2-7

「ところで、ミミ」2人で歩き出してすぐに、クロスが私の名前を呼んだ。



「どうして本名を名乗らないの?」


「なんだ、わかってたの。知ってるならそう言ってよ」



 本名を知られているのに、わざわざ偽名なんて使ってしまった。なんと間抜けな事だろう。



「や、君なりの事情があるからなって。本名を名乗ると嫌なことを思い出したりする、とかね」


「確かに本名は好きじゃないというか」



 今までの自分とは決別したい気持ちがあった、というか。


「ミミ」というのは私の名前とは似てもいないし、全く違うものだが、決して即興で考えたものでは無い。いつだったか、どこだったかは覚えてないが、とても小さい頃に一緒に遊んだ友達の名前だ。

 不思議と、彼女とどんな遊びをしたかなどは記憶にないのだが、彼女がとても活発でよく笑う、可愛らしい子だということはしっかりと覚えている。恥ずかしがり屋だった私にとって、彼女の性格は憧れだった。



「不思議だね。そんなに君にとって思い入れがある子なのに、何をして遊んだか覚えてないなんて」


「だね。........まぁ、とにかく私は自分以外の何かになりたかったんだ」


「それで他人の名前を堂々と騙ったのか」


「言い方が悪いよ。これくらいのことは許してよ」



 クロスは水を再び1口飲み、皮袋の蓋を閉めた。白い頬が日光を受け、輝いているように見えた。小ぶりな鼻筋から、唇にかけての曲線が妙に艶めかしく、男性というよりは女性的な印象を受けた。しかし、顎から下に視線を下ろしていくと、喉元にはしっかりと喉仏があるのが分かった。



「誰にだって捨てたい過去はあるでしょ。君にはとくに。

 だから、そう名乗りたいなら名乗ればいいと思うよ。僕はそれを尊重する」




 クロスの発言に、嬉しいと思わないと言ったら嘘になる。しかし、私自身の問題もあって、信用しきれないものがあった。今までの人生において、クロスのようなことを言ってくれる人間はいなかった。自分に都合よく人を利用する奴、興味が無いから調子のいいことを言える奴、嘘をついて人を陥れる奴。心の汚れた人間ばかり見てきた。


 しかしまぁ、こんなに、優しい人間も居るもんなんだな。



「どうもありがとう」


「........おう。なんか素直にお礼言われると気色悪いな」


「黙れ女顔」


「やめて。それ童貞って言われるより辛い」








 むき出しの土や石だらけの山肌を舐めるように下っていく道を、半刻ほど歩いたところで町が見えてきた。遠目からは町には見えず、切り立った崖が視界を遮っているだけのように見えた。

 しかし、近付くにつれ崖の上に僅かに覗く建物の屋根や、崖の壁に石造りの階段が遠くからは見えにくいように取り付けられているのが視認できるようになった。まるで秘密基地のようだ。



「あそこが町?」


「そうだよ........」



 崖を指さして尋ねた私に、クロスが肩で息をしながら答えた。なんとも貧弱なことだ。真っ青になっている。ついでに、ドーナツ食べながら歩いたのも悪かったと思う。



「あのさ........、とりあえず宿を見つけよう。でさ、お金渡すから1人で買い物行ってきてくれない?僕は宿で休んでるから」


「別に構わないけど、私が1人で出歩いたら危険だったりはしないの?」





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