第2話

 陽太は道を調べるふりをして、安田に連絡を入れた。安田からカメラを仕掛けた部屋の部屋番号を教えてもらうと、そっと携帯をしまって優に意識を向けた。もちろん、今から向かうホテルも、この倫理観のかけらもない賭け事に協力しているところだ。

安田から優の趣味について聞いているので、陽太はその情報を使って会話をつづけた。まれにお互いのことをよく知らないまま会うことになり、安田からほとんど情報を得られないまま、二人きりにならなければならない時もあるので、ひとまず陽太は会話がうまく進められていることに安心した。

 話していると、ますます優の年齢がわからなくなった。年齢を偽って会いにくる子は多い。二十代と偽って、十代の子がやってくることは、決して珍しくない。しかし、そういう子は大抵話すときの雰囲気に幼さがでるものだった。やけに自分の話をしたがって相手の話を聞かなかったり、少しでも気に入らないことがあると拗ねたり、大人でもそういう人はいるが、素性を探ると年齢を偽った少年少女だということは多い。しかし、優は十代とは思えないほど、大人びてしっかりした話し方をして、落ち着いている。会話の中で自然に陽太の手を握るほど、彼女には余裕があった。

「なんにせよ。この子は相当場数を踏んでいるな」と陽太は気を引き締めた。チャットアプリを使って、何度も男たちと会っているのだろう。こういう子に性行為が下手だと思われると、第三者が見ていてもつまらない行為になってしまう。たとえ陽太が金を盗むことに失敗したとしても、最中の映像は客に配られる。その時に、一銭も盗れていないうえにつまらない映像を出してしまったとなれば、陽太の人気も落ちる。陽太は人気に対してこだわりはなかったが、人に落胆されるのは耐えきれない性質なのだ。そのため、どんなときでも映像だけはしっかりとしたものを残そうと心がけ、毎回女を涙や涎でグチャグチャになるまで快楽に浸している。陽太自身、性行為は決して下手ではなかったが、それでも手慣れている人と行為に及ぶときは緊張が走った。

「どうしたの?」

 陽太が表情を引き締めたので、優は陽太の顔を覗き込んで様子をうかがった。

「いや、ちょっと緊張しちゃってね」

 陽太は困ったような笑顔を見せて、付け加えるように続けた。

「優は緊張していないの?」

 照れくさそうに微笑みを浮かべると、優は少し口を尖らせた。

「うーん。緊張していないと言ったら嘘になるけど、それよりも、会えてうれしいとか、楽しみだなって気持ちの方が勝つかな」

「そうか。いっぱい楽しもうな」

 微笑む優の頭を撫でながら、陽太は心の中で深呼吸をした。

 大通りから細い路地に入る。歩いている人が一気に減った。優も緊張してきたのか、口数が少なくなってきた。

 ラブホテルに着くと、入り口に部屋を選ぶ電光掲示板が置いてあった。優は黙って陽太の後ろにつき、陽太に部屋を選ばせるような素振りをみせる。陽太は迷わずに部屋を選んで、背後に優の気配を感じながら部屋に向かった。

 部屋に入ってソファーに座り、荷物を置いた。陽太が隣で上着を脱ぐ優を見つめると、ふと目があった。そっと優の肩に触れ、少しこちらに引き寄せると、優はとろんとした顔で陽太に身を預けてきた。陽太の鎖骨に優の頬が擦れ、服の下に隠れていたシルバーのネックレスが露出した。優の頭に鼻を押しつけると、甘酸っぱい果実のような自然な良い匂いがした。陽太の胸に顔をうずめていた優は、少し顔を上げて陽太を見つめた。

「嗅がないで」

 照れくさそうに唇を結ぶ優に陽太は優しく微笑み、聞こえるか分からないくらい微かな声で「かわいい」と呟いた。優は耳を真っ赤にして、陽太から目を離した。陽太は優から少し体を離し、もう一度優と目を合わせると、そっと唇も合わせた。最初は驚いて固くなっていた優の体も、何度か唇を合わせるうちに力が抜け、舌を絡ませあう頃には、陽太の体にしがみついていないと溶けてしまいそうなくらい柔らかくなっていた。唇を離し、糸引く唾液を見つめながら、余裕なく息をつく優を見て、陽太は意地悪な笑みを浮かべた。

 裸になり、二人で一つの塊のようになって、互いの身体に触れ合うと、最初に感じていた緊張はすっかり消えた。それどころか、次第に陽太は興奮を抑えられなくなり、優の体を噛んだ。滑らかで白い肌にいくつも歯形がつく。陽太は、仕事としての行為の中で相手を噛むことは一度もなかった。賭けの常連客や同僚がこの行為をみたら、驚くであろう。しかし、陽太にはそんなことを考える余裕もなく、ただ優の肉体を貪っていた。




 性行為の後、互いにくたくたに疲れて、無防備にも優は陽太の腕の中で眠ってしまった。陽太はゆっくりとすこしだけ体を起こし、歯形まみれの優の肩にそっと布団をかぶせた。珍しく仕事を忘れて行為に夢中になりすぎたことを、陽太は静かに反省した。心の中で「よし」と呟き、気持ちを切り替えて、金を盗むことを考える。優はぐっすりと眠っていて、そうっと腕を外せば、ベッドから抜け出すこともできるだろう。金を盗むまでの動きイメージしながら、腕を動かそうとしたとき、眠っていたはずの優が陽太の腕をつかんだ。

「……ごめん、起こしちゃったかな」

 やわらかい笑顔を優に向けたが、陽太はかなり驚いていた。

「ううん、ずっと起きていた」

 優はうっすら笑みを浮かべていた。陽太は優の頭を撫でた。

「煙草を吸おうと思っていたんだ」

 そう言うと、優は少し顔を曇らせた。

「ごめんなさい。煙草はあんまり得意じゃないの」

「じゃあ、先にシャワーを浴びていてくれないか。一服したら俺も浴びに行くから」

 これは金を盗む機会を作るために陽太がいつもやっている手口だ。相手を先に風呂場に向かわせ、部屋に陽太一人の状況を作ってから犯行に及ぶ。成功率も高く、不自然さもない。

「いや。シャワーを浴びるなら、一緒に浴びたい」

 優は片時も陽太から離れたがらなかった。

「わかった。じゃあ今から一緒にシャワーを浴びよう」

 陽太は優に手を差し伸べた。優は微笑むと、陽太の手を取り、陽太にしがみつくように起き上がった。陽太もそれを受け入れ、優の細くて柔らかい体を抱きしめる。陽太は優の身体を優しくなでながら、金を盗む計画を練り直していた。

 シャワーを浴びて、二人は帰り支度を始めた。濡れた体を拭き、服を着ていく。しかし、陽太はまだ金を盗めていない。

 服を着ると、二人はソファーに腰かけた。荷物を整理する優の背中を、陽太は横目で見ていた。どうやら、優は財布のほかに小銭入れも持っているらしい。ちゃらちゃらと小銭の音がする小さなポーチが見えた。陽太はそれに狙いを定めた。優が荷物の整理を終え、鞄を閉じようとしたとき、陽太は背後から優の頬に触れた。びっくりして振り返り、陽太を見つめる優、その手は完全に鞄を閉じることを忘れていた。優の唇に顔を近づけると、優は陽太が何をしたいのか理解し、両腕を背中に回し、そのまま唇を合わせた。陽太は優の舌に自分の舌を絡ませて、意地悪に動かしながらも、優にバレないようにそっと鞄の中に手を伸ばす。二の腕は優の腕にしっかりと捕まえられているので、肘より先を動かし、やっとの思いで小銭入れを取り出した。快感に耐えきれなくなって、優が小さく声をもらし始めたときには、もう優の小銭入れは陽太の手の中に握り締められていた。

 絡み合ってぐちゃぐちゃになっていた舌を、ゆっくりほどき、そっと唇を離した。唇は互いの唾液でべっとり濡れていた。

 優の黒く潤んだ瞳に、陽太はさみしげな笑みが映る。もう、お別れの時間が近づいていた。


「お金……払ってくれてありがとうございます」

 ホテルを出た後、優は深々と頭を下げた。

「いいよ。女の子に払わせるわけにはいかない」

 ゆっくり顔を上げ、優は恥ずかしそうに陽太を見つめた。

「気持ちよかった……。またしたいです」

 陽太は少し困ったような笑みを浮かべた。それは叶わないことだった。きっと優と別れたら、すぐに安田に連絡して、優とやり取りをしていた痕跡はすべて削除される。そうしなくとも、金を盗まれた相手ともう一度体を重ねたいと思う人はそうそういない。陽太は常に一度きりの関係、涼のようにリピーターがつくことはあり得なかった。

 陽太の表情に、優は不安げに首を傾げた。いつもなら「またしようね」とすんなり嘘をつける陽太も、今日はなぜか言葉に詰まってしまって何も言えなかった。

「……都合が合えば、またしようね」

 つい余計な一言を付け加えてしまったことに、陽太は心の中で大きなため息をついた。それを悟られぬよう、微笑んで優の頭を撫でた。

 頭から手を離すと、優は満足げに笑っていた。特に不審に思われているわけではないことに、陽太はひとまず安堵した。

「じゃあね、気を付けて帰ってね」

 陽太の言葉に、優は微笑みを返して、大通りの方に歩いていった。ことが終わったので、はやく安田に連絡しなければいけない。しかし陽太は、見えなくなるまで優の背中を見つめていた。時間はまだ、夜の九時を少し過ぎた頃合いだ。

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