3-7
翌日、昼前に起きた私達は早速出発することにした。昨日は食事の後、風呂に入ってすぐに床に入った。そしてどうしてか、クロスを抱き枕にしていた。何やら悪い夢を見て彼を絞め殺しそうになって一度叩き起された以外は、思いの外快適な寝心地だった。
「君さ、なんなの?童貞からかってたのしい?」
「ああ、非常に愉快だね」
「僕って傷つきやすいから、あんまりいじめないでほしいな」
「心なんて筋肉みたいなもんだよ。どんどん痛い目にあって鍛えていけば、もっともっと強くなる」
「筋トレもやりすぎたら体に毒でしょ」
軽口の#応酬__おうしゅう__#をしながら、部屋を出て宿屋の玄関まで降りてきた私達を、マルトが出迎えた。昨日は二つに分けてお下げにしていた赤毛を、今日は1つ結びにしていた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん!」太陽のような眩しい笑顔を浮かべ、何やら丸めた紙を差し出してくる。朝の挨拶をしながらそれを受け取り広げて見ると、拙い手描きで何かの地図が書いてあった。
「これね、国の地図だよ!荷物が盗まれたんなら、地図もないのかなって思ったの。昨日わたしがそれに気付かなくて買うように言えなかったから、早起きして描いたんだ」
えぇ........?なにこのすごくいい子。マルト作の地図は、地図としての役割を果たせるかどうかというと、全く無理だ。線も文字もぐちゃぐちゃだ。でもこれは、私の宝物だな。
感動している私の横から地図を覗き込み、クロスは顎に手を当ててフムと唸った。
「そもそも縮尺が安定してないし、形や土地の名前もごちゃごちゃ........あっ」
己の言葉にマルトが顔を曇らせたことに気付いて、クロスが気まずそうに言葉を切った。「人生のほとんどを師匠以外の人と接触せずに過ごした」と言っている割には、結構人と話せるじゃないかと思っていたが、なるほど。言わなくてもいいこと、空気を読むことが壊滅的にわかってない。確かにこいつは、外界との接触が極端に少ない人生を送ってきたのだろう。
「マルト、ごめんね。このお兄ちゃんは素直じゃないんだ。今の言葉は全部逆の意味なんだよ」
「そ、そうなの........?」
今にも大粒の涙をポロリと落としそうな瞳が、クロスを見上げる。彼は首がちぎれんばかりの勢いで何度も頷き、ごめん、ごめんと呟いた。もっとはっきりとした声で謝れ。「よかったぁ」マルトは納得したようで、安心した様子で胸を撫で下ろした。涙を堪えたせいで赤くなった鼻を人差し指で擦りながら、彼女は嬉しそうに笑った。
「マルト、本当にありがとうね。すごく助かるよ」
「うん!お姉ちゃんたち、また会いに来てね」
そんなこと言わずに、一緒に行こうぜ、とはさすがに言えなかった。いや、言いたかったけど。マルトの後ろで一部始終を見ていた彼女の父親が、ニコニコしながら一歩前に進み出た。
「昨日、クラウスの作品を貰えたそうですね。あいつは私達が説得してもなかなか人に作品を売ろうとしないんですよ」
「クラウス........?ああ、弟さんのことですか?
決死の土下座が効きましたよ。やっぱり人間、つまらんプライドなんてもんは捨てるべきですね」
マルトの父親は少し表情を曇らせて、私に歩み寄ってきた。彼は肉付きのいい右手をスっと差し出し、私はそれを握った。握手をしながら顔を近づけて来ると、私にだけ聞こえるような声で、
「もし旅が終わりましたら、あいつと一緒になってやってくれませんか」
やはりか。最初に私を見た時、彼も何かに驚いた様子だった。一目見てそれに気付くほど、私はクラウスさんの死んだ奥さんに似てるのか。
だがいくら似ているとはいえ、私はクラウスさんの死んだ奥さんとは別人だ。死んだ人の代わりにはなれない。人から求められることは悪い気はしないが、それ以上に、私自身のことは無視して、私とはなんの繋がりもない死んだ人間の面影だけを見ているということに腹立たしものも感じていた。私はなんの返事もせずに、目を逸らして肩を竦めるだけに留めた。
悪い人ではないのだ。しかし、その一見無害に見えるが純粋なエゴイズムに、私は嫌悪感を覚えた。己の汚さを自覚出来ていないということは、本人だけは幸せなものだ。
嫌いだ、と思った。
わたしの愛した世界 伏織綾美 @STOICmegane
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