

「……すごい音だったね」

「うん。なんにも聞こえなかった。でも、融は何か言いかけてたよね?」

「そ、そうだっけ? あんまり音が大きかったから忘れちゃったよ。ははは……」

 僕はわざとらしく笑ってごまかす。思わずポロリと言ってしまいそうだったことを、電車がうまいこと消し去ってくれたようだった。とてもやかましい音ではあったけれども、最近よく口が滑りそうになる僕にとっては良い助け舟だった。


※サブタイトルはサカナクション『アルクアラウンド』 

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