First cup 1滴目 〜心の傘とアンフロパイ〜
「マスター、それ、なんです?」
僕の一日のスタートに欠かせない、ファミリアのオリジナルアイスコーヒーを頼んだ後、マスターがアルミホイルで包まれた物を手に持ち現れた。マスターの提供してくれる一杯はどの日に飲んでも同じ味がする。まさに神業と言えるだろう。その日の天候や湿度、気温などを考慮して入れられた珈琲は僕にとって、もう馴染み深いものだった。いつものようにアイスコーヒーを一口流し込み、僕はマスターに尋ねた。
「あぁ、これかい?これはうちで新作として出そうと思っている、ひえひえアイスパイさ。」
「相変わらずのネーミングセンスのなさですね。」
苦笑いを浮かべつつも、マスターがパイの包みを開け、ナイフで等分していく所作の一つ一つに目を奪われてしまう。マスターはパイを等分し終え、皿に一切れ乗せると僕の方に差し出してきた。
「いいんですか?頂いちゃっても。」
僕は差し出された皿に手をかけ、マスターから受け取ろうとした。...が、しかし、マスターは皿を離そうとしない。
「え?マスター?くれるんじゃないんですか?」
そう尋ねるとマスターはわざとらしい笑みを浮かべてこう語り掛けてくる。
「さっき君は私のネーミングセンスを馬鹿にしたね。だから君にこの新作の商品名を考えて欲しいのだよ。君がこのパイを食べられるのはそれからさ。」
なるほど。元から僕に商品名をつけさせようという魂胆だったのか。僕はまんまと釣られてしまったようだ。
「そうですね...見た目が整った円と言うよりは角がありますし、見方をちょっと変えれば傘にみえなくもな...あ!傘の見た目に、凍ってるような食感のパイで、アンブレラフローズンパイ、略してアンフロパイなんてどうでしょう!」
「アンフロパイ...いい、実にいいですね!その名前で行きましょう!フルーツを彩りよく並べて焼き上げ、完全に凍らない程度の温度でじっくり冷やしたパイですからねぇ、えぇ、実にいい名前ですよ。」
この人自分でパイの詳細説明したな。
「とりあえずパイ貰ってもいいですか?」
「あぁ、いいとも、|アンフロパイ、召し上がれ。」
相当商品名気に入ったんだな、マスター。
「それじゃぁ、いただきま...」
アンフロパイを口の中へと運ぼうとした時、まさにその時だった。来客を告げる鐘の音がなったのだ。またしてもアンフロパイを食べられなかった悔しさと、接客をしようという店員としての義務という二つの複雑な思いが混ざりあった表情を向けた僕は固まってしまった。
ー落ちてしまったー
落ちたと言っても落ちたのは手に持っていたアンフロパイではなく僕自身だった。店の入口に立つ女性は黒髪を肩甲骨の辺りまで伸ばしていて、とても艶やかな髪色だった。風に運ばれてシャンプーの甘い香りが僕の鼻をくすぐった。僕は一体何秒固まっていたのだろうか。マスターの咳払いと、「
「...さん、店員さん!」
「あっ、は、はひっ!なんでしょうか。」
「注文...いいですか。」
「はい、お伺いします。」
彼女はファミリアオリジナルブレンドのアイスコーヒー、つまり先程僕が飲んでいたものと同じものを注文し、一言、
「いい内装のお店ですね。なんか落ち着くというか、初めてきたのに初めて来た感じがしないっていうんですかね。なんか不思議な感じです。」
大好きな店のことを褒められて僕はつい、自分の事のように喜んでいた。
「ありがとうございます!僕もこのお店が好きでしょうがなくて、働くまでの愛着が湧いちゃってるんですよね。」
深い一礼とともに彼女に感謝を述べると、彼女はクスッと笑い、こんなことを言う。
「全然変わらないね、姫くん。」
姫くん。僕のことをそう呼ぶのはこれまで一人しかいなかった。
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