第35話 黒き龍の瞳に映るは <2>

  


 ──実のところ、シオンと邂逅して間もない段階から「恐らく目の前の男がジーク=フリードであろう」という強い疑惑が、終焉の黒殲龍の中にはあった。


 自身の目にも留まらぬ速度でジーク=フリードの子孫ごと移動してみせたという行動だけを見ても、少なくとも只者ではない。


 更に、紛う事なく純粋な人間の匂いである筈なのに龍族の言葉を操り、ジーク=フリードと同じ金色に輝く瞳を持ち、自身のことを〝黒いやつ〟と呼ぶ。


 ただそれらの事実だけでも、黒殲龍が「もしかしたらジーク=フリードなのでは?」と疑うには十分だった。


 しかし、黒殲龍にとっての最たる根拠はそれらではなかった。


 何より黒殲龍の懐疑を強くしたのは、「目の前の人物が、自身に対して一切の恐怖を抱いていない」というものだった。


 終焉の黒殲龍には元来より「生物が抱く恐怖心」を感じ取る力がある。


 そして黒殲龍にとっては生物が自身に対して抱く恐怖心を浴びる事こそが何よりの快楽であり、数千年に渡って快感を求め暴虐の限りを尽くしていた。


 終焉の黒殲龍を知る者も、知らぬ者も、あらゆる生物が黒殲龍を前にすると確かな恐怖心を抱いた。

 かつて勇猛果敢に黒殲龍に立ち向かった戦士達であろうと、どれほど己を鼓舞し奮い立たせた戦士であろうと、本能的な恐怖心は必ず生じていた。


 だが、数千年間で唯一人、黒殲龍に対して一切の恐怖心を持たぬ者がいた。


 その者こそが、後の大英雄ジーク=フリードであった。


 ジーク=フリードが初めて黒殲龍と邂逅した時から三年間、彼は終焉の黒殲龍に対して微塵も恐怖心を抱く事がなかった。


 彼はまさに例外中の例外であり、黒殲龍にとってもその様な人物はジーク=フリード以外有り得ないという絶対的な確信を持っていた。


 ……にも関わらず、突如として目の前に現れた男は自身に対して一切の恐怖心を抱いていなかった。

 それこそが、終焉の黒殲龍がシオン・クロサキに対して「ジーク=フリードではないか」という疑いを強く持った最たる要因。


 黒殲龍の感覚が鈍って恐怖心を感じ取れなかった訳ではない。


 つい先程までの学園の生徒達から非常に強い恐怖心を感じ取り、ジーク=フリードの子孫であるアルフォンス=フリードからでさえも強い恐怖心を感じ取っていたからだ。


 つまり目の前の男は黒殲龍に対して間違いなく微塵も恐怖を感じていないという事になる。


 その様な人物が龍族語を話し、金色の目を持ち、自身を「黒いやつ」と呼ぶ。


 終焉の黒殲龍にとって、それでジーク=フリードを連想しない方が無理な話であった。


 しかしだからと言って、黒殲龍にとっては到底受け入れ難い、……もとい、受け入れたくないような話。


 だからこそ黒殲龍は目の前に押し付けられた可能性の塊を振り払うように、目の前の男に対して「身に覚えは無い」と言い張った。


 すると、出てきてしまったのだ。


 ──「龍殺しの剣バルムンク」が。


 それは四百年前、終焉の黒殲龍を幾度と無く斬り刻んだ代物。


 「真っ二つ」や「首を落とされる」なんて生易しいものではない。


 驚異的な回復速度を持ち、どれだけ身体が欠損しようと一瞬にして元通りに戻る黒殲龍をしても、その回復が及ばない程に斬り刻み、木っ端微塵にまでした剣。


 切断される度に回復する己の肉体を、無限にも思えるほど何度も何度も斬り刻んだその剣は黒殲龍にとっての恐怖の象徴。


 目に映る度に自身を震え上がらせたその剣を、黒殲龍が忘れよう筈がなかった。


 そして目の前の男が握る剣が「龍殺しの剣」であると悟った時、終焉の黒殲龍の疑惑は明確なものに変わった。


 しかしもしジーク=フリード本人であるならば、四百年も生き永らえている上に姿形や匂いまでもが異なっている理由が気に掛かる。


 一縷の望みを掛けて、目の前の男がジーク=フリードではない最後の可能性に賭けて、その事実を突きつけた。


 しかし、結果的に得られたのは想定しうる限り最も最悪の返答。


 自身の封印が解け、自身がジーク=フリードの子孫の匂いに釣られてここまで来る事を見越した上で転生して待ち構えていたという、あまりにも絶望的な答えだった。


 全てがジーク=フリードの掌の上だったという事実と、四百年経ってなお自身を狙い続ける凄まじい執念に身体の底から恐怖心が沸き上がるのを感じた。


 しかし、そのように不安定な精神状態であっても「転生魔術」というのはあまりに信じ難い話だった。


 だがそれも、目の前の男から発せられる圧倒的な気迫と自信を前にした時には信じるほかになかった。


「〝いや……。……そうか。そうだろうな……〟」


 どれだけ有り得ない話であろうと、ジーク=フリードならば有り得てしまう。


 ジーク=フリードは剣の腕は勿論、魔術に関しても歴史上最高峰の能力を有していた。


 四百年前、絶対的な不死性を持つ黒殲龍に対して、ありとらゆる魔術を駆使して殺害を試み、果てには黒殲龍の魔力を封じる封印魔術まで編み出した男。


「〝貴様なら、それくらい出来るだろうな……〟」


 冷静に考えれば、あの男なら転生くらい出来ないと言う方が不自然な話。


 もっと言うなれば、あのジーク=フリードによる自身への封印がたった四百年であっさり解けてしまった事も辻褄が合う。


 もはや、疑う余地などどこにも無かった。


「〝ジーク=フリード〟」


 黒殲龍は、目の前の男がジーク=フリードであると認めざるを得なかった。



◆ 


 

「〝会いたかったぞ、ジーク=フリード……〟」


 ──嘘じゃ、二度と会いとうなかった。


 ──何でここおるんじゃ、意味が分からん。


「〝また貴様に逢えるとは、こんな奇跡願ってもいなかった……〟」


 ──嘘!嘘うそ嘘!全部嘘!


 ──マジで四百年経ってこの世にお主がおらぬ事が唯一の心の救いじゃったわい‼


「〝何故ならば、この我は四百年もの間、貴様に復讐する事だけを考えていたのだからなぁ……‼〟」


 ──言ったああああ‼ 言ってしもうたああああ‼


 ──あまりの絶望に気が動転して爆発的な虚勢張ってしもうたあああああ‼


 自身にとっての恐怖の化身を前に、顔が引き攣ってしまっている事が黒殲龍は自分でも分かった。


 ──怖っ‼


 ──めっちゃ真顔で目ぇ見てくるんじゃけど‼ 怖い‼ 怖過ぎる‼ 儂の目をこんなに真っすぐ見てくる生き物他におらんて‼


 ──終わった‼ 儂、終わった‼


 黒殲龍が奥歯と後ろ脚をガタガタと震わせながら、自身の言動を激しく後悔していると、その目の前にいたはずの人物が突如として視界から消えた。


「〝復讐……か〟」


 瞬間、自身の喉下に冷たい金属が触れる感覚が黒殲龍を襲った。


「〝─────ッッ⁉〟」


 反射的に黒殲龍が大きく飛び退くと、先程まで自身の喉下に位置していた場所には「龍殺しの剣」を軽く掲げるジーク=フリードが立っていた。


 ──………ッッッ⁉


 ──あばばばば、い、今、あ、当たってたのう⁉ バ、「龍殺しの剣バルムンク」が、儂の、の、のの喉下に当たってたのう⁉


 ──え、儂、大丈夫⁉ 頭、ある⁉ 儂、生きてる⁉


 過去、斬られた自身が一瞬知覚出来ぬ程の速度で首を落とされた経験が何度もある黒殲龍は、自身の頭と首が繋がっている事を両の前脚を使って確認する。


 ──よ、良かった……。ちゃんと頭ある……。


 ……しかし、安堵も束の間。


「〝ッ⁉〟」


 黒殲龍の様子などお構いなしに、ジーク=フリードが「龍殺しの剣」を片手に表情一つ変えず歩み寄ってくる姿が目に映った。


「〝なぁ、ブラッキー〟」


 完全に脚が竦んで動けなくなってしまった黒殲龍の側まで歩み寄ると、ジーク=フリードは問いかけた。



「〝お前、そんな絞りカスみたいな力で俺に勝てる気でいるのか?〟」



「〝────ッ‼〟」


 ──ば、バレておる~~~⁉


 そう、頭だけの状態に封印の剣を突き刺されたまま四百年もの間封印されていた黒殲龍は封印が解けた後も肉体の回復に多くの魔力を要し、現在その力は全盛期の十分の一にも満たない不完全な復活となっている。


 更に、先程のアルフォンス=フリードとの闘いの最中、彼が繰り出したかつてのジーク=フリードの技「栄光の煌めき」を前に盛大にビビってしまい、魔力消耗の激しい第二形態にまでなってしまった今、黒殲龍にはまさに絞りカスのような力しか残っていなかった。


 勿論そのような状態になってなお、現在の人類の精鋭達を軽く蹴散らして余りある程の力は残ってはいる。


 だが、全盛期に手も足も出なかったジーク=フリードが相手ではもはや闘いにさえならない。


 その衰弱具合までもが見抜かれてしまっている事に黒殲龍は深く絶望した。


 ──もう、お仕舞いじゃ……。 


 ──今度こそ、儂は死ぬんじゃ……。


 しかし、直後。


 ──……死ぬ? はて……?


 強烈な違和感が黒殲龍を襲った。


 ──一体何故、儂はまだ生きておる……?


 ……それは、自身の死を悟ったからこそ生まれた違和感。


 ──何故、奴は儂に攻撃して来ない……?


 ──さっきの事も含め、儂を仕留める機会など奴にはいくらでもあった筈……。


 かつてのジーク=フリードであれば、黒殲龍を前にすれば問答無用で殺しに掛かっていただろう。


 いくらか言葉を交わした事はあるが、精々ジーク=フリードが黒殲龍へ怒りの言葉をぶつけ、それに対して黒殲龍が軽く返していたという程度。


 ──奴は、こんなに長々と儂と会話をするような男ではなかった……。


 ──そもそも、四百年経って封印が解ける事が分かっていたなら、初めからそこで改めて封印を施すなり、仕留めるなりすれば良かったのではなかろうか……?


 ──一体何故、奴はわざわざこんな状況になるまで儂を放っておいた……?


 目の前の男がジーク=フリードである事は、もはや疑う余地はない。


 しかし、ならば何故未だに彼は自身に一度も攻撃をして来ないのか。


 ──まさか……。


 そして黒殲龍は、一つの結論に辿り着いた。


 ──ジーク=フリードに、かつての力は残っていない……?


 黒殲龍の中に生まれた一つの疑念。


 何故、未だに彼は黒殲龍に攻撃して来ないのか。そもそも何故、封印が解ける事が分かっていながら、みすみす封印を解かせたのか。


 それらにもし辻褄の合う可能性があるとすれば、「今のジーク=フリードには四百年前の力が残っていない」という可能性であった。


 常軌を逸した魔術の才能を持ち、転生魔術という前代未聞の大魔術を完成させたジーク=フリードとて、その行使が不十分だったという可能性は有り得る。


 ──いや、有り得るなんて話ではない‼むしろ、そんなぶっ飛んだ魔術が完璧に成功するという方が不自然ではないか‼


 ──そうじゃ‼そもそも奴が儂に施した封印魔術は永遠に封じることの出来ない不完全なものじゃった‼あのジーク=フリードとて、魔術で失敗する事はあるじゃろうて‼


 転生魔術が不完全だった結果、ジーク=フリードは四百年前の能力を引き継ぐ事が叶わなかった。

 もしもそうだとすれば、黒殲龍の解放をみすみす見逃し、今なお黒殲龍との交戦を行わない事にも納得がいく。


 ──奴は今、間違いなく儂との交戦を避けておる‼


 それは絶体絶命と思われた黒殲龍が助かるかもしれない、一縷の希望。


 黒殲龍の想像通りならば、彼はかつての力を失っている事を決して悟られたくはないだろう。


 先程、黒殲龍はその虚栄心からジーク=フリードの目前まで迫り偽りの殺意を彼に向けたが、それでも彼から恐怖心は感じなかった。


 それどころか、堂々と黒殲龍に対して刃を向けてきた。


 ──もし力が無い事を隠しているのならば、流石は大した胆力と言わざるを得まい……。


 ──じゃが、その余裕は恐らく、儂からは絶対に手を出してこないという確信があればこそだったのではないじゃろうか……?


 ──もし力を失っている事を直接指摘されれば、さしもの奴だろうと否が応にでも動揺が生まれる筈じゃ‼


 動揺は心の隙となり、強固な胆力を以ってしても恐怖心を生む。


 いくら表面上で余裕を取り繕うと、本能的な生物の恐怖心を感じ取る黒殲龍を前に誤魔化しは効きはしない。


 あのジーク=フリードが黒殲龍に対して極僅かにでも恐怖心を抱いた時点で、疑惑は殆ど確信へと変わる。


 そして疑惑が事実であると確認出来れば、形勢は一気に黒殲龍に傾き、ともすればこの場でジーク=フリードを仕留める事が出来る。


 一見回りくどく舌戦などせずとも、黒殲龍から攻撃を仕掛ければ今のジーク=フリードにどれ程の力が残っているかは明確に分かる話ではある。


 しかし一度攻撃を仕掛けてしまうと、開戦は不可避。


 もし仮に事実が黒殲龍の疑念と異なり、ジーク=フリードが以前のままの強さならば、それは紛れもない自殺行為。


 他に助かる可能性や手段があったとしても、それらを全て捨て去る最たる悪手。


 故に、黒殲龍は事実を確認するべく口八丁という手段を選択した。


 ──力が無いことを指摘するにせよ、ただの当てずっぽうであると悟られてしまえば意味が無い……。


 ──奴の心を揺さぶるには、如何にも「全てお見通し」と言わんばかりに振舞う必要があるじゃろう。


 ──見せるしかあるまい。世界最強のドラゴンの、世界最高の話術を‼


 そして、黒殲龍は勝負に出た。


「〝カッカッカ……〟」


 自身最大の仇敵を前に、ケラケラと笑い声を上げる黒殲龍。


「〝我の力が絞りカスとは、良く言ったものだ。ジーク=フリードよ〟」


「……」


 どこか小馬鹿にしたような、皮肉めいた口調で語り掛ける黒殲龍。


 相対する男は、その様子を黙って見ている。


「〝確かに我は今、四百年前の力の殆どを取り戻せていない。だが、貴様はどうだと言うのだ?ジーク=フリード〟」


 不敵な笑みを浮かべながら問いかける黒殲龍。


 「……」


 男は、ただ静寂を保つ。


「〝『まさか…』とでも思っているか?……残念ながら、その『まさか』だ〟」


「……」


「〝……まさか、バレていないとでも思ったのか?都合の良い妄想も大概にしておくが良い〟」


 黒殲龍は確信的な指摘をせず、揺さぶりを掛ける。


「〝貴様が本人であるとは、中々に信じ難かったぞ。とは言え、転生魔術が信じられなかった訳ではない。先程も言ったが、貴様なら出来ても不思議ではないからな〟」


「……」


「〝何より信じられなかったのは、貴様があまりに弱くなり過ぎている事だ〟」


「……」


黙って話を聞く男に、黒殲龍はどこか呆れたような口調で語る。


「〝……まさか、隠し通せるとでも思ったのか?……そんな訳がなかろう〟」


 そしてついに、黒殲龍は核心を突く言葉を口にした。


「〝ジーク=フリードよ。転生した今、貴様に四百年前の力は残っていないことなど、分かりきっているぞ〟」


 言葉を紡げば紡ぐほど、自分の言い分が事実であるという自信が黒殲龍の中に沸いていた。


 対峙している男など、もはや黒殲龍の目にはただの平凡な人間にしか見えていない。


 これで間違いなく目の前の男から恐怖心が生まれると、黒殲龍は確信した。


 ……だが。


 ──……あ、あれ?


 瞬間、興奮から沸騰するほどに熱くなっていた血液が、急激に冷たくなっていくのを黒殲龍は感じた。


 息が詰まる。


 自分の心臓の音が、嫌と言う程に聞こえてくる。


 まるで世界が歪んでいるかのように視界がぶれ、焦点が合わなくなる。


 先程まで様々なビジョンが溢れるように浮かんでいた筈なのに、思考が真っ白になっている。


 殆ど頭が回っていない今の黒殲龍に、一つだけ分かる事があった。


 ──感じない……っ。


 少し離れた位置に立つ男に向けて、必死に意識を集中させる。


 何かの間違いであって欲しいと、祈りながら感覚を研ぎ澄ます。


 しかしどれ程集中しようとも、男から恐怖心は感じ取れなかった。


 ──そ、そんな……⁉


 黒殲龍の思惑は、完全に瓦解した。


「〝──悪い、ブラッキー〟」


 黒殲龍の言葉を十数メートル離れた位置で黙って聞いていた男が、ゆっくりと歩きながら近づいて来る。


「〝ちょっと遠くて、良く聞こえなかったわ〟」


「龍殺しの剣」を片手に持った男が、黒殲龍の目の前で立ち止まる。


「〝もう一回、さっきの言ってくれるか?〟」


 「〝……べ、別に、何も……?〟」


 聞こえなかったのならば誤魔化せるかもしれないと、黒殲龍は一連の発言を無かった事にしようとした。


「〝俺の力が、何?〟」


 ……しかし誤魔化せる訳などないと、黒殲龍も分かっていた。


「〝相変わらずのようで、何よりだと……〟」


「〝四百年前の力が残ってるかどうか、今すぐ試すか?〟」


 ──ちゃんと全部聞こえとるじゃん……。


「〝……って、は⁉ ……試す、じゃと⁉〟」


 すると、目の前の男は腰を落として後方へ剣を振りかぶった。


 そして、徐々にその剣は金色の光を帯び始めた。


栄光のスパークル──「〝待ってッ‼〟」


 男が技を放とうとする直前、黒殲龍は思わず大声を上げた。


「……」


 すると、それを受けた男はその手を止めた。


「〝……˝ンッ˝ンッ。待つのだ、ジーク=フリードよ〟」


 一瞬大きく動じた黒殲龍だったが、咳払いをし、平静を取り戻そうと努めながら声を掛けた。

「栄光の煌き」。それはかつて、絶対的な不死性を持つ終焉の黒殲龍を最も完全消滅に近い状態まで追い詰めたジーク=フリードの奥儀。


 ジーク=フリードは、黒殲龍に多くのトラウマを刻んできた。


 その中でも、自身の肉体を完全に消し飛ばし目視出来ぬ僅かな魔素のみの状態に追いやったその技は、黒殲龍にとって最たるトラウマの一つ。


 その技を前に、黒殲龍が反射的に大声を出してしまったのは無理のない話だった。


「〝どうした?弱くなり過ぎている俺に技を撃たれて、何か困るのか?〟」


「〝い、いや……それは……〟」


「〝なぁ、ブラッキー〟」


 言い淀む黒殲龍に対し、男は言葉を続けた。


「〝俺の転生魔術が不完全だったなんて、まさか本気で思っていたのか?〟」


「〝それは、その……〟」



「〝そんな事、ある訳ないだろうが〟」



 当たり前の事実を突きつける様に、男は無情に言い切った。


 ──……そりゃ、そうじゃろうて‼


 ──あのジーク=フリードが魔術で失敗する訳なかろうて‼


 ──わしゃ、アホか‼


 あまりにも希望的観測が過ぎた自身に対し、厳しく叱咤する黒殲龍。


 止められなければそのまま技を放つ勢いだった男を前に、自身の抱いた疑念が完全な間違いであったと黒殲龍は痛感した。


 ──ジーク=フリードが力を失うなどと、なんたる愚かな……ん?んん……?


 しかし次の瞬間、黒殲龍の中に生まれたのはやはり違和感。


 違和感の正体は、数刻前に抱いたものと全く同じ。


 ……ジーク=フリードは、一体何故攻撃を止めたのか。


 力を失っていない事は既に明らかとなった。


 ならばやはり、「栄光の煌き」を中断した理由、そして今なお攻撃をして来ない理由が分からない。

 一瞬、この四百年の間でもしかしたら自身が既にジーク=フリードに許されたのでは、可能性が黒殲龍の脳裏を過った。


 ──……いや、そんな筈はないじゃろう。


 しかし、その可能性はすぐに否定した。


 ──もう、甘い考えは決して持たぬ。


 ──甘えた希望に縋ること無く儂が助かる為の最善を尽くさねば、この場から生き延びる事は叶わぬじゃろうて。


「〝……ジーク=フリードよ〟」


「〝なんだ〟」


 暫しの静寂の後、徐に黒殲龍が口を開いた。


「〝少し、我の話を聞かぬか〟」


 意を決したように、男に頼んだ黒殲龍。


「〝ああ、聞いてやる〟」


  すると、意外にもすんなりと男はそれを承諾した。


 ──やはり、奴が手を出して来ない理由は分からぬ。


 ──四百年前、あれほど儂に殺意を向けていた男がこうして儂の話を聞くなど、目の前にしてなお信じ難い。


 ──じゃが事実として、未だ奴と儂には会話をする余地がある。


 ──自棄になって攻撃するのは最悪手。逃げ出したとて逃げ切れる訳も無く仕留められる。


 ──ならばこそ、この会話をする余地のある今この場で、儂が生き残る道を掴み取る他ない。


 世界最強のドラゴンとしての誇りを、矜持を捨てさり、黒殲龍が選んだ自身が生き残る為の手段。


 それは、ジーク=フリードとの交渉だった。


「〝四百年……。我の生きた時の中では決して長いとは言えぬ年月であった。しかし、首を切り落とされ、頭だけに『封印の剣』を突き刺され、絶え間なく耐え難い痛みに襲われ続ける中で孤独に過ごしたこの四百年は、永遠にも思えるほどの苦しみだった。人の世ではどのような大罪人であろうと、決してそれ程の刑罰を受ける事など無いであろう?〟」


「〝ああ、そうだろうな〟」


 言葉を続ける黒殲龍に対し、男も相槌を打った。


「〝だが、それで我の罪が許されるとは思ってはおらぬ。……いや、未来永劫我が許されることなど無いだろう〟」


「……」


「〝だが、永遠に許されぬとて、いつまで続ける。ジークよ。……我は決して死なぬ。我を封印し、今度は数百年後か数千年後、また封印が解け、貴様が転生し、三度封印する……。……もう一度問う。いつまで続ける、ジークよ〟」


 黒殲龍は男の目をしっかりと見据える。


「〝貴様のことだ。いずれはこの我を永遠に封じる封印魔術か、完全に消し去る技を編み出すかもしれない。だが、それは一体いつになる?〟」


「……」


「〝この我を封印するのだ。封印を管理する為に、これまでも貴様の子孫を始め、他の人間らの手を借りてきただろう。そして、これからも彼らの手を借りる事となる。……この我を封印し続けるという重い責務を、これから先も多くの人間らに背負わせる事となるのだ。多くの人々を救うために精一杯努力して力を培った人間の子らが、ただ封印された物言わぬ我を見張る為だけにその生涯を費やしていく……。一体いつまで、そんな事を続ける?〟」


「……」


「〝どうだろうか、ジーク=フリード。……もう、終わりにしようではないか〟」


「……」


 男は沈黙したまま、黒殲龍を見据える。


 彼が何を思っているかは黒殲龍には分からない。


 しかし、黒殲龍は最後まで自分の意思を伝える。


「〝正直な話、封印されている間は己の行いを何度も悔やんだのだ……。苦しめてきた人々を慮ったと言えば、それは嘘になってしまうが、それでも、我の行いが原因で封印されていると思うと、何度も何度も激しく後悔し、やり直せるならば、決して同じ過ちは繰り返さないと何度も思った〟」


 ……それは、紛れもない黒殲龍の本心だった。


 命を奪った多くの生命に対して懺悔する程の良心など持ち合わせてはいないが、自身の行いを悔やんだ事は揺ぎ無い事実。


「〝今思うと、今日ここを襲って誰一人として殺さなかったのは、無意識に殺害に対する恐怖心、いや、封印されていた四百年に対する恐怖心があったのかも知れない。……我を打ち倒した男の子孫を前に血が上って思わず激情してしまったが、改めて誓わせて欲しい〟」


「……」


「〝我はもう二度と、人々を殺さない。もう二度と、人々を襲わない。いや、人々の前には金輪際姿を現さぬ。……情けない話だが、もう二度と、封印されていた四百年間のような辛い思いはしたくないのだ〟」


「〝だから、ジーク=フリードよ〟」


 そして、独白を続けた黒殲龍は、


「〝もう、手打ちにしてはくれぬか〟」


 と、交渉の最後の言葉を言い切った。


 それは紛れも無い黒殲龍の心からの願い。


 そして、そんな切実な黒殲龍の言葉を受けて、男は口を開いた。


「〝……お前の言いたい事、よく分かったよ。ブラッキー〟」


 男は、静かな口調で言葉を続ける。


「〝お前の言葉に嘘偽りが無い事が、俺には良く分かる。……お前が自分の行いを悔やんでいる事、それと、お前の誓い……。──信じるよ〟」


「〝……ッ‼ で、では……‼〟」


「〝けどな〟」


 一瞬、希望を抱いた黒殲龍の言葉を、酷く冷たい口調で男が遮った。



「〝お前の後悔が本当だろうと、誓いに嘘偽りが無かろうと関係ない。俺は絶対にお前を許しはしない。俺がお前を見逃すなんて、有り得ない〟」



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