神はサイコロを振らない - God does not play dice
屋上には誰もいなかった。
珍しいこともあるんだ。
でも、そんなことはどうでもいい。
菜枝に今の危機的状況を教えないといけない。……きっと、ショックだろうな。
出来ることなら言いたくはない。
けれど、隠したところで……いつかはバレる。なら俺から言ってやろう。
「なんでしょう、兄さん」
「実は……天笠家が動き出した。親父さん、菜枝を連れ戻す気だ」
簡潔に言うと、菜枝は少しだけ沈黙したが動揺はしていなかった。むしろ、事態を予想していたかのように納得していた。意外だな……。
「そうですか。お父様が日本に戻ってきていたのですね」
「俺は親父さんを説得しようと思う」
「兄さんが? そ、それは……でも」
「安心しろ。俺は菜枝を守りたいんだ」
「泣きたいくらいに嬉しいです。でも、兄さんを巻き込むわけにはいきません。わたしに任せてください」
俺の手を握る菜枝は、優しい瞳で見つめてきた。そんな目で見られると、俺は……気持ちが揺らぐ。
「……ダメだ。同棲生活が終わってしまったら嫌なんだ」
「兄さん……それ、すっごく嬉しい。わたしだって同じ気持ちですから」
ついに菜枝は涙を零した。
感情を押し殺して、ずっと堪えていたのかも。
これが菜枝の想いだ。
尚更、俺は諦められない。
今はせめて、菜枝を抱きしめてやろうと――思った、その直後だった。
屋上の扉がガタンと開いた。
そこから現れたスーツ姿の男。
眼鏡の奥には鷹のように鋭い眼。……あの優しさと厳しさを併せ持った目。忘れるわけがない。
背が高くて、高級腕時計がいつもギラついていた。
今日も同じような格好で、容姿も変わらない。当時から歳を取っていないように見える。若々しい風貌は、三十代と言われても信じるレベルだ。
ていうか、なんでここにいるんだよ……。
「……」
「……お父様」
菜枝の親父さんは、黙ったままこちらに歩み寄ってきた。ゆっくりと、規則正しく歩いてくる様は……どこか不気味で威圧的でもあった。
なんなんだ……この重苦しい空気。
ごくりと息を呑むと、親父さんは菜枝の目の前で足を止めた。
「菜枝、我が天笠家に戻っ――」
「嫌です」
即答する菜枝は、俺の後ろに隠れた。
……おふぅ。
容赦ないな。
「そうか。やはり、君かね……君が菜枝をこんな風にしてしまったのか」
ギロッと睨まれる俺。
怖ェ……殺される気配しかない……!
怖すぎてブルブル震えそうになるが、俺は菜枝の為にも平静を保った。
「天笠さん、菜枝は自らの意思で俺との生活を望んだんです。娘の気持ちを尊重してやるべきではないですか」
「気持ち? それがどうかしたかね。菜枝は、我が家の娘。お見合い相手も決まっていてね。海外の貴族と婚約を交わすんだ。となれば、我が家は安泰……。
天笠家と菜枝の幸せの邪魔をするというか?」
……な、なんだって。
お見合い?
婚約?
それが菜枝の幸せ……?
ふざけるな!!
そんなものは一方的な押し付けだ。自由もなければ、選ぶ権利すらもないじゃないか。それが嫌で菜枝は家を出たはずだ。
なのに……!
「お父様、わたしは兄さんと幸せに暮らしています。この先だってずっと……だから、邪魔をしないでください」
「……お前の意見など求めていない。それより、少年、この金額で手を打たないか」
親父さんは懐から札束を取り出した。……ま、まてまて。これ、いくらだ!? こんな分厚い束は見たことがないぞ。
百万円はあるんじゃないか……?
「ば、買収……」
「いやいや、これは菜枝を保護してくれた謝礼だよ。足りないのなら、一千万円でもいい。そうだ、今直ぐ返事をしてくれるなら一千万円で示談としよう」
……金で解決しようって魂胆か!
ありえない!!
断じてありえない!!
天笠さんが『クソ親父』と連呼する理由がよく分かった。
「断る」
「……今、なんと?」
「断ると言いました。天笠さん……これまでずっと金で解決してきたのでしょうけど、俺はそうはいきませんよ。金だけでどうにかなると思ったら、大間違いだ。
俺は弱い人間です。優柔不断でどうしようもない男です。――でも、せめて、自分でサイコロを振って先へ進みたい」
俺がそんな風に言い返すと、親父さんはビックリしていた。それから豪快に笑ったんだ。
「……く、くはははははは。ふははははははは……!」
「な、なにが可笑しいんですか」
「いや、すまない。その言葉……ある男も同じことを言っていたからな。昔を思い出して、思い出し笑いをしてしまった。すまないね」
「そ、それって……」
まさか、ウチの親父じゃ……。
うわ、俺ってば無意識の内に親父と同じこと言っていたのか。
「まさか人生で二度もサイコロで説得されるとはな。笑うしかないよ。馬鹿っぽいのに、妙に説得力がある」
「あ、あの……」
「もういい。神堂くん、君は最高の父親に恵まれたな。
踵を返す親父さんは、寂しそうに背を向けた。
「お父様……!」
「いいか、菜枝。お前の人生はお前だけのモノだ。その道を決めた以上はな」
「
「知っている。お前は昔からそうだったからな……。強情で意地っ張りで……私に歯向かうばかり。だが、そこが可愛くてたまらんのだ」
「……わたし」
「気にするな。困ったことがあれば、いつでも連絡を寄越せ。……体調には気をつけるんだぞ」
潔く去っていく親父さん。
まさか、最初からそのつもりで……?
★★★
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