第二十四章 プールサイド


翌週。学校のプールサイド。

武道場をライブ会場として使わせてもらうための交換条件として、薫先輩はプール清掃を請け負ってしまったらしい。事の発端は僕らと陽介たちであるので、当然のようにみんな体操着を身に着けてデッキブラシを携えている。これから始まるのはエアバンドでもチャンバラでもない、ただの汚れとの戦いだ。

ライブバトルの結果は僕らの圧勝だった。野口や石本さんの助力があったので不正ではないかと文句を言う人もいた。しかし、あくまでも来場した生徒が増えて票田が大きくなっただけにすぎないと、部長の薫先輩が全て一蹴してしまった。

一方で陽介はといえば、敗軍の将は兵を語らずといった感じできっちり負けを認めていた。一周目ではそんな様子の彼を見たことがなかったので、この一連の出来事の中で一番驚いてしまったと言っても過言ではない。


そういうわけで、見事『ストレンジ・カメレオン』は未完成フェスティバルへの切符を手にすることができた。

体操着を身にまとった時雨と理沙はデッキブラシを抱えてちょっとはしゃいでいる。天候にも恵まれたので、プール清掃という面倒くさい仕事の割には皆楽しそうだ。

もちろん、彼女たちの笑顔の裏にはちゃんとした理由がある。

あの片岡議員が僕らにバンド活動を行うことを認めてくれたのだ。その話をしていたときの片岡議員は心なしか嬉しそうに見えた。心が腐りかけていた自分の娘がいきいきとしていることが親として嬉しかったのだろう。

僕はデッキブラシを持ってプールの床をこすっていると、陽介がやってきた。

「……しかし、思い出せば思い出すほど勝負に負けるっていうのは悔しいもんだな。やっぱり融のドラムが上手いからか。今から心変わりして俺とバンドを組んでくれても良いんだぞ?」

「ははは、お世辞はよせよ。今の僕はこのバンドだけで手一杯だよ」

「ったく、どこまで謙遜するんだか。まあ、そういうところもあの二人に気に入られているんだろうな」

「どうだか」

 陽介と僕はクシャッとした顔で笑う。昨日の敵は今日の友という感じで、すっかりいがみ合うこともなくなった。バンドをクビにされる以前は、よくこんな感じの会話をしていたなということを思い出す。

形は変われども、一周目で壊れてしまった陽介との友情というものもやり直せるならばやり直したいなと思う。そして、一周目での僕がなぜバンドをクビにされたのか、その真実に近づけられるならば、近づきたい。


「おーい、お前らサボってんじゃないよ」

陽介と話し込んでいると、向こうでせっせと掃除をしている理沙に呼ばれた。彼女はなんやかんや奉仕活動には積極的というか、単純にプールで騒ぐというそんな青春っぽいことがうれしくてたまらないように見える。

まだ夏本番と言うには日が浅いが、日差しだけは一丁前に強い。理沙の持つホースからは噴水のように水が撒かれていて、日差しと相まってところどころ虹が見える。

「ごめんごめん、ちゃんとやるから許し……、うわああ!!」

注意されたので、素直に清掃作業に戻ろうと思った矢先、理沙の持つホースが突如こちらを向いた。もちろんそこから溢れる水も僕に向かうわけで、あっという間に濡れネズミへ変身を遂げる。

「悪い悪い、手元が狂った」

そんなお決まりの言い訳を理沙は言う。あんなキレキレのベースを弾くような彼女がうっかり手元を狂わせるわけがないのだ。間違いなくわざとである。

「もう……、着換え持ってきてないんだからな……」

「大丈夫大丈夫、この日差しならすぐ乾くって」

「乾くからと言っていくらでも濡らしていいわけじゃないからね!」

僕はまるで自宅の飼犬のようにふるふると首を振るわせて水を飛ばす。犬と違ってあまり効果はないけど、髪の毛の水ぐらいは多少飛んでいった。

「……融、ペロみたい」

その様子を見ていた時雨にまで面白がられてしまった。時雨にうちの飼犬のペロみたいだと言われるのは、恥ずかしいような嬉しいような、ムズムズする気持ちだ。

「融、どうしたの?」

「……いや、なんでもない」

「……? 変なの」

その透明感あふれる横顔に見惚れていたよと言いかけて思いとどまる。もう僕は単なる彼女のファンではないし、時雨だって単なる僕の推しではない。

この先の未来がどうなっていくかはわからない。でも、僕はできる限り時雨のそばにいられるように生きていきたい。だからせめて今だけは、時雨のその透明で綺麗な横顔をずっと見ていたいなと思った。


 気を取り直してプール掃除を続けようとしたところ、今度は遠くの方からデッキブラシを持った女子生徒がやってきた。その姿には見覚えがある。

「あ、あのっ、わ、私にもプール掃除を手伝わせてください!」

「い、石本さん?」

 僕のクラスメイトであり、一時期、中学時代の時雨と友達関係にあった石本美緒がそこにいた。彼女はあのライブのとき、野口とその彼女さんが撮影した映像や音声を校内ジャックして全校へと拡散した影の立役者だ。

放送部員としての権力を利用して行動を起こすのはとてもリスクがある。下手をしたら停学ものだ。それでも時雨とまた昔のように友達としてやり直したいという気持ちが、そのリスクを上回ってくれた。彼女がいなかったら僕ら今こんな笑顔で掃除なんてしていない。それぐらいの活躍だった。

「うん。一緒に掃除しようよ。美緒ちゃん」

 時雨はにこやかにただそれだけを石本さんに告げる。石本さんは久しぶりに見た時雨の笑顔に少し驚いて、それから彼女自身もにっこりと笑いはじめた。

 聞くところによると石本さんは、懸念されていた停学は免れたらしく、放送部の顧問に叱られただけで済んだらしい。今日ここにプール掃除をしに来たのは時雨に会いに来ただけでなく、彼女なりにけじめを付けたかったということもあるのだろう。

「でも来てくれてよかった。私ね、美緒ちゃんと話したいこと、たくさんあるから」

時雨がそう言うと、石本さんは申し訳無さそうに言葉を紡ぎ出す。

「ご、ごめんねしぐちゃん……。私、色々としぐちゃんに酷いことをして……、本当にごめんなさい」

 改まって石本さんは時雨へと頭を下げる。しかし、時雨はそんなこと気にしなくてもいいと、石本さんに顔をあげるよう促した。

「ううん、そんなことない。私も美緒ちゃんにつらい思いをさせちゃってごめんね。だから、今日からまた、やり直そうよ」

時雨の「またやり直そうよ」という言葉が嬉しかったのか、石本さんは感極まって泣き出しそうになる。

「しぐちゃん……、ありがとう」

「こちらこそありがとう。でも、こういうふうに元通りになれたのも、全部融のおかげだよ。だから融にも、ありがとうって言わないとだね」

 時雨と石本さんは僕の方を向く。キラーパスのように感謝の矛先が僕へと向かってきたので、びっくりした僕は足を滑らせて尻餅をついてしまった。

「ふふふ……、確かに芝草くんのおかげだね」

「うん。融、本当にありがとう」

その瞬間の僕は、感謝される気恥ずかしさと尻餅の痛みでものすごい顔をしていたと思う。ここに写真部である野口の彼女さんがいなくて助かった。彼女がいたら高性能なカメラでこの面白おかしい顔をすっぱ抜かれていただろうから。


 これで一段落。でも、ここで終わりではない。まだまだこのバンドは続いていく。人生という長い時間の中では、こんな時間はほんの一瞬に過ぎない。

 そんなほんの一瞬だからこそ、これからやってくる夏は間違いなく人生のターニングポイントだ。

暑さと日差しと焦燥感をもたらす夏。またひとつドラマを引き起こしそうな、とてつもなく暑い夏が、すぐそこに迫っている。



第一部〈了〉

※サブタイトルはbloodthirsty butchers……と見せかけてART-SCHOOL『プールサイド』


※このまま明日より第二部始めます

なろうに上げていたものとはまた別のお話になっているので、お楽しみに

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