第2話 信じられなくなるなんて思ってなかった頃

「ん〜、やる気でねぇ〜」



 あぁ、ついこの間まで最高に幸せだなって思ってたんだけどなぁ......。

 って言っても、ちょっと前から段々なんだか怪しいなぁって気持ちにはなってはいたんだよね。


 だめだな〜。油断するとすぐあの頃のこと思い出してしまうな......。



*****



「うあ〜今日も疲れたよ〜朱遠しゅおんさ〜ん!」

「ありゃりゃ、大変だったね〜。よしよし、今日もお疲れさま〜♡」

「くぅ〜、やっぱコレだよねぇ。回復するぅ」

「ふふふっ、くすぐったいよ。椿岐つばきは今日も可愛いねぇ〜♪」

「可愛くはないと思うけどありがと〜。朱遠さんもお疲れさま〜。朱遠さんこそ、今日も最高に綺麗だし可愛いし気持ちいいよ〜」

「あはっ、ありがと」

「ありがとうは僕のセリフだよ〜。朱遠さんも疲れてるのに、いつもありがとね〜」


 大学から2人の愛の巣に帰宅してきてすぐ、ソファに座る朱遠さんの隣に腰掛けて膝枕を堪能させてもらう。

 優しい猫撫で声で労ってくれる愛しの彼女のスウェット越しの太ももに頬をこすりつけてみたら、くすぐったがりながらも許してくれて、その上頭を撫でられ、あたかも自分が液体化してしまったかのような錯覚を覚える。

 ふとももの絶妙な柔らかさが僕の頭部を包んでくれて即寝落ちしてしまいそうなほどに心地いい空間が、そこにあった。


 過激なスキンシップはあんまり好きじゃない朱遠さんだけど、これくらいのイチャイチャはたくさんさせてくれるから余計に沼に沈められてしまう。

 急激な快楽よりもこういうじわじわと緩やかで甘やかな快感の方が抜け出すのが大変で危険だから困る。いや、困らないけども。


 僕は男だし、「可愛い」とか言われても別に嬉しくないけど、朱遠さんに言われるとなんか余計に甘えたくなるような蠱惑的な中毒性を持った言葉に感じてしまうから不思議だよね。


 ......この感じなら今日は誘ったら受け入れてもらえるのでは?


 そうと決まれば早速導入モードに入ろう!


 身体を朱遠さんの方に向けて、顔を太ももの間の部分に押し付けて、クンクン。

 うむ、今日も最高。


「こ、こらっ! そんなとこの匂い嗅いじゃだめでしょ!」

「えー、めっちゃいい匂いだよ。お願い、もうちょっと嗅がせて〜」

「そんなわけないでしょ! 臭いからだめっ。ほら、上向いて」



 ............この反応。

 うん、今日は許される日だわ。


 朱遠さんはスウェットってことはシャワーを済ませてるみたいだけど、僕はまだ風呂入ってないし、ちょうどいい。

 一汗かいてから入浴させてもらうとしよう。


 まずは......もみもみ。


「こらっ。だめでしょ!」

「だめなの? でもこんなに柔らかいよ?」

「もぅ、柔らかいのと触っていいかどうかは関係ないでしょ〜?」



 うん、満更でもなさそうな感じ。

 ダメな日は結構まじで嫌そうな反応してくれるから、ある意味わかりやすくてありがたい。

 やっぱこういうことはお互いに楽しめないと楽しくないからね。


 進めても大丈夫だと判断して、朱遠さんの体型には過剰に大きめでブカブカのシャツの下から手を入れようとしたそのとき。




 ぐぅ〜〜〜〜〜〜〜〜と朱遠さんのお腹の虫が元気よく鳴いた。


「あっ......あははははは。お腹、鳴っちゃった」

「ははっ。可愛いね。あ、もしかして僕が帰ってくるの待っててくれてたの? だとしたらごめん!」



 朱遠さんの方も、別に今更初々しいカップルみたいにお腹の音を聞かれたことにテレたりはしない。

 その代わりに、2人して一瞬止まって目線を合わせて、シンクロしたみたいに微笑み合う。こういうときのいつものやり取りだ。


 僕は、この「エヘヘ」って感じで2人で微笑み合う瞬間が結構好きだ。

 なんか幸せを共有し合ってるって感じがして、朱遠さんの方も幸せ感じてくれてるみたいで嬉しくなる。


「待ってたって言っても、そんなに長くなかったから大丈夫! でもお腹は減っちゃったぁ。じゃあ、ご飯食べよっか♪」

「だね! 僕も結構お腹減ってたんだ〜」



 今日は急遽研究室の学生と議論することになって、存外に白熱しちゃったから、予定してたよりも帰ってくるのが遅くなってしまった。

 もともと22時くらいに帰るつもりでいたんだけど、現状すでに24時を回ってしまっている。


 連絡はしたとは言え申し訳ないことをしてしまった。


 今日は先に食べておいてって言付けておいたのに、待ってくれてたとは......。もしかしたらそうしてくれるかもな〜とはちょっと思ってたけど、ほんとに待たせちゃって申し訳ない。

 健気さとお腹の虫の声のあまりの可愛さに、朱遠さんの胸元に動かそうとしていた手を彼女の頭に持っていって、ワシャワシャと撫でさせてもらう。


「ヘヘへっ」

「うーん、この笑顔にも癒やされる〜」



 撫でてるときは、猫みたいに目を細めて幸せそうな顔をしてくれるところも好きだ。

 あまりの尊さに、ついついギュッと抱きしめて首筋の匂いを堪能してしまう。


「もうっ、匂いを嗅がないの!」



 肩を軽く小突かれて、そんなことにも小さな幸せを感じつつ、僕らはダイニングに移動した。



*****



 朱遠さんが用意してくれた晩御飯を一緒に食べたあと、ちょっとの間、ソファであすなろ抱きをしながらテレビを見てまったりしていたら、「そろそろシャワーを浴びたら?」って促されてしまったので、しぶしぶ風呂に入った。

 まぁ、いくらもう一回汗かくかもしれなくても、そのまま布団に入るのは気持ち悪いもんね。しょうがない。


 シャワーからでて、2人のベッドに移動して、しばらく軽いイチャイチャをして、致させていただいた。

 今日も最高に良かった。


 僕自身はまだまだできるけど、朱遠さんは無理そうなので今日はここまで。


 朱遠さんは、一度エクスタシーを迎えると体力が底を尽きて気持ち良くなくなる、というか疲れてしまうらしい。

 だから、僕らの行為は基本、致したとしても一晩に1回だけ。


 もともと朱遠さんは性欲が人一倍弱くて、ソウイウコトにあんまり興味がない、というか、基本好きじゃない。

 強引に迫ったりしたら、最悪機嫌を悪くさせてしまう恐れがある。


 朱遠さんの体力が余っていて、凄くテンションが乗るときだけ、僕が積極的に誘ったらお相手してくださる感じ。


 同棲はしていても、仕事のある日は基本的になし。

 週末や祝日も、その週のお仕事が忙しいときは拒否されることが多い。


 そんなときに僕がしつこく誘っちゃうと、普段はかなり温厚な朱遠さんの機嫌は地の底まで落ちて、口数が極端に減る。

 結果的に、幸せな2人の時間が若干居心地の悪い空間になってしまうことがある。

 朱遠さんをベッドにお誘いするときには、いろいろと気を遣わないといけないわけだ。


 だからこそ、今日の反応からイケそうだって判断できたからには、責めさせていただくしかないと思ったんだよね。


 朱遠さんは滅多にさせてくれないけど、だからといってスるときに機嫌が悪かったり、マグロだったりするわけじゃない。


 確かに初めてさせてもらったころなんかはおっかなびっくりって感じだった。

 僕より前に付き合ってた人も何人かいるのは知ってたし、生娘ってわけじゃないだろうにどうしてそんなに恐れてるのかって思ってたら、なんと今までいた2人の彼氏さんはどっちもめちゃくちゃ下手くそだったらしい。


 なんでもまともに濡れてもないのに乱暴に挿れて高速で腰をふるからめちゃくちゃ痛かったらしい。

 アダルトなビデオやらマンガやらを見て、それが正しい知識だと勘違いしたダメな野郎の典型例を聞いてるみたいだった。


 エグいことに、あるときには痛すぎて行為中に気絶してしまったこともあるんだとか。

 マジで最悪すぎる。


 僕の朱遠さんにそんなひどい扱いをするなんて......。

 どうして僕が先に出会ってなかったんだろう、なんてことも思うけど、実際先に会ってたらきっと今みたいにうまくいってはなかっただろうし、悪い男の例を見てきてくれてるからこそ、僕が当たり前で普通の振る舞いをするだけでも必要以上に喜んでくれると思えば、悪いことばかりじゃない。



 ともかく、そういう背景もあって、朱遠さんは行為に後ろ向きなところがあった。というか今も微妙に残ってる。

 それを抜きにしても、元々そういうことへの興味が薄いってのはあるらしいけど。


 一応、僕との行為で朱遠さんはかなり満足してくれている。と思う。

 前の彼氏は濡らすこともしてくれなかったって言ってたけど、どんだけ下手で、パートナーを思いやる気持ちがなかったらそうなるのか。


 前戯を一切してなかったとしか思えない。

 そう思っても仕方ないくらい、朱遠さんの身体はいい反応をしてくれる。というか、最初はそうでもなかったけど、何回か続けるうちに乱れるようになってくれて、最近では朱遠さんが早々に絶頂を迎えて体力が底を尽きてしまうから、終わらないように手加減するのが大変なレベル。

 それくらい、朱遠さんの身体は割とチョロかったのに、痛い行為をしていたなんて、よほど経験値がないやつだったんだろうな......。


 朱遠さんは絶頂後は僕ら男と同じくらいの深い賢者モードにでも入るのか、相当疲れるのか、終わり次第僕の腕の中で即寝落ちする。

 というわけで、彼女は今僕の胸の中でスースーと穏やかな寝息を立てている。


 まぁそんなところも可愛くて余計癖になってしまうのだから、痘痕あばた笑窪えくぼというか、惚れたら負けというか。

 身体の関係で堕ちる心配がほとんどないから、ある意味安心要素でもある。


 この可愛い寝顔を、ずっと守っていけたらいいな。







 この頃は、そう思ってたんだけどなぁ。

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