第二十二章 僕らチェンジザワールド

私達のオリジナル曲である『our song』、そのタイトルコールを時雨が言い放つと、彼女のジャズマスターからはアルペジオが鳴り響いた。時雨の弾き語りから始まるこの曲は、序盤の殆どを彼女一人が担う。

私は脇目で時雨を見た。あれほどステージ下でビクビクしていた彼女は、さっきの『シャングリラ』でどうやら吹っ切れたらしい。

今度はフロアにいるお客さんを見る。

開始前よりも人数が増えているような気がした。いや、実際に間違いなく増えている。私たちが演奏していることが、どうやら校内中に知れ渡っているようだ。噂を聞きつけた生徒たちが、このライブを見逃すものかと連鎖的に集まってくる。

既に時雨の歌はこの武道場の枠を超えて、もっと遠くまで響いている。下手をすれば、この街の外だって、大海だって超えていく。そんな無敵な感じすらある。

 開始前、あれほど無関心だったオーディエンスは時雨の独唱に釘付けになっていた。時雨、……いや、私達三人は、完全にこの空間の主役だ。今この瞬間、私達は世界で一番カッコいいロックバンドだ。

こんな最高の気持ち、二人に出会えなかったら一生体感出来なかっただろう。だから私はその気持ちを全力で音に乗せる。それこそが、二人に対する一番の恩返しだから。

弾き語りで進んでいた曲に、融がリムショットを交えた静かなフレーズを重ねてくる。その絶妙なバランスを崩さないよう、慎重に、でも私らしく大胆に、ベースの音を乗せていく。

お得意のパンキッシュで真っ直ぐなサウンドではないけれど、逆にそうであるからこそ考えに考え抜いた音。不器用な自分が出来る事はそれほど多くない。だから私は自分の持っているものをどれだけ研ぎ澄ますか、ただそれだけに集中する。

今ここで鳴らす音は、世界に一つしかない、私なりの答えだ。それを受け止める器が、このバンドにはある。それがとても嬉しくてたまらない。

ふと遠くを見ると、どこかで見たことのある人影があった。上下スーツで、それも普通のサラリーマンより上等なものを身に付けている。明らかに周囲とはオーラが違う、社会的地位の高そうな人影。

間違いない、あれは父さんだ。忙しい時期ゆえ、ここに来ることは難しいと言っていたのに、私たちの演奏を聴くためにやってきたのだ。

父さんの敷いたレールに乗ることが正しいと教えられ、自分の意志を上手くぶつけられずにいた私。生まれて初めて父さんへ言い放ったお願い事は、どうやら成就してくれたらしい。よく考えたら当たり前か。公約は無下にしない。良くも悪くも政治家気質。それが私の父親、片岡英嗣という人だ。

ライブへ来るよう父さんに頼み込んだあの夜、融を送ったあとで、柄にもなく私は泣いていた。一人きりだった私に、背中を押してくれる仲間ができたのだなと、まるで今までの自分自身を慰めるかのように泣いた。

もしもあの日、屋上で融と時雨に出会わなかったら、私はずっと一人のままだった。誰にも頼ることができず、誰にも頼られず、ただ父さんの言いなりになっていたに違いない。そんな生活はおそらく長続きなどしない。どこかで溜まっていたものが爆発して、敷かれたレールどころか、人としての道を踏み外してしまう可能性も十分あった。

そんな絶望の未来なんてまっぴらごめんだ。ここで、この三人で、このサウンドで、父さんを絶対に納得させる。ベースを刻みながら、私の心の中は燃えたぎっていた。

時雨は伸びやかに歌っている。彼女の歌は天下一品だ。それだけで世界を変えられる力を持っている。しかし、時雨の歌の凄さだけがこのバンドじゃない。私がこのバンドにいる意味を見つけ出そうと、この数日間躍起になった。

でもその答えは、それほど難しいことじゃなかった。

世界でこんなにもカッコいいライブができるバンドは、私たちだけ。時雨も、融も、そして私も、誰かが欠けてしまったり、他の人に代わってしまったりしたらこんな演奏はできやしない。だから小細工などせず、ありのままを父さんへ見せつけること、それがシンプルで一番効果的な説得方法だと私は思う。このベースを刻む両腕を絶対に止めたりはしない。

 曲は進む。

パッフェルベルの『カノン』のように、少しずつ少しずつ、静かだった歌は盛り上がりを見せ始めた。

一回目のサビ。時雨の歌は会場中に恵みの雨をもたらす、そんな優しい歌だった。初めて会ったときは、もっと強張っていて冷たかった印象だったけど、この短い間に劇的に変化した。時雨は自分自身を乗り越えて変わることが出来たのだ。

じゃあ、私はどうする?

そんなことは決まっている。今までの自分を越えていけるよう、全力で音を出す。それしかない。

サビの終わり、ここまでハーフテンポだった曲が元のテンポに戻る。融からはシンプルでタイトなエイトビートが放たれ始めた。

私の見せ所がやって来た。

汗でピックが滑りそうになり、すぐさま私は新しいピックをホルダーから一枚取り出す。弦とピックは平行にして、アサルトライフルのような私らしい直線的なフレーズを融のビートに乗せる。今の時雨を強烈に後押しする援護射撃だ。

このサウンドで、一気に勝負を決めてしまおう。

皆の高まる感情が、どんどん音になって昇華されていくのがわかる、そんなステージだ。

だから父さんにはしっかりと感じ取ってほしい。私は決して生半可な気持ちでこのバンドに臨んでなどいないことを。


※サブタイトルは忘れらんねえよ『僕らチェンジザワールド』

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