第八章 グッデイ・グッバイ

「やっぱり僕が思った通り、理沙ってめちゃくちゃベースが上手いよね」

あの日の屋上でのセッションから何日か経った。僕らは軽音楽部の部室で、理沙をベーシストに迎えて何度も演奏を重ねている。

 さすが毎日ひとりで基礎練習のようにベースを弾き倒しているだけあって、理沙の技術というのは相当なものだ。一周目でも一応人気のあるバンドに所属していただけあって、彼女のベースの腕前はすでに高校生レベルを超えていると思う。

「……お世辞はよしてくれ。これぐらい、軽音楽部の中にはごまんといるだろ」

「そんなことないよ。ねえ奈良原さん?」

 時雨に話しかけると、彼女は何も言わず首をコクリと縦に振った。理沙の腕前に関しては時雨も文句なしといったところだ。

「それにしたって、こんなに上手いのなら軽音楽部に入ればいいのに。どうして理沙はずっとひとりなんだよ?」

 僕は素直に感じた疑問をぶつけてみた。確かに時雨ほどではないけど、理沙にも近づきがたい雰囲気がある。それでも音楽は好きだし、会話が苦手な人柄ではないので、気が合う人間だって数人くらいいてもいいはず。

「……私が入ったら、みんな嫌がるだろ」

「そんなことないよ? 現に僕は嫌がってないじゃないか」

「それは……、お前らが私の……、いや、なんでもない。とにかく、そういうことなんだよ」

 理沙は何か言いたげだったが言葉を飲み込んだ。よほど言いたくない理由があるのだろう。

「大丈夫だよ? うちの軽音楽部は面白い人たちばかりだし、よく授業をサボる人もいるし。すぐに馴染めると思うよ?」

 僕はちらっと時雨を横目で見て理沙を軽音楽部へ勧誘してみる。しかし、彼女からイエスの返事をもらうことは難しいみたいだ。

「……いい、遠慮しておく。私のことでお前らの部活に迷惑はかけたくない」

「迷惑って……。理沙、まさかだけど隠れてタバコを吸ったりとかお酒を飲んだりとかしていないよね?」

僕はすっとぼけたように理沙へ質問する。この時点で学校を退学になってしまうようなことを理沙がやっていないのであれば、とりあえずまだ救いようはいくらでもあると思ったのだ。

「やってるわけないだろ。第一、タバコは嫌いだ。酒は……、おそらく遺伝的に飲めないだろうし」

「なら安心した。気が変わったらいつでも軽音楽部においでよ、待っているから」

 理沙は調子が狂ってしまったように困った顔をする。

「……んなことはどうでもいい。ほら、次の曲を演ろう」

「それもそうだね、練習時間も限りあることだし」

 とりあえず深く理由を詮索することはやめにした。人間誰しも言いたくないことはある。僕だって『タイムリープしてきた』なんて絶対誰にも言えない。


 部室が使える時間いっぱいまで楽器を鳴らし続けていると、外はもう暗くなってしまった。そろそろ帰らなければ生徒指導の先生が見回りに来てしまう。

「すっかり遅くなっちゃったね、こんなに夢中でバンド練習をやったのは久しぶりだよ」

「……ああ、確かに楽しかったよ。ありがとな」

 理沙はサラッと礼を言う。やっぱりこの子は根が真面目だ。何らかの理由があって真面目な生徒を辞めたくなって、とにかくステレオタイプのヤンキーみたいな素振りをしているのだと思う。

まもなく最終下校時刻ですという校内放送が流れた。先生に見つかって何か文句を言われる前に早いところ帰ろう。僕ら三人は玄関で靴を履き替えると、何やら門の付近が物々しいことに気がついた。遠くからでよく見えないが、見慣れない黒い高級車が止まっていることはなんとなくわかる。

「……ちっ、余計なことしやがって」

 理沙はそれを見て悪態をついた。一体どうしたのだろうか。

「理沙? どうしたんだよ?」

「いや、なんでもない。悪いけど私は先に帰らせてもらう」

「それは構わないけど……?」

「すまないな……。もしかしたらお前らとバンドが出来るのは、今日で最後かもしれない」

 あまりに突然のことで僕はすぐに理解が出来なかった。理沙はあんなに楽しそうにベースを弾いていたのに、どうしてそんなことになってしまうのだろう。

理沙は僕らを振り切るように小走りで黒い車の方へ向かっていく。もしかしなくとも、あの高級車は理沙を迎えに来たのだ。

「……ちょっと、おい!」

「申し訳ない、あまり詮索はしないでほしい」

 去り際に理沙はそう言い残して車の中へ消えていった。車が走り去る寸前、運転席の窓が開いて運転手が僕に向かって話しかけくる。彼は高級感のあるスーツを身に纏っていて、身なりも整っているナイスミドルだ。とても社会的地位の高い人のように見える。

「今日理沙が遅くなったのは君たちのせいか……。悪いがもう、親として理沙にこんなお遊びみたいなバンドごっこを続けさせるわけにはいかない」

「えっ……? それはどういう……?」

「率直に言えば、金輪際理沙とバンドごっこなんてやらないで欲しい。この子には、他にやらなければいけないことが沢山ある」

 運転手がそう言うと、僕が何か言う前に車は走り去って行った。僕はただ立ち尽くしていたけど、その時の運転手の顔を見てピンと来た。あの運転手は一周目のときテレビでよく見た顔だ。

 片岡という名字、一周目の同窓会のとき友人が言っていた「片岡の実家は名家らしい」という言葉、そして理沙が他人と関わることに消極的になってしまう理由、全てが僕の頭の中でかっちりとハマった。

僕の記憶が正しければ、理沙を連れ去っていったその人は、もうじきこの県の知事になる人。名前は片岡かたおか英嗣ひでつぐ。政治家の家系に生まれ、世襲で県議会議員になる。そして今から一年もしないうちに県知事選挙に出て、対抗馬をぶっちぎり当選する男。

 つまり、理沙は未来の県知事――今は県議会議員の娘ということになる。

 理沙が『みんな私のことを怖がるから』と言ったのは、自分の親が地元で絶大な権力を持つ政治家だからだろう。それが人間関係を上手く構築出来ずにあんな感じで退廃的なグレ方をしてしまった理由の一つであることは間違いない。

 あんなに楽しそうに、しかも並々ならぬテクニックでベースを弾く理沙。親の都合だけでもう手合わせすることも叶わないというのは、さすがに馬鹿げていないだろうか。しかもこのままではまた一周目と同じ道を歩んでしまう。救いようのない不良生徒だったならまだしも、あれだけ真面目で音楽にきちんと向き合える人間が、この先の未来、それも絶望の淵で「生きている意味がない」とこぼしてしまう未来を僕は許せない。

なんとかして理沙にまたベースを弾いて欲しい。そのためには根本的に理沙の家庭事情からひっくり返してやる必要がある。どうすれば良いのか全然わからないけれど、僕はとにかく考えを巡らせた。


※サブタイトルはキリンジ『グッデイ・グッバイ』


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