本当に信じ合ってたなら違う結末だったかも
赤茄子橄
第1話 プロローグは信頼の終わりの話
「つ、
「いや、だから、別れましょって言ったんですよ。理由は......わざわざ言わなくても、
「............わかんないよ。な、なんで急にそんなこと言うの? お願いだから、ね? 一旦落ち着いて、考え直そ?」
じっと見つめ返すと、僕から視線を切るように水分を含んだ瞳をフイと反らす彼女。
まぁ、わかりやすく嘘ついてるんだろう。
わかってて、その上でシラを切ろうとしてるってところかな。
それにしても、「考え直そう」か......。
確かに、もしさっきの彼女の対応が違ってたら、あるいはそういう未来もあったのかもしれないけど。
「........................はぁ。そっか。最後くらい、僕のこと信じて正直に話したりしてくれるかなって期待してたんだけど、結局僕なんかへの信頼なんて、その程度だったんだね。朱遠さんには僕なんかよりも信じられる言葉をくれる人がいるんだもんね。頼りないヤツで、ごめんね」
僕が20歳のときに出会って、23歳の頃からおよそ3年半付き合った3歳年上の彼女との別れ話。
ほんの少し前までは、まさか朱遠さんとこんな嫌な別れ方をすることになるなんて、露ほども想像してなかったのに。
っていうか、年齢的にも全然結婚とかまで視野に入ってたんだけど。
でも、なんかさっきのやり取りで、心の奥底にわずかに残ってた最後の熱も冷めきっちゃったな。
溜息と一緒にいろんな熱が体から出ていくように感じる。
「......っ! 違うっ、違うの! あれは無理やり! お願い、話を聞いて! 私が信じてるのは椿岐だけだよ! 信じてるから......信じてるからだったの!」
今更そんなことを言われてもなぁ。
何を「信じてた」のか、僕にはよくわからないよ。
これまで話してもらえてなかったって時点で、今頃になって「信じてる」とか言われても、これ以上恋人関係を続ける気にはなれないし、もう聞いて得する話とか、特に出てこないだろうし。
むしろ直接聞かされて胸糞悪くなるだけだろ。
朱遠さんは悪くな............くもないか?
そこまで悪いわけじゃ............非がない部分も多少はある、と思う。
「いや、そういうの、もういいよ。無理やりだったのとかは知ってるし。僕の将来を脅しの材料に使われてたこととかも聞いたし。ほんとごめんね、僕が信頼に値する人間じゃなかったせいで朱遠さんの人生めちゃくちゃにさせちゃった。クズの
本当に、あの男は最低最悪の人間だ。
この時代にまともな社会人ヅラして生きていていい人間ではない。
大人しく残り少ないであろう余生を塀の向こうで過ごしてもらって、僅かでも社会貢献してもらうとしよう。まぁ、元々マイナスにしてた分をニュートラルに戻すくらいの意味しかないから、やっぱり意味はないけど。
しかも、もしかしたら、本人にとってはそうなることまですでに覚悟の上で、実際あんまりダメージないのかもしれないけど。
「い、嫌......嫌だ......。それじゃあ全部知ってて............」
「うん、知ってて、こういう判断してる」
「嘘......なんで知って............。そ、それに......だったら............だったら私が椿岐のことを心から考えてるってわかってくれてるんじゃ......」
話が進まない。
いやまぁ、これ以上特に進める話なんてないからいいんだけども。
具体的なことは何も口に出さなくても伝わってるみたいだし。
そろそろ帰りたい。
帰ってひとしきり泣いて、酒のんで忘れて、明日からまた元気に研究を再開するんだ。
たった一個の失恋をずっと引きずっていられるほど、今の自分は暇じゃないんだから。
時間も勿体ないし、ここは研究者の卵らしく、疑問に端的に答えるよう努めるとしよう。
「淡井周りの諸々については、ある人が教えてくれたんだ。それが誰かは......その人のために言えないけどね」
「い、いやだ......はっ、はっ、はっ......はぁはぁっっ......違う。こんなの違う! わ、わ、わ、私......わ、別れたくないよ!」
「ほんとにごめん。でも僕は付き合い続けるのは無理だよ。僕はもう裏切られたって、思っちゃったからさ。信じられないって、信じられてないって、思っちゃったから。朱遠さんは知ってるでしょ。それ、僕が一番されたくなかったことだって」
「でも......でも......っ! こんなのって......。それじゃあ私、なんのためにあんな............ウオェッ......」
朱遠さんは絶望と精神的な負荷からくる軽度の過呼吸に陥ったかと思うと、僕らが挟んでいるテーブルに盛大に吐瀉物を撒き散らす。
台所からビニール袋を持ってきて、雑巾で丁寧に拭いておく。
服とかにもかかってるし、床もちょっと汚れてたから、わかる範囲で拭っておく。
「......シャワー浴びてくる?」
「待っで。ざぎにおあなじさぜで」
今のは、「待って。先にお話させて」って言ったのかな?
まだえづきが止まってないみたいで、きっと口の中胃酸で気持ち悪いだろうにそのまま話し続けようと息苦しそうに言葉を紡ぐ朱遠さんは、かつて見たことがないほど弱々しい。
今までいつもカッコよくて、僕に愛情と劣等感を同時に抱かせ続けてくれた元最愛の彼女を「彼女」として拝む最後の姿がコレっていうのは、なんとも後味が悪いなぁ。
それにもしかしたら仕事で顔を合わせることがあるかもしれないし、あんまり後腐れるのは気が引ける。
これが職場恋愛をした者が背負う業というわけか......。
だけど......。
「話すこととかは特にないよ。何話しても気が変わることないし、むしろ話すほど朱遠さんダメージ負っちゃうだろうしね。僕は同情とかで朱遠さんと付き合い続けるつもりとかは一切ないんだ。ほんと、ごめんね。だから、ほら、シャワー、浴びておいで?」
彼女と話したからといって、何か変わるはずもない。
自分で言うのもなんだけど、僕は自分という人間がどんなヤツなのかよくわかってるつもりだ。
ここから朱遠さんにもう一回愛情を抱くことなんて、ありえない。
僕は信頼を裏切られること、信頼があると思いこまされてて実はなかったってのが一番嫌いなんだ。
だったら僕のすべきことは一つ。
まだ肩で息をしているけど、朱遠さんの過呼吸も嘔吐もなんとか止まったようだし、早々に離脱することだろう。
「それじゃ、僕はそろそろお暇するね。部屋に残してる僕の荷物は............適当に売るなり捨てるなりしてくれたらいいや。残してるものは朱遠さんの所持品ってことにしといて。処分にお金がいりそうなら払うから、また今度請求してよ」
僕らが同棲していた部屋には、まだかなり僕の荷物が残ってる。
けど、なんていうか、もうそれを見るのも嫌なんだよね。
思い入れあるものはしっかり手放しとかないと、未来で別の人と付き合いだしたときとかに女々しく昔のパートナーのこと思い出すとかあんまりしたくないからさ。
だから、持って出るとかはしないで、ここに捨て置かせてもらおうっていうね。
「やだっ! 待っで!!!!」
「うわっ! ちょっと朱遠さん、汚いよ!」
「やだやだやだやだ! もうにどどあんなごとおごらないようにずるがらっっ!!!! おねがい、じんじてよ!!!!!!」
僅かな感傷を胸に懐きつつ、玄関の方に歩みを進めると、吐瀉物まみれの朱遠さんが僕の足に縋り付いてくる。
涙とか戻したものとかを僕のズボンで拭くの辞めて! あと引き止めるのも辞めて!
それにしても......「もう二度と
朱遠さんなら、あるいは本当にそうしようと頑張ってくれるのかもしれないけどねぇ。
正直、今は僕と朱遠さんの間に「信じる」なんて関係は成り立たせられないと思う。
朱遠さんができるかどうかとか、もはや関係ないんだよね。僕が無理なんだから。
問題の本質は「朱遠さんが脅しに屈してあいつに身体を許したこと」じゃないんだよ。
それは僕が裏切りに感じていることの一端でしかない。
「ほんっとーに、ごめんね。可哀想だとは思ってるんだけどさ、付き合い続けるのは無理だから。朱遠さんも新しい相手を探してね。大丈夫、次こそ間違えないようにさえすれば、朱遠さん綺麗だし優しいしめっちゃ賢いし、僕なんかよりいい人なんてすぐ見つかるから! それじゃ!」
僕は言いたいことだけ言って、縋り付く朱遠さんを力づくで引き剥がして早足で玄関を出た。
馴染みの部屋からある程度離れたころに息を整えながら確認してみると、朱遠さんが追ってきてる様子はなく、一安心して契約したばかりの自分の部屋に向かった。
朱遠さんがあの部屋で首吊りに失敗して入院したって話を聞いたのは、それから2週間くらい過ぎた頃だった。
もし、僕が朱遠さんとの幸せな未来を信じて、やり直したり黙ってたりしてたら、こうはなってなかったのかも。なんて。考えるだけ無駄だけど。
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