兄さんを支えますね

 アパートの部屋に戻ると早々、ダイニングにある椅子に座る親父の姿があった。


「よう、來」

「な、なんでここに!?」


 おいおい、カギは閉めていたはずだぞ。

 それになんで親父がいるんだ。

 普段は喫茶店の経営で忙しいクセに。


「あれ、お父さん……!」

「おおう、菜枝。どんどん可愛くなって、來にはもったいない」

「い、いえ、そんな……」


 頬を赤くして照れる菜枝。確かに菜枝は可愛い。って、そうじゃなくて!


「なにしてんだよ、親父。不法侵入だぞ!」

「大家さんに許可は取ってある。まあ、友人なんだがな」

「なっ……! そうだったのかよ」

「それより二人とも座れ。大事な話がある」


 座れと言われ、俺も菜枝も座るしかなかった。親父の威厳あるオーラには敵わない。というか、話ってなんだよ。今更話すようなこともないと思うけどなぁ。

 指示通り、対面するように座った。

 ……なんだこの結婚の挨拶みたいな状況。


「で、なんだよ、親父」

「うむ。お前というよりは菜枝ちゃんだ」

「はあ? 菜枝?」

「そうだ。菜枝ちゃんが欲しい」


 その瞬間、俺は怒りが込み上げてテーブルを叩いた。


「ふざけんな!」

「まあ、落ち着け、來」

「これが落ち着いていられるか! 菜枝が欲しい!? ヘンタイか!」

「誤解だ。菜枝ちゃんをお店で雇いたいんだ」


 親父はそんなことを口走った。

 な、なんだって……。


「雇いたいって、喫茶店に?」

「その通り。菜枝ちゃんはとても魅力的な女の子。こんな可愛いコはまず見つからない。なので看板娘になって欲しいのだよ」


 なるほど、そういう事情か。確かに、菜枝はとんでもない魅力を持っている。毎日のように誰かに声を掛けられるし、誰にでも平等に振舞う天使だ。

 けど、せっかく俺と同棲生活をはじめて自由を得たんだ。親父のお店の手伝いなんかさせてなるものか。


「お断りだ。菜枝もそうだろ」


 菜枝に聞こうとすると親父が遮った。


「來、これはお前の為でもある」

「お、俺の為……? どういう意味だ?」

「ここのアパートの家賃は誰が支払っている?」

「そ、それは……親父と菜枝の折半のはず」


 そう、俺は普段のバイトで得た収入を生活費を出している程度。


「そうだろう。お前のバイトだけでは家賃までは支払えていないのだよ」

「バイトの時間を増やすさ!」

「それはどうかな。ただでさえ学生。低賃金。テスト期間も迫っているし、そんな余裕があるとは思えんな」


 くっ、親父の言っていることは正しい。でも、多少無理すれば……。そうだ、俺ががんばればいいだけの話。この生活を終わりになんてさせない。

 そんな中、菜枝が口を開いた。


「お父さん、わたしと兄さんのことなら心配しないでください。家賃なら、わたしが全部払いますから」

「そう言うと思ったよ。だけどね、天笠家が君への仕送りを停止したようだよ。今日、その通達が来てね……ほら」


 用紙をテーブルの上に置く親父。その中身は、菜枝への仕送りを停止するとハッキリと書かれていた。ショックを受ける菜枝だが、しかし、それでも怯まなかった。


「だ、大丈夫です。貯金ならあります!」

「そうかね。だが、あと何か月持つかな。高校生活が終わっても同棲する気なら、お金はいくらあっても足りないはずだ」

「…………うぅ」

「なら、私の喫茶店で働く方が生活を続けられるぞ。ちゃんと給料も出すし」

「……っ」


 さすがの菜枝も厳しいらしい。

 それもそうだよな。

 普段、結構出してもらっていてばかりだし。そうだな、俺は菜枝に甘え過ぎていたかもしれない。バイトはしているけど、昨今の物価上昇の荒波には逆らえなかった。


 でも。


「菜枝、嫌なら嫌と言うんだ。俺ががんばるから」

「……兄さん。いえ、いいんです。わたし、兄さんのお父さんのお役に立てるなら……それに、兄さんとの生活が続けられるなら、がんばります」


 少し無理をして返事をする菜枝。なにより、天笠家からの仕送りが消えてショックなはずだ。……まあ、元から仕送りがあること自体、ラッキーみたいなものだったからな。

 菜枝はもう天笠家の人間ではない。

 天笠家も多分、せめてものお情けで生活費くらいは送ってくれたのだろうな。

 しかしそれももう停止した。


「本当に良いんだな」

「バイトもしてみたかったですし、大丈夫です! ほら、兄さんだってバイトしているじゃないですか」

「そ、それはそうだけど……分かった。親父、これでいいんだな」


 親父に視線を向けると、なんだか納得している様子だった。


「それでいい。これはお前達二人の為を思って言ってやってるのだからな」

「ああ……ここは感謝しておくよ」

「話は以上だ。明日は土曜日だし、さっそく来てくれると助かる」


 静かに立ち上がり、親父は出ていく。

 なるほど、本当に話をしに来ただけらしい。

 少々複雑ではあるけど、でもおかげで生活が続けられる。


「本当に良かったんだよな、菜枝」

「喫茶店の店員さんとかやったことないですけど、興味はあります。がんばって働いて兄さんを支えますね」


「ありがとう、菜枝」


 なんだかいい雰囲気になって――キスする流れに。

 今なら二人きりだ。

 そっと顔を近づけて……。


「おっと、忘れものをした……って、來、なにをしているぅ!?」

「げっ!! 親父!!」


 こんな時に親父が戻ってきやがった……!!

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