姉さんばかりズルいです……

 買い物袋を落とす少女。

 驚いた表情でこちらを覗く……天笠の姿があった。



「あ、天笠さん、なんでいるの……!」

「……いや、ちょっと……カレーのお裾分けに」

「カレーの?」


 買い物袋の中には、大量のレトルトカレーがあった。しかも、ほとんどキーマカレーじゃないか。凄い数だぞ……五十はあるぞ。


「ていうか、神堂くんって菜枝と一緒にお風呂に入っているんだ……」


 ジトッとした目で見られ、俺はどう反応していいか困った。いや、かなりマズイ状況なのだが……なんだろう。天笠さんからそう見られると、ちょっと嬉しい気持ちもある。


 いかんいかん。

 喜んでいる場合ではないな。


 冷静になれ、俺よ。


「あ、あれだよ。温泉のことだよ。ほら、この隣街に健康ランドがあるだろ。そこへ行こうかなって話さ……」


「そういうことか。菜枝と一緒に入ってるのかと思ったよ」


 なんとか誤魔化せたな。

 実際は、何度か一緒に入っているけど……。



「姉さん、なぜここに」

「いいでしょ。大切な妹の様子を見に来ても」

「そ、そうですね。あの、食糧を?」


「全部カレーだけどね」

「そういえば、姉さんはキーマカレーが大好きですもんね」



 それでこんな種類のキーマカレーを……すごいな。あらゆるメーカーのキーマカレーを網羅しているのではないだろうか。当分は食うに困らない量だし、助かるな。


 しかし、ただ受け取るのも何だか申し訳ない。


 せっかく俺のアパートに来てもらったんだ。茶のひとつくらいは出そう。



「天笠さん、上がってく?」

「いいの? 邪魔じゃない?」

「菜枝の様子を見にきたんだろ」

「それもあるけど、もうひとつあるかもね」


「もうひとつ?」

「なんでもない。じゃ、お邪魔するね」



 来客用のスリッパを出す菜枝。

 さすが空気を読んでいるな。


 俺は天笠さんをリビングへ招き、椅子へ座らせた。その際、菜枝は椅子を引いてくれていた。離れて生活していても姉を尊敬しているんだな。


 一緒に遊んだ時も険悪ってわけでもないし、仲は良いんだな。


 紅茶を淹れ、俺はティーセットを出した。



「どうぞ、俺の趣味である“ヌワラエリヤ”だけど」

「へえ、スリランカの紅茶ね。ありがとう、神堂くん。――うん、いい香り……美味しい」


 満足そうに紅茶を味わう天笠さん。

 こうして静かにしていればお嬢様って感じだ。実際そうなんだけど、親しみやすいから、たまに忘れそうになるな。



「さすが詳しいな」

「わたし、普段はイングリッシュ・ブレックファスト・ティーだけどね」



 つまり普通の紅茶か。

 俺も嫌いではないが、ヌワラエリヤのようなマイナーな紅茶の方が好きなのだ。味も香りも、飲みやすさも最強だからな。



「すまんな、こんな紅茶で」

「ううん、これは意外だった。神堂くん、センスあるわ」



 なんか褒められた。

 そんな誇れるようなことでもないけど妙に照れくさい。頬を掻いていると、菜枝が膨れ気味だった。……おっと。



「そ、そうだ。せっかくだから晩御飯にしないか」

「ご馳走してくれるの?」

「せっかくのキーマカレーだからね。それに、好物なんでしょ?」

「うん。私、カレーの中ではキーマカレーが一番好きなの。辛いけどクセになるんだよね~」


 分かるぅ~!

 担々麺のような辛さだけど、ついつい夢中になって食っちゃうんだよなあ。



「決まりだな。じゃ、さっそく作るから、菜枝は天笠さんとゆっくりしているといい」

「いえ、わたしは兄さんのお手伝いを……」

「天笠さんを一人にするわけにはいかないだろ~」

「うぅ……はい」



 渋々ながら菜枝は席についた。

 姉である天笠さんと向き合って、なにを話すのだろうか。ちょっと楽しみだ。


 俺は調理をしながら、二人の会話に耳を傾けた。



「……菜枝、神堂くんとの生活はどう?」

「兄さんは優しくて頼りになるので、とても楽しいです。お料理が得意でご飯が美味しいですし、それに一緒に映画を見たり……」


「あー…、これは予想以上ね」



 ノロケに辟易する天笠さんは、カップに口をつけて俺に視線を送る。ヘルプを求められてもなぁ。俺はもう少し姉妹の会話を聞いていたいのだがな。


 こんな新鮮な状況、滅多にないだろうし。

 ヘルプは無視して、もう少しだけ耳を傾けよう。



 だが――以降、沈黙が流れた。



 期待した会話はなく、ただ静寂だけが取り残された。なぜ……。

 俺はキーマカレーを完成させ、テーブルに並べた。



「レンジでチンするだけだったから、楽だったな。はい、スプーン」

「ありがとう、神堂くん」



 菜枝にも手渡すが、どこか落ち着かない様子だった。なんか困っているな。仕方ない、俺が話題を出すか。


 好きな映画でも聞いてみようと思ったが、突然、アパートの扉が開いた。


 え、来客……?


 首を傾げていると、玄関からは執事の男が現れた。



「食事中、申し訳ございません。無礼をお許しください」

「ア、アルフレッドどうして……」



 まさか、あの眼帯の老執事の名前か? 外国人なのか。ということは本物か……。すげぇ、はじめて見た。



「お嬢様、残念ですがタイムリミットです。これ以上は、お父様が……」

「くっ……気の利かないクソ親父。せめてキーマカレーくらい食べさせてよ」

「お時間が……」


「もー! クソ親父の馬鹿ー!!」



 叫ぶ天笠さんは憤慨して席を立った。



「ちょ、天笠さん!?」

「ごめん、神堂くん。それに菜枝。……私は帰るわ」


「マジか。でも、家庭の事情がありそうだし、仕方ないか」


「悪いんだけど、そのキーマカレーは今度食べるわ」

「いやいや、さすがに腐っちゃうよ。これは俺が責任をもって食べておく」

「ごめんね。じゃあ、また」



 なんだか寂しそうに去っていく天笠さん。あの親父さんの命令だろうな。天笠家の娘である以上、門限は絶対なんだろう。


 やっぱりお嬢様ともなると自由なんて、ほとんどないのだろうな。


 菜枝はそれが嫌で……。


 少しして菜枝と二人きりになった。



「姉さん、行ってしまいましたね」

「ああ、いきなりでビックリしたけど、ちょっと残念だな」

「そうでした。兄さん、その……姉さんばかりズルいです……」


 ぷくっと膨れる菜枝。

 まさか、嫉妬……? だよな。……か、可愛い。信じられない程に可愛かった。思わず抱きしめそうになったけど、それは抑えた。


「すまん、菜枝。でも、俺は姉妹の会話を聞いてみたかったんだ」

「……あ。そうだったのですね。ごめんなさい」

「謝る必要はないよ。でも、前からあんな感じだったのか?」


「そうですね。天笠家ではマナー、マナーばかりで……窮屈で退屈でした。故に姉さんとの会話もそれほど多くはなく、今が打ち解けているくらいです」



 そうだったのか。俺はそうと知らずに……。天笠さんは、結構無理をして時間を割いてきてくれたのだろうな。


 む~、なんとかしてやりたいけどなぁ。菜枝の件で大目に見て貰っているからな……これ以上は厳しいかも。……でも。



★★★

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