第十九章 ハイブリッド・レインボウ
翌日、金曜日。
時雨と理沙は気分に任せて登校させるとして、僕は僕でやりたいことがあるので早めに学校に来た。
校舎裏のひと気が少ない場所。僕はそこにある人を呼び出した。
「やあ、来てくれたんだね」
「だって、あんなふうに呼び出されたら……ね」
「来てくれなかったらどうしようかと思ってた。でも、ちゃんと来てくれたから助かった。ありがとう、石本さん」
僕が呼び出したのは石本さんだった。彼女の連絡先を知らないので、玄関の靴箱にメモ書きを入れるという古典的な方法を使ったのだ。彼女がかなり動揺しているのは、そのメモ書きにはこう書いたから。
「『時雨とやり直す絶好のチャンスです。このメモを見たらすぐ校舎裏に来てください』なんて書かれたら、さすがに行くしかないと思っちゃうよ」
「だから助かった。石本さんはまだ、時雨とやり直すことを諦めていないんだなっていうのが確認できたから」
僕がそう言うと、石本さんは周囲を見渡す。おそらく、時雨の姿を探しているのだろう。
「ごめんね、ここには時雨はいないよ。今日は昼くらいにのんびり登校してくる予定なんだ」
「……もしかして、芝草くんは私の意志を確認するためだけにここに呼び出したの?」
「まさか、それだけで呼び出したわけじゃないよ。ちゃんと僕は石本さんと時雨がやり直すためのきっかけ作りをちゃんと考えてる。というより、これは石本さんにしかできないことなんだ」
石本さんは、「どういうことなの?」と首をかしげる。
僕は、作戦――もとい、石本さんにやってほしいことを説明する。一通り聞き終えたところで、彼女は不安げにこう漏らす。
「それ……、本当に上手くいくのかな……?」
「絶対上手くいくさ。ただ、この作戦をやるとなると石本さんにはリスクを負う可能性がある。それだけはちゃんと伝えておかないといけない」
「リスク……?」
僕が企んでいるこの作戦は諸刃の剣。一世一代の大勝負だからこそ、ここは石本さんにきちんと話して置かなければならない。
「下手をしたら停学を食らうかもしれない。場合によっては、批難の矛先が君に向く可能性も無きにしもあらずってところかな」
「それは……、確かに怖いかも」
「だからこれを実行するかどうかの最終判断は、石本さんに任せる。僕が強制できることでもないしね」
石本さんは少し考え込む。彼女なりにこれを実行したらどういうことになるか、ちゃんと頭の中でシミュレートしているのだろう。
「……ねえ芝草くん、もし私がその作戦に乗らなかったらどうなっちゃうかな?」
「石本さんは今までと何も変わらないままだと思う。それが良いことなのか悪いことなのかは別としてね」
「じゃあ、しぐちゃんとか、芝草くんたちは?」
「それは……、ちょっと僕にもわからないや。でも、万一失敗したら、僕はまた他の方法を考えるだけさ。生きている限り、いくらだってやり直す機会はあるから」
それは石本さんに言ったようで、自分に言い聞かせたような言葉だった。死なない限りチャンスは何回でも訪れるという、自己暗示のような言葉。でも、それが何回訪れるのか、どれぐらい大きなチャンスなのかはわからない。だから僕が今できることは、石本さんに強い言葉で作戦に乗るよう誘うことだけ。
「ひとつ言えるのは、今回が最大のチャンスであるということ。それだけは君には知っておいてほしい」
僕がそう告げると、石本さんは「ちょっと考えさせてほしい」と言い残して、その場を立ち去っていく。
「……きっと石本さんが立ち上がってくれること、僕は待っているから!」
去り際に大きな声で言い放った本心とも言えるこの言葉が、彼女に届いてくれることを願う。
「おい芝草、この三日間どこ行ってたんだよ」
教室に戻ると、野口が心配そうに声をかけてきた。もちろん、野口以外には誰も心配されていない。それはそれでなんだか悲しいけれど、仕方がない。
「どこって……、野暮用だよ、野暮用」
「野暮用で三日も欠席するやつがこの世にいるもんかよ。お前がいないもんだから、今日のライブバトルは不戦勝みたいな雰囲気になっているぞ?」
「えっ? それって僕らは何もせずに勝ちってこと?」
「お前の文脈を読み取る力のなさにはガッカリだよ」
三日会っていなくてもこんな冗談を交わせるのは、さすが十年来の友人といったところか。
「冗談冗談。でも不戦勝なんかにはさせないよ。むしろあっと言わせるステージにしてやるから期待しといてよ」
「本当かよ? お前のバンドのメンバー、なんだか評判悪いらしいじゃないか。中学のときの同級生にめちゃくちゃ嫌われているとかなんとか」
「そんなのは悪意ある事実の切り抜きに過ぎないよ。それが本当かどうかは、ライブではっきりする」
僕は野口相手とはいえ、まるで音楽雑誌に乗っている海外アーティストの自信満々インタビューみたいな口調で話す。
下馬評では圧倒的に陽介のバンドが優勢だろう。火を見るより明らかだ。でも僕はそんなのお構いなし。どんなに劣勢でもそれをひっくり返せる力が僕らのバンドにはある。
「……全く、その自信はどこからやってくるんだか」
「まあ、自信は持つだけなら自由だからね」
「そんなに凄いって言うなら、期待しておかなきゃな」
野口は冷やかすような口調でそう言う。そうなるのは仕方がない。でもこの十年来の親友は、劣勢でも僕らに加担してくれる優しいやつだ。
「まあ、さすがに芝草のバンドの演奏中に閑古鳥が鳴くようじゃかわいそうだからな、俺も一肌脱いでやるよ」
「おっ、何をしてくれるんだ? まさか文字通りシャツを脱いで『一肌脱いだ』とか言わないよな?」
「そんな寒いギャグ、やるわけないだろ。……この間言ってた例のアレ、準備万端だ」
「本当か? それはめちゃくちゃ助かるよ!」
僕は野口の出すグッドサインに安堵する。これが上手く行けば、僕の考えている作戦はより成功に近づく。
うずうずしながら喜ぶ僕を見て野口は、「大げさだなあ」と僕の背中を軽くポンと叩く。
準備は着々と進みつつあった。
昼休みになって僕は屋上へ向かう。階段を登って重い防火扉を開けると、いつものように時雨と理沙がそこにいた。
「よう、いつもより遅いじゃないか」
「いやいや、それは理沙と時雨がずっと屋上にいたせいだろう。僕はいつも通り昼休みのチャイムが鳴ってから来たよ」
「それじゃあ遅いだろ、フライング気味で出ないと。ラモーンズだってカウント食い気味で演奏始まるだろ?」
「あれはカウントの意味を成してないんだよなあ……」
理沙はいつも通りのパンクロックトークが炸裂していたので大丈夫だ。今日も爆音でプレシジョンベースを鳴らしてくれるだろう。彼女の左手には、とんかつのチェーン店でテイクアウトしてきたであろうカツ丼の袋がぶら下がっている。ベタなゲン担ぎだ。
一方で僕が心配しているのはその隣にいる時雨。彼女はお昼ごはんのサンドイッチを小さな口でうさぎのように食べていた。
「時雨? 大丈夫?」
「大丈夫。誰にも会わずにここに来たから、ノーダメージ」
時雨は小さくグッドサインを出す。ちょっとだけ口角が上がっているように見えるのは、落ち着いている証拠だろう。
「それなら良かった。ライブまでまだ時間はあるけど、ちゃんと昼ごはん食べてエネルギー補給しておかないとね」
「それも大丈夫」
時雨はそう言って自分のランチボックスを見せつける。あろうことか、いつものツナサンドやたまごサンドではなく、今日に限ってその中身はカツサンドだ。
僕は時雨もまさかそんなベタなゲン担ぎをするとは思わず、そのギャップに笑ってしまった。エネルギーも補給出来て縁起も良いとなれば、確かに一石二鳥で最高の勝負メシだろう。
「……なんか変?」
「いや、最高にイカしてると思うよ」
「なら良かった」
時雨はお決まりのはにかみそうではにかまない、少しはにかんだ顔をする。その表情をするときは、決まって調子が良い時だ。ますますライブが楽しみになってきた。どんな劣勢でもひっくり返せるどころか、大量リードでコールドゲームにできそうな気分だ。
そうして、僕も昼ごはんを食べようと弁当の蓋を開ける。今日はたまたま自分で弁当を詰めたのだけど、その中身には意図せず冷凍食品のメンチカツが入っていたから。
「なんだよ、融までカツかよ」
「融、ベタすぎ」
「いやいや! 二人に言われたくないよ!」
とか言いながら、結局みんなベタなゲン担ぎが好きなのだなと、僕は自嘲しながら弁当に手を付けた。こういうとき、三人は良いものだ。
放課後を告げるチャイムが鳴ると、すぐさま武道場には機材類が運び込まれた。
薫先輩が事前に段取りをしていたおかげで、音響機材のレンタルなんかも準備万端だ。普段から敏腕な人だとは思うけど、いざお祭り騒ぎになるとこの人の行動力は段違いだ。
彼女自身が旗を振って作業を指揮しているうちに、いつの間にかステージは出来上がっていく。アンプやドラムセットのセッティングをする部員のみんなも手慣れている。余程薫先輩に鍛えられているのだろうか。
セッティングが終われば、今度はすぐにサウンドチェック。
「じゃあマイクチェックするよー、まずキックからちょうだい。その次はスネアね」
ステージの反対側、PA卓の椅子に腰掛ける薫先輩がヘッドホンをつけながらマイク越しにそう叫ぶ。彼女はPAも出来るらしい。
ちなみにPAは「パブリック・アドレス」の略で、ざっくり言うとこのライブ会場の音響担当だ。
僕らは武道場の端で陽介たちのリハーサルの様子を見ていた。
今日の出番順は僕らが先で陽介達が後だ。そういうわけで、後攻の彼らからリハーサルを始めるのがライブ準備のセオリー。「逆リハ」なんて言ったりする。
よく賞レースなんかでは出番が後のほうが印象に残って有利だとか言うけれど、今回ばかりは先で良かった。もし陽介達が先攻だったならば、オーディエンスは僕らを観ることなく帰ってしまう可能性もあるからだ。
出来るだけ多くの観客の前で僕らのライブを観てもらうには先攻しかない。
陽介達のバンドのリハーサルが終わり、続いて僕達の番になる。
僕はスネアケースからチャド・スミスモデルのスネアドラムを取り出すと、リハーサルを終えて入れ違いになった小笠原と一瞬だけ目があった。
彼は一周目でギタリストだったが、今回は僕が陽介のバンドに加入することを断ったおかげでドラマーへと転向した。付け焼き刃のドラムではあるが、やはり将来メジャーデビューするバンドのメンバーともあれば、いとも簡単にそれなりの技術を身に着けてくる。演奏力だけで勝てると油断するのは、やっぱり危険だろう。
「……融、音出ししよう。ギターばっちりだよ」
「こっちも準備万端だ。デカい音を出してこうぜ」
「了解。じゃあ本番ではやらないけど、あの曲のサビだけ鳴らそうか」
二人はコクリと頷く。
僕はスティックで八カウントを取ると、七拍目を食うように時雨がマイクに向かって叫びだす。一フレットにカポタストがついた時雨のジャズマスターからは、歪んだG♭のコードが鳴り、理沙のプレシジョンベースからはライフル銃のように真っ直ぐな低音の塊が飛んできた。
――the pillowsの『ハイブリッド・レインボウ』
時雨の声に合わせてキーを変えたそれは、原曲とはまた違った響きで武道場中に轟いた。窓から差し込む西日と彼女のスコールみたいな歌声で、本当にそこに虹が見えるんじゃないかというぐらい、僕からはこの光景がきれいに見えた。
まだお客さんは入っていないけど、それを聴いた部員たちは皆こう思っただろう。
まさか、誰も期待していなかったこのバンド――それも、ひとりぼっちと不良もどきと普通のドラマーの、掃き溜めみたいな存在の集まりから、こんなサウンドが飛び出すなんて。
ワンフレーズだけ演奏し終えると、僕は手を上げてPAの薫先輩にリハーサルの終了を告げた。
いよいよ、僕らの青春はファーストステージを迎える――。
※サブタイトルはthe pillows『ハイブリッド・レインボウ』
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