第6話 全部知った。信頼なんてなかったんだな

「ご無沙汰してます、湯冶とうやくん。元気そう............ではありませんよね......」

「えぇ、鏡見かがみ先生。ご無沙汰しております。元気は......そうですね。鏡見先生ほどではありませんが、元気はあまりない、ですかね......」



 鏡見先生からの例のメールを受けてから数日経って、僕らはお互いの大学のちょうど真ん中あたりにある街のチェーンの喫茶店で顔合わせしている。

 公の場で声高にするような話ではないので、奥まって人の少ない席を陣取った。



 お互いの言葉の通り、どう見ても「元気」には見えない。

 2人とも目の下に隈ができていて、萎れてる。


 自分の方も、心做しか頬も痩けている気がする。


 実際僕はあれからまともにご飯も食べられない日々が続いている。事実が何かすらもわかっていないのにこの惨状......。

 いや、むしろわかってないからこそ、辛いのかもね。いっそ、早く真実を知って楽になりたい。


 この数日間、悩んでることを朱遠さんに気取られないよう、忙しいというていで大学に泊まったり、帰宅するにしても朱遠さんが眠るより遅く帰って、起きるより早く家を出る。そういう日々を過ごした。


 結果、ほんの数日にも関わらず、誰が見てもわかるようなやつれ具合が表面にでてしまったらしい。


 とはいえ、目の前の鏡見先生の見た目には敵わない。

 痩せ方が僕とは比べ物にならない。


 昔お会いしたときはハツラツとした若々しい方だったのに、白髪も散見されるし肌のハリ的なものもなく、当時の面影は残されていない。

 一瞬、鏡見先生だとわからなかったほどだ。


 一体どれだけの期間、ひどい生活をしてたらこうなるのか......。


 あのメールから特に新しい情報もなく、まだ朱遠さんを信じようとしている僕。

 だけど、鏡見先生のこのお姿を見てしまうと、あのメールには事実が綴られていたと思えてならない。


 とにもかくにも、いろいろな情報の共有だとかをするために、今日は集まらせてもらったわけだ。話を聞かないことには何も進まない。


「さて、鏡見先生。あの件ですが、僕はまだ先生のお話を本当に信じて良いものか、迷っています。何か、証拠のようなものは、あるのでしょうか......」



 単刀直入に行く。こういうのはうだうだとやるより、さっさと本題に行くのがいい。


 鏡見先生は僕の言葉に戸惑う様子もなく、かばんから数枚の写真を取り出した。


「............っ!? こ、これは......」



 肌色が占める面積の多い数枚の写真の束。

 無造作に1番上の1枚を手にとって見てみると、そこに写っていたのは、大学の研究室らしき場所で生まれたままの姿で繋がる淡井先生と知らない女性。


 間髪おかずに鏡見先生が口を開く。


「これは私が淡井先生の居室に仕掛けたビデオカメラに映った映像の中から、わかりやすい部分をスクショした写真です。実際には動画が残っています」



 淡々と告げる鏡見先生の言葉は、耳には入ってるんだけど、文字通り右から左に通り抜けていくように感じる。

 僕もそこまで馬鹿じゃないと自負してるので、言われなくてもわかる。この数枚の写真の中に、朱遠さんのそれ・・も含まれてるんだろう。


 写真の束を手にとって順番に見ていくと、その写真はすぐに見つかった。4枚めくって僕の目に飛び込んだ1枚こそ、見まごうことなき、最愛の彼女のあられもない姿だった。


「........................うっぷ......」



 特に何かを口にした記憶もない胃の中がひっくり返されるような気分になり、えづく。

 こういうの、覚悟してきたつもりだったのに、それでもやっぱり我慢し切るのは至難だ。


 胃酸でイガイガする口を少しでも潤すために、喫茶店に居座るために1杯だけ注文したホットコーヒーを流しこむ。


 味わいとかどうでもいいけど、苦味が胃液の酸っぱさを紛らわしてくれるのがせめてもの救いだった。


 何度かえづいてはコーヒーを流し込んで、を繰り返す。

 その間、鏡見先生は何も言わず、じっと僕が落ち着くのを待っていた。


 しばらくして僕が「ふぅ〜」と落ち着いたのを見計らって、鏡見先生は話を進める。


「それが証拠です。元の動画をお見せしてもいいのですが、いきなりそれをお見せするのも、きついでしょう? 写真だけで、そうなってるんですから」



 確かに、後で見せてもらうにしても、いきなりそれを見せられてたらもっと発狂してたかもしれない。


 っていうか、鏡見先生はこのスクショを持ってるってことは、すべての動画を視聴済みってことだろう。

 ......さぞかしこころを痛めたことだろうな。


 その上で僕には配慮してくれてるっていうんだから、嬉しくなりようはないけど、気遣いが感じられる対応だ。


「それで、自分のことは信じてもらえそうでしょうか?」



 変わらず淡々と進める鏡見先生の声色は無機質で、いっそ人間味を感じない。普段の僕なら、あんまり信用ならない人に映ったかもしれない。

 だけど、決定的証拠を見せつけられ、同じ境遇の人間であるっていう立場も加えて、今の僕は完全に鏡見先生に共感している。答えに迷う必要もない。


「えぇ、はい。認めたくないですけど、認めざるを得なさそうですね......。もちろん、最後は自分で彼女に真相を確認してから決めますが、ここ暫くの彼女の対応とか、正直僕にも心当たりがあるので......。気持ち的には『あぁ、やっぱりか』って感じです」



 同士に対して、一切包み隠さない本音を吐露してみる。


「あぁ、そうなんですね。ご愁傷様です。ですが、ひとまず信じてもらえてよかったです」



 なおも淡々とした口調ではあるけれども、本心からの同情であることは伺えた。


「それで、全員、脅し............なんでしょうか......?」



 今回の話が事実だったとしたら鏡見先生が知ってることを教えてもらおうと思っていたことを質問してみる。

 素朴な疑問。どうしてこんな何人もヤられてしまったのか。どうして僕は朱遠さんを守れなかったのか。それが気になる。


「全員......かはわかりません。というか、自分が把握してるのがこの写真にある方だけで、実際にはどれだけの被害者がいるのかもわかりません。ですが、少なくともこの写真にある方々は間違いなく脅されて、ですね。動画の中でもほぼ無理やりでしたし、その脅し文句も映っていましたから」



 大学の中なんだよな......?

 そんな軽率なことをするなんて、あり得るのか......? いやそもそも行動自体イカレれるんだし、多少のバカは誤差と思ったほうがいいか......。

 それよりも......。


「それで、その脅し文句っていうのは......?」

「まぁ、端的に言えば、パートナーの将来だとか悪事の隠蔽、ですかね」



 ............っ。

 パートナーの将来。悪事の隠蔽。単語だけである程度察することができた。


 僕の表情を見て、察したことを察した様子の鏡見先生だったけど、敢えて言葉にして説明を続けた。


「ここに映ってる女性は全員、大学、それも僕らの分野の関係者の奥方様やガールフレンドなんです」

「............」

「大学の研究員や助教、講師、准教授。あるいは湯冶くんのような博士の学生さん。そういう人がターゲットのようです。例えばこの写真にある女性ですが、ある准教授の奥方様で、その准教授の方が犯した過去の論文の盗用を公にしないことを条件に、奥方の身体を差し出すように強請られたようですね」

「............それはなんというか、悲惨ですね。どなたかは存じませんが、盗用なんてした先生はある意味自業自得ですが......。奥さまはあまりにも不憫ですね......」



 聞いただけで胸糞が悪すぎる。

 奥さんはなにも悪くないはずなのに、馬鹿なパートナーのせいで汚いおっさんに抱かれることになるんだから、あまりにも救われない。


「ですね。奥さまはあまりにも可哀想な立場ですが、自分もその先生は自業自得だと思います」



 僕の意見に同調するつぶやきをこぼす鏡見先生。彼は続けて別の理由を話す。


「他の方、例えば華姫はなひめ先生の場合は..................湯冶くんの将来、具体的に言えば就職に関することを脅し文句に使われたようです」



 あぁ、やっぱりそうなのか。

 それはさっき聞いて、察した通りの内容だった。


「......つまり、淡井先生は僕が今年、大学に就職活動をすることを知っていて、それを邪魔しない、というような条件で朱遠さん......華姫さんに迫った、というところでしょうか」

「理解が早くて助かります。概ねその通りです。これは湯冶くんの能力が足りないとかではないので気を悪くしないでもらいたいのですが、実際、淡井先生の一声があれば、湯冶くんの大学への就職はたしかにそれなりに困難になるでしょう」

「そう......なんですね」



 それからもしばらく鏡見先生は何かを話していたけど、正直、呆然としてしまって自分の頭にはなにも入ってこなかった。


 何が悲しいって、僕のせいで朱遠さんが被害を被ったっていう無力感はもちろんなんだけど......。


 どちらかといえば、将来とか就職とかいう、本当に・・・どうでもいいこと・・・・・・・・で、朱遠さんを失ったっていう喪失感。

 その程度・・・・のことを僕が自力で乗り越えられないと思われていた、自分の能力を一切信頼してくれてはいなかった、っていう失望。


 そういう残念さの方が、僕に強いショックを与えてくれた。








 あぁ、僕らは信頼し合ってたと思ってたのに、そう思ってたのは僕だけだったんだな。

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