第2部

第一章 プロローグ

※縦読み推奨です(行間を開けてません)


 芝草しばくさとおる、二十六歳。いや、今はタイムリープを経てしまったので十六歳の高校一年生。

 一周目――タイムリープ前の人生での僕はといえば、あと少しでメジャーデビューができそうなロックバンドに所属するドラマーだった。しかし、デビュー直前でバンドをクビにされてしまったため、デビューの夢は叶うことなく表舞台から去った。

 それとほぼ同時期に、僕の推し兼ほんの少しだけ高校の同級生だった天才シンガーソングライターの奈良原ならはら時雨しぐれは、自宅マンションから飛び降りて自ら命を絶ってしまった。

 そしてなぜか原因は不明なのだが、そのとき僕は十年の時をさかのぼるタイムリープを経てしまったのだ。科学的に説明なんてつかない超常現象なので、このことについて考えるのは一番最初に諦めた。それよりもせっかく十年前に戻ってきたのだからということで、僕は一周目の二の舞にならない人生を送ることに決めた。

 もちろんそれだけではない。推しの奈良原時雨に自宅マンションから飛び降りてしまうような人生を送らせないため、僕なりに過去を変えてみようと思ったのだ。

 時雨が抱えている心の傷を克服させながら、もう一人家族事情に問題を抱えた片岡かたおか理沙りさというベーシストの少女を仲間に加えて、僕らはひとつのバンドになった。

 困難もいろいろあったけれど、「未完成フェスティバル」というバンドコンテストの出場権をかけたライブバトルに勝利し、ようやく新しい青春の一ページを書き直すリライトするところまでやってきた。これから先、キラキラなバンド漬けの青春が待っている。僕らはみんな、そう思って疑わなかった。


 夏がもうすぐ訪れる。というフレーズはなんとも耳触りが良い。しかし、実際のところ夏の前にはとても鬱陶しい梅雨が必ずやってくる。

 高まる湿度に加えて気温も地味に上がってきていて、首元を中心に不快指数がうなぎのぼりだ。爽やかな夏のイメージとはかけ離れた、気だるい季節である。

 湿気が肌にまとわりつく中授業を終えた僕は、半ばヤケクソ気味に日直の仕事をこなした。タスクを消化しきったら、商売道具のドラムスティックケースを手にとって屋上へと向かう。今日も今日とてバンドの練習があるわけで、部室が使える時刻になるまで屋上で自主練習をしようというわけだ。

 朝方から昼前まで雨が降り続いていたけれども、今は止んでいる。濡れていた地面は七割方乾いているといっても良いぐらいだろう。

 屋上への階段を登り、重たい防火扉を開くとそこには先客がいた。もちろんそれは、僕の大切な推し兼バンドメンバーである時雨だった。

「ごめんごめん、遅くなっちゃった」

「ううん、大丈夫だよ。今日は融が日直だって聞いてたから、私ものんびりしてた」

 時雨は壁にもたれかかりながら座っていて、愛機であるフェンダー・ジャズマスターをシャカシャカと鳴らしていた。目の前にノートが広げられているところを見ると、曲作りでもしていたのだろう。

「なんだそうなのか。まったく、石本いしもとさんのおかげなのか時雨に情報が伝わるのが早いなあ」

 僕はわざとらしく笑って見せる。

「実はさっきまで美緒みおちゃんもここにいたんだけど、部活があるからって行っちゃったんだ」

「あー、そういえばさっきすれ違ったよ。なんだか楽しそうだった」

 石本美緒、時雨の親友であり僕と同じクラスの女子生徒だ。訳あって時雨とは疎遠になっていたのだけれども、最近寄りを戻すことができたみたいだ。

 一周目ではひとりぼっちで過ごすことが多かった時雨は、いつの間にか高校を中退してしまっていた。それが今となっては親友がいて、信頼できるバンドメンバーがいるという状況になっている。僕が後押しをしたというのもあるけれど、やっぱり時雨が前に進もうと踏み出してくれたことが一番大きかったと思う。このまま彼女の人生が上手く進むように助けてあげられるのであれば、それは僕にとっても大変喜ばしいことだ。

「あれ? 理沙はまだ来てないの?」

 もう一人の大切なバンドメンバー、理沙の姿がそういえば見当たらない。いつもならば彼女は放課後になるとすぐに、いや、実際にはかなりフライング気味にこの場所へやってくる。なのでこの時間になっても姿を見せていないというのは、何かあったのかなと気になってしまう。

「えーっとね、さっきちょっと顔を出しに来たんだけど、何か思い出したみたいにどこかに行っちゃったんだ」

「なんだろう? 忘れ物でもしたのかな?」

「うーん、どうだろ……?」

 頭上に疑問符を浮かべる時雨。出会った当初は表情が固かったけれど、最近ちょっとだけ柔らかくなってきたような気がする。

 以前の時雨にはクールで無愛想な雰囲気があり、綺麗な見た目をしているのだが近寄りがたい感じがあった。しかし一緒に過ごす時間が長くなってくるにつれ、それはみるみるうちにほどけていった。透明感そのままでうっすら笑みを浮かべようものなら、世の男子、いや、女子までもが心を奪われてしまいそうな、そんな美しさがある。

「……融? どうしたの?」

「えっ? ああ、いや、ちょっとぼーっとしてた」

 時雨の姿に見惚れてしまっていた、とは言えるわけもなく、僕は適当に取り繕った。

 部室での練習までまだ少し時間がある。僕はスティックケースからドラムスティックを二本取り出し、練習用のゴムパッドを敷いて基礎練習に取り掛かる。イヤホンを着用して、スマホに入っているメトロノームのアプリから正確なリズムでピコピコと流れる電子音を聴き取り、それに合わせてスティックでゴムパッドを叩く。時雨と二人で黙々と練習や曲作りをしていれば、そのうち理沙もやってくるだろう。

 四分音符を叩くところから始めて、次第に八分音符、次にアクセントを交えたり、裏拍でとってみたりとバリエーションを出していく。三連符から十六分音符とだんだんビートが細かくなってきて、今度はダブルストロークに取り掛かろうとしたところで屋上の防火扉がゆっくりと開いた。

「悪い悪い、遅くなっちまった」

 現れたのは理沙だった。実家は代々政治家という名家の出ながら、彼女の身なりはそれを感じさせない。涼しそうなショートヘアの髪は地毛と言い張るには明るすぎる色だし、相変わらず制服は着崩している。凛々しい顔と、背が高いこともあって、最近女子の間で人気が高まっているらしい。もしもうちの高校が女子校だったならば、間違いなく王子様扱いをされているだろう。

「理沙、おかえり。……もしかして、それを取りに行ってきたの?」

 僕はそう言うと、理沙の足元にある何かを指さした。その何かというのは、この時期どのご家庭でも出番がやってくるアレ――扇風機である。

「そう。同じクラスに写真部の子がいるんだけどさ、部室で邪魔になっているみたいだからもらったんだ」

「なるほどね。でも、ここに持ってきてどうするの? まさか、ここで使う気?」

「そりゃそうだろ。これから暑くなるから扇風機のひとつやふたつ用意しておかないとな」

「ま、まあ、確かに涼しいに越したことはないけれど……」

 僕は苦笑いを浮かべる。サボり魔の理沙のことだ、どうせ放課後に限らず授業中も屋上で過ごすために持ってきたのだろう。日陰で扇風機の前に陣取りながら昼寝をする彼女の姿は容易に想像できる。

「とりあえず試運転がてらつけてみるかな。確かこのへんに屋外用のコンセントがあった気が……」

 理沙が壁づたいにコンセントを探しはじめると、僕らが座っているところから少し離れたところに屋外用のコンセントのフードを見つけた。嬉々としてコンセントプラグをそこに差し込んでスイッチをいれると、モーター音とともに扇風機の羽が回転し始める。

「おおー、やっぱり風があると涼しいな」

「確かに。これなら屋上でも快適だね」

 想像していたよりも扇風機の効果は絶大だった。特に今日みたいな雨上がりでジトッとした日には、風が吹くだけで環境がガラッと変わる。

「昔の私も『扇風機』なんて言われてたなー。ははは」

「扇風機……?」

「ああ、ちょっとだけリトルリーグをやってた時期があったんだけどさ、とにかくバットをぶん回すから『扇風機』って呼ばれていたよ」

「……なんだか、めっちゃ理沙っぽい気がする」

 それはどういうことだよと理沙から冗談交じりのツッコミが入る。

 野球のユニフォームを着て、いっちょ前に剛速球を空振りしている理沙の姿は、思いの外しっくりくるのだ。

 ふと、時雨がおもむろに立ち上がって扇風機の目の前に座った。何をするのかなと一瞬思ったけれども、よくよく考えたら扇風機の前ですることと言えばただ一つである。

「あ~、ワレワレハウチュウジンダ~」

 時雨の発した声が扇風機の羽でちぎられるかのように震えて聞こえてくる。誰もが経験したことのある、ある意味で夏の風物詩みたいなものだ。

 しかしまさかその風物詩を時雨が真っ先にやるなんて僕も理沙も思っていなかったので、時雨には申し訳ないが思わず笑いだしてしまった。

「ぷっ……、まさか時雨が一番乗りでやるとは思わなかった。やるなら絶対融だと思っていたのに」

 それってどういうことだよと僕が理沙へツッコミを入れる。それと同時に、時雨は無意識のうちに扇風機の前で『風物詩』をやってしまったことに気がついて、恥ずかしさからか顔が赤くなる。

「こ、これは、その……、条件反射で……」

 推しのこんな可愛らしい姿を見られるのも夏のおかげなのかなと、僕は心のなかでそう思った。


 屋上で時間を潰していると、ようやく僕たちの練習時刻になった。

 うちの軽音楽部は平日放課後の練習時間枠を二コマに分けていて、それぞれ『前枠』『後枠』と呼んでいる。毎週行われる部活のミーティングのときに誰がどの時間枠を使うのか決めていて、高校の部活らしく三年生から順番に選んでいく。僕ら一年生は余った時間枠に入ることが多くて、今日みたいに練習まで待ち時間が発生する『後枠』にされる事が多い。

 例に漏れず今日の『後枠』に入れられた僕らは、部室の目の前までやってきた。しかし、規定の時刻を少し過ぎたにも関わらず、部室の中には『前枠』の人たちがまだ入っていた。

「あれ? まだ誰かが中にいる?」

「まったく、もう時間過ぎてるっていうのに仕方ない奴らだな。私がガツンと言ってきてやろうか」

 理沙が意気込んで部室のドアを開けようとしたとき、何かに気づいた時雨がストップをかける。

「待って、なんだか様子がおかしいよ。中にいるの、岩本くんじゃない?」

 時雨がそう言うので、僕は少しかがんで時雨と同じ高さの目線から部室の中を覗き込む。

 僕ら三人のなかで時雨が一番身長が低い。そのおかげなのか、彼女は部室の中の様子が僕と理沙に比べてわかりやすくなっていた。

 一年生が『前枠』で練習をしていることは珍しいので、僕は不思議に思いながらその様子を見ていた。

「本当だ、陽介がいる。何をやっているんだろう?」

 確かに時雨の言う通り、部室の中には岩本いわもと陽介ようすけがいた。彼は一周目で僕とバンドを組んでいたメンバーのひとりで、歌もギターも高校生離れしていて抜群に上手い。おまけに顔もいいので人気もあって、完璧超人みたいな奴だ。

 しかし僕は一周目で彼からバンドをクビにされてしまった。その経緯や本当の原因は分からないが、表向きは僕のドラムが下手だからということにされている。そういうわけもあって一周目と同じ道を歩まぬよう、二周目のこの人生で僕は彼とバンドを組まないという選択をした。それが吉と出たか凶と出たか、結論を出すのはまだ早いとは思うけれども、今のところ順調である。

「なんか岩本の他にもうひとりいるぞ? あれって三年の先輩じゃないか?」

 理沙もかがんで部室の中を覗き込む。陽介と一緒にいるもう一人の姿に、僕はよく見覚えがあった。

「あれは……、三年の建山たてやまさんだよ。ドラマーの人」

「よく知ってるな融、さすがに私も名前までは知らなかった」

「うん。融、部の人たちの顔と名前をすごく覚えているよね」

 一瞬僕はドキッとしたけれど、すぐに平静を取り戻した。二周目の人生なのだ、部員の顔と名前をよく知っているのは当たり前のこと。なんなら先輩だけでなくこれから入ってくる後輩のことだってわかる。でもうっかり喋ってしまうとややこしい事になりかねないので、ここはたまたま僕が覚えていたということにしておく。

 建山たてやま優悟ゆうご――彼は軽音楽部に所属する二つ上の先輩でドラムを担当している。その腕前は超高校級で、プロでも飯を食っていけるレベルだ。確かこのときは軽音楽部の中だけではなく、他校からメンバーを集めて地元のドリームチームのようなバンドも組んでいた記憶がある。

 それほどまでのドラムの技術がありながら、彼は十年後の未来でもデビューすら出来ていなかった。理由は今部室の中で繰り広げられている会話を聞けばなんとなく分かるだろう。

 僕らは息をひそめるように、陽介と建山さんの会話に耳を澄ませた。

「――そういうわけでさ、うちのバンドに入ってくれない? 結構良いメンツを揃えたし、岩本にとってもためになるかなと思うんだけど」

「……すいませんがお断りします。確かに建山さんのドラムは超上手いですし、集まりそうなメンバーもすごい人ばかりです。でも、俺には自分のバンドがあるので、その誘いには乗れません」

 陽介は丁重に頭を下げる。何が起きているかといえば、ただ単に建山さんが陽介をバンドに誘っているだけだ。おそらくこの『前枠』の練習時間は建山さんが確保したもので、陽介を呼びつけてセッションなんかをしたのだろう。そうして最後に口説き落とすという算段に違いない。

 普通に考えて上手い人からバンドに誘われるのは嬉しいことである。でも陽介は素直にその誘いに乗らなかった。そんなもったいないことをするなんてと思うかもしれないが、事情を知っている僕からしたら正しい判断だと思う。

 僕の予想通り、陽介の断りの言葉を聞いた建山さんの表情は一気に曇り始める。

「へえ、一年坊主なのにずいぶん立派なこった。さぞかし岩本はすごいバンドをやるんだろうな」

「勘違いしないでくださいよ、俺はとにかく自分の実力で頑張りたいだけなんです。だからまだ建山さんの手を借りるのは……」

「……まあいいや、いずれ俺の言うことを聞きたくなるだろうから、その時を楽しみにしておけばいいよ」

「それは……、どういう?」

 陽介は建山さんの嫌味たらしくて意味深な言葉に警戒心を抱く。

「今はわからなくても、そのうちわかるよ」

「そのうちって……、どういうことですか?」

「さあな。じゃあ俺は失礼するかな、なんだか部室の外に野次馬がいるみたいだし」

 二人は部室の扉の外にいる僕らの方を向いた。目があってしまい気まずくなった僕らは思わず目をそらして知らないふりをする。

 建山さんが部室を出ていく際、少し目があった気がした。その目はなにか企んでいるような目で、昔から何も変わっていないなと改めて思う。

 彼は目的のために手段を選ばないタイプの人間なのだ。先程も陽介のためだと言って勧誘していたが、腹の中では自分が欲しい物を手に入れること、うまいこと生き残るためのことを常に考えている。他人を利用して踏み台にしたり、難を逃れるためにトカゲの尻尾のように扱ったりするのが彼のやり方だ。それゆえ、腕前がある割にはあまり評判の良い人ではない。

「……なんだよお前ら、見てたのかよ」

 建山さんが出ていった部室に僕らが入ろうとすると、やっと陽介が僕らのことを見る。

 この二人の会合はあまり見られたくなかったことなのだろう。今の陽介はあまり機嫌が良さそうには見えない。

「ご、ごめん、覗き見するつもりはなかったんだけど」

「その割にはじっくり見ていたようだけど」

「それは……、ほら、練習時間が過ぎていたし……」

 僕が時計を指差すと陽介はそこで初めて今何時なのかを認識したようだった。予定時刻からはすでに十分ほど過ぎていて、彼は後頭部を掻きながらバツの悪そうな表情を浮かべた。

「……時間が過ぎてたのは申し訳ない。悪かったよ。さっさと帰ることにする」

「待ってよ陽介、さっきの話、どういうことなんだ?」

「お前らには関係ない。だからから気にすんな。これは俺の問題」

「俺の問題って……」

 陽介はここから先は自分の領域だと言って踏み入れさせようとしない。こういうところは一周目の時から変わらなく頑固だ。

 社交性がないわけでは無いが、陽介は独りが好きな面がある。十年付き合いのあった僕であるので、基本的な彼の性格とか癖みたいなものは知っている。

「そんなことよりも大丈夫なのかお前ら?」

「大丈夫って、何の話だよ」

「とぼけやがって。まだ曲があんまり出来ていないんだろ?」

 そう言われた瞬間、僕ら三人は「ギクッ」という擬音が似合う反応をしてしまった。特に時雨が一番びっくりしていて、内心冷や汗まみれであろう。

 なぜ陽介がそのことを知っているのかはさておき、僕らが曲作りに行き詰まりかけていることは事実だ。

 この間のライブで披露した『our song』というキラーチューンはあるが、いまのところオリジナルの持ち歌はその一曲しかないのだ。時雨も頑張って曲作りに励んでいてアイデアも決して出ていないわけではない。しかし、完成形まで持っていけたかと言われると、首を横に振らざるを得ない。

 未完成フェスティバル――僕らが出場することになったコンテストには選考が進むにつれ、実際にライブを行うことになってくる。そこに駒を進めた場合、少なくとも三曲程度は持ち歌が必要なのだ。

「そ、そんなこと陽介に心配されなくても大丈夫だよ。僕らだってちゃんとやってるんだから」

「……まあ、それなら何も文句はないが。もし曲が出来なくて選考を辞退したとかになったら、負けた俺たちが情けなくなるからな。そうならないようにしてくれないと困る」

「わ、わかってるよ……」

 さすがに陽介の手前、「曲ができていなくて大ピンチです」と正直に言うわけにもいかないので、大丈夫だと虚勢を張るしかない。

「悪い、時間をとっちまった。邪魔をしたな、失礼するよ」

 陽介は急にそう言って部室から出ていった。さっきまでの僕らを牽制するような口調が一気に抜けて、去り際はどこか弱々しさすら垣間見えた。一周目ではずっと頼りがいのあるバンドの大黒柱だっただけに、哀愁みたいなものが漂っている彼の姿には不憫さを覚える。でも、陽介とバンドを組まなかったという僕の判断は、今のところ間違えたとは思いたくない。

 彼の足音が聞こえなくなったあと、皆で溜め込んだ息を大きく吐き出す。

「全く岩本のやつ、まだ負けたこと引きずってんのかよ。めちゃくちゃ嫌味たらしい言い方じゃんか」

 少しの沈黙の後、一番最初に口を開いたのは理沙だった。陽介の言い草があまり気に食わなかったのだろう。不満気な表情を浮かべている。

「仕方がないよ、僕が陽介の立場でも似たようなこと考えると思うし」

「でも融だったらあんな言い方しないだろ? 本当に大人げないよなあいつ」

 高校一年生なのだから大人げないのは当たり前。陽介の反応は至極当然だ。中途半端に大人な僕に慣れてしまっている理沙や時雨には、相対的にそう見えたのかもしれない。

 まあまあ落ち着きなよと理沙をなだめた後、その隣にいる時雨の方に目をやる。彼女はわかりやすく申し訳無さそうにしょんぼりとしていた。

「ごめんね……、私の曲作りが遅いせいで……」

「いいんだよ、時雨には時雨のやり方とペースがあるんだから。むしろ、そこを崩して不本意なものを作ってしまう方が後悔するって」

「そうだな。時雨が曲作りに本格的に行き詰まっても、私達はギリギリまで付き合うから心配するなよ」

「みんな……、ありがとう」

 時雨のそのしょんぼりした表情を少し緩める。

 当然のことながら推しである彼女の悲しむ顔というのはあまり見たいものではない。だからこそ、時雨を支えることに僕は二周目のこの青春を捧げたいなと思っている。


 練習が終わって家に帰った僕は、ふと物思いにふけていた。

 奈良原時雨は一周目では天才シンガーソングライターとして一世を風靡していた。しかし、素晴らしい楽曲を制作することにステータスを振り切ってしまったのかはわからないが、あまり曲作りのスピードは早くはなかった。

 大ヒットしたファーストアルバムがリリースされたとき彼女は十七歳だった。それからセカンドアルバムが出たのが二十一歳のとき。つまり、次のアルバムを出すまでに四年の月日を要したのだ。

 メジャーデビューを果たした一般的なアーティストに比べると、そのリリーススピードはお世辞にも速いとは言えない。

 しかしそれでも、少なくともこの未完成フェスティバルというコンテストに出場するのであれば、早いところ次の曲を作ってしまいたいと言うのが本音だ。せっかく出場権をかけたライブバトルに勝利したのだから、曲が出来上がらなくて予選落ちしてしまうというような事態だけは絶対に避けたい。

「……でもなあ、時雨にはあまりプレッシャーをかけたくないんだよなあ」

 自分の部屋の中で僕は独り言をつぶやく。

 一周目で時雨は現世を憂いて自宅マンションから飛び降りてしまった。その根本的な原因は分からないが、彼女が精神的に追い込まれていたというのは間違いない。だから僕は時雨に対して早く曲を書いてほしいと言うことができなかった。

「うーん……、何か方法はないかな……」

 皆より十年分余計に生きてはいるけれども、曲作りに関して特段詳しいというわけではない。一周目で組んでいたバンドでは、もっぱら陽介が作詞作曲を行っていたのだ。

「そういえばあいつ、曲作りに行き詰まったときどうしてたっけな」

 一周目で陽介が曲作りに行き詰まったとき、どんな行動をしていたかを思い出そうと記憶の奥底を掘り起こす。もしかしたらそこに状況を打破できるヒントがあるかもしれないと思ったのだ。

 音楽に打ち込む以外に特段趣味らしいものは彼にはなかった。音楽で溜まったストレスをそのまま音楽にぶつけるような、地産地消的なエネルギー循環をしていたのだ。だからどうやって彼が気分転換をしていたかというヒントがなかなか見つからなかった。

「そう思うと、陽介ってかなりストイックだったんだな。作詞も作曲も、編曲とかライブの構成も、ずっとひとりで考えてたと思うとやっぱすごいや」

 まさに大黒柱というにふさわしい活躍を一周目の陽介はしていた。バンドをクビにされてしまったとき、理不尽だとは思いつつ彼の言う事には妙に納得させられてしまったのは、やはり圧倒的な陽介の存在感のせいだろう。

 考えても考えてもわからないことは考えるだけ無駄だ。陽介の過去の行動が参考にならないのであれば、自分なりにやってみるしかない。

 そう思った僕は、スマホを開いて週末の天気予報を確認した。


※サブタイトルは椿屋四重奏『プロローグ』

 

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