旅人

ふさふさしっぽ

旅人

 旅人は荒れた大地を歩いていた。とつぜんの砂嵐に巻きこまれて方角を見失い、もう十日も歩き続けだった。

 けれども旅人はめげなかった。むしろハプニングをよろこんでいた。なんでも思いどおりになってはつまらない。それに、旅人はなにより自分の足で歩くことが好きだった。

 夜になるとあおむけに寝ころがり、空を見て、こんなところでも星はきれいだなと思った。動物の皮でつくったリュックサックから飲み物をとり出し口にすると、あらためて地図で方向をたしかめる。旅人は「ホンヤ」というものを探していた。


 そしてある日、日がかたむきかけたころ、旅人はそれらしきものをみつけることができた。とつぜんの「スコール」におどろき、身を守るためにかけこんだ建物の地下に、映像でしか旅人が知らない「ホン」がたくさんならんでいたからだ。

 ながいあいだ放っておかれてボロボロの建物だったけれど、その地下の部屋だけはわりときれいだった。そこそこ広い空間に、「ホン」とおぼしきものがぎっしりつまった棚がいくつもならび、そばにはテーブルと椅子が何セットか置かれていた。

 旅人はぬれた服も気にせずに、たくさんの「ホン」に感動していた。ここだ。ここが、あの伝承にある「ホンヤ」なのだ。しかも伝承によると「エイギョウ」しているはずなのだ。旅人ははずむ心でホンの棚を見てまわろうとした。すると、


「こんにちは」


 背後からとつぜん澄んだ声がひびいて、旅人は飛び上がった。ふりかえると、古びたカウンターに髪の毛をひっつめた、細身の女性が立っていた。見たことのない服を着ている。よくよく見ると自分と年が近いと旅人は思った。彼女の話す言葉は旅人の知らない言葉だったが、すぐに自動ほんやく機がはたらいて、あいさつの言葉だと分かった。


「あの、すみません、ここは、ホンヤ、ですか」


 あいさつをしたきり女性が無表情に何も言わないので、旅人はカウンターに近づき、そう質問してみた。自分の言葉を彼女の言葉に直し、それから口にするので時間がかかる上、たどたどしいものになった。すると、

「いいえ。トショシツ、です。わたしはシショ、です」大きな声ではないが、女性ははっきりとそう言った。

 分からない単語に旅人はとまどった。「トショシツ? シショ? あなたはシショ、という名前ですか」


「いいえ。個人の名前ではありません。本を管理する人間のことをみんな司書といいます。そして、図書室とは本を貸し出すところです。本屋は本を売るところです」


 司書である彼女は初めてほほえみ、そうよどみなく答えた。旅人は彼女を好ましく感じた。彼女はたった一人でここにいるのだろうか。こんな半ばくちはてた建物の地下に。いや、この地球ほし自体がすでにくちはてているといえるけれども。

 とりあえずここが本を借りるところだということはわかった。借りるということは返さなくてはいけない。もう一度ここへ来るという保証はなかった。


「借りることはしませんが、本を見てまわっても?」


 そう言って後ろをふりかえった瞬間、旅人はあっ、と声を出しそうになった。

 たくさんの人間がそこにはいたからだ。

 大人も子供も男も女も、おおぜいの人間がそれぞれ自由に本を手に取っていた。


(さっきまで、ここには自分と、このシショしかいなかったはずなのに、これは一体どういうことだろう)


 旅人はおどろいて声も出なかった。何かのトリックだろうか。


「ここは図書室なのですから人がたくさんいるのは当然ですよ。みんな、本が好きなんです。本を読むことが日常の一部になっている人はたくさんいます」


 司書のその声にはっと我に返り、旅人はふたたび彼女を見た。どうも……妙だと思う。彼女の見た目は自分と同じ年ぐらいにしか見えないのに、その表情は、失礼かもしれないけれど、自分の曾祖母と似ている。すべてをさとった、おだやかな表情だ。


「さっきまで誰もいなかったのに、一体どうして? それに、この地球ほしのこんなところにこんなに人がいるなんてありえない」


 失礼なことを言っているのに気がつかず、旅人はつぶやく。


「だって、そんなはずない。何日も何日も歩いて、地球ここにはなにもなかった。崩れた建物と、枯れた木々と、動物の骨以外は。人になんて一度も会わなかった」


 ここに逃げこんだときだって、まさか人がいるとは思わなかった。ホンヤ、はあっても、人間がいるとは思わなかった。

 旅人はあらためて司書を見た。そしてはっとして、同時にぞっとした。


(まさか、彼女はもうすでに、この世のものでは、ない……)


 体が雨にぬれていささか冷たくなっていたからではなく、恐怖で鳥肌が立った。


(なんてところにきてしまったんだろう)


 そう思って、思わず後ずさりしてしまうと、そのひょうしになにかと背中がぶつかった感覚があった。と思ったら、十歳くらいの小さな女の子が腹から顔を出した。女の子が旅人の体を通りぬけたのだ。


「ひ」


 旅人は悲鳴をあげてとびのこうとしたが、次の瞬間一冊の本が大きな音をたてて旅人の足元に落ちた。


「ふふ。本は実体がある本物。だからあなたの体を通りぬけられなかったのね。旅人さん、本を女の子にひろってあげてくれませんか」


 司書はきょとんとしている女の子をやさしいまなざしで見つめながら言った。どうやら足元に落ちた本は女の子がかかえていたものらしい。

 旅人は言われるがままに足元の本をのろのろとひろい上げ(かなり年季の入った床が目に入った)かがんで、おそるおそる女の子に手渡した。何の本か旅人には分からなかった。子ども向けなのか、そうでないのかも。旅人は地球の言葉は頭の中にあるほんやく機で理解できるけれども文字は読めないのだ。

 本はずしりと重く、手応えがあるが、それを受け取った女の子の小さな手はうっすら透けていた。

 旅人は女の子が本を取り落とさないかと心配したが、女の子はしっかりと本を胸に抱き、にっこりと笑うと口だけ動かしてありがと、と言い、音を立てずに立ち去っていった。


「ここに悪い人はいません。純粋な人たちです。いつまでも、いつまでも、本からはなれられないのです。亡くなった後も、地球がくちて、見すてられた後も。いつまでも、いつまでも」


 司書の女性はそう言って少し悲しそうに笑った。




 旅人が建物の地下から出ると、すでに雨はやみ、夜が明けていた。ふりかえるとどう見ても廃墟にしか見えない建物が朝日に照らされている。

 すべてが夢のようだと感じた。実際、もう一度この建物の中に入ってももうなにもないんじゃないかと思えてくる。

 次はどこへ行こうか。旅人は思案した。迎えの宇宙船がくるのは半年先だ。人類がワープ航法を生み出し地球をすて、宇宙の星々に移住して二百年たつ。なにもない地球に観光に来るものなどめったにいないのだ。旅人のような、大昔の伝説や伝承を集めようとする物好きくらいしかいない。

 もう少し、地球を歩いてみようか。なにかあたらしい発見があるかもしれない。そして、迎えの宇宙船がきたら、それに乗って別の星に旅立つのだ。まだこの目で見たい伝承の地、伝説の生き物が数多くある。そう思って、旅人はところどころに水たまりができた大地を歩き出した。

 旅人は、旅がひとくぎりついたらここへ戻ってこようと考えていた。旅の途中で目にしたものを絵にしてそれらを束ねて、トショシツ、に置いてもらうのだ。それを「ホン」と呼べるかどうかはわからないけれど、文字は書けないから仕方がない。司書の女性にたのんでみよう。いつも同じホンじゃ、みんなあきてしまうかもしれないから。よけいなお世話かもしれないけれど。

 旅人は頭に埋め込んである地球の地図に、ここの場所をインプットした。「トショシツ」と。

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