第七章 HELL-SEE
片岡理沙という名前に少しだけ心当たりがある。時間をかけて思い出しているうちに、だんだん頭の中が整理されてきた。
その出来事を解説するには一周目での話をしなければならない。
一周目で僕がバンド活動のために上京したのが二十歳の頃。上京したあともよく地元に帰って同窓会に顔を出していた。記憶をたどっていくと、片岡理沙という名前を耳にしたのは確かその同窓会のときだったと思う。飲み屋でバカみたいな会話をしている中で、友人がポロっとその名前を出したのだ。
「なあ融、片岡理沙って覚えてるか? 高校のとき、めちゃくちゃ素行が悪くて退学になったやつ」
「片岡……? 知らないなあ」
「まあ、すぐ学校やめちゃったし、一年のときは融とクラスも違ったから無理もないか」
「その片岡って人がどうかしたの?」
酒が進んでほろ酔いになっていた友人は、少々周りを気にしてから話を続ける。
「……実は、この間そいつに出くわしたんだよ」
「へえ、そんなこともあるんだね」
僕はあまりその話に興味などなく、とりあえず相槌を打っていた。
「しかも出会った場所ってのがまたスゲーところでさ」
「どうせお前のことだから、おねーちゃんのいる夜のお店とかでしょ?」
「おっ、さすが融、よくわかってるじゃん」
その友人が夜遊びや女遊びが好きなことをよく知っていたので、僕はその片岡という人に出くわした場所に関してすぐに感づいた。どうせこのあとは片岡とのやり取りを聞かされるのだろうと、ちょっとうんざりしたのは内緒だ。
「それでまあ色々とお相手してもらったわけなんだけどさ、なんか目が死んでたっていう感じ? 生気が無くてこっちまで心配になっちゃったんだよ」
「そりゃ、仕事が大変過ぎるからじゃないか? そういう仕事って、ずいぶんと身も心もすり減るって言うし」
「確かにそうなんだけどさ、他の女の子と比べてもなんだか様子がおかしいもんだから、思わず色々聞いちゃったんだよね。もちろん、高校の元同級生であることは隠していたけど」
僕は友人の口ぶりがいつものテンションと少し違うなと感じていた。大体こういうときの彼は夜のお店での武勇伝的なことを話すのだけれども、なぜか今回に限ってはシリアスな雰囲気だったのだ。
「片岡のやつ、タバコが見つかって高校を退学になったんだけど、その後家出して家族と縁を切ったらしいんだよ」
「家出か……、まあ、家庭で大変なことがあったんだろうね……」
「それでさ、なんとも奇遇なんだけど、どうやら片岡も融と同じでバンドをやっていたらしいんだ」
友人のその一言に僕は少し驚いた。
「へえ、バンドを」
「ベースを弾いてたんだとさ。結構人気があったって言っていた。お前、どこかのライブハウスで出会っていたんじゃないか?」
さすがにそれは確率が低すぎるよと僕は軽くツッコミを入れる。でも、同じバンドマンとして、少し彼女のことが気になり始めていた。
「夜のお店で働いていたっていうことは、バンドを辞めちゃったってことだよね」
「そういうことだ。……まあ、実際には辞めたというか、仲間に騙されたって言っていたけど」
そこそこ人気なバンドに所属していた彼女は、メンバーに騙され、そしてバンドを辞めざるを得なくなった。彼の言うその話は、当時現役バリバリのバンドマンだった僕にとって耳を塞ぎたくなるようなものだった。
「所属するバンドにデビュー話を持ちかけられたらしい」
「す、すごいじゃないか。僕らだってまだそんな話来たことないのに」
「でも、その持ちかけてきた奴が提示したのはデビューのために必要な多額のレッスン代とか機材代。片岡は仲間にそそのかされて借金をしてまでその金を払ったんだと」
「仲間にそそのかされて? それってまさか……?」
なんとなくそういう詐欺みたいな手口は僕も聞いたことがある。しかし、友人その嫌な言い回しが気になってしまった。
「ああ、バンドメンバーとデビューを持ちかけたやつ、グルで片岡を騙そうとしていたわけ」
「なんでそんなことを……? 大切なメンバーなのに?」
「片岡の実家、名家なんだとさ。これは俺の推測だけど、他のメンバーがやらかして金に困っていたんじゃないかって思う」
「それで彼女からお金を引き出そうと……?」
「一番手っ取り早くて確実な方法だと思ったんじゃないか? バンドからいなくなってしまえば、もはや他人みたいなものだしな」
詐欺以上に胸糞の悪い物語だった。同時に、それを防ぐ方法があったのではないかとも思った。考えたところでもう手遅れではある。でも僕は、当事者ではないのにむしゃくしゃした気持ちになっていた。
「んで、夜のお店で働いて借金返済中ってわけだ。高校中退だし、実家とも縁を切っているから、それしか方法がなかったんだと」
「そんなのやりきれないよ。理不尽すぎる」
「まあな。おまけにあることないこと噂が広められたらしくて、もうバンドに復帰出来そうもないって」
僕は言葉が出てこなかった。彼女の選択がことごとく裏目で、好きなものすら奪われてしまう。現在進行系で彼女は地獄を見ている。
「片岡が最後に『生きている意味がない』って吐き捨てていたのが、なんだか妙に心に残っちゃってさ。誰かに言いたかったんだけど、融しかいないなって思ったんだわ」
「それは……、皮肉?」
「違うよ、お前はそんな事にならないように頑張ってくれよってことだ。そうしてお前が売れたらたらふく奢ってやるよ」
友人は他人事のようにその話を冗談で締めくくった。僕は、うそつけ、と彼に小さな声で切り返すことしかできなかった。
他人事といえばそれまでだ。でも、同じバンドマンとして、彼女に「生きている意味がない」なんて言わせずに済む方法があったのではないかと、その日はずっと思い詰めていた。
※サブタイトルはSyrup16g『HELL-SEE』
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