第三章 幾千光年の孤独

私、石本いしもと美緒みおには当時、仲の良いクラスメイトがいた。名前は奈良原時雨。小柄で髪は長くて、地味な印象ながらどこか透明感のあるきれいな子だった。物静かで友達も多くなさそうだけれども、優しくて真面目で、とてもいい子。

 時雨とは休日に遊びに行ったりとか、授業のノートを見せ合ったりとか、他愛もない話もできるような関係。その当時は友達と呼んでも差し支えない間柄だったと思う。

いろいろ彼女のことを知っていくに連れて、音楽好きであることもわかった。小学校高学年のときに父親の影響でギターを手にし、そこから音楽にのめり込んでいったのだとか。幼少期からマーチングバンドをやっていてドラムを嗜んでいる私にとっては、数少ない趣味の合う友達だった。




中学二年生のころ、私は時雨にとある質問を投げかけたことがある。

「――ねえ、しぐちゃん。部活に入るつもりってある?」

「えっと……、特に考えてない……かな」

私も時雨も部活とは縁のない中学生活を送っていた。無理に入る必要などないとは思うけれど、共通の趣味を楽しめる部活ならば時雨と一緒に入ってもいいかなと思い、勧誘するかのようにそんな質問をした。

「私ね、音楽部に入ろうかなと思うんだけど、しぐちゃんもどう?」

「音楽部? 吹奏楽部じゃなくて?」

「吹奏楽部とは別に、みんなで楽しく演奏したり歌ったりする部活なんだってさ。二年生からでも入部大歓迎だって」

「そうなんだ。そんな部活があったこと、全然知らなかった」

 時雨は初耳だよと言わんばかりに驚いた表情をしていた。

「新歓とか全然力入れてないらしいよ。来たい人が来ればいいってスタンスなんだって」

「ふうん。それって、どんな楽器でもいいの?」

「いいってさ。中には吹奏楽部じゃ自分のやりたい事ができないから音楽部に入ったっていう人も多いみたい」

その話を聞いて興味を持った時雨は、私と一緒に音楽部へ入部した。ギターを弾いて歌を歌えるという、音楽にのめり込んだばかりの彼女にとっては、理想のような部活。二年生ながらも私たちはすぐに部員からは歓迎され、やがて部活の中で輪が出来るようになった。

このまま順調に事が進めば良かった。でも、時雨の才能が頭角を現さないわけがなく、事態は変わっていく。




音楽部に入部してからしばらく経ったころ、部の定期演奏会が行われることになった。

せっかく入部したのだから、ちょっとしたバンドを組んで演奏会に出ようと私は時雨を誘ってみた。

「しぐちゃん、私と一緒にバンドを組んで定期演奏会に出ない?」

「実は、私も出てみたいと思っていたんだ。でも美緒ちゃん、せっかくのバンドメンバーが私でいいの?」

「いいもなにも、私はしぐちゃんと一緒に演奏したいから音楽部に誘ったんだよ? いいに決まってるじゃん」

「ほんと? ……ありがとう!」

部活に入ったものの、時雨はいつも部室でひとりギターを弾いて歌っていた。それで彼女は満足をしていたのだろうけれども、この機会に一緒に演奏して楽しめたらいいなと思った、それだけのことだった。自分以外の誰かと一緒に演奏をするというのは時雨にとって初めてのことらしく、この時の彼女はかなり心躍っていたようにも見えた。

「バンドを組むって言っても、メンバーは私と美緒ちゃんだけ?」

「うーん、もう一人くらい声をかけてみようかなと思うんだけど、いいかな?」

「もちろん」

「じゃあ、他の子にも声をかけてみるよ」

友達と一緒にバンドができるというワクワク感で、その時の私は浮かれていた。今思えばもう一人のメンバー候補を選ぶとき、もう少し慎重になればよかったと後悔している。




数日後、私はもう一人のメンバー候補として、同じ音楽部に所属する同級生を呼んだ。部活のミーティング中なんかでは話題の中心にいるような、スクールカーストの高い女子生徒。声をかけたときはほぼ二つ返事でOKしてくれた。

「よろしくー」

「よ、よろしくおねがいします……!」

「そんなに緊張しないでよ。私らで頑張って定期演奏会盛り上げようね」

彼女はとてもハキハキとしていて明るい人だ。メンバーに入れば演奏会も盛り上がるのは間違いない。でも、引っ込み思案な時雨にとっては、こういう機会でもなければなかなか関わらないような人でもあった。それゆえ、終始彼女に対して時雨は遠慮気味に接していた。

「それで早速なんだけど、演奏する曲とパートを決めようかなと思ってね」

私がそう切り出す。三人でバンドをやるということなので、ギターボーカル、ベース、ドラムという無難なパート分けをしようと提案してみたのだ。

「ええっと、私はドラム担当確定だからいいとして、二人はどうする?」

時雨と同級生を交互に見ながら、私は選択権を彼女たちへ投げた。どうしようどうしようと時雨が困惑しているうちに、同級生のほうががいち早く名乗りを上げた。

「私はボーカルとギターかなー! 最近めっちゃ練習して結構うまくなったと思うんだよね」

「じゃあ、しぐちゃんはベース担当かな?」

 そう言って時雨の方を向くと、ちょっとだけ残念そうな顔をしていた。このまま勢いで決めてしまうのもいいけれど、友達の時雨の意志をないがしろにするのは良くない。

「あっ、でもしぐちゃんもギターとボーカルできるよね?」

「えっ、あっ……、う、うん、ちょっとだけ……」

私が思いついたかのようにそう言うと、時雨は遠慮気味に返事をした。

「じゃあ、とりあえず二人の楽器と歌をそれぞれ聴かせてよ。決めるのはそれからでもいいよね」

「まあそうだねー。『百聞は一見に如かず』ってやつ? なんとなくで決めるのもよくないしねー」

「う、うん……」

二人とも私の提案には概ね同意のようだった。それならば実際に二人の実力を見てみるほかない。

「じゃあ、とりあえずしぐちゃんから歌ってみてよ」

「えっ? わ、私から……?」

「うん。曲はなんでもいいから、とにかくワンフレーズお願い」

時雨は私の無茶ぶりに驚いてしまいながらも、呼吸を整えて自分のアコースティックギターを手に取った。

チューニングをしてコードの鳴りを確認すると、時雨はまたひとつ深呼吸を入れる。最近覚えたばかりの曲のサビを、彼女の今持っている能力すべてぶつけるように歌い始めた。

時雨のその透明感あふれる歌声が響くと、私は初めて目の当たりにする彼女の実力に驚きを隠せなかった。

――すごい。こんなの、中学生のレベルじゃない。

純粋にただ私は感心していた。なんで時雨は今の今までこんなに魅力的な歌を歌うことを黙っていたのだろう。時雨が歌い終えると、私は食い気味に拍手を入れる。

「す、すごいじゃん! しぐちゃんそんなに歌が上手かったなんて! どうして今まで黙っていたの!?」

「えっ……? そ、そんな、すごいだなんて……」

「すごいよ! 将来はプロの歌手待ったなしだね!」

自分の歌にいまいち自信を持てていなかった時雨にとって、褒められるということが純粋に嬉しかったのだろう。彼女の頬が思わず緩んだのが私にもよくわかった。

しかし、そんな私と時雨をよそに面白くないという顔をしていたのが、もう一人のボーカル候補であった同級生だった。私は純粋に時雨のことを尊敬していたが、一方で彼女が抱いたのは嫉妬や嫌悪感だったらしい。

「……やっぱり私、バンド組むのやめるわ」

 同級生は吐き捨てるようにそう言う。私はそれを見て慌てて取り繕おうとした。

「ど、どうして? まだ歌ってすらいないのに?」

「こんなの見せられたあとに歌うなんて、絶対みじめになるだけじゃん。これで私がベースに転向することになったら、尚更ね」

同級生が吐いたのは、褒められて浮かれていた時雨に水を差すようなそんな冷たい言葉だった。

どうしてもギターボーカルになって目立ちたい。私と時雨という、自分よりスクールカーストの低い連中と一緒にバンドを組めば、相対的に自分が活躍できる。失敗しても二人のせいにできる。そういう思惑が同級生にはあったのだろう。しかしその思惑は時雨によって打ち破られてしまう。彼女の歌というのはそれほどのレベルに達していたのだから。

「そういうわけで、せっかく誘ってもらったけどバンドをやるのはやっぱナシってことで。そもそも私、ベースなんて弾けないし」

 興が削がれてしまったという感じで同級生が言う。すると、時雨が気を悪くしてしまった彼女に対して謝るかのようにこう提案する。

「じゃ、じゃあやっぱり私がベースを弾くよ。ボーカルも、やらなくていいから……」

時雨は不機嫌な同級生をいさめようとしたつもりだった。しかしその遠慮気味な言葉が、かえって彼女の神経を逆なでしてしまった。時雨のその言葉に悪意というものはなかった。  

しかし、受け取る側にとっては屈辱的なものとしてとらえられてしまう。

「……へえ、奈良原さんってそういうこと言うんだ。控え目なフリしておいて、実は私みたいなやつのことずっと心の中で見下していたんでしょ?」

「そ、そんなことない」

「まあ、言葉ではなんとでも言えるよね。そうやって遠慮するように振る舞っていれば大丈夫だろうっていうやり方も気に食わない」

「ちょ、ちょっとやめなよ……」

私はまずいと思ってすぐに同級生を止めに入る。しかし彼女は止まらない。

「私が一生懸命歌っているのを嘲笑いながら隣で演奏されるとか、超不愉快。奈良原さんが普段からひとりで部室に入っているのも、自分と釣り合うレベルの高い人がいないからでしょ?」

 何を言っても駄目だった。彼女は聞く耳を持ってくれそうな状態ではない。しかし時雨も誤解されたくないと思ったのか、泣きそうな声を振り絞る。

「そんなわけない……。私はただ純粋にバンドを組みたくて……」

「はいはい、大嘘つき。私、今日あなたにされたこと、絶対に許さないから」

そう時雨に吐き捨てて同級生は立ち去って行った。




結局、その三人でバンドが結成されることはなかった。

それだけならまだ良かった。追い打ちをかけるかのように、その同級生は「時雨がみんなを見下すような態度でバンドメンバーを集めている」という悪評を周囲に振りまいたのだ。

するとどうなるか。どんなに誘いをかけてみても、時雨のバンドには誰も加入したいとは言わなくなる。あっという間に、時雨は部活の中で孤立してしまった。

私は終始時雨の味方でいようとたち振る舞っていたけれど、彼女自身がそれに耐えきれなくなっていた。

「……ごめんね美緒ちゃん。私のせいで、バンドが組めなくなっちゃって」

「しぐちゃんが悪いわけじゃないよ。悪いのは勝手に誤解したあの子だよ。あとはその言葉を信じたみんな」

 時雨は自分のせいでこんな事になってしまったと、あのときの言動を悔いていた。でも、客観的に見て時雨が悪いところはひとつもない。ただ少し、相手が悪かっただけだ。

それでもその事実は、確実に時雨の心を傷つけていた。

「……やっぱり私はバンドを組んじゃいけなかったんだよ。美緒ちゃんが私の歌を上手いって言ってくれるのはすごく嬉しい。けど、他のみんなにとって私の歌はきっと邪魔者みたいな存在なんだよ」

「そんなことない! 何度も言ってるけどみんながしぐちゃんのことを誤解しているだけだって!」

必死で私は励まそうとしているけれど、時雨は何かを諦めた表情をしていた。

「ありがとう美緒ちゃん。でももう、私のことなんて気にしなくても良いんだよ」

「な、何言ってるのさしぐちゃん。私とバンド組んで定期演奏会に出ようって二人で決めたじゃない」

「もういいの。……私、知ってるんだ。美緒ちゃんが他の人たちからバンドに誘われているの。それを全部断っているっていうのも」

 私は時雨にそう言われて言葉が出なくなった。

他の人たちからバンドに誘われているのは事実。プレイヤー人口が少ないドラマーという立場上、私にはバンドに加入しないかというお誘いはそれなりに来る。でも私は時雨を見捨てることができなくて、それらの誘いを全部断ってきたのだ。

「せっかくのお誘いを断ってばかりだと、美緒ちゃんまで孤立しちゃうよ?」

「でも私が他の人のバンドに入ったら、しぐちゃんがひとりに……」

「私は、ひとりで大丈夫。だから美緒ちゃんがちゃんとバンドを組んでかっこよくドラムを叩くところ、見せてほしいな」

 時雨は、力なく笑ってみせた。

 もちろんそれが彼女の本音だとは思えなかった。でも、これ以上私が時雨とバンドを組むことに固執してしまえば、それだけ彼女の心はすり減っていく。この時点で私は、時雨を孤独から救い出す手段を失ってしまったのだ。

そうして、時雨はいつの間にか部活を辞め、誰もいない場所でギターを弾きながら歌うという一人遊びをするようになった。

一方の私は他のバンドへ加入したが、いまいち楽しむことができず消化不良の毎日を送った。結局のところ私は、周囲の評判や圧力というものをひっくり返すことができず、時雨を見捨てただけの人間である。

あれ以来時雨とは話すことすらできていない。どこかで勇気を出していれば未来は変わっていたかもしれないという事に気がついたときには、すべてが手遅れになっていた。


※サブタイトルはTHE BACK HORN『幾千光年の孤独』

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