第7話 闇夜に閃く真紅の瞳


 魔術学園で定期試験が行われた日と同じ週。


 シオンは週末の休日に王都へ訪れていた。


 学園のある王国西部寄りの街から王都までは、魔力機関車に乗車して約二時間の距離がある。


 この日、王都にある会場で半年に一度開かれる魔術師や商人に向けた魔術関連の商品の展示会が開かれる。


 その展示会こそ、普段は休日も魔術の研鑽に時間を当てるシオンがわざわざ長い移動時間を費やして王都まで来た目的だ。


 本来であれば一定のランク以上の魔術師やバイヤーのみ入場が可能であり、ただのC級魔術学生のシオンに入場資格はない。しかし今回、シオンは父親から貰った入場パスを使用して展示会に参加することとなった。


 シオンの父親は国内でも大手に数えられる商人であり、過去何度もこの展示会に参加しているが、今回は時間の都合が合わず本人は不参加でシオンに入場パスを譲ったという経緯だ。


 今回の展示会では、一般人でも扱える生活用品的な物からプロの戦闘に向けたようなの物まで様々な種類の魔道具や、魔術師用の装備や装飾品の新製品などが並べられていた。


 魅惑的な製品の数々を前に童心に帰ったように内心はしゃぐシオンだったが、決して表には出さずいつも通りクールな表情で会場内を見て回った。


 彼は並べられている製品を見て楽しむと同時に、一流の風格を漂わせる魔術師が幾人も行き交う会場に溶け込み、まるで彼らと同格であるかのように振舞えるシチュエーションを楽しんでいたようだった。


 他の魔術師やバイヤーに混ざって慣れた様子で会場内の各ブースを巡回すること、約一時間半。


「──充実した時間だったな……」


 シオンはとてもご満悦な様子で会場をあとにした。


 来るときには入場パスと財布しか所持していなかったシオンだが、今の彼の手には一組の黒い手袋が握られている。


 今回の展示会ではあくまで商品紹介の場であり、各ブースでは仕入れの注文受付以外は個別での販売は行われていなかったが、いくつかのブースでは各商品の試供品の提供が行われていた。


 現在シオンが所持している黒い手袋もその試供品の一つ。黒い革製の手袋で指先の部分がカットされている、俗にオープンフィンガーと呼ばれる仕様のグローブである。


 それは今回の会場内でシオンの感性に最もマッチした商品の一つであり、興味深そうに手に取るシオンに対して担当商人が快く提供したものだった。


「……さてと、あそこへ行くか」


 そうしてホクホクの気分で会場を後にすると、彼は王都に来た際に頻繁に足を運ぶお気に入りのスポットへと向かった。



 展示会の後にシオンが向かった場所は、王都の南西の外れにある街から更に少し奥へ進んだ先にある工場跡地だった。


 以前までは多くの工場が稼働していたが立地の悪さから徐々に移転する工場が多くなり、およそ五十年前に全ての工場が移転した。


 そして現在では廃工場だけが残る無人の地域となっている。


 その無人の工場跡地こそ、シオンが王都に来た際には頻繁に足を運ぶ彼のお気に入りスポットだった。


 普通の人からすれば何の娯楽もなければ観光にも向かない寂れた地域だが、変人のシオンにとっては廃工場が並ぶこの街のどこかダークな空気感がたまらないスポットなのだ。


 黒いジャンパーに黒いズボンと黒いブーツ、そしてちゃっかり展示会で貰ったグローブを着用した格好で工場跡地を闊歩するシオン。


 何かが潜んでいても不思議ではないダークな空気感の中、彼は裏社会の組織の一員である自分がアジトへ向かっているようなシチュエーションを妄想しながら廃工場特有の空気感を堪能していた。


 そして日も暮れてすっかり暗くなってきた頃、彼は廃工場の屋上などの高所へよじ登って更にカッコ付けた時間を過ごしていた。


 ……そんな時だった。


「──いやぁ‼ やめて、来ないで‼」


「‼」


 突如、近くから女性の悲鳴が聞こえてきた。


 シオンが声のした方へ高所から視線を向けると、そこでは三人組の男に追われる一人の人影が目に映った──。 





 廃工場の並ぶ闇夜のゴーストタウンの中、息を切らしながら駆ける人影。


 それは目元が隠れるほどローブのフードを深く被った一人の女性であった。


 何かから逃げるように力いっぱいに手足を振り、一心不乱に前へ前へと駆けていく。


「う、嘘……」


 背後の視線から逃れるように目の前の角を曲がって路地に入り込んだが、無情にもその先は行き止まりであった。目元はフードで隠れて見えないが彼女の顔には多量の汗が浮かび、口元は恐怖に震えている様子だった。


「残念だったなぁ。楽しい鬼ごっこはここまでだぜ、お嬢さん。へっへっへ」


「……ッ‼」


 女性は追跡者である三人組の男達の方に振り返り、睨みつけた。


「あ、貴方達、一体誰なのよ!」


 女性は男達に向かって威圧的に叫んだが、その声と足は恐怖で震えていた。


 それを受けた男達の中の一人は、下卑た表情を浮かべながら答える。


「なぁに、俺達はただの善良な労働者さ。これも仕事でさ、お嬢さんに恨みはないが、依頼されちまったんでね。悪いがあんたには死んで貰うぜ」


「……っ!」


 自身に対する明確な殺意。逃げ場のないリアルな恐怖は更に増し、手や口元もブルブルと震える。


「ただまぁ……。──殺す前に、ちょぉっとお嬢さんで楽しませて貰うがな」


 男はその下品な視線で女性のローブの上から肢体を舐め回すように見つめると、他の二人と共に下品な笑い声を上げた。


「ぜ、全然善良じゃないのだわ‼」


 女性は精一杯強がる。しかし男の言葉により、自分が目の前の男達に弄ばれ、その果てに殺されることを嫌でも想像させられ恐怖は加速する。


 目の前にある絶対的な絶望に対する恐怖で女性の足が竦む。逃げるように下がろうとするが上手く足に力が入らず、女性は腰から地面にへたり込んだ。絶望と恐怖に顔を歪めながら、それでもどうにか男達から逃げようと行き止まりの背後へと後ずさる。


 男達はその様を見て楽しむかのように、ゆっくりジワジワと女性に歩み寄る。


「や、やめて! 来ないで、来ないでよぅ……! お、お願いだから……っ」


「へへへ、そう嫌がるなよ。死ぬ前に、おじさん達がお嬢さんをいっぱい楽しませてあげるからさぁ」

 男達は揃って醜悪な笑みを女性に向けて歩み寄る。


「い、いやぁ、嫌、いやだよぉ……っ」


 もはや、女性に先程までの威勢は無くなっていた。


 目の前に迫りくる圧倒的な恐怖に対して、女性はその現実を必死に拒否するかのように首を横に振る。必死に後ずさろうとするが、後退しようとする身体は背後の壁に阻まれ、もはや女性は男達から距離を取る事さえ出来なかった。


 しかし、男達はその歩みを止める事は無い。


 ジワジワと込み上げてくる絶対的な絶望の中、もはや声も上げられなくなった女性は縋るように祈った。


「(お願い……っ。誰か、誰か助けて……‼)」



 ──その時だった。



「よう兄弟、随分楽しそうな事してるじゃねーか」



「──……っ‼」


 彼女の頭上から誰かの声が聞こえてきた。


 その声は物静かだが凛とした響きで、不思議な心強さを感じさせられる声であった。


 声の主は女性の頭上、五メートル程の高さの建物の屋根から軽やかに飛び降りると、男達の目の前に立ち塞がり彼等に向けて言い放った。


「俺も混ぜてくれよ」


 その人物は黒いコートを着込み、手には黒いオープンフィンガーのグローブをはめた黒髪の男であった。


 そして、その男の両の瞳は、──真紅の光を放っていた。


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