第五章 ヒラヒラヒラク秘密ノ扉
私、奈良原時雨は、全くもって人に好かれるような存在じゃない。孤独というものに取り憑かれている人間だと思う。それを自覚したのは中学の頃。
歌うことが好きで、覚えたてのギターも練習したいという気持ちだけで加入した音楽部。思えばそこから間違いだったのかもしれない。
音楽部での私は、ひとりで歌ってギターを練習することで満足していた。しかし、あるとき当時の友達からバンドに誘われたことで、歯車が狂い始めた。そのときの出来事がきっかけで、いつの間にか私の周りからは人が居なくなった。そんな疫病神みたいな私のことに友達を巻き込んではいけないと思い、そっと音楽部を辞めた。
それからというもの、私はひとりでいることが当然なのだと自分に言い聞かせた。せっかく仲良くなっても、そこからひとりぼっちになってしまうのは死ぬほどつらい。だったらずっとひとりでいればいい。そう思った私は、誰もいない寂れた商店街の端っこで、自分のためだけに歌を歌って自分自身を慰めるというひとり遊びを始めたのだ。
入学した高校には軽音楽部があった。誰かとバンドを組もうなんて気持ちは毛頭無かったけど、部室というひとりで演奏するスペースが確保できるのは魅力的だと思ってその門を叩いた。
部室の中には誰もいなかった。後から知ったけどこの日は休みだったらしい。私は何もせずぼーっと立ち尽くして機材なんかを眺めていたと思う。また適当な日に出直そう、そう思って立ち去ろうとしたとき、部室の扉が突然開いた。
現れたのはひとりの男子生徒だった。彼は不思議なことに、まるで私がここにいることを知っていたかのように部屋に入ってきて、突拍子もなくこんなことを言うのだ。
「こんにちは、僕とバンドをやりませんか?」
正直に言うと、この人の第一印象は『頭のおかしい人』だった。
普通に考えて初対面の人にいきなりそんな事を言うのは常識外れ。だから私は反射的に「嫌」と返答した。
「そうかぁ残念。軽音楽部が休みの日にやってくる人なら、絶対バンドをやりたがっていると思ったんだけど」
彼はなんだか掴みどころのない人で、何故か私とバンドを組もうと迫ってくる。私と音楽をやったところで、楽しい事なんて全く無いのに。
「僕、ドラムを叩くんだ。一緒にどう?」
「お断りする」
「それはどうして?もしかして、君もドラム担当なの?」
「……違う。私はただ、ひとりで歌いたいだけ」
彼はまるで「私はドラマーではない」ということを知っているかのようにそう聞いてくる。
心を見透かしたようで少し気味が悪い。でも、それと同時に私のことを理解してくれているんじゃないかという変な期待も湧いてしまった。そんなエスパーじゃあるまいし。
私のことを理解してくれる人なんて、この世界にはいない。幻想を抱くのは自分の歌の中だけでいい。
「おお! じゃあボーカルなんだね! なおさら一緒にバンドを組みたくなるね」
「ならない」
「どうして?」
彼の明るさと勢いに、うまく言いくるめられてしまいそうな気がした。
……駄目だ駄目だ、早くこの人には私という人間の真実を知ってもらって、さっさと諦めてくれたほうがいい。そのほうが、この人のためであり、ひいては私のためになるのだから。
「バンドなんて、嫌いだから」
きっぱりとそう言い切った。これだけ嫌がっているのだから、彼もさっさと手を引いてくれるだろうと思った。けど、私はこの人のしぶとさを見誤っていた。後から改めて思い知るのだけど、彼はびっくりするぐらいしつこい。
「なんでバンドが嫌いなの?」
その理由をわざわざ話したくはない。また嫌なことを思い出して、どうしようもない自分が心の中で浮き彫りになるだけだから。
「……あなたには関係ない。帰る」
ここは逃げるのが一番いいと思った。彼と会話をしていたら、なにか私が勘違いをしてしまいそうで怖い。歌う場所の確保が出来ないのは惜しいけれど、軽音楽部に来るのはもうやめにしよう。もちろん、彼に会うのも。
それでも彼は去り際にこう言う。
「あっ! ちょっと待って! 僕、芝草融っていうんだ、覚えておいて!」
そこまでして名乗るのかと、私はその彼の執念深さに驚きながら部室をあとにしていた。
でもそれは無駄なことだと思った。少なくとも私はもう、ここに来ることはない。
もう二度と会うことなどないと思っていた芝草くんは、また私の目の前に現れた。
「いい曲だね」
いつも歌っている寂れた商店街の端っこ。私が一曲歌い終えると、彼は率直にそう言う。
本当に、なんで私なんかの前に現れるのか意味がわからない。
「……何しに来たの?」
「ちょっとたまたま通りかかったら素敵な歌が聴こえてきたから」
すごく白々しい。多分たまたま通りかかったなんて嘘だ。どこからか情報収集をして、私がここにいることを突き止めたのだと思う。芝草くんはもう、私のちょっとしたストーカーといってもいいかもしれない。
「用がないなら帰って」
「頑固だなあ……、歌を聴きに来ただけなのに」
「私の歌を聴きたがる人なんか……、誰もいない」
「いるじゃん、ここに」
芝草くんは自分自身を指差した。彼が私の歌を聴きたがる理由は一体何なのだろう。どう考えたって人に受け入れられるようなものではないのに、どうして。
「……本気で言ってるの? それ」
「もちろん。僕はいつでも本気だよ」
彼は屈託のない笑顔を浮かべてそう言う。そこまで自分の歌声を他人から求められたことのなかった私は、どういう顔をしたらいいのか整理ができなかった。
でも不思議と、彼にそう言われて嫌な気持ちにはならなかった。少なくとも芝草くんは、私の歌声に関して一切の否定をしてこないからだろうか。
――いや違う。私、本当は自分の歌を聴いて欲しいんだ。でも、否定され、見放されてしまう恐怖から自分を守ろうとする力が強すぎて、こんな悪態を彼についている。私は最低だ。
それに気がついたことを彼に悟られたくなかった私は、ギターを片付けて帰り支度を始める。
「今日はもう遅いから終わり。また……」
驚くほど自然に「また」と言ってしまった。そんなことを言えば、芝草くんは絶対に来る。もう私のことなど放っておいて欲しいのに、どこか心の奥でまた来てほしいと思ってしまっているのだ。
「また……?」
「……なっ、なんでもないっ! とにかく私は帰る!」
私は恥ずかしさのあまり、逃げるようにそこから立ち去ってしまった。
次に芝草くんが現れたとき、彼はカホンを背負っていた。
どうやら私の歌を聴きたいだけでなく、自らもセッションに加わりたいのだと。断っても諦めはしないだろうから、私は勝手にすればいいとだけ言う。
本当は喜ぶべきなのに、一緒に演奏することで彼に幻滅されたらどうしようとか、嫌な気持ちにしてしまったらどうしようとか、そんなことが矢継ぎ早に頭の中に浮かんだ。まるで上手く行かなかったときの保険をかけるかのように、こういう突き放す言い方しか出来ない自分が嫌になる。
とにかく今は歌うことだけに集中しよう。そうすれば嫌な気持ちも忘れられるし、何曲か歌えば芝草くんも満足して帰っていくだろう。
私はタイトルすらつけていない自分の持ち歌を歌い始める。それにつられて、芝草くんもカホンを叩き始めた。不思議なことに、ほとんど聴いたことないはずの私の曲に、芝草くんは完璧についてくる。それも、自らが出しゃばることなどなく、私の歌を尊重するような叩き方だった。
歌っていてこんなに気持ちがいいのは生まれて初めてだったと思う。誰かが自分の歌を支えていてくれるというだけで、こんなにも音楽は楽しくなるのだということを、芝草くんは私に身をもって教えてくれるのだ。
「なんだか今のすごくいい感じじゃなかった? ……ねえ、早く次の曲やろうよ」
テンションが上がって興奮気味な芝草くんは、早く次の曲に行きたくてしょうがない感じだった。私もそう思っている。けれども、心の中にはまだ素直になれない自分がいて、逃げに走ってしまう。こんなに楽しい音楽を知ってしまったら、もう自分は後戻りできなくなるのではないかと、そんな恐怖感があったのだ。
「……やっぱり今日は帰る」
我ながら酷いことをしていると思った。こんなに寄り添ってくれる芝草くんの気持ちを踏みにじって逃げようとしているのだ。いくら彼でももう次はないなと覚悟した。もっと素直になっていれば、心から音楽を楽しむことができたはずなのに。私という人間は、どうしてこうも愚かなのだろうか。
「わかったよ。じゃあ、また今週末の金曜日、軽音楽部の新入生歓迎会で会おう」
芝草くんから返ってきたのは、意外な言葉だった。これほど私は突き放してしまっているというのに、彼はまだ私のことを考えているのだ。
聞けばお菓子とかケーキが沢山出てくるのだとか。とても卑怯かもしれないけど、私は好物のモンブランが目的だということにして、もう一度だけ彼に会ってみたいと思ってしまった。これで最後にしよう。私に何も魅力的なところなど無いとわかってくれれば、彼は自然に興味をなくしてくれるに違いない。そのほうが、二人にとって幸せであるはずなんだから。
週末金曜日の多目的室は、軽音楽部の新入生で溢れていた。私はといえば、そんな和気あいあいとした雰囲気に馴染めず、部屋の端っこでひとりモンブランを食べている。
「やあ奈良原さん、来てくれたんだね」
「……お、お菓子に釣られただけだから」
放っておいてくれればいいのに、やっぱり芝草くんは私に声をかけてくる。本当はもう少しだけ彼と話をしてみたいとは思うのだけれども、素直に言葉にすることが出来ない。
「どう? 誰かと仲良くなった?」
「……別に。友達が欲しいわけじゃないし」
「だろうと思った」
私は芝草くんとは違う。どうせ彼みたいなドラマーはすぐに仲間が出来て、バンドのひとつやふたつ、あっという間に組んでしまう。こんなところで私と話して油を売る必要なんてないのだ。
「……私に構っているヒマがあるのなら、その時間で芝草くんこそ友達を沢山作ればいい」
こういう捻くれた気持ちだけはすぐに言葉に出てくる。そういうことを言うたび、人間として性根が曲がっているなと思い知らされて嫌になる。
「もう、そんなに拗ねたら美人が台無しだよ? 大丈夫大丈夫、奈良原さんならすぐにみんなに囲まれるようになるさ」
お世辞にしては下手くそすぎる。どうしてこう、彼は私がドギマギするような言い方をするのだろう。
「……やっぱり芝草くんには言葉が通じない」
「そう? 日本語には自信あるほうなんだけど」
「そういう意味じゃない。……もういい、これ食べたら私は帰るから」
駄目だ駄目だ、芝草くんのノリに付き合ってしまったら、調子に乗ってしまいそうで怖い。私はすみっこでコソコソやっているぐらいが丁度いいんだ。
そうやって芝草くんの話を流していると、彼は他の男子生徒から声をかけられた。
「なあそこの……、芝草っていったか?」
「ん? 僕のこと?」
芝草くんに声をかけたのは、なんだか私とは正反対の世界に住んでいそうな人だった。確か、岩本くんって言っていた。顔が良くて、背が高くて、多分楽器も歌も上手いのだろう。その証拠に、自然と取り巻きのような人たちがすでに寄り付いている。間違いない。彼は芝草くんをバンドに誘ってくる。
「ウチのバンドに入ってほしいんだ。やっぱりドラム担当って少なくてさ」
予想通りだった。私は中学時代のことを少しだけ思い出す。
ドラマーは引っ張りだこだというから、きっと芝草くんもあの子のように誘いを断ることができず、バンドに加入してしまうだろう。私とバンドを組むより、よっぽど合理的で賢い判断だ。
でも、その誘いに対する芝草くんの反応が意外過ぎて私は驚いてしまった。
「あーごめん、生憎先約がもういるんだよね」
間違いなく『先約』というのは私のことだ。こんな私のために、岩本くんのバンドを断るのはさすがに損得計算が出来ていない。
「なら掛け持ちでもいいから、俺とバンドを組んでくれ」
岩本くんは引き下がらない。俺と組めば将来は保証してやると言いたげに、彼は芝草くんに加入を迫ってくる。
「悪いけど他を当たってくれよ。僕はその先約以外とやる気は無いんだ」
その時の芝草くんの顔は、何故か清々しくて気分が良さそうだった。岩本くんに恨みでもあるのかと思ったけど、この二人は初対面のはずだからそれはない。そんな芝草くんの表情に苛立ったのか、取り巻きのひとりが言いがかりをつける。
「お前、それ本気で言ってんのか? 陽介のやつ、自分の歌をネットに上げてて超ヒットしてるんだぞ? こんな大物とバンドを組めるチャンスなんて二度とないかもなんだからな!」
「それは凄いね。将来有名バンドになること間違いなしだ」
「だろ? だからお前も陽介っていう勝馬に乗ったほうが絶対良いに決まっている」
わかりやすい勝馬だ。こんなものに乗らないほうがおかしい。もし私が芝草くんの立場なら、悩む余地もなく彼らとバンドを組むだろう。でも芝草くんはそうしない。それどころか、近くに立っていた私の肩をとって引き寄せるのだ。
「でもごめんよ、僕はそんな勝ち馬に乗るよりもっといい相棒を見つけたから。――ねえ、奈良原さん?」
ドキッとした。あまりに突然だったので、久しぶりに驚いた顔をしてしまったかもしれない。
「ちょっ……、ちょっと芝草くん……?」
「僕、この子としかバンドを組む気ないから。そこんとこよろしく。……それじゃ行こうか、奈良原さん」
そう芝草くんが言うと、私の手を取って部屋の外へ連れ出された。取り残された岩本くんたちはキョトンとしていたと思う。
どうして……、芝草くんは彼らとバンドを組まないの?
「ちょ……、ちょっと芝草くん、どこに行くの?」
芝草くんに手を引かれている。なんだかんだでついていってしまっていた。確かにあの空間にいるよりはマシだとは思う。でも、それ以上になにかに期待してしまっている自分がいた。
「うーん、とりあえず商店街に行こっか。セッションの続きをやろうよ」
「ほ、本当に私とバンドをやるつもりなの……? あんな誘いを断っても良かったの?」
「最初からそう言ってるじゃん。僕、もう奈良原さん以外とバンドをやるイメージが湧かないんだよね」
そんなのずるすぎる。何が彼をそこまでさせるのかわからないけど、私は彼のその言葉でついに満たされて溢れそうになっていた。
「だからさ、僕と一緒に青春をやり直さないかい?」
心の扉が少し開いた音がした。
「……意味分かんない」
彼と一緒なら、もしかしたら、私は今度こそ変われるのかもしれない。
※サブタイトルはチャットモンチー『ヒラヒラヒラク秘密ノ扉』
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