第十一章 ストレンジ・カメレオン

やることが決まってからはとにかくストイックに練習するのみ。部室が使えない日は屋上で練習、週末にはスタジオも予約して文字通りバンド漬けの二週間になる。

 時雨も理沙もいい感じに気乗りしていて、出音にもそれが乗り移っているような気さえする。この調子でいけば間違いなく陽介たちに勝てる。そんな自信に満ちてきていた。

「そろそろいい時間だし、今日はこの辺にしておこうか」

「そうだな、大分いい感じなって来たし、この勢いでライブもブチかましたいところだ」

「うん」

金曜日の夕方、部室で練習をしていた僕らは、改めて調子の良さを噛みしめる。バンドの仕上がりは良好だ。このまま何事もないまま来週のライブを迎えられればいい。


学校の玄関を出ると、門の前には見たことのある黒い車が止まっていた。

片岡家のお迎えだ。父親から猶予期間をもらったということで、帰宅後の理沙はきちんと父の手伝いをしているらしい。ちなみに今日の運転手は片岡議員ではなく後援会の人だった。さすが県議会議員ともあってものすごいバックアップ体制だ。

「じゃあ私は迎えが来たみたいだからそろそろ行くとするよ。えっと、週末は今村楽器のスタジオで良いんだよな?」

「うん、十時に現地集合で頼むよ」

「了解。それじゃあまた」

理沙は乗り込んで手を振ると、車はあっという間に見えなくなった。高級車の加速力はやっぱりちょっと違う。

時雨と二人きりになった。暗くなってしまったので一緒に帰ることにした。

ふと気がついたけど、こうやって時雨と一緒に帰るのは実は初めてな気がする。いつも集まっているマクドナルドは僕と時雨の家の中間にあるから、なかなかそんな機会がなかったというのもある。こんな近距離に自分の推しがいるというのも、なかなか不思議な気持ちだ。

「……あっ、そうだ。これ、この間借りたCD。ありがとう」

時雨は持っていたトートバッグごと僕に差し出す。中身は先日時雨が僕の部屋でじーっと眺めていたCDたちだ。興味津々だったとはいえ、十五枚くらいいっぺんに借りていったのにはびっくりした。

「ありがとう。どうだった?」

「うん、凄く良かった。特にthe pillowsがお気に入り」

「なかなか時雨も良い趣味をしているね。僕も昔組んでいたバンドは――」

「……昔組んでいたバンド?」

「えっ、あ、いや、なんでもない。なんでもないよ」

危うく口が滑るところだった。僕が一周目で組んでいたバンド、『ストレンジ・カメレオン』はthe pillowsの曲名から取ったものだ。バンド名にこだわりがなかった陽介が僕に命名権を与えたのでそうなった。それを思わず口走りそうになってしまって、僕はかなり不自然に慌ててしまう。

「……怪しい」

時雨はジト目で僕を見つめる。僕自身が慌ててさえいなければ、この可愛らしさを堪能出来たのだけにそれがちょっと悔しい。

「い、いや、昔、the pillowsの『ストレンジ・カメレオン』をそのままバンド名にしようかななんて思ったことがあるだけだよ。ハハハ……」

一応嘘はついていない。しかし、とっても不自然な切り返しである。

すると時雨の表情は、ジト目から何かを見つけ出したようなハッとしたものに変わる。その瞳は、いつもより透明感を増していたと思う。

「……それ、凄くいいと思う」

「凄くいいって、バンド名のこと?」

「うん。……その曲、私も好きだから」

そういえば時雨に貸したCDの中に、『ストレンジ・カメレオン』が収録された『Please Mr.Lostman』のアルバムが入っていた。

「なんかね、自分みたいなんだ。その曲」

歌詞を聴くとわかる。この曲は、出来損ないの自分が感じている疎外感みたいなものが、とてもシリアスに、どこか優しく纏め上げられている。

時雨は、そんな歌に自分を重ねたのだろう。

「……ねえ融、バンドの名前、『ストレンジ・カメレオン』にしてもいいかな?」

「そ、それは構わないけど……」

僕は一瞬戸惑った。一周目で組んでいたバンドの名前を、この二周目でも名乗ることになるとは思っていなかったから。

でもその戸惑いはすぐに消えた。どうせやり直すなら、同じ名前のバンドで突き進むくらいのほうがいい。それでやっと、本当の『青春のやり直し』が出来るような気がしたから。

「理沙には私から言っておくから、お願い」

「わかったよ。他でもない時雨の頼みだし、それに、そう言われちゃったらもう別のバンド名思いつかないし」

僕はクシャッとした表情で笑った。つられて時雨も、やんわりと笑顔を浮かべる。

「……ありがとう」

「何言ってんの、こちらこそありがとうだよ。時雨がいなかったら、そもそもこのバンドは無いんだから」

「……ふふっ、融はたまに変なことを言うね」

「そ、そんなに僕、変なことを言ったかな?」

時雨は何も言わずもう少し笑顔を強めて、僕の前の方を歩き始めた。

この時間がずっと続いてくれたらいいなと、僕は思っていた。


そうこうしているうちに時雨の住むマンションまでたどり着いた。平和に帰宅できて一安心だ。ここで僕はお役御免。

「じゃあまた、今村楽器のスタジオでね」

「うん、またね」

僕は時雨の姿を見送り、鼻歌で『ストレンジ・カメレオン』を奏でながら自宅へ帰った。




週明け、時雨の提案でバンド名を『ストレンジ・カメレオン』とすることが決まった。金曜日に迫るライブバトルに向けて、より一層身が引き締まる思いだ。

薫先輩の手腕のおかげなのか、校内でも金曜日にライブイベントが行われるということが徐々に知れ渡っていた。

ただでさえ中高生の圧倒的な支持を得ているラジオ番組主催の音楽コンテストだ。校内代表のバンドを自分たちの投票によって決めることになるなら、生徒みんなが盛り上がるのもうなずける。


教室に行くと、早速野口に話しかけられた。

「おい芝草、週末のライブに出るってマジ?」

昼休み、僕は屋上へ向かおうとしたところで野口に話しかけられた。

「ああ、そうなんだよ。応援よろしく頼むよ」

「おう、任せとけよ。ちなみにそのライブって撮影は出来るのか?」

「オッケーだよ。普通のライブハウスだとダメだけど、今回は学校だし。野口、写真でもとるの?」

僕がそう問うと、野口はなぜか端切れ悪く続ける。

「ま、まあ、俺じゃないんだけど、撮りたいって奴がね……」

僕はその反応にピンと来た。

おそらく野口のやつ、彼女が出来たのだろう。一周目のときに彼女が出来たときもこんな感じでぎこちなかったのをよく覚えている。

野口の所属する科学部は、写真現像用の暗室を写真部と一部共有している。そこで上手いこと写真部の女子にアタックを仕掛けたのだろう。それならばライブを撮影したがる彼女がいてもおかしくない。

「じゃんじゃん撮ってくれて構わないよ。カッコよく撮ってくれって、彼女に言っておいてくれ」

「なっ……、お前、なんでそれを……」

僕がカマをかけてそう言うと、野口はわかりやすく動揺する。図星だ。

「バレバレなんだよ。最近の野口、幸せそうだしな」

「うっ……」

野口はバツが悪そうに僕から目を逸した。

多分そろそろその彼女がこの教室にやって来るだろうから、お邪魔にならないうちに僕は屋上に向かうとしよう。


屋上に向かう最中、校内の掲示板には薫先輩が作ったと見られるライブの告知フライヤーが至るところに貼られていた。

そこには僕らのバンド名『ストレンジ・カメレオン』と、陽介たちのバンド名『ミスターアンディーズ』が大きく書かれていて、対決の煽り文句なんかが添えられている。

とても目を惹くデザインで、こういうのを作らせると薫先輩は天才的だ。そのおかげもあって、次々に興味を持った生徒がそれを眺めている。

ただ興味を持ってくれるだけならば良い。しかし悲しいことに、どこからか心無い声も僕の耳には聞こえてきてしまう。

「……これって、奈良原のバンドじゃん」

「本当だ……。あいつ、まだ音楽やってたんだ」

「なになに? その奈良原って子、何かあるの?」

「えっと、実は中学の頃――」

 僕は嫌な予感がした

時雨は僕らにこそ心を開けるようになったけど、その原因を作った中学の同級生を克服出来たわけではない。

大々的にライブの告知が打たれた今、時雨の耳にも今みたいな会話が入っている可能性は高い。中学時代の時雨の悪評を鵜呑みにした奴らによって、他の生徒まで巻きこんで噂が広まれば、時雨はまた心を閉ざしてしまうかもしれない。

そうなればライブで勝敗がつく以前に、歌うことすらままならないだろう。

僕は一目散に屋上へ走った。時雨をあの中に晒すことだけは、一秒たりとも避けたかった。

「……時雨っ⁉」

「よお融、どうしたんだ? そんなに慌てて」

屋上にいたのは理沙だけだった。時雨の姿はここにはない。

「理沙、時雨を見なかったか?」

「ああ、時雨なら二限の体育で一緒だったけど、体調悪いからって保健室に行ったきりだ。よくある貧血だから大丈夫って言ってたけど……」

「わかった、ありがとう!」

「あっ、おい、ちょっと待て! どこ行くんだよ!」

僕は理沙の制止を振り切って階段を駆け下りる。行く先はもちろん保健室だ。

保健室に着いて、養護教諭の先生に時雨について尋ねると、顔色が良くなかったので今日は早退させたとのこと。

……一歩遅かったかもしれない。時雨の過去を知っていたからこそ、もう少し早く気がつくべきだったと、僕は下唇を噛んだ。


「……そうか、そういう過去が時雨にはあったんだな」

「ああ、だからライブで歌うのはもしかしたら難しいかもしれない……」

 屋上に戻ってきた僕は、理沙に事情を打ち明けた。理沙は苦そうな表情でその話を聞く。彼女なりに、痛ましいなと思うところがあるのだろう。

「道理であんな凄い歌を歌うくせに、表に出てこないわけだ」

「そうなんだよ。時雨は凄すぎるがにえに、他人から疎まれてしまった」

出る杭は打たれるとは言う。でも、出過ぎた杭は打たれない。

時雨が出過ぎた杭になるためには、もしかしたら時期尚早だったのかもしれない。

「まあ、嫉妬する奴なんて放っておけばいいんだけどな。時雨はセンシティブだから、どうしても気になってしまうんだろう」

「うん……、だからそれに早く気が付かなかったのが悔しい」

僕は飲み干したコーヒーの缶を強く握る。順風満帆なつもりでいた自分を、自分の拳で殴りたくなった。

「なーにもう終わったみたいな顔しているんだよ、融。違うだろ? 今回の時雨は独りじゃない。私達がいる」

「理沙……」

「とにかく、すぐに時雨のところに行こう。融、家の場所知ってるだろ?」

理沙は時雨を救う気だ。いや、もちろん僕もそのつもりだけど、理沙のおかげで目が覚めた。今の僕らは、独りじゃない。

さあ行くぞと足を踏み出した瞬間、屋上の入り口の重たい防火ドアがゆっくりと開いた。

開かれたドアの先には、石本さんがいた。

「石本さん? どうしてここに」

「……あのね、私から芝草くんに謝らなきゃいけないことがあって、それでここに来たの」

「謝らなきゃいけないこと?」

 石本さんは神妙な面持ちで、おまけにのどを絞るような苦しい声でつぶやく。

「ごめんなさい、私のせいでしぐちゃんが……」

「石本さん? もしかして時雨についてなにか知っているの?」

「……言い返せなかった。また、しぐちゃんを傷つけちゃった」

石本さんはうつむきながら小さくそうこぼした。

「石本さん、落ち着いてくれ。とにかく、何があったのか教えてよ」

半べそをかいていた石本さんを落ち着かせて、僕と理沙は事情を聞く。

「ライブのフライヤーを見ていたらね、偶然しぐちゃんに会ったんだ」

「確か、中学のあのとき以来、時雨とは全く交友がなかったんだっけ」

「そう。久しぶりに対面したものだからびっくりしちゃった。でも、ちょっとだけ会話ができて嬉しかったんだ」

 時雨と石本さんは久しぶりに話をしたらしい。離れ離れになっていたとはいえ、元々仲が悪いわけではないようで、近況のことで少しばかり雑談をしたとのこと。

「そこまでは良かったんだ。でも、話しているうちにあの人たちがフライヤーの前に集まってきてね」

「あの人たちっていうのは、もしかして中学時代の……」

「そう、しぐちゃんの悪評を振りまいた人たち。あいも変わらず、あの人たちはしぐちゃんのことをバカにしてきたんだ」

 石本さんはぐっと拳を握って悔しさをあらわにした。

 そのときの石本さんは、彼らの心無い言葉に腹が立っていた。全部事実無根の嘘で、時雨は全く悪いことなんてしていないと、大声を出して言い返そうとした。

 しかし、石本さんが声をあげようとした瞬間、時雨に止められたのだ。

「言い返そうとしたらね、しぐちゃんが私の制服の袖を引っ張ったんだ。振り向いたらうつむいたまま首を横に降って、何も言わないでって、無言の合図を送ってきた」

「それで、どうなったのさ」

「私もしぐちゃんもずっと黙って我慢してた。あの子のことだから、私が言い返してしまったら、そのあとに報復されるんじゃないかって考えたんだと思う」

 僕はそれを聞いて、なんて言ったらいいのかわからなくなった。

 時雨はきっと石本さんを守ろうとした。石本さんも同じく時雨を守ろうとしていた。でも、石本さんが時雨の制止を振り切って彼らに言い返していれば、全て正しい方向に進んだかといえばそうではない。おそらく時雨は、石本さんが言い返してしまえば二人とも苦しむ未来になってしまうだろうと想像したのだと思う。

それならば苦しむのは自分だけでいいからここは我慢すべき。そう時雨は考えたのだ。

「しぐちゃんを振り切って反論すればよかった……。また私のせいで、しぐちゃんを傷つけちゃったんだ……。芝草くんたちにも、申し訳ないことをした……」

「……謝るのはやめようよ、石本さん。まだそれが正解だったのか、間違いだったのか決着がついたわけじゃない。気持ちの精算をするのは、時期尚早だよ」

「でもこのままじゃ、しぐちゃんがライブで歌えるかどうか……」

 僕の頭には一瞬、週末のライブを辞退して一旦落ち着くのを待とうという選択肢が頭をよぎった。でもそれはすぐに却下した。仮にこのままライブを辞退したとして、時雨の過去の傷がさらにえぐられることは確かにないかもしれない。でも、その傷は残ったまま、確実にんでいく。内側までそれが進行していけば、今度こそ時雨は再起不能になるかもしれない。

 やっぱり手を打つべきは今だ。

「大丈夫。きっと時雨を立ち直らせて、必ずステージに立たせるから。そして今度こそ、時雨はすごいんだよってことをみんなに知らしめるから」

 半分は石本さんへの決意表明のように、もう半分は自分に言い聞かせて鼓舞するような言葉だった。

「だからちょっと今から時雨のところへ行ってくるよ。ここは僕らに任せてほしい」

「芝草くん……」

「もちろん、あとで石本さんに手伝ってもらうこともあると思うから、そのときはよろしく頼むよ」

 石本さんにそう言い残して、僕と理沙は全速力で時雨の家へ向かった。


※サブタイトルはthe pillows『ストレンジ・カメレオン』より

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