第四章 瞼の裏には

「――そういうわけなの。だから、奈良原さんとバンドを組むのは難しいと思う」

 石本さんは僕を諭すかのように一部始終を語ってくれた。しかし、その内容というのはとても胸糞悪いものであった。

 時雨は誰かに何かをしたわけでもないし、何もできなかった。悪いことなんて、ひとつもない。もし僕がそこに出くわしていて、拳を振るうことが許されるならば、ドラムなんて二度と叩けなくなっても良いぐらい暴れるだろう。

「……石本さんは、もう奈良原さんのことなんてどうでもいいの?」

「そんなわけない。でも近づいたら近づいたで、絶対にまた奈良原さんを傷つけてしまう。もう私には何もできないんだよ」

 石本さんは自嘲する。彼女にも悪いことをした自覚はあるのだろう。その言葉には時雨に対する申し訳なさのようなものがこもっていた。かといって、僕は彼女の言葉の全てを正当化したくない。

「だから奈良原さんのことはそっとしてあげてほしい。そうじゃないと、またあの子は傷ついてしまうから」

 彼女はそう言うが、時雨をひとりにしてはいけない。このままではまた十年後、自宅マンションから飛び降りることになってしまう。

一周目で奈良原時雨が飛び降りてしまった理由、それはいくつかの原因があるだろう。そのひとつは、中学時代に自分が孤独な存在であるということを心に強く刻み込まれてしまったからに違いない。そうであるならば、仲間と一緒にバンドを組んで演奏をする、それが達成されるだけでも、彼女の人生を大きく前向きに動かせるかもしれない。なおのこと僕は時雨をバンドへ巻き込もうとする意志が強くなった。

「……わかったよ。でも、僕はやっぱり奈良原さんとバンドを組んでみたいんだ。その話を聞いたら尚更ね」

「それは無理だよ、芝草くん」

「無理じゃないさ。世の中意外となせば成るもんだよ」

 石本さんはこれ以上何も言わなかった。

絶対に奈良原時雨をバンドに巻き込んで、彼女を蔑んできた連中にひと泡でもふた泡でも吹かしてやろう。そうして時雨に教えてやるんだ。

 ――『出過ぎた杭は打たれない』ということを、僕の手で。


「やあ、今日もやっぱりここにいたね」

 その日放課後、僕はすぐに時雨のいる寂れた商店街へ向かった。

 ひとりで歌いたいという彼女のことなので、もしかしたら今日はいないかもしれないと思っていたけどそれは杞憂だったみたいだ。

 昨日と同じように制服の上からパーカーを羽織って、カッタウェイのついたヤマハのアコースティックギターを担いでいる。相変わらずのその、ちょっと近づきがたい雰囲気が僕にとっては逆に心地がいい。そのおかげで僕は今、奈良原時雨を独占出来ているのだ。役得である。

「……また来たの?」

「そりゃもう来るしかないと思ってね」

「……意味わかんない。私の歌なんて聴いてもしょうがないのに」

「そう思っているのは君だけだって。君の歌、僕は結構気に入っているんだよ?」

 こんな風に褒められることもあまりないのか、時雨は何て返すべきかわからず閉口してしまった。素直に喜べばいいのにとは思うが、彼女のバックボーンを聞いた後だとそうなるのも仕方がないと思う。もうちょっと時間をかけながら、彼女には自信をつけていってもらうように僕から働きかけよう。

「そうそう、今日は良いものを持ってきたよ」

「良いもの? ……もしかして、その背中に担いでいるやつ?」

「その通り。これがあればもっと楽しいよ」

 僕は背負っていた四角いケースをおろして中身を取り出す。中には、図工室の椅子みたいな木製の箱が入っている。

「じゃーん! どうこれ? いかにもアコースティックライブって感じじゃない?」

「これって……、カホン?」

「そう、その通り!」

 用意してきたものとはカホンと呼ばれる打楽器。それこそ椅子のようにして天板に座り、側面の板を素手で叩くことで音が出るというシンプルなもの。中にはスナッピーと呼ばれる、スネアドラムに使われる響き線が入っていて、叩き方や叩く場所で音が変化するというなかなか奥が深い楽器だ。

 ドラムセットは持ち運びが大変なので、よくバンドのアコースティック編成なんかではドラム代わりに使われることが多い。

 この頃の僕はなんとなくカホンが欲しいという理由で購入していたらしい。当時の僕、とてもナイスだ。

「それ……、どうするの?」

「どうするってそりゃ、一緒に演奏するんだよ。セッションってやつ」

 時雨は顔が一瞬強張る。一緒に演奏するということに、若干のためらいと恐怖心があるように見えた。

「……そんなこと、しなくていい」

「ええー、せっかくいい歌を歌っているのに……」

「それがなくても、曲としては成り立つじゃない」

「いや、確かにそうだけどさ……。ドラマーとしてリズム楽器を入れたくてしょうがないんだよ」

 ドラマーに限らず音楽好きならあるあるだと思うけど、好きな曲を聴くと思わずリズムを取りたくなるものだ。ましてや推しである奈良原時雨の歌に合わせてセッション出来るとなればこんな素晴らしいことはない。一周目だったらいくら足掻いても金を積んでも叶わなかっただろう。

「……勝手にすればいい」

「ホント!? じゃあ曲に合わせて適当に叩いていくね!」

 僕はワクワクが止まらなかった。多分今までの音楽人生で一番嬉しいシーンだろう。このまま死んでも割と後悔ないかもしれない。

 カホンをスタンバイし終えると、時雨はカポタストを二フレットに付け、手グセでGとCアドナインスのコードをジャラジャラと鳴らす。奈良原時雨オタクの僕にはわかる。二カポで始まる曲は十中八九『時雨』だ。ゆっくりハーフテンポで始まるこの歌は、時雨の透明な声が一層映える。僕はその素敵な声を出来るだけ邪魔しないよう、最低限の音数でリズムをとった。

 歌を邪魔しないアレンジなら僕の得意分野だ。一周目ではドラマーとしての腕前は並であったので、並なら並なりにどうやったら曲が活きるか悩みに悩んだ。このスキルはその集大成と言ってもいい。

 静寂のメロディからサビに入ると、タイトル通り時雨が降り出したかのような力強さが彼女の声に乗りはじめる。ただ力で押すのではなく、それでいて持ち前の透明感は維持したまま。これこそが奈良原時雨の真骨頂とも言える。

 やっぱりひとりで演奏するよか何倍も楽しい。この楽しさが、うまいこと時雨にも伝わってくれたらいいなと思いながら、僕は一曲叩き終えた。

「なんだか今のすごくいい感じじゃなかった? ねえ、早く次の曲やろうよ」

 テンションが上がって興奮気味な僕は、早く次の曲に行きたくてしょうがなかった。

 でも時雨はちょっと違うみたいだ。彼女は何かを言いかけて、直前のところで言葉を飲み込んでしまう。

「……やっぱり今日は帰る」

「どうしたの? 体調でも悪い?」

「……そういうことにしておいて」

 いきなり距離感を詰めてセッションをしにいったのはまずかったか。よくよく自分の言動を振り返ると、なかなか気色悪いことをしているなと思わざるを得ない。それもあって、ちょっとブレーキのかけどころを間違えてしまったかもしれない。反省点だ、今日のところはちょっと押すのを控えよう。

「わかったよ。じゃあ、また今週末の金曜日、軽音楽部の新入生歓迎会で会おう」

「……なにそれ? 新入生歓迎会?」

 軽音楽部では毎年恒例、この時期に新入生歓迎会と称してパーティーみたいなことをする。皆に自己紹介をしたり、好きな音楽を語り合ったり、バンドメンバーを探したり、お菓子を食べたりと、とても青春って感じがするイベントだ。

「あれ? 聞いてないの? じゃあなおさら行ったほうが良いよ、お菓子とかタダで食べられるし」

「……別に、興味ない」

「えー、せっかくだから行こうよ。なんか軽音楽部の先輩で家がケーキ屋さんをやってる人がいて、差し入れで沢山ケーキが出てくるらしいよ? ショートケーキとか、モンブランとか」

 その時のモンブランという単語に時雨がピクッと反応したのを僕は見逃さなかった。

 なんせ彼女の大好物がモンブランであることを、僕は音楽雑誌の記事から知っていたから。彼女には、レコーディング中はストレス発散のためにモンブランしか食べなかったという逸話がある。

 ちなみに、嘘っぽく聞こえるが軽音楽部の先輩の実家がケーキ屋で、大量のケーキが差し入れられるのは本当の情報。一周目のときも食べ切れないほどのケーキが僕の胃袋を襲った記憶がある。美味しかったけど強烈な胸焼けになったので、ついでにその運命も回避したい。

「……ま、まあ、考えておく」

「ホント!? じゃあ待ってるよ!」

 僕がその言葉を聞いてもはやウキウキだ。上手いこと行けば時雨と本当にバンドを組めるのだから。

 そんな僕をよそに、時雨は少し慌てながらそそくさと帰っていった。あまり変化のない彼女の表情に、やんわりと恥ずかしさみたいなものが浮かんでいた気がする。僕の見間違いだったかもしれないけど。




 週末金曜日、部室棟にある多目的室は、軽音楽部の新入部員と大量のお菓子で溢れかえっていた。

毎年恒例の新入生歓迎会。二周目の僕にとっては懐かしい面々ばかりでちょっとセンチメンタルな気持ちになる。新入生の顔合わせというより、同窓会に近い。

 もちろんそこには一周目で十年後に僕をクビにした張本人、岩本陽介もいた。彼はいわゆるスクールカーストの上位にいる人間で、顔も良くて歌も上手いので、この時点でもう軽音楽部のエース的存在だと言っても良いと思う。

 既に陽介の周りには取り巻きが出来ていて、いかにして彼の仲間に入るか躍起になっている奴もちらほら見受けられる。かくいう僕も、一周目のときはそんな感じだった。陽介に取り入ればバンド生活は上手く行くだろうし、デビューだって夢ではない。あわよくば、女の子にモテたりするかもしれないなんて当時の僕は思っていた。

 でも、実際にはデビュー直前でバンドをクビになるし、女の子にモテることもなかった。これはあくまで個人の感想だけど、ドラマーなんていうのは本当に女の子にモテない。どうせモテないのだから、陽介なんかとまたバンドをやるより、奈良原時雨という推しと組む方が百億倍楽しいに決まっている。だから僕はそんなしょうもない未来を避けるため、今日は『陽介とバンドを絶対に組まないようにする』ことを目標にやっていこうと思う。

 新入生みんなの自己紹介が終わると、談笑タイムが始まる。ふと部屋の端っこに目をやると、時雨がひとりぼっちで大好物のモンブランをちまちま食べていた。そもそも来てくれるかどうか怪しい感じだったので、モンブラン効果とはいえ僕は彼女が来てくれたのがちょっと嬉しい。

「やあ奈良原さん、来てくれたんだね」

「……お、お菓子に釣られただけだから」

 声をかけると、時雨は気まずそうに言う。この間の商店街でセッションをしたあと、急に帰ってしまったことを彼女なりに引きずっているのかもしれない。軽く話をしておいた方が彼女の気も楽になるだろう。

「どう? 誰かと仲良くなった?」

「……別に。友達が欲しいわけじゃないし」

「だろうと思った」

 そこまで時雨が社交的ではないのは知ってのこと。彼女はあまり人の多いところが好きではないのか、大好物に舌鼓を打ちつつもやや不機嫌な顔をしている。

「……私に構っているヒマがあるなら、その時間で芝草くんこそ友達を沢山作ればいい」

「もう、そんなに拗ねたら美人が台無しだよ?  大丈夫大丈夫、奈良原さんならすぐにみんなに囲まれるようになるさ」

 やや冷やかし気味に僕がそう言うと、時雨はため息をついた。

「……やっぱり芝草くんには言葉が通じない」

「そう? 日本語には自信あるほうなんだけど」

「そういう意味じゃない。……もういい、これ食べたら私は帰るから」

 僕は彼女から呆れた表情を向けられるが、こんなのいつものことだ。塩対応に慣れてしまえばこれもまた役得である。そんな感じでナックルボーラー同士の繋がらない会話のキャッチボールを時雨と繰り広げていると、後ろから声をかけられた。

「なあそこの……、芝草っていったか?」

「ん? 僕のこと?」

 その声の主は陽介だった。一周目で同じくバンドを組んでいたリードギターの小笠原おがさわらとベースの井出いでもその隣にいる。この流れは間違いない。僕をバンドに誘ってくるのだろう。

 ドラマーは女の子にはモテないけど、その人口の少なさから、バンドメンバーの求人的にはモテモテになる。

「確か芝草、ドラムをやっているって言ってたよな?」

「そうだけど? それがどうした?」

 僕は陽介とバンドを組む気はサラサラ無いので、すっとぼけた感じで応対する。

「率直に言うとウチのバンドに入って欲しいんだ。やっぱりドラム担当って少なくてさ」

「あーごめん、生憎先約がもういるんだよね」

「なら掛け持ちでもいいから、俺とバンドを組んでくれ」

 陽介は引き下がろうとはしない。俺と組めば将来は保証してやると言いたげに、彼は加入を迫ってくる。かなりの自信が陽介にはあるのだろう。もちろん、僕はその話に乗るわけがない。奈良原時雨以外とバンドを組むぐらいなら、音楽なんて辞めてしまった方がマシだ。それぐらいの気持ちが今の僕にはある。

「悪いけど他を当たってくれよ。僕はその先約以外とやる気は無いんだ」

 ここまでハッキリと誘いを断ることができたことは一周目の人生でも無かっただろう。まさか断られるとは思っていない陽介の驚く顔を見て、僕は胸がすくような気持ちよさを感じている。今は仮に土下座されたとしても彼とバンドを組む気はしない。

 すると僕の返答に苛立ったのか、取り巻きのひとり――小笠原が言いがかりをつける。

「お前、それ本気で言ってんのか? 陽介のやつ、自分の歌をネットに上げてて超ヒットしてるんだぞ? こんな大物とバンドを組めるチャンスなんて二度とないかもなんだからな!」

「それは凄いね。将来有名バンドになること間違いなしだ」

「だろ? だからお前も陽介っていう勝ち馬に乗ったほうが絶対良いに決まっている」

 勝ち馬……か。ゴール直前で振り落とされて落馬した僕にとっては、その馬が勝とうが負けようがどうでもいい。このまま粘りの説得をされ続けてもただの時間の無駄であるわけなので、僕は少し強引な方法を取る。

「でもごめんよ、僕はそんな勝馬に乗るよりもっといい相棒を見つけたから。――ねえ、奈良原さん?」

 僕は近くにいた時雨の肩をとって引き寄せる。あまりに突然のフリだったので、表情の乏しい彼女ですら驚きで目を丸くしていた。

「ちょっ……、ちょっと芝草くん……?」

「僕、この子としかバンドを組む気ないから。そこのとこよろしく。……それじゃ行こうか、奈良原さん」

 そう言い残すと、僕は時雨の手を取って部屋の外に出た。取り残された陽介一味の顔はあ然としていたと思う。心理的なインパクトはかなり大きいはず。これで間違いなく、僕は陽介とバンドを組むことはなくなるだろう。目的達成だ。

「ちょ……、ちょっと芝草くん、どこに行くの?」

 僕に手を引かれながら、なんだかんだ時雨はついてくる。彼女なりに、あの空間にいるよりは連れ出されたほうがマシだと思っているのだろうか。そうだったならばちょっと嬉しい。

「うーん、とりあえず商店街に行こうか。セッションの続きをやろうよ」

「ほ、本当に私とバンドをやるつもりなの……? あんな誘いを断っても良かったの?」

「最初からそう言ってるじゃん。僕、もう奈良原さん以外とバンドをやるイメージが湧かないんだよね」

 僕はとびきりの笑顔で時雨の方を向いた。

「だからさ、僕と一緒に青春をやり直さないかい?」

 その時彼女が小声で、それでいて少し照れながら「意味わかんない……」と言ったのを僕はまぶたの裏に永久保存しておこうかと思う。


※サブタイトルは藍坊主『瞼の裏には』

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