第10話 ローブの女 <2>


 シオンが無言で夜空を見つめ始めて五分程経過し、ようやく女性は立ち上がった。女性はローブに付いた砂埃を手で払い、どこか呆れたような、澄ました態度でシオンに言った。


「何をアホ面で突っ立っているのかしら? さっさと市場まで案内して欲しいのだわ。私は別に構わないのだけれど、あなたがどうしても私をエスコートしたいって言うからさせてあげるのよ? 感謝の気持ちを忘れないで欲しいのだわっ」


「……ああ、行くか」


 もはや何を言っても無駄だと悟ったシオンは特に抗弁することも無く歩き出した。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、ひょっとして、怒った……、かしら? あの、その……」


 淡々と歩き出したシオンに対して小走りで近づきながら、少し焦ったような、不安そうな様子で話しかけてくる女性。


「いや、別に怒ってないよ。ただ、あんたがすっかり立ち直ってくれたようで安心してる」


「と、当然ね! あんなこと、私にとっては何でもないのだわ! というか、怒ってないなら怒ってないって最初から言いなさい!」


 直前まで一瞬萎らしい口調になっていた彼女は、一気に元の高慢さを取り戻した。


「あぁ、悪いな。気を付ける」


「それで良いのだわ。ふふん」


 と、女性は大変満足気に笑った。


「案外、悪い奴じゃないかも知れないな」と、シオンは思うのであった。


 ……その後、シオンがやや先導する形で二人は夜道を歩いて進んだ。


「まだ着かないのかしら?」

「本当に道は合っているのかしら?」

「暇なのだわ。何か面白い話でもしてみなさいよ。全く気の利かない男なのだわ」

「……もうやめて。これ以上〝漆黒〟だの〝闇〟だの〝罪〟とかいう単語の出てくる話をしないで。なんだか頭が痛くなってきたのだわ……」


 そんな会話をしながら二人が歩いていると、薄暗い道の先に街の明かりと人々の行き交う音が聞こえてきた。


「ほら、もう着くぞ」


「そんなの見れば分かるわよ‼ 馬鹿にしてるのかしら⁉」


「……そりゃそうか」


 二人は十五分程雑談を交えながら歩いてきたのだが、結局女性の態度は最後までこの有様であった。

「あっ、そう言えば」


 と、ローブの女性はふと立ち止まった。


「一応助けられた形になったのだけれど、お礼がまだだったのだわ。一応、だけれど」


「なんだよ急に。別に気にしなくて良いよ」


「そう言う訳にはいかないのだわ。別に頼んでもなければ必要だった訳でもなかったけれど、何のお礼もしないなんてこの私の沽券に関わるのだわ」


「……?」


 堂々と言い放たれた「沽券に関わる」と言った部分が、シオンの中で少し引っ掛かった。


 ──わざとらしいとも感じられる、妙にお嬢様っぽい口調、やたらめったらに偉そうな態度、お礼をしないことが沽券に関わるという発言。


 そして、まるで自分の正体が知られたらまずいかのように、顔を隠す程深く被ったローブのフード。


「(この女まさか……。自分の事を『城から抜け出して庶民の街を見学に来たおてんばなお姫様』だとでも思い込んでいるのか……? 奇妙な奴だ……)」


 と、シオンは少し引いていた。


「何かお礼に渡せるものが無かったかしら……」


「……何もないなら無理しなくて良い。別に見返りが欲しくて助けた訳でもないから気にするな」


 自身のローブの下をまさぐる女性に対して、シオンは彼女に気を遣わせまいと返事をした。


「だからそれでは私の威信が……、あっ! そうだわ!」


 何かを思い出したかの様に言うと、女性は自身の頭に被せていたフードを捲り上げた。


「───」


 ……一瞬、時が止まったかと錯覚するような幻想的な画。


 月明かりに照らされたのは、美しく艶やかな桃色の髪と瞳。


 透き通るほど白い肌で、齢十八といったところの絶世の美少女がそこにいた。


 街を歩けば誰もが目を惹かれ、すれ違ったのちに呆然と後姿を眺めてしまうと言った程の美少女であった。


「(……いや、脱ぐんかい)」


 絶世の美少女を前に、シオンは内心で突っ込んだだけだった。しかしそれは、思春期に異性を意識する感情が育まれなかった彼には仕方のないことだった。


そしてフードを捲ったあと、少女は自身の首の裏側へ両手を伸ばし首元からペンダントを外してローブの外へと取り出した。


 煌びやかなペンダントの先端部分には四センチメートル程の楕円のジュエルが付いた。そのジュエルは暗がりでは漆黒と見紛う程の深い紫色だった。


「お礼として、これを差し上げるのだわ!」


「……いや、悪いよ。何かすげぇ高そうだし、大事な物なんじゃないのか?」


 目の前に突き出されたペンダントに対して、シオンはそれを断った。


「確かに高い物でしょうけど、この程度の物なら家にはいくらでもあるのだわ! だから、遠慮する必要なんて無いのだわっ」


「いや、うぅん……」


「この私が差し上げると言っているのよ⁉それを断るなんて、貴方一体何様のつもりなのかしら⁉ それとも、私の首の垢のこびり付いたペンダントなんて汚くて受け取れないとでも言うのかしら⁉ 殺すわよ⁉」


「違う違う違う、落ち着けっ! 殺すなっ」


 シオンは少し焦った様に答えた。


「じゃぁ受け取れるわね⁉」


「……有難く、頂戴させて頂きます」


 観念したようにシオンが言うと「それで良いのだわ」と、少女は大変満足そうにシオンにペンダントを手渡した。


「貴方はペンダントなんて身に付けないでしょうけれど、多分高く売れるはずだから、売って貧しい生活の足しにでもしたら良いのだわ」


「──いや、これは俺があんたから受け取った気持ちだからな。ちゃんと大切にするよ」


 時々正気を疑うような人間性を垣間見せるシオンだが、何だかんだ人から感謝の気持ちを受け取るのは嬉しいのか、その口元は薄く微笑みを浮かべていた。


「……そ、それは良い心がけなのだわ」


 顔が隠れるほど深くフードを再び被り直しながら、心無しか小さな声でそう言うと「ほら、行くわよ」と、再びシオンと共に市場へ向かい歩き出した。


 市場に着いて、露店が立ち並ぶ通りの中を暫く歩いていると「知り合いを見つけたのだわ。あなたはもう用済みよ。さっさと失せるが良いのだわ」


 と、少女はシオンに言った。


「そりゃ良かったな。今度からははぐれないよう気をつけろよ」


「余計なお世話なのだわ‼」


 ムキーッと言いながら、少女は通りの奥へ向かって歩き出した。しかし、直ぐ立ち止まり、シオンの方へ振り返った。


「そっ、そう言えば、貴方名前は何て言うのかしら?」


「ん? ああ、シオンだ。シオン・クロサキ」


「シオン……シオンね。そんなに下心丸出しで名乗られても気持ちが悪いのだけれど、気が向いたら覚えておいてあげるのだわ」


「……そいつはどうも」


「あと、それと……。シオンは一体、何者なのかしら……? 本当に、レッドなんとか、とか、レブナトとかいう怖い人なのかしら……?」


 少し怯えたような顔をする少女に対して「いいや」と、シオンはどこか得意気な笑みを浮かべた。

「俺は、本当はただのC魔術学生だよ」


「へ……? が、学生、なの? ただの……?」


「ああ、そうだ」


「ふ、ふーん……。まぁ、なんでも良いのだけれどね」


 シオンの返答に少し困惑していた様子だったが、「そう言うなら、そういう事にしといてあげるのだわ」という風に切り替えた。


「じゃあ……、シオン。今日は有難う。……少しだけ、感謝してあげるのだわ」


 そう言った少女は直ぐに踵を返し、今度は振り返らずに通りの奥へと向かって歩いていった。


 少女が知り合いらしき人物と合流するのを見届けると、シオンも王都の駅へ向かって歩き出した。


 

 少女と別れた後、シオンは魔力列車に乗車して魔術学園の寮へと戻り、やや遅めの夕食をとった。


 そして夕飯を食べ終えて食器を片付けると、彼は自室から魔術本やポーションを抱えて学園の実技訓練場へと向かう。


 目的はただ一つ。魔術の鍛錬である。


 まるで先程までの出来事など無かったかのように、彼は集中して鍛錬に取り組む。


「今日は疲れたからゆっくり休もう」、などと言う考えは彼には無い。疲弊した身体はポーションを流し込めば動くからだ。


「はぁっ……、はぁ……っ……」


 両手を地面に着けながら、険しい表情で激しく息を切らすシオン。


 全身の血管が異常に腫れ上がり、夥しい量の汗が地面に流れ落ちる。


 二十時過ぎに帰宅した彼は深夜二時まで魔術の鍛錬を行い、もはや立ち上がることさえ困難なほど体が憔悴しきった頃合に夜の鍛錬を切り上げた。


 風呂に入り鍛錬でかいた汗を洗い流すと、「回復促進」の魔術を自身に施して眠りについた。


 そして一時間後に起床し、彼は再び魔術の鍛錬を始める。


 これが、一日一日ではなく一秒一秒を生きるシオン・クロサキの日常である。


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